ありがとう 塩屋湾外海
〜清(ちゅ)ら海・ウークイサビラヤー祭〜 開催まで
(美しい海・お見送りしましょうね)



私達は埋立に対して疑問を持ち続けてきました。住民投票条例が議決される数日前、埋め立て根拠となっている人口増や施設の必要性についてどうしても納得できず、担当部署を訪ね再度疑問を投げかけました。そして担当課長の「手続きに忙しく埋立願書は見ていない」と言うショックな言葉に衝撃を受け、このような状況で埋め立てられてしまう清ら海に申し訳ないと思うものの、採決の結果は大差で否決されてしまいました。

大宜味村では昨年の村長選挙で村長が交代しましたが、その後遺症が様々なところで取り沙汰されています。まず三役が議会で承認されず、一年間空席のまま先月の議会でようやく二役が決まりましたが、当初とは異なる人事でした。 また村の行事に前村長支持の村民が参加、協力しなかったり、役場内での職員間の軋轢、工事関係者間のネット上での中傷、住民投票村民の会代表者等への脅迫電話など、わが村での出来事かと目を疑う今日この頃です。人口3500名の小さな村がギクシャクし、このままでは長寿の里の村民とかけ離れた、とんでもない村になってしまいそうです。

このような中で、村が数日中にも工事を始めるとの報道がありました。現在のような琉球列島が誕生したのが約2万年前といわれています。その後我々の先祖がこの地に住み着き、豊かな海から数え切れない多くの恵みを受けて来ました。埋立が始まる前にこの海に感謝の気持ちを伝えたい。すべての村民が、お世話になったお礼を言って、この海に別れを告げるべきなのではないか。永い永い時を経てきた自然を変えて、ここを利用させてもらおうとしている私達が第一にやらなければならない大切なことなのではないか、との思いがどんどん強くなっていきました。

私達は埋立事業に対しずっと疑問を抱いてきました。いまでもその思いが払拭されたわけではありません。埋立てについて調査をしたり、意見交換会を開催したり、意見書を書いたり、要請をしたり、埋立が開始されるまでの2年半、手探りで最大限の努力をしてきました。いつも話し合いの場を持ちたいと働きかけては実現しませんでした。埋立推進の人たちとは平行線をたどるばかりでしたが、今、清ら海が埋立てられることは村民全てに直面している問題なのです。村内が二分、三分している状況は決していいことではありません。責任ある立場の人たちが異なる意見に聞く耳を持たず、抹殺したり悪者扱いしたり、また自分の意見が通らないからと、あてつけに露骨に態度を硬化させるような心の狭い村になっていることが、何より残念でならないのです。

私達はそこから脱却しよう!
あえて意見の異なる推進派の団体や事業主体の村当局にも呼びかけをして、村民皆が海に感謝をし今後の村の幸をお願いするような祭りをしようと決めました。賛否両論、ケンケンガクガク、悩みに悩み、勿論すんなりと決まったわけではありません。

推進協議会の会長をつとめる村商工会長は、私達の呼びかけに三役会議を開き「協賛」するとの返事をくれました。そして同じく「協賛」の私達大宜味を愛さする会と共に村長に面会し、大宜味村と清ら海・ウークイサビラヤー祭実行委員会が「共催」となる企画書案を持参しました。村長は趣旨に賛同し好意的で、課長会議に諮り返事するとこたえました。ところがその後の課長会議では、埋立事業担当部署から反対意見が出て開催が難しい状況だとの村長の弁です。「今まで反対していた愛さする会がなぜこんなことをするのか。何か企んでいるに違いない」というのが理由のようです。
悲しくなりました。

自然に対する畏敬の念や、毎日見ているわが島の清ら海に対するいとおしい思いはないのでしょうか。子どもの頃から海藻をとっていたあるオバアが「わたしをうめてからうみをうめてくれ」と言ったというのを聞きました。そんな思いを持ちながらも、村の選択に従おうとしている人々の気持や、土砂で埋まってしまう物言えぬ海の生きものたちの存在すら考えられなくなっているのでしょうか。
埋立前に海に感謝の気持ちを伝え、こころを鎮めていただいてニライカナイにお送りすることが村民にできる最大の敬意と考え、ぜひとも村を主体としたかたちで実現したい"祭"でした。でも、そうこうしているうちに埋立工事が始まってしまいました。日々海の景色が変っていきます。
もう待てません!
私達はささやかでも、心ある人たちでこのお祭りを実現させることにしました。
10年後、20年後の村民の評価を待ちたいと思います。


あなたも一緒に
"ウークイサビラヤーサイ"





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