| *電気のない暮らしについて |
| 静岡梅が島発 すぎやま流素的なくらし 静岡県の県庁所在地、静岡市。 その中心部より安倍川をさかのぼることおよそ50キロ。 ここに暮らしはじめて3年あまりになります。 いまどき電気を引かずに生活する若い衆、は珍しいらしく関心を寄せられることもしばしば。 そこで、ここに至った経緯と、我々の日常を、書いてみることにしました。 ●なぜ電気をひかないのか。 梅が島に住み始めるまでは、二人ともそれぞれにごくありふれた住環境で生活していました。 何となく、というのが一番本音に近いところです。 それまで当たり前と思ってきたことが、本当はどういうことなのか確かめたい、という気持ちもありました。 水道、はやっぱりあった方が便利だろう。川まで水くみにいったり、天水を使いこなす自信はない。 ガス、もあったほうがいい。一日三回の炊事は、それだけでも骨が折れるのだから。 電気はー、なくてもいいかもしれない。明かりはランプでもいいだろうし、お日様と共に生活した方が体にも良さそうだし。 ご飯は電気ジャーより、ガスで鍋で炊いた方が美味しいし、掃除機は埃っぽくて騒々しいから、箒の方が好きだ。 冷蔵庫だって、入れれば安心して巨大なごみ箱と化しちゃいそう、それに冷蔵、冷凍の必要なものって想像以上にエネルギーかかってるし、それを一年中食べつづけるのは、おもいのほかに身体に負荷のかかることらしい。 それに、実際電気が無いってどんなに不自由で、電気があるってことが、どんなに有り難いことなのか、実際にやってみて実感したい。ーというていどの、浅はかな思いつきで、電力会社に電話をかけないことにしたのでした。 ●電気はいっさい使っていないのか ガソリンの発電機は一台あります。ー機械系の夫が、溶接機を使うのと、お茶の袋詰めのために、たまーに動かします。が、ひどくうるさいのと、排気ガスが不愉快なので、あまり使いたくありません。洗濯に疲れた私のために、夫が洗濯機につないでくれたこともありますが、結局使う気になれませんでした。「発電」って、大変なことなんだ、というのが、だんだんわかってきます。 それと、ファックスを使うために、車の走行中の余剰電力をバッテリーに落として、使うときだけ電気を流す、という使い方をしています。ちなみにうちの電話は黒電話なので、付近が停電していても使えます。 そして、うちでもっとも新しく、意外な(?)電気製品は、モバイルコンピュータ(WindowsCE)です。テレビも新聞もないわがやの、主な時事情報源は、携帯ラジオでした。が、九月十一日の国際犯罪以来の公共電波情報の偏りに、危惧を感じたこと、をきっかけに検討し、「振り回されない範囲内で」つかうことにしました。 これはモノクロ液晶で、乾電池二本で動くので、制約はありますが、うちでは今のところこれで十分満足しています。 ●自給自足をしているのか 昨日まで町で生活していた人間には、とてもとても出来ることではありません。 仮に、米や野菜を自前でまかなえたとしても、塩や油、昆布に鰹節はおいそれと自給できません。私たちの感覚では、着るものも、暖をとり、煮炊きするための燃料も自給の対象になります。 ということは、一家族(三世代が一つ屋根の下で暮らしていたとしても)で本当に自給生活をしようとおもえば、それこそ寝る間を惜しんで働かなくてはなりません。 それよりは、出来る範囲で出来ることをして、出来ないことはほかの誰かー専門家ーにやってもらう、そのかわり自分でする以上の仕事をしてくれたことへの相応の対価「技術料」を払う。と割り切った方が、苦しまずにすみます。 いうなれば、「他給自足」。自分が必要とするものを、誰かに提供してもらうのは、ちっとも不自然なことじゃありません。むしろ、誰かのおかげで生きている、ということを自覚することの方が大切とさえ思われます。 やたらにものをほしがらず、与えられた状況に満足するー 「自足」生活は、私たちの性にあっています。 ●電気のない暮らしの実際は? (2001年12月現在) 今はプロパンガスも使っていないので、暖房と、炊事用の熱源と兼用で、薪ストーブをつかっています。反射式の石油ストーブだけの時に比べ、格段に暖かくなりました。けれど、燃やす材によって、すすがでやすかったり、煙かったり、ガスのように、あっという間にお湯が沸く、というわけにはいかないのが、つらいところです。 冷蔵庫がないぶん、よけいな買い物をしなくなりました。肉魚、乳製品は、安全性や、本来の食律などの観点からも、常食の必要はなく、たまの嗜好品という位置づけになりました。 |