ドウトン

 

29日 三江ー独山同

 朝から大変深い霧。独山同行きのバスは昼まで欠便。知らずにチエックアウトしたので、荷物をホテルで預かってもらう。

 8時半頃は静まり返ってた街は、次第に活気を帯び、10時頃には町中に無数の露店が建ち並び、あらゆるものを売り始める。市はここ

のが一番にぎやかでおもしろかった。

 巨大な袋に野菜の種を入れて売る店、色鮮やかな毛糸を3メートルも積み上げている店、とにかく様々な品が大量に並べられ、良く売れ

ている。肉、野菜、果物、魚も豊富。血をかためてケーキのようにしたもの、鹿、ウサギ、ハリネズミ、大ネズミ、雉、かも、鶏、アヒル、豚など

生きたまま売っている。

 バスに乗る。大型バスだが、大変な混雑。というよりは、全員が今にも殴り合いの乱闘を始めるかの様相。ようやく席に着くとおばちゃん

が文句を言ってる。私の席だと言っているようである。ここで初めて指定席だと気づく。自分の席はと探すと、既に誰か座っている。やっとの

ことで、その人をどかし、正規の席に着く。

 大変な山の峠道を本当にあえぐようにしてゆっくりとバスは登っていく。遥か彼方を見渡せば、ため息を付きたくなるような曲がりくねった

道がどこまでもどこまでも続いている。本当にとんでもないところに来てしまったようだ。

 超満員のバスは突然峠の途中で停車。エンジンを止める。何事かと思えば、信じがたい事だが丁寧に洗車を始める。我々は座っている

からいいようなものの、すし詰めで立っている人はしんどいだろうに、しかし、皆それが当たり前のように文句一つ言わず静かに待っている。

 峠道の左右には見事な棚田が見渡す限り続いている。いったいどうやって切り開き、手入れをしているのか。その苦労には脱帽。

 わずか45キロの行程を3時間ほどかけて走る。峠を越えて美しい座龍の村を見下ろす谷に降りてからも、バスはひたすら谷筋を曲がりく

ねって登っていく。 終点独山同に着く。またしても道路工事で、バスは村の遥か手前で停車。あとはひたすら歩く。村の子供たちが遠巻き

にして付いてくる。

wpe54824.gif (124691 バイト) 旅社の窓から見たドウトン木造建築群の絶景

 旅社を探す。1軒目は木造であまりに古そうでパス。2軒目、ありました!モルタル塗りの3階建ての旅社。名前は無く、「旅社」とあちこち

に赤ペンキで書いてあるだけ。

wpe33828.gif (128082 バイト)     ドウトンで泊まった旅社 

wpe96023.gif (159760 バイト)

 宿泊手続きをしている間も、子供たちが見に来る。それにしても子供が多い。

 とりあえず泊まる。一人1泊なんと5元。安い。シーツはここでも清潔。しかし、水道は1階の階段の手すりを梯子で乗り越えて外に出た

所。トイレはさらにその奥の遥か彼方。3階の部屋からは徒歩3分。ちょっとつらい。窓からは村の中心の広場が一望。

 夕食は飯店、といっても、いすが10個、テーブルが2つあるだけ。しかし、そういう店が4軒ほどもある。米粉しかないのでそれを頼む。肉

入り1.8 素1.5元。待っていると、どんどん店先に子供たちが集まってくる。注目の中、食事。おいしい。

 宿に戻ると、いきなり宴会。まあまあ席にと誘われ、一緒に鍋をつつく。

 筆談で話が弾む。

本当に夫婦なの?ーそうです夫婦です。(どこか夫婦に見えない所があったのか。)

家族はこれだけ?ーそう。これで全員。4人家族です。

子供は何歳?ー6歳と8歳  

仕事は何?ー高校教諭と農業を少し、米や白菜をほんの少しつくっています。

何しに来たの?ー観光、風雨橋などを見に。特にこの付近の2層式風雨橋(人畜橋)が見たいです。

       ー明日案内してあげよう。私はその風雨橋の村に実家があるんだ。

沖縄の米軍をどう思う?ーそんなもんいらんよ。中国は人民解放軍が守るように、日本には自衛隊がある。外国の軍隊はいらんよ。

            (ここで大いに盛り上がる)

           ーその通りだ、我が同志!

これは日本語で何っていうの?ー各種の野菜の日本語を教える。

 それにしてもおいしい料理、上手い酒。随分ごちそうになってしまった。

 このあと、カメラを取り出すと、大撮影会に。後日写真を送ることを約束して宴はお開きとなる。 

 全く中国語の知識が無いため、上記のやりとりは難渋を極める。次回までには筆談がもう少し上手に出来る程度には中国語を勉強した

い。

 

 30日 独トン

 早朝より大変な喧噪。全く予想外。まず、朝5時頃からトイレと旅社の間にある屠殺場から、次々と豚の悲鳴。ブウブウブウブヒーヒ、と叫

んでは静かになるの繰り返し。次男は人間の悲鳴かと思って怖がる。真相を知ると、「なんだ豚か。」と言って、うるさい中、また寝てしまう。

鶏の鬨の声もこれに混じる。7時前には、朝一番のバスが、客を呼ぶクラクション。これがまた、いつまでも続く。7時半からは町内有線放

送が朝の音楽。様々な音楽の最後はインターナショナル。でも誰も聞いていない。トラクターの巨大なエンジンを軽トラのフロントをぶち抜い

て取り付けたような、もうおなじみの車が、これまた轟音を響かせて坂を上り下り。もう少し穏やかな豚の悲鳴も。こちらは、しばかれて小屋

を追い出される時の叫び声。おばあさんや子供が、大小の豚を棒や鞭で外に追い出している。9時頃からは広場で始まるバスケットの試合

の実況中継と沸き上がる歓声。黒山の大観衆!の声援はものすごい。我々は町一番のにぎやかな場所に泊まってしまったようだ。日本の

農村では考えられないにぎやかさ。町が生き生きしている。

 隣の村の人畜橋(2層式風雨橋)を案内して頂く。

 隣の村までは4キロ。朝9時半のバスは今日は出ないそうで歩いていく。

 途中の山は、低いところは棚田、中程度の所は油茶樹、新たに棚田を潰して白桃が植えられている。高いところは森林を伐採し、丁寧に

幅の狭い段々が造成され、茶の栽培が始まりつつある。茶基地、年産20万元、脱貧400人と目標が赤ペンキで書かれている。

 穏やかな下り坂の途中、多くの人にあう。集めた薪を運んでいる人、茶畑を開墾している人、何か草を刈っている人など。案内してくれた

方(独山同の小学校の先生)は皆知っている人らしく、二言三言言葉を交わしていく。

 40分後、隣の集落、巴団(本当は団の中身は才)に着く。独山同より遥かに小さな集落。独山同同様、集落の近くの畑は緑が濃く、様々

な野菜が植わっている。

 村の中に入る。路地を豚の子供の集団が横切る。軒を寄せ合うように豪壮な木組みの2、3階建ての農家が立ち並ぶ。路地を歩くという

よりは、家と家の隙間をたどるように抜けていく。

wpe73214.gif (209298 バイト)  生まれたばかりの子豚さん達。巴団の村の路地で。

 突然視界が開け、風雨橋が現れる。太い木組み。2層とは言っても、下の家畜用は、斜め下に付属しているのであって、完全に上下に分

けられているのではない。幅も人間用の3割程度。人間用の方は、途中に休憩所や祭壇?があり、ずっと長椅子も続いている。これは橋と

言うよりは集会所だ。それにしても贅沢なつくり。とても、長雨から橋の腐食を防ぐためだけとは思えない。村の人々の心のよりどころか。

 河原に降りる。灌漑用の揚水水車が稼働している。木の薄板で水流を捕らえて回転し、斜めに取り付けた竹筒が水を下で汲んで上で用

水路に落とすしかけ。よく工夫したものだ。

wpe10688.gif (168650 バイト)もっと水車の写真

 高台に登る。先生は巨木を自慢する。この辺には珍しい太い大きな木がその一角だけに生えている。上から見下ろすのだが、木がじゃま

になって展望は開けない。木々の間から、集落の一部が眺められるのみ。この木を見せるために、この高台まで上がったようだ。

 

 帰りに先生の家を見せていただく。木造2階建て。1階の壁面はブロックが積んであり、周囲の家より裕福なことがわかる。先生の部屋は

12畳くらい。自作の巨大なスピーカのステレオ、15型くらいのカラーテレビ、それに立派な白木の家具。世界地図と中国の地図が張ってあ

る。おばあちゃんがお昼をごちそうしてくれる。たくさんのふかし芋。(サツマイモと里芋)それに油茶。熱いお茶と油茶樹の油に、カリカリに

油で炒めたご飯と煎った落花生を入れて食べる。おいしい。それに大根の漬け物。

 食後、農機具を紹介していただく。鍬も鋤も日本と全く同様。草刈り柄付き鎌も全く同じ。最後に出てきたのは散弾銃。1、2ミリ前後の散

弾を込めて打つ火打ち式の長銃。照準装置は一切無い。筒と引き金と発火装置とグリップだけの単純な銃。これで野鳥を撃つそうだ。弾丸

と火薬も見せてくれた。シーズンには今も使っているらしい。広い家畜のスペースもある。アヒルも飼われている。

wpe25119.gif (184241 バイト) 小学校の先生のお宅

ahiru.gif (71323 バイト) アヒルコーナー

wpe58093.gif (161368 バイト) 厨房

 

wpe43777.gif (155345 バイト) 散弾銃  もっと農具の写真

 丁重にお礼を言って、家を辞す。

 帰りは急な坂のため、トラクターを15元でチャーター。すぐ独山同に着く。途中、少年が飛び乗って来る。車が止まると、笑顔で去っていっ

た。

 

31日 独山同

 朝から村の中を散歩。村の中を走る僅かな道を外れると、そこはもう迷路のように入り組み折れ曲がり、上下し、家の下をくぐる小道が続

く。

 斜面が多いため、また、家が高層建築のため、村の中はとても立体的。家々の木組みが折り重なり、とても美しい。小道をたどると、小さ

な広場と鼓楼(木組みの巨大な集会所。昔は太鼓を掛けていたため、こう呼ばれている。)に出会う。こういう場所では、必ず誰かがくつろ

ぎ、子供が遊んでいる。広場にもおばあちゃん、おばさん、若い娘さん、子供と、あわせて数人がのんびりすわっている。私たちも静かに隣

wpe87792.gif (151237 バイト)もっと村の人達の写真

に腰をおろす。くすくすと笑う娘さんたち。おばさんが、「お兄ちゃんは?」と手真似で尋ねる。「風邪で寝てるんです。」とこれまた手真似で答

える。ここは随分村の奥の方の筈なのに、私たち4人が村を訪れていることは既に知られているらしい。

 豚が干してある芋を盗み食いしているのに気づき、「あっ」と私が声をあげる。すかさず、7才くらいの女の子が、豚の番は私の仕事よ!と

ばかりに張り切って、猛ダッシュ。しかし、芋に躓いてスッテンコロリン。一同大爆笑。

 穏やかで暖かな時間が静かに流れる。ここは桃源郷か。

 どこの家でも必ず豚とアヒルを飼ってる。女の人が籠を前後に振り分けて担いで、川原に降りる。籠をあけると、出るわ出るわ、沢山のカ

モ。全部でなんと8羽が、川原に放される。小さな風雨橋では女の子が遊んでいる。複数のひもを飛ぶ遊び。親鶏がヒヨコを連れて堆肥の

虫を探している。驚くほど小さな豚が小道を横切る。

 突然、バス停前の広場に出る。大きなよろずやには綺麗なスーツケース、ラジカセまで売っている。ラジカセからは常に大音量で音楽が

流れている。店の前にはなぜか足をくくられたフクロウが2羽。近づくと首をまわしてこっちを見る。

 雑貨屋で子供に駄菓子をかってやろうと立ち寄ると、夜の宴会の席におられた若い方が、出てこられ、「どうぞ上がりなさいよ、家見ていっ

てよ、」とのこと。喜んで見せていただく。

 木造4階建て。(高床式の3階建ての床下を改装したようである。)とにかくでかい。太い柱の豪壮な建物。

 1階は自分で経営されている小さな小さな雑貨屋と炊事場。炊事場は白いタイルを張ってあり清潔。よく手入れされている。大きな釜が2

つ。小さな鍋が2つ。この配置が、沖縄の琉球村で見た民家にそっくり。

wpe60172.gif (111957 バイト)    1階の炊事場  

 2階は大きな作業場。作業場の一部には酒造設備もある。米と麹を馴染ませる広い台と、寝かせるための巨大な壺がいくつか。豚の寝

床。この豚の寝床には、外に直接出る専用出口があり、子豚は自由に村の中と小屋の中を行き来している。親豚2頭と子豚が沢山。綿を

摘んだのを入れた籠もつってある。2階の方が広いのは、斜面に寄りかかるように建っているため。

wpe72129.gif (157567 バイト)   2階の作業場

 3階は6畳くらいの寝室が2つ。紹介してくれた彼の部屋はその一つ。部屋にはベッドと写真。とてもシンプル。囲炉裏のある居間が一つ。

ここに大量のサツマイモが貯蔵されている。それに広いテラス。テラスからは村全体が一望できすばらしい眺め。なんとこの3階にアヒル5

羽とカモ7羽飼われている。それに広い倉庫。様々な農具や資材、かごが雑然と並んでいる。殆ど全て、彼の手作りだという。鎌が2本、牛

に引かせる大型の鋤が3種類、その他いろいろ。動力を使う道具は一つもない。4階は藁、布、支柱などが置かれている。それにしても大

きな立派な家。我が家の何倍もある。厚く御礼を言って家を辞す。

 夕食は「来料加工」に挑戦。多分これが、材料を持ち込めば加工して食べさせてくれるというやつだろう。市場で、丸ごとの豚肉の塊から、

「ここ、この赤身。」と言って切ってもらう。切った肉は藁しべ!で括って手で提げられるようにしてくれる。この頃には、いったい、この外国人

は何を買うのだろう、と私たちの周りに人だかりが出来ている。かなり大きな一切れが5元。次に豆腐4角。チンゲンサイ5角。しいたけ1元

2角。

wpe45452.gif (138397 バイト) 市場の肉屋さん

 

 さて、いよいよ、来料加工。材料を食堂のお姉さんに渡す。出てきた料理は、チンゲンサイのスープ。チンゲンサイと豚肉の炒め物。豆腐

と椎茸の炒め物。ご飯。加工賃とご飯で3元。最高に旨い。こんなにおいしいのは生まれて初めて。特に豚肉。昨日まで、村で遊んでひなた

ぼっこを楽しんでいた豚の肉は、暗い豚舎で薬品漬けで量産されている日本の豚とは比較にならない。豆腐もおいしい。

 旅社の主人は30才過ぎ。ちょっと、と呼ばれる。寝室には28インチのカラーテレビとステレオ。テレビの日本語表示の説明とステレオと

の接続をして欲しいとのこと。なんとか接続出来ると大喜び。

 長男は高熱。何も食べない。僅かに水を飲むが、それも吐いてしまう。三江で買った洗面器が大活躍。旅社のご主人や隣村に案内してく

れた小学校の先生が見舞いに来てくれる。「注射はどうか、」と勧めてくれるが、我が家では日本でも子供の風邪で医者にかかることは無い

ので、丁重にお断りする。

 大晦日の夜は文化祭のようなものが、広場の前の楼で行われる。村の小中学生

が中心になって、劇や踊りを披露する。伝統的なものや、ロックに合わせて踊るものなど多様。広場はぎっしり人波で埋まっている。

 

 1月1日 独山同

 今日は旧暦の2のつく日という(2と7の日が市)ことで、早朝から大変な騒ぎ。豚の悲鳴の数も早朝から数限りなく、広場では板やいすや

パイプで器用に店舗が組み立てられている。時々爆竹の連続轟音、それに音楽。とにかくにぎやか。しかし、早朝から準備をしていた割に

は店開きは遅く、全店開店は11時半頃。

 広場の無数の店を巡り歩く。山の方からの産物は、牛。これがとにかく多い。次々と村の入り口の牛市へと引かれていく。次に木材。丁寧

に製材した定型の板材を束ねた物。不定型な枝を括った薪、炭、薬草。あと、キクラゲ、豚、鶏、雉、ハリネズミ、野菜、米なども。何れも信

じがたい量を若者達が担いで運んでくる。

wpe64478.gif (160121 バイト)    ドウトンの定期市

 

 村の産物は、なんと、家具。木工所のような建物の前には、白木のベッドと箪笥(皆同じ大きさ、同じ形)が並んでいる。ベッドは皆枠のみ

である。巨大な箪笥を人混みの、背中に担いで坂を上っているのにはたまげた。農具も並んでいるが、日本と違い、金属部分のみ売られて

いる。柄は自分で調達するもののようだ。三江では鍛冶屋も見かけたが、ここは露天売り。

 街からの産物が最も多くて多様。三江の商店街が引っ越してきたかのよう。配合飼料、ネズミ殺し薬、文具、服、靴、髪留め、バケツ、鍋、

食器、電池、懐中電灯、布団。意外な物は少なく、当たり前の必需品ばかり。美しい青、地味な黒、茶の三種類の民族衣装は一見して街か

らの工業製品。民族衣装の娘さんが群がりどんどん売れている。鳥撃ち銃の弾丸(鉛散弾)と火薬も売ってる。旅社の主人は、兼業してい

る雑貨屋が大繁盛。鍋、靴、洋服などがこれまた飛ぶように売れている。奥さんは別の場所で靴売り。

 欲しかった民族衣装の娘さんが頭に着けている、刺繍の入った帽子は売ってない。生地と飾りのビーズが売ってるので、これで手作りす

るようである。観光みやげになりそうな物は見事なまでに何もない。一瞬がっかりした自分が馬鹿だったことに気づきうれしくなる。ここは独

山同だ。

 突然日本人に出会う。大きなカメラを持っているのですぐわかった。が、向こうはもっと驚いていた。「あっ、日本人の子供がいるよ。」と声

をあげて驚いている。聞けば、チャーター車、運転手、通訳、道案内の3人を雇った数人のグループ。プロカメラマンとその友人だそうだ。彼

らにインスタントの日本食を頂く。とてもありがたい。熱の高い長男は、これでなんとか食事が喉を通る。

 トラクターが落っこちてる。別ので引っ張ってなんとか持ち上げていた。それにしても事故をよく見かける。

 いよいよ独山同に別れを告げる。午後のバスの切符は、予定通り、1時間半前の発売時に購入済み。宿のご主人に丁重に礼を言い出

発。荷物を3つにし、長男は抱いてバス停まで行く。黒山の人混みの道がササーッと譲られ、苦もなくバス停へ。本当にありがたい。

 バス停ではイスをわざわざ出してきてくれて座らせて頂く。ほんとうに誰も彼もなんて親切なんだろうか。

 バスに乗る。このバスのピシッとしたスーツ姿の女性車掌はきつい人だった。もたもたしてるといきなりドアを締めて怒鳴りつけられる。連

れ合いが日本語で怒鳴り返すといきなり静かになる。あまりに薄汚れていたので独山同の村人に間違えられたのだろうか。そして、外国人

だと気づいて静かになったのだろか。それなら悲しい。また、誰か、村人が車掌に怒鳴りつけられている。彼はつまみ出され、バスはエンジ

ンをかける。まだ彼は怒鳴って扉をたたいているが、バスはかまわず発車。

 三江まで3時間弱。こんどは空いている。途中いくつかの美しい風雨橋が車窓から見える。三江では再び程陽賓館に泊まる。久方ぶりの

熱いお湯。直ぐ近くの水とトイレ。清潔で柔らかなベッド。少々情けないが、皆心から一息つく。トリプル1泊150元。(外人料金)

 夜は屋台で次男と米粉三昧。白玉団子のスープは宿から持ち出した湯飲みでテイクアウトする。ワンタン入り2杯、白玉スープ4杯、卵4

個で16元。ふと気付くと妙に明るい。往きには無かった巨大な街灯が交差点を照らしているためだ。

正に見る間に変化していく現代中国を実感。

                                                                                   

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