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38.
2002年2月4日(月)
人間の土地(新潮文庫)
作者:サン=テグジュペリ
発行:新潮社
今回はあの星の王子様で有名なサン=テグジュペリの哲学的作品です。小説ではなく、彼の飛行士として体験した話を集約して彼の行動哲学を表現したもの、というべき作品です。
この本を選んだことに少し後悔を感じてます。夜間飛行とか、南方郵便機ならば小説ですし、説明が可能ですが、この本のエピソードは冒険に満ちて非常に面白いのですが、彼の表したい精神を完全に理解することができませんでした。
そこで、私は一番肝心なこの部分についてあまり触れません。その土地に育った人間の本源的精神は高貴なもの、というのが私のまとめです。後は読んだ方の感性に任せます。
少し考えたのは、この堀内大学さんの訳を他の人が訳したら、全く違う感じになるかもしれない、という印象です。もちろん原作を知らない私がこんな事をいうのは不謹慎ですが、訳
者のスタイルが表に出ていて、原作者のイメージとは違うのかもしれないという感覚です。
今回、表紙も宮崎駿さんの絵に変更しているので、他の訳者で、読みたい気持ちになりました。
しかし、哲学書とは云え、殆どが生死を賭けての行動のなかから作者の精神が生まれてくるのですから、このエピソードを読むだけでもこの本の価値があると思います。作者が関わったエピソードは砂漠の話が多いのですが、この話は僚友のギヨメという操縦士が冬のアンデスに遭難したときの話しです。
ギヨメは疲労のために眠りに入りたくなる瞬間がきたのですが、その瞬間に奥さんのことを思い、死んだ場合の保険のことを考え、今倒れたら死体は谷底に落ち発見が困難になり、失踪宣告まで4年かかる、それならば50メートル先の岩まで進み、そこに支え物をすれば発見されやすくなる、と考え起きあがったのです。
起きあがると3日2夜歩き続けたのです。<僕は断言する、僕がしたことは、どんな動物もなしえなかったはずだ>というギヨメの行動よりも、作者は、彼の行動を突き動かす責任感を賞賛しているのです。
何度読んでも面白いし、読むほど難しくなる本です。
37.
2002年1月28日(月)
小惑星帯 遊侠伝(集英社文庫)
作者:横田順彌
発行:集英社
この表紙の異常さをまず見て下さい。ドスを抜いているのは任侠に生きる高倉健であり、背後には宇宙空間に星が浮かんでいるし、ドスの向こうには入れ墨をしたような宇宙船が停まっています。
この表紙が全てを表現しています。任侠の世界とSFを融合させると、このような小説になるということです。後ろの宇宙船には「昇り龍」が描かれています。主人公真継龍一郎の舟です。これに対して義兄弟の杯を交わした「降り龍」の弟分がいます。
めったに薦めませんが、この本に限っては高千穂遙さんの解説を読んでから本文を読んだ方が良いかもしれません。義理と人情を量れば義理が重たい男の世界、それも東映が一世を風靡した任侠映画をSFの世界に置き換えたのがこの小説です。
もちろん東映の任侠路線で、高倉健、鶴田浩二、池部良、藤純子が殆どの主人公です。正義派のヤクザと、そのシマを奪おうと悪徳ヤクザが様々に仕掛けてきます。しかし、主人公真継龍一郎はこらえにこらえます。このために、龍一郎に借りがある男や、藤純子風の女賭博師も一宿一飯の義理のために龍一郎と戦い自づから死んでいくのです。
耐え抜いた龍一郎も最後にはあまりの理不尽にたった1人で宇宙船で相手の基地に乗り込みます。そして龍一郎と戦う立場に置かれた、「降り龍」も成算のない龍一郎の戦いに加わります。「昇り龍」「降り龍」の舟は、何百艘の宇宙船と戦い続けるのです。全く勝ち目のない戦いを。
この話はSFマガジンというSF専門の雑誌に連載されたため、これがSFかという意見もあったようですが、ヨコジュンの世界では比較的まともで面白く印象に残る話です。解説者も書いていますが、この人のハチャハチャSFは小説の意味を全く否定しています。落語と同じように最後のオチのためだけの話もあるし、活字が重力に押されてだんだん字数が減り、
最後には一行一字しかない話もありました。やはり、「ヨコジュン」は凄いのです。この話を読んでいると、高倉健の「唐獅子牡丹」が背後に聞こえるようです。
しかし、この後「日本SFこてん古典」というやはり日本最初の日本SFの古典の解説書を書いてから、この作家は日本SFの初期段階、特に明治時代の後半に活躍した押川春浪を取り巻く人達に興味が移ったようです。残念ながら押川春浪まで手が出ない私には最近の「ヨコジュン」にはあまり魅力を感じませんが、この本の面白さはなんともいいいがたい物があります。
最後のシーンでは涙腺が熱くなる優れた小説なのです。
36.
2002年1月18日(金)
狐の嫁入り(PHP文庫)
作者:内海隆一郎
発行:PHP研究所
ほのぼのとした人間風景を書いて癒しの時代に最もフィットした作者が内海さんです。なかなかこの人がメジャーな作家として評価されないのは、この人の優しさが波乱万丈の物語を拒否しているためでしょう。
一度読んでいただければこの作者の徹底したヒューマニズムに満ちた優しさが伝わってきます。残念ながら文庫ではあまり残っていません。しかし、図書館に行けば山のようにこの作者の本が並んでいますので、始めての方は是非ご覧ください。
今回の作品は作者としては異色な時代ミスティリーです。主人公与七はお家騒動のあおりである藩の料理長を辞めて、深川に仕出し「立花屋」を開業するのです。男4人の殺風景な店ですが、与七の腕があり繁盛しています。ある日神田多町の市場で、元吉という孤児に出会います。この子は青物商の孤児で、野菜の見分け方を与七に教えます。
いろいろな縁があり、元吉を弟子として引き取るのですが、ここから事件が動きます。つまり、狐の嫁入りを見た元吉の家族は、放火に会い死んでしまいます。与七はこの謎を解くために立ち上がるのですが、不気味な影が立花屋の周辺に立ちこめます。ここから先は推理小説なので読んでいただくとして、やはり、内海さんだと思うのは、
彼らをぎりぎりの所まで追いつめないで、一つ一つ解決していくのです。普通の作者ならば主人公を徹底的に追いつめてから、最後に逆転して読者のカタルシスを得るというのが普通なのですが、彼はそういう厳しいとか残酷な世界は書きたくないようです。
しかし、この料理の詳細な表現はただ者ではない感じです。解説者によれば内海さんは料理実用書の編集長だったそうです。江戸時代の料理を知る本としても一読の価値があると思うのですが。
あと紅一点で、与七の死んだ恋人の妹お志津という武芸に強い女性が登場します。これも内海さん風の流れになるやはり心休まる癒し系の物語です。
35.
2002年1月14日(月)
マルティン・ベックのシリーズ(角川文庫)
作者:マイ・シューヴァル/ペールー・ヴァールー
発行:角川書店
表紙の写真は6作目の「サボイ・ホテルの殺人事件」です。特にこのシリーズでこの本がベストという訳ではないのですが、他のシリーズは、本がボロボロで表紙がなかったり、野生時代の雑誌で早めに買った本が多く、紹介できるのはこの本しかなかったのです。
しかし、最近の角川書店は海外の翻訳物に対して、非常に冷たい扱いをしています。このシリーズは私に取っては、一番好きな小説であり、このシリーズの白眉である「笑う警官」を読んだ人は例外なく面白い、と言ってくれます。しかし、いまはどこの本屋さんにもありません。非常に残念なことです。
このシリーズは全部で10作です。作者(夫婦による共作です)はこの10冊で一つの大河小説と考えているようです。この舞台はストックホルムです。この本の見本としたのはアメリカの「87分署」のシリーズです。しかし、私はこのシリーズの方が好きです。推理小説として優れているのはもちろん、この時代のスウェーデンの社会状況が良くわかるし、特にベック班のメンバーの人間が良く描けています。
ベック自身も円満な家庭生活が徐々に崩壊をしていき、妻と別居していく関係も丁寧に書かれています。ベックの良き相談相手だったコルベリ刑事は警察の官僚機構に愛想をつかし、退職してしまいます。粗野でコルベリが嫌っていたグンヴァルト・ラーソンは意外に知的な部分があり、最後の「テロリスト」では主人公となるのです。このラーソンには目立たないルンという仲間がいます。
メランデルという刑事は、暇があるとトイレにいるという刑事ですが抜群の記憶力があります。ステンストルムという若い刑事は尾行の名手ですが、そのために若い命を失います(笑う警官)。この他にマルメ警察のホーンソン刑事等、その事件に関係した警察官がいろいろな場面で登場し最後のテロリストには全員顔を出す構成になっています。このような構成で組み上がっているシリーズなので、読む方は最初の「ロゼアンナ」から読んでください。
この本はそれ程面白い本では無いかも知れませんが、読み継いでいくうちにこのシリーズの面白さが判ります。7作目の「唾棄すべき男」が映画になった記憶がありますが、つまらない映画でした。個人的には笑う警官と次の「消えた消防車」が好きな作品です。そして最後のテロリストにはいつもラーソンに怒鳴られているクリスチャンソンとサクリソンという二人の警官も登場します。まさに漫才のボケ役の二人ですが、大きな小説の中で、この作者はしっかりと役割を与えています。
優れた推理小説であると同時に、スウェーデンの社会の歪みがこの本を読むだけで良くわかるシリアスな小説でもあります。この後、ご主人が亡くなりました。この人達もまだ読みたい作家の1人です。
34.
2002年1月5日(土)
ダック・コール(ハヤカワ文庫)
作者:稲見一良
発行:早川書房
2002年の始まりは、海の話題から離れ、鳥の話から始めたいと思います。作者の稲見さんは近年故人となりました。自然に対する良き理解者だっただけにその死は非常に残念です。
この作家はハンターのようです。最初の小説「ダブルオーバック」や「ソーザップ」などは、銃を持った男達のハードボイルドなのです。3作目の作品にも銃を持つ男達の作品もありますが、この本は鳥をテーマにしたファンタジー小説です。
仕事に疲れた男が出会った不思議な世界、それは石に鳥の絵を描く男でした。ハンターは私達と同じように鳥の知識は必要な条件です。狩猟対象にしていい種類を認識していなければ鳥を撃つことができません。稲見さんは、バードウォッチャアーよりも野鳥に対する理解が深いようです。
この本は稲見さんの鳥に対する男達の愛情が表れています。1.シベリアオオソリハシシギ 2.リョコウバト 3.キジバト 4.ホィッパーウィル 5.グンカンドリ 6.デコイ という6種類の鳥の物語です。この中で、2と4は日本の鳥ではありませんし、6はおとりの人造鳥です。
しかし、面白い鳥の世界を描いてくれます。1作目のシベリアオオソリハシシギは、カメラマンが珍鳥のこの鳥に出会った時、仕事の映像と鳥を選ぶかという話しです。野鳥ファンでなければこの気持ちはわからないでしょう。シギの世界は豊富で、ソリハシシギ、オオソリハシシギとこのシベリアオオソリハシシギが日本で見られるソリハシシギなのですが、最後の鳥はなかなか見ることの出来ない珍鳥なのです。
3作目のキジバトは、一番ドラマに満ちています。ガンのため余命が少ない男がキャンピングカーでアウトドアの生活をしています。ボウガンでキジバトを狙いますが、なかなか当たりません。その眼前にパチンコでキジバトを見事を撃ちと落とす少年に出会います。この後は、少年とこの男の楽しい冒険物語です。この二人に施設の中で生活する車椅子の老婦人が参加します。少年は老婦人のためにいつもいろいろお手伝いをしているのですが、彼女のクリスマスプレゼントのために二人は冒険を始めます。男爵の森と呼ばれている金満家
のカモを全て狩猟するという冒険です。収穫したカモを男は、立派な調理をしてクリスマスに老婦人にプレゼントします。説明しても仕方ないほどファンタジックで素敵なお話です。
最後はデコイというおとりのための偽装鳥が主人公です。口を利けない少年が、閉じこめられた大観覧車から脱出する物語です。この話しで主人公は夢から覚めますが、石の鳥は現実に存在していました。
このような素敵な本を書いた作者は、後数冊を書いて病死しました。なんとも残念な死です。もっともっと読みたかった作家です。
33.
2001年12月30日(日)
アトランティスを発見せよ(新潮文庫)
作者:クライブ・カッスラー
発行:新潮社
今回は非常にスケールの大きなお話です。タイトルそのままに、昔滅亡したアトランティスを発見し、その滅亡理由を解読したナチスの後継者が地球を乗っ取ろうという話です。
これを阻止するのが、我らがヒーローNUMA(海中海洋機関)のダーク・ピットです。解説によればこのシリーズは15作目になるそうです。過去の事件と現在をシンクロさせていくパターンは同じですが、今回はノアの箱船伝説や世界に残る
不思議な超古代の遺跡の謎を、アトランティスが紀元前7120年前に、彗星が地球に激突することにより、高度な文化が滅亡したことによるものと、説明しています。
話はアメリカの鉱山の跡地で発見された黒曜石の非常に緻密な頭骨と壁全体に描かれている、古代文字のメッセージを発見することにより、ピット達の活躍が始まります。一方では、南極の幽霊船に同じ黒曜石の頭骨を、もう少し時代を遡ったアメリカの捕鯨船が発見しています。
表紙が南極らしい雰囲気なのは、最終的な戦いの場所が南極なのですが、このように思わないような自由奔放な世界で戦う、楽しい冒険小説です。
解説の訳者が書いていますが、もし、このシリーズの映画化が成功していれば、あの「007」をしのぐ人気シリーズになった可能性があります。残念なのは初期の頃の作品「タイタニックを引き揚げろ」の映画が失敗したことです。私も映画を見に行きましたが、原作に較べて
なんとつまらない映画だ、と感じたことを思い出しました。「007」は原作がかなりシリアスなスパイ小説なのに、映画は徹底した娯楽大活劇冒険映画になっていました。それと、ショーン・コネリーのボンドは良かったですね。
作者のクライブ・カッスラーはこの映画に幻滅して2度と映画化を許可しなかったのですが、最近、映画化にOKをだした、とのことです。
「007」との比較で言えば、この作者の持つ優しさが作品に現れています。具体的には言えませんが、「007」の冷たさに対してピットの優しさがよくわかります。もう一つ特徴的なのはボンドは全く単独ですが、ピットにはアル・ジョルディーノという同じような能力を持つ相棒が必ず
一緒にいますし、さらに、サンデッカー長官の率いるNUMAの組織力があります。この部分がピットの単独ヒーローのイメージを弱くしている側面がありますが、それだけ、戦う舞台が大きいともいえます。
作者は自分の名前を登場させています。南極での最後戦いの武器となる、巨大なスノークルーザーをピット達は借りにいくのですが、所有者はなかなか貸してくれません。この偏屈親父も最後には貸してくれるのですが、「とうとうダッドの名前を聞き出せなかった」「彼のポケットから突き出ていた封筒の宛名は”クライブ・カッスラー”と記されていたぞ」「それは確かに変わった名前だ。だが、なんとなく聞き覚えがあるよう気がする」
、とピット達に言わしているのです。
私もこのシリーズを読むのは久しぶりですが、正月休みにはちょうど良い冒険小説です。
32.
2001年12月22日(土)
ずんが島漂流記(文春文庫)
作者:椎名誠
発行:文藝春秋社
今回のお話はクプクプに続く、少年少女向き海洋冒険小説です。本当は椎名さんの作品では、「哀愁の町に霧が降るのだ」から始まる、彼の自伝的小説を取り上げようと考えていました。
この本を読むとこのイラストをなぜ「沢野ひとし」さんが書いているのかよくわかります。へたうま、と椎名さんが呼ぶ理由もよくわかります。吉本隆明が太宰治と比較した等、このシリーズはとても面白いのですが、
なぜか、本屋さんの正面の売り場にこの本があったのです。海の本を続けているのでこの本にしようと、3日前に買ったのが「ずんが島漂流記」です。椎名さんのおじいさんが南洋の小さな島からカヌーで「歩く魚」を求めて
少年3人少女1人がトリガー付きのカヌーで大海へ乗り出します。もちろん名前が漂流記ですから、当然嵐にあって名も知れない島に漂着するのです。
この本の特徴は椎名風、南洋言語の連発です。ズンガ(あるき魚)島、次に漂着したのはフンデロッテ(おばあさんのおなら)島なのです。この他にも奇妙な名前の魚や貝、植物が山ほど出てきます。この才能だけでもすごいな、と感じます。
実は、椎名さんは本当はSF作家だったのです。最近はあの椎名節的なエッセイや小説が多いのですが、昔はシリアスなSFを書いていたのです。だから、この手の奇妙なネイミングはお手のものなのでしょう。
ずんが島に漂着した4人は生きるための知恵を絞ります。ノケという椎名さんのおじいさんは工作が得意で、いろいろな道具をこさえます。砂浜に流れついたガラス玉を割り、レンズを作り苦心して火を起こすことに成功しました。他の子供達も、海で食料を取ったり、
水を運んだり、衣類を編んだり、流れ着いたカヌーを修理したりします。この島で発見した「ぽうぽう」という大きな鳥は羽が小さくて飛べませんが、人の真似をするのが上手で、最初は食料と考えていた4人もすぐにペットにしてしまいます。
しかし、この生活も長く続きません。島の水が涸れて来たのです。4人は新たな旅達を決意します。「ぽうぽう」も仲間と遭遇し、見分けがつかなくなりますが、カヌーで船出するときに「ぽうぽう」の仲間が浜に集まり見送りをするようです。
この後次のかなり高度な文化が進んだ島に着くのですが、ここからは読んでのお楽しみにしましょう。
31.
2001年12月14日(金)
海狼伝(文春文庫)
作者:白石一郎
発行:文藝春秋社
船の話を続けます。本当はどうでもいいのだけれどもせっかく続けているので、面白い船の本をどのくらい読んでいるか、と考え白石さんになりました。
しかし、白石さんはやはり性格がとても優しいと思います。主人公笛太郎が海の狼になるという、本の惹句ですが、どう読んでも笛太郎が狼になるとは思えないのです。
話はかなり複雑なので説明するのは止めますが、時代は信長が石山本願寺を攻め、毛利側が本願寺に味方して村上水軍を使い物資を送りこむ頃です。村上水軍は最初は勝ちますが、
次の戦いでは信長側の九鬼水軍の鉄甲船に惨敗します。しかし、話は彼らつまり海賊達にとってはどうでもいいことなのです。笛太郎は最初は対馬に暮らしていて、そこに朝鮮から日本に帰ってきた
青竜鬼という明国のジャンク船の持ち主「宣略将軍」の下で海賊をするのです。しかし、海戦で商船を守っていた村上水軍に捕虜になりますが、父親の関係で村上水軍の能島小金吾の部下になります。
ここいらはややこしい話なので本を読んでいただくとして、能島小金吾というキャラのユニークさがこの小説の面白さです。彼は鎧に小判を貼り付けているほど、金に執着する男です。海賊よりも商人になった方がはるかに向いているのです。
なぜ彼が重要なのかは、この本は海賊を描いているようで本当は「船」を書いているのです。和船はヨットのように向かい風に対して進むことができません。風まちをして追ってが吹くのを待つわけです。
ジャンク船は船の構造で工夫があり、船底は全て隔壁でつくられていて、1カ所が漏水しても沈まないのです。能島小金吾が最初に持った船は古い和船でこれに「銭丸」という名前をつけ、本願寺と信長の戦争の間に儲けます。
その金で捕虜にした小矢太(この男は南蛮人の混血かも知れない)に南蛮船をつくらせ明国との貿易を行おうとするのがこの小説のメインな話です。明国の奴隷三郎とか、同じ明国の美女で戦士の麗花など人は大勢でてきますが、つきるところ船と船の戦い、つまり船の能力についての話ということになります。
船や戦いの合図につかう太鼓の音がいつまでも印象に残る小説です。これが海洋冒険小説の代表とはいいきれないのはやはり白石さんの優しさがどんな残酷な場面を描いても残酷になりきれないところがあるからでしょう。
30.
2001年12月7日(金)
坂の上の雲(文春文庫)
作者:司馬遼太郎
発行:文藝春秋社
船のシリーズということで、司馬さんの膨大な著作からこの本を持ち出しました。動機は、事務所の近くに乃木神社があり、あまり離れていない原宿に東郷神社があるからです。
乃木将軍は戦いが下手で203高地で自分の息子を含めて多数の犠牲者をだした無能な将軍だし、一方は日本海海戦で完勝した軍神東郷元帥です。となると、神様になる基準が非常にわかりにくいことになります。
梅原猛先生の祟りを封じ込めるため作られた神社も多いでしょうが、神社はどんな基準で作られていくのか、分析したくなります。
東郷元帥は逗子に住んでいたのか、海岸の側に東郷橋があり、まだ東郷という表札の家が残っています。また横須賀の戦艦三笠のある三笠公園には東郷元帥の銅像があります。私の身近には彼の残した痕跡が相当あるわけです。
まだ本の紹介までいかないのですが、朝鮮で死んだ伊藤博文は神様になったのでしょうか。先生の吉田松陰は立派な松陰神社があります。それなれば非業の死を遂げた坂本龍馬どうなったのか、等疑問はつきません。
ここまで書いてから、陸軍側の主人公児玉源太郎を調べてみたら、あの江ノ島に児玉神社があることがわかりました。ますます神様が増えていくようです。
ここから本の話になります。この本の魅力は明治維新から西洋国家と対等の立場になろうとした明治国家が、大きな犠牲を払いながら世界に対等な立場で自立していく過程を描いた、ということでしょう。日本という国家の存続を賭けて戦った戦争なのです。
主人公は松山出身の正岡子規、秋山好古、真之の兄弟が軸になり、日露戦争の世界を描いてあるのですが、主人公はやはり日露戦争でしょう。そして、ロシアに勝つために全能力を傾注したため、若くして死んだ陸軍の児玉源太郎であり、際だって奇癖が目立つ海軍の秋山真之でしょう。
他にもいろいろな人や戦争の場面が沢山ありますが、戦争を通じて日本人全体が昂揚していた状況がよくわかります。この勝利で日本が軍国主義国家へ傾斜していき不幸な太平洋戦争までいくのですが、この時代の人はやはり日本の国の限界をよく知っていて、いかに早く戦争を終わらせるかに最大の努力をしたことがよくわかります。
長い小説なので、きりがないので止めますが、この本を読むと、国と戦争という概念がよくわかります。戦争を知らない世代は是非読んで欲しい小説です。ちなみに、この本はかなり汚れていますが、それほど読み返しているわけですし、19才の娘もこの本を愛読していました。女性にも人気のある小説のようです。
29.
2001年12月1日(土)
血の絆(新潮文庫)
作者:A.J.クィネル
発行:新潮社
A.J.クィネルという作家については思い入れがあり、最初の作品「燃える男」は私の一番好きな作品です。しかし、持っていた文庫の表紙の絵があまりにも下手で紹介する気にならなかったのと、この主人公クリーシーがシリーズの主人公になり、だんだん魅力を失ったことです。
この作家は覆面作家で取材のためにはどうしても自分を隠していたい、といって素敵な作品を提供してくれていたのですが、最近は身分を明かし新鮮味のない国際冒険小説を書く作家になってしまったのが残念です。北方謙三さんでもそうでしたが、個性的なヒーローをシリーズ化すると急激に魅力を失い
初期の作品の価値を失っていくのは寂しいことです。
しかし、この「血の絆」を書いていた頃のA.J.クィネルは非常に面白いのです。船乗りの話が続いていますので、また海洋冒険小説を取りあげます。インド洋で死んだという息子に対する連絡に対して、最愛の夫を亡くし、今度は息子まで失ったニューヨークの事務所に勤務する魅力ある中年の女性が、息子の生存を信じて捜索に出かけるのです。
彼女は自分のアパートや夫の形見の宝石も処分し、恋人風の男を捨て、息子が生きているという自分の直感を信じて無謀な旅に出るのです。このヒロインをサポートするのは、主人公と同じ書記で人生を送って来たインドの中年男です。仕事を捨て自分の年よりも古いヨットを買い、操船の経験のないまま、古いテキストを信じてインド洋に乗り出すのです。その間にスマトラの魅力ある孤児の若い女性を乗せ、インド洋に浮かぶ宝石のようなセーシェル群島へ向かうのです。
もう1人、石油掘削人で親方を殴り首になった若い大男がメインのキャラクターです。この純粋で愛に対して不器用な4人が愛を育てながら息子の救出をする、というのがメインの話です。ずばりタイトルの「血の絆」ですが、これ以上はこの本を読んで下さい。
この本を読んで感じたのは、ヨットで行く世界が非常に魅力あることです。日本のヨット施設の貧しさに較べてこんなに魅力ある世界ならば、ヨットで遊ぶ楽しさが良く判る小説です。
28.
2001年11月
錆びた波止場(講談社文庫)
作者:谷恒生
発行:講談社
前回のメルヘンに満ちた船の冒険ではなく、さびれかけ饐えたの臭いが漂う、東京湾に面した港の話です。作者の谷さんは本物の1等航海士だったのです。その経験を生かして、1977年に「喜望峰」「マラッカ海峡」という海洋冒険小説でさっそうとデビュウーした作家です。
英国には海洋冒険小説の名作がありますが、日本では限られた人の世界でした。同じ、海に囲まれた国なのに、この差はどこからきたのでしょうか。それはともかく谷恒生の海洋冒険小説は面白く、私はかなり後からの読者なので、様々な古本屋で文庫を探しました。
しかし、谷さんはこの本辺りを境に海洋ものから離れていき、一時は伝奇小説で名をなしたり、歴史小説を書いたりしています。しかし、あまり、文章が上手な人ではないし、表現も類型化している部分も多く、他のジャンルの小説は私は好きではありません。
この本は港と船と船乗りを易しく包む港の娼婦のもの語りです。日高凶平という不幸な名前を持つ、一等航海士が主人公ですが、一作で船を降り、その後は「積荷鑑定人」として波止場に暮らしています。港の娼婦達は、潮風に当たった男には体を開きますが、他の男は立ち入りも出来ない世界なのです。
名前のせいで、乗った船には必ずトラブルが起きるという日高凶平は、港の女を良く理解し、トラブルを解決してあげるのです。凶平に協力するのが源爺です。「源爺の屋台は界隈から少し離れた暗がりに、ひとつだけ置き忘れられたようにたよりない灯を点している。そこは、港へ続く掘り割りから50メートル
ばかり引っ込んだ空き地で、掘り割りからただようオイルと生ゴミと廃液の絡まり合った臭気が1年中こもっている。夏はやたらに暑く、冷や酒をあおっていると藪蚊に喰われるし、冬は骨がしびれるほど冷え込む」。こんな場所から離れない関東炊きの屋台の親父と、娼婦のいる店から小遣いをかすめている犬飼という刑事が
このまちに起こる女を中心にした事件を解決していくのです。この澱んだ港の光景が私は好きなのですが、女性にはまず好まれない小説でしょう。この連作はこれで終わってしまうのですが、冒険小説協会のアンソロジーに錆びた波止場のメンバーが再登場します。この話はこの波止場の明るい未来を描いていてとても素敵な作品です。
27.
2001年11月15日(木)
船乗りクプクプの冒険(集英社文庫)
作者:北杜夫
発行:集英社
今回は初めて童話の登場です。新橋の地下のコンコースで古本を売っていますので、時々覗きますが、その時に見つけたのがこの本です。
作者の北杜夫さんの本は「どくとるマンボウ航海記」と「昆虫記」を高校時代かなり愛読しました。この人の少し、ハスに構えたユーモアが凄く面白いと感じたのです。私の場合は偏っていて北杜夫さんの真面目な小説は読んだ事がないのです。
作家に取っては不本意にでしょうが、私には少しひねくれた自虐的な彼のユーモアが好きなのです。
その子供向けバージョンがこの本です。主人公の少年は、キタモリオさんの書いた、ただ、一冊の本を買ったために、クプクプになって、船の上にいることになります。船にはへそ曲がりの船長と、頭がデコボコな怪力で心の優しい巨人ヌボーと、プクプクを虐めるナンジャ・モンジャが名前の出てくるキャストです。
後はその他大勢の船乗りです。この船は何を目的にしているのか、どこへ行こうとしているのか、まるでわかりません。すべてキタモリオの虚構の世界なのですから。ここに虚構の世界を作ったキタモリオが現れ、まともな世界に帰れるはずなのですが、この作者のために大損した編集者が追いかけてくる、という
横田順彌さんのハチャハチャSFに近いストリー展開です。しかし、キタモリオは編集者を振りきって、モーターボートを奪い、どこかへ行ってしまいます。
そのために、クプクプは落胆しますが、これまでに数々の海の冒険を経たクプクプは立派な海の男に成長したのです。
「海、海、海。どこまでもつづく広い海。やさしくそしてあらあらしい海。ぼくはおまえが好きだ。ほんとうに好きだ。ぼくはもっとおまえの中へはいっていこう!」
クプクプのこんな気持ちでこの本は終わります。海が好きな人にはこの気持ちがわかりますよね。また、中田耕治さんの解説も素敵です。大人も楽しめる面白い本です。
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2001年11月9日(金)
リンゴォ・キッドの休日(新潮文庫)
作者:矢作俊彦
発行:新潮社
リンゴォ・キッドの休日を読んだのは何時か覚えていませんが、ハードカバーが昭和53年になっていますので多分そのころでしょう。とにかく、ついに日本にもチャンドラーを書ける作家が現れたかと、大きなカルチュアショックを受けました。
私には珍しく早川書房へどんな作家なのか問い合わせた程です。今でも、これほどしゃれた会話を書ける作家は珍しいのですが、当時は全くいませんでした。
横須賀警察の署長に呼ばれた非番の県警の二村刑事と署長の会話です。
「おい二村!記者会見をやっとるんじゃないんだ。足を使え。足を」
「非番の日は義足にすげ替えてあるんです」
こんな会話があちこちに散りばめてあります。この手の会話を嫌いな方は読まない方が良いでしょう。設定は昭和51年で学生紛争が収まった後の時代の名残のストーリーです。
なにしろ全編が横須賀市の汐入から横須賀中央の付近に集中していますので、昭和40年を挟んで7年間、横須賀の街をさまよっていた私には懐かしい光景が一杯書かれています。
ベトナム帰りの米軍で日本人が入ることができなかったどぶ板通り、原潜反対のシュプレヒコールが渦巻いたベースの前。情報屋ヤマトと会う、龍本寺。ここにはほんとうに鳩が一杯いました。殺された女主人公の住んでいた高台、と地方裁判所。良く通った上町の図書館、戦艦三笠のいる三笠公園。
私にとって1年半病気で横須賀中央付近の病院に入院していた事もあり全て懐かしい風景です。今のどぶ板通りは昔の面影は全くありません。一時お化け屋敷のように残っていたPXは再開発でシティホテルに変わり、浦賀ドックはショッピングセンターに変わり、どぶいた通りはかすかに昔の面影を残す変哲もない地方の寂れた商店街になってしまいました。
ここで止めてしまうと、小説の紹介にはならないのですが、矢作さんの素敵な会話と、昭和50年代を懐古もできる素敵なハードボイルドです。死体はベースの突堤から飛び込んだフォルクスワーゲンに中にあり、自殺にしては拳銃の置かれた場所がおかしいというのがミステリーの大きな部分です。
矢作さんは非常に才能のある方なのですが、連載途中で小説がなくなったり、文庫の1,2巻が出ても続編がでなかったり読者には迷惑な作家でもあります。
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2001年11月3日(金)
陸行水行(文春文庫)
作者:松本清張
発行:文藝春秋
今回取り上げたのは清張さんの社会派推理小説としてではなく、考古学に詳しい作家としての登場です。そして邪馬台国のシリーズのトップとして取り上げました。しかし、この短編集は変な構成で、タイトルだけが考古学の小説で
後は清張さん特有の人間のどろどろした情欲をねっばこく書いてあるのですが、この短編だけは邪馬台国のガイダンス小説として独立しています。
とにかく邪馬台国なのです。三国志の時代の魏を描いた魏志倭人伝が邪馬台国テキストの原点です。この短い文章が理屈にあっていれば問題はないのですが、どう整理しても矛盾があるのです。名前の邪馬台国にしても、これをヤマトと読ませて
大和政権につなげようとする意見が主流ですが、一番古く残されているテキストは邪馬壱国となっているので、この名前が正しいと主張している人もいるのです。名前が問題なのは、もしヤマイ国ならば、近畿地方にある大和政権と関係が薄くなるからです。
この問題は大和政権はどこからきたのか、古代史の根本に関わる論争です。これは書き出すと、収集がつかないので止め時ますが、問題は邪馬台国が九州なのか近畿なのかなのです。
魏志倭人伝は方角をとれば九州、距離をとれば近畿になる可能性が高いのですが、これも各説があり、議論が収斂していかないのが、この論争の特徴です。清張さんは九州派なのでこの話も九州になっていますが、しかし、論文では無いので郷土史家の謎めいた行動が描かれています。
短編でもあるし、邪馬台国の入門書としてはちょうどいいのではないでしょうか。私は魏志倭人伝をいくら研究しても結論がでないと
考えます。最後は卑弥呼の墓を見付けるしかないでしょう。そのためには考古学的に更に発掘を進めるしか無いと思います。
しかし、このテーマは面白いですよ。銅鐸の謎とか、古事記、日本書記の記述した年代、天武天皇と藤原氏等、謎は無限に拡がっていきます。
24.
2001年10月25日(木)
空飛ぶ馬(創元社推理文庫)
作者:北村薫
発行:東京創元社
この作品はビンテージミステーリーといっておかしくない、素晴らしい作品です。殺人も何も出てこないのですが、問題を提起する女子大生と、謎を解く、春桜亭円紫という落語家の話です。
さすがに、覆面作家としてデビューしただけに、しっかりとした本格パズラーの作品です。本人が覆面作家だし、この女子大生も名前が出てきません。まるで、ハメットのコンチネンタルオプのようです。
日常何気ない謎を、敏感な主人公が発見し、この詳細を円紫さんに報告することで謎がとけてしまうのです。タイトルの作品も素敵ですが、最初の織部の霊という作品はさすが頭の作品だけに面白い。
教授の加茂先生とは、辰巳芸者で主人公とつながっています。この訳は本を読んで下さい。加茂先生が叔父さんの別荘に行くと、織部が腹を切る悪夢を見るというのが謎です。そのために織部焼きのものは嫌いだったのに、現在飲んでいるコーヒーカップは織部なのです。
こんな謎を解いてしまう円紫さんはこの学校の先輩でとても優秀な学生だったようです。しかし、なぜ落語を選んだかも描かれています。次の砂糖合戦はブラウン神父の作品を感じたりしたり、この作者はただ者ではないのです。主人公が女子大生なため、作者を若い女性と思った人も多いと聞きましたが、
これだけの知識を前提にしていなければ描けない話なので、若い人ではとても書けない作品です。この作品はシリーズになっていて、仲間の正子さん(この人はしょうこ)と読むのです、江美ちゃんの三人が活躍します。それぞれ違う道を歩むのですが、シリーズを読む楽しみにして下さい。
23.
2001年10月18日(木)
超能力セッション走る(講談社文庫)
作者:今野敏
発行:講談社
この本は最初、ジャズ水滸伝という名前で出版されました。頭の話が多分ジョン・コルトレーンの死を直前にして奥さんのアリス・コルトレーンやピアノのマッコイ・タイナー、ドラムのエルビン・ジョーンズ、ベースのジミー・ギャルソンが集まっている場面です。確かに晩年のコルトレーンは
神様になったようにサックスを吹きました。私が大学の頃ですからもう30年以上前の話です。この聖者にまでなりかけたこの人の音楽を、つながりはないけれども日本の新しいジャズとして展開していくのがこの本です。
木喰という凄い坊さんがいて、北海道からピアノの古丹、沖縄からドラムの比嘉、京都からベースの遠田を東京に集め、さらに伝説のサックス奏者猿澤が加わり、吉祥寺のジャズ喫茶で演奏を始めるのです。古丹は北海道の自然を会場に持ち込み、比嘉は沖縄の複雑なリズムを叩きつけます。遠田は空間をコントロールし、茶の湯の師範らしく三昧の世界にみんなを連れて行くのです。
猿澤はこの個性を先読みして、音を繋いでいく能力があります。この超人たちの演奏で吉祥寺のライブハウスは盛り上がり、連日超満員の人気です。しかし、彼らはマスコミとかメジャーな音楽業界とは相手にしないのです。ここから、業界と彼らの戦いが始まるのですが、音楽の才能とは違う超能力者の戦いになるのです。
今野さんのテーマは音楽と拳法の世界です。自分の活動している世界を楽しく書いているのですが、ハイパー・サイキック・カルテットのシーリズにはやはり限界を感じました。音の世界を活字に変えて続けて行くのはのはやはり無理があります。どうしても彼らの超能力が主体となり、本来のジャズ水滸伝とは遠ざかってしまうからです。
しかし、この本は間違いなく楽しく読めることを保証します。
22.
2001年10月17日(水)
写楽まぼろし(文春文庫)
作者:杉本章子
発行:文藝春秋
私の好きな写楽は誰かの一つではありますが、この本は写楽が主人公では無く、版元の蔦屋重三郎が主人公です。解説の白石さんも書いていますが、とても若い女性が書いた文章とは思えない骨太の作品です。
男を取られた吉原の女達の戦いの場面など、とても若い女性が書けないし、そこまでの吉原の掟を知っていることは大変なことだと、感じました。
他の本の彼女のあとがきに、藤沢周平さんからまだ十分に江戸を歩いていない、と批判され、足の不自由な自分の限界かと思ったけれども、良く考えて江戸を地図の上で歩く事が不足していることを云われた、と納得したと書いてありました。
蔦屋は喜多川歌麿を発掘し、あの美人画を書かせたので有名ですが、歌麿に背かれて、写楽に勝負を賭けたようです。時代背景としては、爛熟した田沼意次の時代から、寛政の改革で松平定信が緊縮財政を取る時代です。この改革を批判した蔦屋は財産を半分にされ店の間口も半分になります。
最後に彗星のように現れて、世間のどぎもをぬくような役者の大首絵を描いたあと、だんだん作風の個性がなくなり、わずか10ヶ月で姿を消してしまう写楽の正体も書かれています。ここには蔦屋の屈折した親子関係があり、この小説のテーマの一つです。もう、一つは偶然に一夜を伴にした「おしの」という女との絡みです。
しかし、蔦屋がいなければ、歌麿も写楽も存在しなかったかも知れないという、すごいプロデューサーだったのですね。彼を取り巻く人間の中に、平賀源内、太田南畝、山東京伝等が書かれています。この時代にはユニークな人間がいたのですね。
作者はこの後、明治の浮世絵師小林清親で直木賞をとりますが、なかなか作品数が少ないので、出版されるのが楽しみの作家の1人です。
ちなみに写楽論争はどこで決着がつくのでしょうか、つかないほうが、新しい作品が登場して楽しいのですが?
21.
2001年10月12日(金)
R.P.G(集英社文庫)
作者:宮部みゆき
発行:集英社
この本のシリーズが古い本しか扱っていないので、新しい本は読んでいないのか、とお叱りを受けたので出番は違いますが新しい本を取り上げました。
たまたま、この本が文庫の書き下ろしであったことで、新刊として取り上げることができました。別にハードカバーでもよい長さですが、最近大作の多い宮部さん
にとっては短く感じたのでしょう。パズラーから歴史ミステリィー、時代ミステリィーと幅広く推理小説の分野で活躍している宮部さんの新しい作風です。
文庫の良さは解説が付いていて読んでから、なるほどと納得させて呉れる部分があるからです。しかし、推理小説の場合こちらから読む人は種明かしが完全で無いにしろ書かれている場合が多いのですが、
さすが、清水義範さん。よくこの小説の本質を理解していて何の手がかりも読者に与えません。むしろ、作者のあとがきの方は後から読んだ方が良いかもしれません。しかし、清水さんのパスティーシュの司馬遼太郎は面白いですね。
と、いう訳で本の中味はふれるのは最小限に留めるのがこの種のミステリィー紹介の原則でしょう。清水さんも書いていますが、私もクリスティーを感じました。そして一幕ものの戯曲というイメージも同感です。とにかく場面は殆ど取調室に限られているのですから。
インターネットを通してつくるバーチャルな空間と現実のギャップがこの本の大きなテーマなのですが、メールやチャットの世界を知らない人には少し理解しがたい世界でしょう。
メールが縦書きなのも何か違和感を感じます。メール画面を貼り付けるような印刷はコストがかかるのでしょうか。
まあ、そんなことは抜きにしてといっても、(このメールがくせ者ののですが)いかに宮部さんにだまさられるか、が楽しみな本です。ちなみにR.P.Gとはロール・プレーイング・ゲームの意味なのですがファミコンに関係のない世代にはこの意味を理解するのは難しいでしょう。
本当は私も苦手な世界です。
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