ヨコハマ都市デザインフォーラム
ヨコハマ都市デザインフォーラムに参画しての感想
このページについては「とんなん隊」は関係ありません。私の個人の意見で、発言に対する責任は私にあります。
今回の私達の提案について、富岡と並木をつなぐ必然性がないという、参加者の意見が多数ありました。まちとまちをつなぐ理由があるのか、という意見について、自分でも会議における自分の発言内容をよく考えてみると、まちとまちは人と人とでしか「つながる」ことはないと、何とはなく感じていたため、会場ではあいまいなな回答しかできなかったのだ、思います。
富岡八幡のお祭りも、並木シーサイドフェスタについても、人と人はふれあっていますが、本当の交流ではありません。ボーイスカウト関係者の発言のように、ボーイスカウトによる地域を越えた人のつながりが、人と人とのつながりだと感じます。当日はそんな感じを深くして、単に「つなぐ」というキーワードを安易に使っていたのだ、反省してしまったのです。
しかしながら世の中はそう単純にはいかないようです。なぜならば、私にとっては、富岡と長浜の旧海岸線の緑が非常に大きな意味をもっていることにきずいたのです。朝、長浜検疫所の裏山に出かけて、鳥達の鳴き声を聞いて、この声はツグミ科のアカハラなのか、ツグミとの違いはと真剣に考えつつ、さらにアオジとホオジロの声が錯綜していて、ヒヨドリがうるさいくらい鳴いたりして、ほとんど、たちすくんでいる状態でした。この瞬間に、ここは長浜なのだ、という感覚がありました。私にとって、この富岡や長浜の緑が、自分の原体験に近い里山の風景だと、感じたのです。よく考えてみれば、私は逗子のはずれのほとんど山そのものの中で育っているため、海とか山が存在しない世界は、あまり住み易いまちではないのです。並木はきれいに整備されたまちですが、いつも人造的ないかがわしさを感じさせます。比べて、長浜の緑、富岡の旧市街地には、本来の人間の住む環境を感じます。つまり、私は並木と富岡、長浜を共生して生きていて楽しい、ということです。長浜検疫所に出かけてどんな自然にあえるか、こんな緊張感を与えてくれる空間に対して、いままで地域の連続としてか理解していなかったのだ
と、感じます。単に物理的に地域の連続性を捉えるのではなく、お互いの地域特性の繋がりと考えた方がまちの構造が理解できるのではないか、と考えました。
ただし、この空間も道路工事のため、今は壊滅状態ですが、また、新しい空間になることを期待しているのです。というのは、長浜ホール(写真)の建設については、あの素晴らしい建物と環境を壊して、また、似非空間的建物を復元するという、馬鹿馬鹿しさにあきれていたのですが、整備された公園には、いままで、接近できなかった自然を近くにとらえることができたのです。長浜の観察の池も同じです。それまでは、非常に苦労して、道なき道をかき分けてたどりついていた自然に、誰でも接近することができるようになりました。長浜ホールができなければ今年、クロジをみることができなかったでしょう。このように、自分にとって大切な空間が人と人ではなく「つなぐ」存在があることを、参加のみなさまに発言できなかったことを反省しています。もちろん、この環境に対して金沢野鳥クラブという存在があり、並木とは関係なく人が集まっていますし、犬を連れて歩いているのは、長浜の人が多く、犬を媒介にして、並木との交流も盛んです。
考えれば、まちに地域を問わず共有できる空間さえあれば、自然に人と人はつながっていくのだ、と思います。本来、人工的なまちの並木と産業団地こそもっと密接な空間を共有すべきでしょうが、人と物という関係からか、なかなかつながっていきません。産業団地に人が居住して初めて空間の共生があるのかもしれません。
この感想は会議終わった直後に書いたものです。その後、長浜道路は完成し車の量も増えています。しかし、残りの空間は今のところ空き地(写真)の状態です。何になるのかわかりませんが、今は自由に中へ入れます。おかげでホウジロ、アオジ、ウグイスを観察することができます。奥の大きな木の枝にタカ類のチョウゲンボウを観察することができました。
また、この道路の実現で能見台地区との連絡が楽になりました。並木は富岡よりも能見台に繋がる感じもします。ネットの世界では並木と能見台の交流が盛んです。地域の繋がりは、インターネットによっても変化の兆しを感じます。富岡も産業団地もネットの核ができれば地域間の繋がりが拡大すると思います。
もう一つの繋がりとして「柴・長浜 緑を育む会」ができました。この会についてはこのHPでご覧ください。里山を通じて並木・長浜・柴地区が繋がっています。
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