平泉・高館・景観問題・掲示板バックナンバー I

I2001.10.13〜11.22

HOME

バックナンバーインデックスへ
 

--------------------------------------------------------------------------------

バイパス必要不要論?二者択一でない論議を望む 投稿者:前川  投稿日:11月22日(木)22時43分28秒

 本日、第2回目の高館景観委員会が開催されたという。高館の景観問題が取り上げられて一年と一月。バイパスは北上遊水池堤防と併設されるため、堤防建設にも支障をきたすとみなされ、洪水被害者から声があがっている。堤防建設もバイパス建設も地域住民の悲願であることを十分存じているうえで意見を述べさせていただきたい。
 堤防は今後の洪水被害を考えてやむをえないとして、バイパス建設についていうならばなぜあそこにバイパスを通さねばならないかが問題なのだ。これは、10年前、柳之御保存問題でバイパスが迂回した経緯があったとしても関係ない。10年前は柳之御所の上を通り、なおかつ高館を削って建設する趣旨だったからである。だから、バイパスをなぜあそこに通すのかという議論は、10年前に遡っても同じ問題なのだ。まずそこをはっきりさせたい。
 つぎに、すでに新高館橋建設も進み、柳之御所手前までバイパスが延びているという事実から、計画変更はやむなしという問題。実際工事が始まり、北上川が移され、夏草の風景がなくなってからでないと、周辺住民も来訪者もそう気付くものではい。現在の惨状を目の当たりにしたときに、「どうにかならないか」という問いかけは至極当然ではなかろうか。これに対し、地域住民に対し失礼だとか、洪水の被害云々といた感情論を持ち出すことこそ議論を拡散化させるのでないか。
 要は、バイパスが必要か不要かといった二極論ではないということだ。ある計画などに異議をとなえると、すぐに反対論者とするのはおかしいだろう。賛成・反対といった問題ではない。実際、町民からもどっちつかずの声が聞こえている。生活の安全に対し景観いう聞き慣れない言葉は効力がない。しかし、平泉からあの美しい景観を無くしてしまたら何が残るのか。平泉の魅力は藤原氏が創りだした自然の美しさと文化の調和であり現在当時の建物は金色堂しか残らないが、当時の風景はわずかながら残存している。地下に眠っている遺跡さえ開発の名のもと消滅しており、史跡に当時の建物を復元したからといってそれは決して本物ではない偽物なのだ。本物の風景を破壊してしまったら、世界遺産どころではあるまい。町が真剣に世界遺産登録を目指しているのかどうかも疑われる。
 バイパス建設、世界遺産登録、史跡整備、街つくり、今後の町の活性化、方向性といったすべてを勘案して議論されるべきではなかろうか?例えば金鶏山裏の温泉付き分譲地は世界遺産登録には大きな問題だろう。おそらく、現代の科学技術をもってできないことなどないはずだ。要はやるきと意気込み次第と思う。修景ということも頭に置いて欲しい。
 どういう基準で選定されたか不明であるが、委員会のメンバーは、日本中で平泉の行く末を憂えんでいる人々の注目を浴びて議論しているのだという緊張感をもって望んで欲しい。元禄年間以来親しまれてきた風景を変えることになるのだから。
 

--------------------------------------------------------------------------------
第2回平泉・高館景観検討委員会開催 投稿者:橘次  投稿日:11月22日(木)00時00分56秒

22日の午後に第2回平泉・高館景観検討委員会が開催される模様です。情報入手が遅くなりましたが、岩手工事事務所の記者発表資料では下のとおりです。委員に選出された方々は、全国が注視する中で議論をしているんだという自覚のもと、意見を出していただきたいですね。聴講されたかたの投稿もお願いします。また情報は公開していただきたくお願いいたします。
 
 今回は第1回委員会での課題整理と模型等を活用した景観の現状と課題について意見等をだす模様。また委員会は一般傍聴可能となっているが、会場等の都合により人数多数の場合は、先着順ということである。

開催日時:平成13年11月22日(木)13:30?16:00
開催場所:平泉町役場2階会議室
     西磐井郡平泉町平泉字志羅山45-2
 

--------------------------------------------------------------------------------
平泉周辺景観シンポジウムレポート 投稿者:管理人  投稿日:11月19日(月)21時12分07秒

県の景観形成重点地域に指定された平泉周辺地域の景観づくりを考える去る11月18日(日)午後一時半より、平泉町役場において、「平泉周辺景観シンポジウム」が開催された。

同シンポジウムは、世界遺産にノミネートされ、岩手県の「景観形成重点地域」にも指定されている平泉とその周辺地域の景観造りに対する地元住民の意識を高めようと、昨年度より、「平泉周辺重点地域景観形成推進協議会」(金丸義一会長)が、開催しているもので、今年で二回目となる。

まず安藤昭岩手大工学部教授が「西欧の都市景観と日本の都市風景」と題する基調講演を行った後、パネルデスカッションが開催された。会場には、地元の住民約百人が詰めかけ、平泉周辺の景観形成の問題点についてのデスカッションに耳を傾けた。

中でも特に印象に残った話は、主婦N子さんのさんの「こんな大きいものが必要ななのか」という極めてストレートな言葉だった。確かに柳の御所から高館の下の辺りの工事はまだ進んでいないものの、新高館橋までの道路の威容は、万里の長城でもこれほどではあるまいと思わせるような大きさと迫力である。このことによって、束稲山から見る平泉の長閑な田園風景は、実に味気ない殺風景なものとなってしまったことは、かつての束稲山からの風景を知るものならば、誰でも思うことだ。

このような素朴な疑問をどんどんと、県あるいは土木事務所にぶつけることによって、本当の意味での住民が納得できる景観形成が可能となる。もちろん同地域は洪水被害が歴史的に何度も起る地域であるから、堤防は必要ななことは分かる。しかし生きた川をオリに閉じこめるが如き、河川工法は、世界的にも見直される現状にあり、現況のような景観を無視した形での工事が強引に進むようであれば、世界遺産登録にも赤信号が灯ることもないとはいえない。やはり緩衝地域(バッファゾーン)とは言え、束稲山から見た北上川と高館また関山の姿は、西行法師の「聞きもせじ束稲山の桜花吉野のほかにかかるべしとは」と詠嘆した景観でもあり、まさに命の川とも言える北上川の滔々した流れと共生できるような景観形成が是非とも必要になるはずだ。

ただ救いなのは、まだ柳の御所と高館まで平泉バイパス工事が進んでいないことだ。特にこの空間は、松尾芭蕉が「夏草や・・・」と歴史に残る名句を詠んだ場所でもあり、天才が介在し感じた歴史的景観をむやみに壊すような工事は、平泉周辺地区の世界遺産登録においては、特にネックになる大事な大事な地域であることを、すべての人に対して念を押して置きたい。

デスカッションにおいて都市環境デザインの専門家であるM氏は、平泉の景観を「風土景観」と位置づけた。平泉の景観は、中尊寺や毛越寺などの歴史的地域を、平泉の人々が歳月をかけて育んできた風土としての山や川、村、街並みなどが囲んで一体となって形成してきたという訳である。またM氏は、藤原三代以前の景観にも注目しており、そうなると衣川や前沢などにある安倍氏の時代の館や柵などの地域の景観形成も視野に入れるべきとの考えも含まれており、平泉の世界遺産としての広がりと奥行きの深さを考えても、今まったく視野に入れられていない感じとなっている周辺地域との結びつきを示唆する言葉であり、重く受け止めなければならない言葉である。また氏は、「風土景観」としての平泉をイメージ出来ないような、「工場や施設は設けるべきではない」と明言された。

今回の第二回の景観シンポジウムが、地元の住民の「ふるさと平泉」の景観形成意識の高まりの第一歩となることを期待したい。
 

--------------------------------------------------------------------------------
佐藤佐太郎の平泉の歌鑑賞2 投稿者:佐藤  投稿日:11月14日(水)09時28分28秒

次に佐太郎は、中尊寺に足を伸ばして、このような歌を詠んだ。

中尊寺
 金堂のうちのつめたき塗床(ぬりゆか)にたまたまにして金の箔散る
 金色の弥陀来迎の仏たちさむき御堂のうちに輝く
 ささやけき大日道の前庭に柿の落葉を音たてて踏む
 遠き世のかなしみ残る清衡の金の棺をまのあたり見つ
 ことごとく匂ふが如き御仏と後もしのばん朱の唇

第一歌の「金堂のうちのつめたき塗床(ぬりゆか)にたまたまにして金の箔散る」は、佐太郎の中でも名歌として知られている。まだ昭和28年、金色堂は旧鞘堂の中に収まっていた。その金色堂の床に、キラキラとして金箔が落ちているというのは、少し考えにくい感じがするのだが、とにかく光りの具合か何かで、剥がれた金箔があるように佐太郎には、見えたのであろう。この一瞬の真実を捉えて歌にするのが、「純粋短歌」というものを標榜した佐太郎の歌の真骨頂なのだ。佐太郎の「純粋短歌」の考え方は、少し小難しいが、簡単に言えば、厳選された重厚な言葉を用いて一瞬を歌に詠み込むことと解釈してよさそうだ。その意味でも、第一歌の「…金の箔散る」の歌は、佐太郎の「純粋短歌」の性格付けを見事に表している歌と言える。

金色堂を後にすると、佐太郎は大日堂の前庭を歩いて「ささやけき大日道の前庭に柿の落葉を音たてて踏む」という歌を詠んだ。そんなに柿の落ち葉があったとすれば、きっと木枯らしの後が、台風の後だったのかもしれない。ともかく冬に向かう奥州の古寺の風情が、彷彿と浮かんでくるような歌である。

そして佐太郎は、一山の宝物を納めた讃衡蔵に入る。昔の讃衡蔵は、今とまったく違っていて、木造で階段があって、迷路のように入り組んでいた。ギシギシと音を立てながら、大きな丈六仏を見上げながら見るのは、実に風情があった。そこに佐太郎は、スリッパを履いて辺りを見渡したに違いない。そこで初代清衡の棺を見たのであろう。確か昭和25年、中尊寺金色堂では、「遺体学術調査」と称して、三代のミイラが取り出されて、様々な研究と修復がなされた年である。その成果として、新しい事実なども発表された。例えば、秀衡の棺の傍らにあった首桶もそれまでは、泰衡の弟の忠衡と思われていたが、眉間にあった梟首(きゅしゅ)の痕などの調査によって、それが実は最後の奥州藤原氏最後の御館(みたち)泰衡の首であることが判明したりした。またミイラから生前の秀衡の顔なども、復元されるなどして、歴史ファンならずとも、興味をそそられることも多かった。佐太郎が訪れたのはそれから僅か二年後であった。

ところでこれは私の最初の疑問であるが、「讃衡蔵」の中で、佐太郎は、まず最初に仏像や他の宝物ではなく、何故に清衡の棺に興味をそそられたのであろう。もしかしたら、それは恩師である斎藤茂吉の死が関係していたのかもしれない。この中に、初代の清衡が眠っていたのか、という感慨を込めながら、人として避けがたい「死」というものと、この歌人は向かいあっていたのだろうか。

次に佐太郎は、おそらく秘仏と言われている「一字金輪佛頂尊坐像」を目の当たりにして、「生」というものの不思議を見ていたはずだ。それが第五歌の「ことごとく匂ふが如き御仏と後もしのばん朱の唇」である。昨年(2000年)に讃衡蔵の中でご開帳されていたので、この仏像を見た人も多いであろう。とにかくこの仏像は、「人肌の仏」と言われるように妙に艶めかしく、まるで生きているような感じのする仏像である。ある説では初代清衡の妻をモデルにして作られた像ではないかという説もあるほどで、精気に溢れた女性的な仏像だ。そこで佐太郎は、不遜ながらその朱(あか)い唇を見て、恋をしたのかもしれない。先の清衡の棺とそしてこの清衡の妻という説もある「一字金輪佛頂尊坐像」を対比させて、「死」と「生」のコントラストを見事に引き出した歌人佐藤佐太郎の充実振りが偲ばれる見事な歌と言えるのではあるまいか。
 

--------------------------------------------------------------------------------
佐藤佐太郎の平泉の歌鑑賞1   投稿者:佐藤  投稿日:11月13日(火)21時16分38秒

佐藤佐太郎という歌人がいる。宮城県柴田郡大河原に生まれ、茨城県の多賀郡平潟町(現北茨城市)で少年時代を送った。17才で「アララギ」に入会して、斎藤茂吉の一番弟子と呼ばれた歌人であった。昭和27年(1952)佐太郎は、43才にして、歌集「帰潮」で第三回読売文学賞を受賞し、歌人として地位を不動のものとした。その翌年の昭和28年2月26日、恩師の斎藤茂吉(1882?1953)が急逝した。その時、佐太郎はこのような歌を詠んだ。

 みいのちは今日過ぎたまひ現身(うつしみ)の口いづるこゑを聴くこともなし
 しずかにてありのままなる晩年の時すぎしかばみ命終る

そんな年ではあったが佐太郎は、秋になり、忙しい合間をぬって平泉を訪れて、まずは毛越寺に参詣して次のような歌を詠んだのであった。

毛越寺
 うら枯るるものの明るさや毛越寺の池のみぎはに荻(おぎ)もみぢせり
 毛越寺にわれの来しとき松風は音をつたへて池の明るさ
 古き代のこころしのばん石いくつ池中に立つ石もわが見つ
 みちのくの遠きいにしへ毛越寺の礎石のひまに松古りて立つ
 虚しきにたちて心のしづまりを惜しみしかども吾はたち去る

毛越寺の歌の中では、私は特に第三歌「古き代のこころしのばん石いくつ池中に立つ石もわが見つ」という歌が好きである。佐太郎は、きっと秋の大泉が池のほとりに佇みながら、池のまん中に立っている僧形石の異名を持つ石をじっと見ていると、向こうもこちらを見ているような錯覚にとらわれたのであろう。もちろん石はものを言うわけではないけれども、その石の姿や、他の石との間の中に、この浄土を偲ばせる池をこしらえた二代基衡という人物の心の有り様というものがひしひしと伝わってくるのである。昭和28年当時の、毛越寺は、今と比べてもきっとずっと寂しかったに違いない。本堂もなかったし、池の周辺だって現在のように綺麗になっていたわけではない。でもあの池の前に佇んでじっと待っていると、何かふっと感じられるものがある。それはやはりこの毛越寺建立に込めた基衡の強烈に熱い思いなのであろう。

--------------------------------------------------------------------------------
新潟のTさんへ  投稿者:筆武将  投稿日:11月13日(火)10時03分13秒

Tさんの地域の神社焼失の事、心からお悔やみを申し上げます。
私の妻の出身県でもある新潟のTさん、おはようございます。昨日Tさんの話を妻にしましたら「人ごとじゃないのよ」
と言っていました。私は今、東京八王子に住んでおりますが、ここ八王子でも、もう、どんどん山は削られ、
自然の美しさを失っております。ふるさとでもある新潟のTさんへ、またこのホームページで…。
 

--------------------------------------------------------------------------------
神社焼失について;ありがとうございます 投稿者:新潟のT  投稿日:11月 9日(金)11時48分46秒

管理人様
佐藤様

神社焼失の私のやや感情的になった書き込みに対し、暖かい励ましのお言葉と儚くも美しいストーリーをいただき、ありがとうございました。読んでいるうちに少しづつ気持ちが鎮まってまいりました。

町の人々が静まりかえってあまり語ろうとしないことに、むしろ落胆の大きさを感じます。
手品の様だとつぶやいたのは、消火活動でやけどを負った青年でした。今は焼け焦げた瓦礫の山としおれた菊の花が数鉢、焼け跡に残されています。

町の人々の非難を受けるかも知れませんが、私は、今後いつか再建されるかも知れない新しい神社には価値を感じません。もう以前の姿に戻せないのなら、むしろ、かってあった古くて歴史の香りあるお社のおもかげを偲ぶほうががましです。

古都が美しいのは、昔ながらの姿を保たれているからです。現代の高層建築やハイウエーやインターロッキングやコンクリートの道は古都の価値を失わせます。
これ見よがしに、いかにも整備しましたといった景観には、美も価値も感じられません。
旅人が求めるものは、古代からの変わらぬ歴史ある姿です。できるだけ手の加わらない自然の姿です。そこにかっての人々の生活や歴史の息吹を感じて心が和むのです。それが欲しくて私は旅に出ます。
日本のあちこちに、手を加えすぎて破壊された美かった古い町並があふれています。旅をするたびに、無念さ残念さを味わうことが多くなりました。

平泉の貴重な歴史ある姿が今後も大切に保たれ、後世に伝えられることを願います。
 

--------------------------------------------------------------------------------
歴史研究者と旅人の視点を加味したグランドデザインを!! 投稿者:佐藤  投稿日:11月 8日(木)18時54分41秒

平泉周辺景観シンポジウム」の案内をみて感じたことを率直に書かせていただきます。

正直な感想は、パネラーの構成の中に、平泉という都市の歴史を研究している人物と、旅人の視点を語れる文化人が入って欲しかったなと思いました。
もちろん景観の環境を考える上で、安藤先生は適任であると思います。ただパネラーの構成からいって、浦口醇二氏も都市の環境デザインの専門家のようですし、町からは佐藤町議と千葉さんが参加されていて、平泉の歴史的景観に詳しい研究者と旅人の視点を持つ文化人を加えてくだされば、より巾のある奥の深い論議が出来たような気が致します。

何しろ平泉は、いま世界遺産にも登録されようと言う古都なのですから、平泉の歴史を研究している研究者が入ることは大切ではないでしょうか。で、東北大の入間田(宣夫)先生でも東北学院大の大石(直正)先生でも、あるいは弘前大の斉藤(利男)先生でも、是非とも加わって欲しかったですね。

この10年に及ぶ発掘によって、平泉という都市の構造がかなり、明確になって来ていますよね。ですから、景観デザインの観点では正しくても、歴史的景観を加味して考えると、ちょっと問題だぞ、ということもあるはずです。ひとつの例を出して言えば、毛越寺から平泉の駅まで、広くて真っ直ぐな道路が建設されておりますが、果たしてあれで、平泉の往時が連想できるかと言えば、まったく問題になりませんよね。そこに歴史を研究している先生や、旅人として多くの古都の有り様を見ておられる人物のアドバイスがあれば、歴史的景観にも配慮した形での都市景観のグランドデザインが、出来上がっていくのではないでしょうか。

まずは、もしも本当に世界遺産に登録をすることを考えるのあれば、都市空間デザインの利便性ではなく、その都市空間が、人類の遺産として登録するに相応しい稀少的価値があるかどうかにかかっている訳です。何とか、平泉の町作りに、歴史の深みと旅人の視点を入れていただいて、素晴らしい町が出来上がればいいですね。

勝手なことを言いまして、申し訳ございませんが、本心そう感じました。皆さまはいかがでしょうか。
 

新潟のTさんへ

里の神社が焼失され、心からお悔やみ申し上げます。
あの書き込みに触発され、小さなストーリーを書いてみました。
これを、Tさんと里の人々に捧げたいと思います。
http://www.st.rim.or.jp/~success/kogarasi_ye.html

--------------------------------------------------------------------------------
「平泉周辺景観シンポジウム」の開催 投稿者:管理人  投稿日:11月 7日(水)19時02分12秒

掲示板をご覧の皆さま、こんばんわ。

早速ですが、以下の要領で、「平泉周辺景観シンポジウム」が開催される運びとなったそうです。年末も近づいてきて何かとお忙しい毎日かとは思いますが、参加は自由とのことだそうですので、是非ともご参加されて、問題点などを深く考えて見たいと思います。

平泉周辺景観シンポジウム
11月18日(日) 13:30?16:30
平泉町役場二階大会議室
 基調講演 13:30?14:30
   「まちづくりと景観形成」 安藤 昭(岩手大学工学部教授)
 パネルディスカッション 14:45?16:30
   「平泉周辺のまちづくりと景観形成」
 パネラー:安藤 昭 (岩手大学工学部教授)
      浦口 醇二(株かいアソシェイツ代表取締役)
      佐藤 孝悟(平泉町議会議員)
      千葉 なか子(岩手県農村生活アドバイザー)
  コーディネーター
      金丸 義一(平泉周辺重点地域景観形成推進協議会会長)
問い合わせ先
 一関地方振興局土木部建築指導課
  担当:吉田 0426-26-1418(内線265)

--------------------------------------------------------------------------------
地元の神社焼失の報に接して 投稿者:管理人  投稿日:11月 6日(火)20時53分43秒

新潟のTさん
こんばんわ。

地元の神社の焼失のニュース驚きました。お悔やみの言葉も見つかりません。本当に残念なことですね。そこにあったであろう数々の宝物は、これから未来に受け渡さなければならない大切な過去の人々からの預かり物でした。現代に生きる者は、自分のDNA同様、神社とその中にある宝物を守り、そして未来に繋ぐ、重い責任を負っています。しかしそれが出来なくなった御心境を思うと、悲しい気持ちになりますね。

私の故郷でも、奥州藤原氏の時代からあった寺が、江戸期になって焼失してしまい、そこにあった数々の宝物が灰燼と化してしまったという事実を数年前に知りまして、とてもショックを受けたことがあります。今そこは、人家となって、昔そこが素晴らしい伽藍が建っていたと想像させるようなものは何も残っていません。過去に書かれた地誌をみますと、源義経公にまつわるたいそうな宝物があり、とても悲しい気持ちになったものです。もしもその寺が今日あったならば、もっと多くの里の歴史が、はっきりしていたはずでした。しかし一度焼失してしまったものを元に戻すことは、誰にもできません。その火事の原因は、たまたま夜になると居候を決めていた人物と言われています。きっと寒かったのでしょう。そのたき火の火が、境内にまわってしまったのです。

新潟のTさんのご指摘を肝に銘じながら、つくづくと現在に生きる我々は、世界遺産に登録されるべき価値を遺した形のままで、未来の人々にまさに「そのまんまの平泉」をバトンタッチすべきではないか、という思いが強くなってくるのを感じます。

複雑なお気持ちでおられる所をお書き込みいただき、まことにありがとうございました。
 

--------------------------------------------------------------------------------
失われたもの 投稿者:新潟のT  投稿日:11月 6日(火)18時48分13秒

昨日未明、私たちの地域の氏神様であった280年の伝統のある神社が全焼してしまいました。数々の文化遺産も皆、灰となってしまいました。ちょうど菊祭りの最中でした。
子供達のお宮参り、七五三はそこで行っていました。3年前の菊祭りの頃、娘の七五三に境内で撮った写真が出てきて懐かしく思ったやさきの出来事でした。夏祭りにはあの神社に各町内の台輪が奉納されるのでした。
子供の頃からそこにあるのが当たり前であったお社がすっかり消えてしまったことにとまどいを感じます。誰かがまるで手品の様だといっていました。
いまだに信じられません。
火の気のない所で放火か?などとのささやきもあります。そうだとしたら、私の理解を超えた信じがたい人類が存在するものです。仏罰も神罰も恐れない、文化遺産の尊さも解さない、人々の心の拠り所を平気で踏みにじる冷血人間。

平泉の皆様も、失われたものはもはや二度と戻らないということをよくよくお考え下さい。
故郷の古い懐かしい風物がどんどん失われていく虚しさを感じてください。
遠い祖先からの尊い遺産を、昔ながらの美しい景観を破壊することの罪深さをかみしめてください。

失われたものはもうとりかえせません。
平泉には昔ながら美しい懐かしい日本がまだ生きています。
 

--------------------------------------------------------------------------------
この本私も(立ち)読みました 投稿者:高飛び  投稿日:11月 5日(月)18時36分05秒

佐藤さんのご感想、私も全く同様に感じます。
だいたい俵万智という人は、都市型4畳半恋愛俳句のようなものを書いて有名になられた方ですよね。
片や立松氏は、初期の真摯な姿勢から、TVレポータで一気に超有名になるや、盗作騒ぎまであった方ですよね。
この組み合わせで、俳聖芭蕉のリメイクをやらせると言う、編集者のセンスの悪さにあきれます。
まして俳句を志しているはずの俵氏が、明らかに現地を見ていないような俳句を芭蕉のリメイクとして口端に載せるとは・・・。
    平泉がまたぞろこういう底の浅い文化人を担ぎ出して、
    「奥の細道・講演会」なんぞをしないことを祈ります。
 お叱りは重々承知の上の実現しそうもない極論ですが、先の別荘に「文化人(と称する人たち)」を住まわせて、景観問題を一気に全国区にすると言う手もありますね。「平泉」と言う町は、そういうカードも一考にしないんでしょうか。(もちろん別荘地歓迎と言うわけで無く、あくまで観光都市「平泉」の宣伝カードとしてです。)

さて佐藤様、実は私近くに義経伝説にまつわる所があるとも知りませんでした。
関東近辺の場所などまたレポートくださるか、メールででもお教えください。
楽しみにしております。

--------------------------------------------------------------------------------
俵万智.立松和平共著「新.おくのほそ道」平泉の下りを読む1   投稿者:佐藤  投稿日:11月 5日(月)12時25分15秒

面白いタイトルの新刊があったので、思わず手にとって、あるページを開いてみた。
俵万智、立松和平著の「新・おくのほそ道」だ。もちろん最初に開いたのは、平泉のページである。芭蕉の高館での句、「夏草や…」「卯の花に…」(曾良)、中尊寺での句「五月雨の…」という三句に対して、俵万智が、どんな歌を書くか。平泉バイパスという人為によって、その歴史的景観が台無しになっている様を、いかにして歌に詠み込むか…。

どきどきしながら、パラパラとページをめくると、中尊寺旧鞘堂の写真の横に二首の歌が添えてあった。
ひたすらの夏草にして目に見えぬものばかり見ている平泉
五月雨に降り残されて哀しいか時のかたみとなる光堂

どうも実感がないような気がした。俵万智の「まえがき」を読むと、これらの歌は、その地に行かないで、詠んだ歌だそうである。歌に添える形で、立松の文章が続く。どうも立松自身もその場に行っていないで書いている気がする。もちろん自分の故郷である日光辺りは、景色の実感があるが、多くはただ俵万智の歌に感応する形で、ペンを走らせたとしか思えない。要するにその地に起って書いているという実感に乏しいのだ。

旧鞘堂の次のページをめくると、左に高館からみた例の北上川とその岸辺に夏草が生い茂る写真が掲載されている。それは義経堂の脇から角度を付けて、意図的に高館のバイパスを入れないアングルで撮られている。かすかに手前に工事用道路の痕が見える。北上側の対岸には削られた岸辺が見えるが、上手に桜の葉で隠されている。カメラマンは相当苦労してこの写真を撮っているはずだ。

写真については、作者の二人は見たのであろうか。きっと平泉バイパスによって、高館からの景観が大きく変わってしまったことも見たであろうに、「目に見えぬものばかり見ている平泉」として、景観破壊の現実に目を瞑ってしまった歌人俵万智の感性には首をかしげるばかりだ。

芭蕉の「夏草や…」の句は、高館山に登って感じた無常というものや寂寥感を茫漠たる夏草の中に見た実感の句だが、俵自身の歌は、現実の夏草が剥ぎ取られた実態を無視し、ほんの僅かしかない夏草の中に芭蕉的なるものを必死で感じようとしているようにしか思えない。だったら両の目を開いて、現在の高館の変わり行く実態を感じるままに詠めばいいではないか。ことさら現実の平泉を無視して、永遠なるものなど見えるはずはないではないか。つづく
 

--------------------------------------------------------------------------------
俵万智.立松和平共著「新.おくのほそ道」平泉の下りを読む2  投稿者:佐藤  投稿日:11月 5日(月)12時23分44秒

立松の文章もまた、私からすれば、意味不明だ。
「時はどんどん飛び去っていき、去っていった時は二度と戻ってこない。諸行無常のことを考えると、居ても立ってもいられない。(中略)過去も未来も見なければ、ただ現在だけを感じていればよい。しかし鋭敏な感受性は、茫々と繁る夏草にも、見えないものを見てしまうのである。炎天下の夏草が喊声(かんせい)を上げて突撃していくつわものたちの群れにも見える。勝者も敗者も、諸行無常の前では同じである。ただただ夢にすぎない。(中略)人は認識しようがしまいが真理は働いているのであり、こうしている間にも時はどんどん過ぎていく。人の力ではどうしようもないのだが、無知よりは知った方がよい。」

何か、「平家物語」と「方丈記」をもって、「奥の細道」の芭蕉の句境を述べたような傍観者的な文章で、ちっとも「新・おくのほそ道」になっていない気がするのは私だけだろうか。芭蕉の「奥の細道」は、自らの足と心で綴った紀行文である。しかもそれはただの紀行ではない。自らの命をも削って、その土地に潜んでいる地の霊のようなものにまで、触れようとする決死の旅日記であり地誌なのだ。そこには芭蕉の人生に対する考え方が旅人の目として盛られているのだ。厳しく言わせていただければ、この立松の文章は、とても「新・おくのほそみち」と呼べるようなものではない。

芭蕉が平泉を訪れたのは元禄二年(1689年)五月十三日であった。この年は、義経公没後500年(奥州平泉が頼朝の軍門に下ってから500年)の年に当たっていた。芭蕉は、並々ならぬ決意を持って、高館の義経堂と光堂にやってきたのである。しかもそれはこの旅の中において、自分が死んでしまうかも知れないという覚悟を含んでの旅であった。だからこそ、芭蕉の一字一句が重く我々の胸の中に突き刺さるのだ。それから既に三百年以上の月日が過ぎた。

何もかも便利になり、東京から僅か、三時間もあれば、高館の夏草にお目にかかれる時代だ。その気になれば、平泉を一日で散策し、すべてを見て、東京にUターンすることだってできる。しかし反面、その便利さにより、全国にある景勝地と言われる土地の稀少価値が損なわれてしまったような気がする。

結論である。もしも本当に芭蕉に挑む気持ちをもって、平泉を見るのであれば、時間を掛けろとは言わないが、少なくても、その場に立って、実感の籠もった歌を詠うべきであろう。実感の籠もらない歌は力がない。消えて行くものに「哀れ」を感じるならば、その消えゆくものの実像を良く見、もしもそれが人為のものであれば、「哀れ」ではなく「工事を中止すべき」位のことは言ってもいいだろう。もしもペンを持って立つ者ならば・・・。
 

--------------------------------------------------------------------------------
分譲地売り出しに驚きました 投稿者:橘次  投稿日:11月 2日(金)11時56分37秒

おとみさんの情報を拝見し、卒倒しそうになりました。造成されていたのは知っていたので、いつかは来る問題だったのですが・・・。あんな山の上では水道を引くのも大変だし、温泉は、下の武蔵坊から引っ張ってくるはずなので、住空間としては適切ではないけれど、あのながめですからねえ。
平泉にいる人よりも観光業者や土建屋のほうが、平泉の価値を理解し利用しようと知恵をしぼっているように思えます。平泉町は充分に遺産を理解し活用できていない。それがこの結果なのでしょう。地域からの反対運動が起きることを期待します。
 

--------------------------------------------------------------------------------
町造りで一番大切なものは?  投稿者:佐藤  投稿日:11月 2日(金)11時50分56秒

皆さま、こんにちわ。

先日神奈川の藤沢市に行ってきました。
この町には、源義経さんにまつわる伝説と史跡が多くあるからです。

まず義経さんを「白旗大明神」としてお祀りしている有名な白旗神社に訪れました。私とって二度目の訪問でしたが、改めて神社の宮司や氏子の皆さんが、いかに義経さんを大事にしているか、神社の参道に一歩足を踏み入れた時にしみじみと感じました。とにかく頭の先から足の先まで、神経がピンと張っているような感じなのです。そこから今度は、少し旧東海道を伝って南に歩いて、義経首洗い井に行きました。

そこは藤沢市の土地で、史跡に指定されてある場所なのですが、ひどくがっかりしてしまいました。原因は、なにか、通りにあるスチールの棒のような看板から始まって、とても冷たいのです。もしも民間の人々が作ったら、こ絶対にこのような継子のような造りはしないだろうという程です。写真で見て貰えばわかりますが、ただのマンションとアパートに囲まれた空き地そのもので、滑り台が白けた感じで、置かれています。これが市が管理するという史跡の有様なのです。

白旗神社とこの首洗い井の余りの違いはなんでしょうか。我々はともすれば、史跡というと、国とか、県とか、町とかが、管理するものだという固定観念をもって、いますが、そうではありません。先にあった京都の首途八幡神社でも、藤沢の白旗神社でも、そこに住んでいる人が、これではいけないと、運動をし、お金を出し合い、その上で、公けな力も動かざるを得なくなって、出来上がったものです。はじめから公けなものに頼っていては、ろくなものが出来ないのは多くの史跡の例からはっきりしています。

史跡というものは、本来、まずはその史跡を大事だと思う人々がいて、それを未来に伝えて行こう
という気持ちによって支えられるものなのではないでしょうか。ですから、公けな組織に頼る前に、まずそこに住む人々、その文化を本当に愛する人々が行動を開始することで本当に文化の香りがするものが、少しずつ出来上がっていくのではないでしょうか?

私は平泉の町造りも、「世界遺産登録」などという大仰なことを想定しなくても、昔あったものを有りのままに後世に伝えていくのだという、至極当たり前な感覚を持って進めるべきものではないかと思うのですが、どうでしょうか。私はそれこそが、「世界遺産条約」の精神に合致する考え方だと思うのです。

そこで、是非下にある藤沢の白旗神社と首洗い井戸の状況を皆さまにも見ていただきたいと思います。
http://www.st.rim.or.jp/~success/photo/fujisawa.html
 

--------------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:高飛び  投稿日:11月 1日(木)12時03分41秒

おとみさんこんにちわ。
早速ご案内の不動産屋さんのHP見てみました。
お!良いじゃんか。
と言うのが最初の感想です。もちろんここを読んでいらっしゃる方々のお叱りは承知の上です。
「平泉」と言う土地の持っている歴史と、都内からの地理的条件、眺望、しかも温泉つき。
あこがれない人がいるのでしょうか。
ちょっと、お金を持っていれば、しかも都会に住んでいる人ならば、安いとさえ思うかもしれません。平泉を愛するが故に、気持ちが揺れ動いてしまう、それが正直な感想です。すいません。
 
しかし、こういう計画が長続きするものでないことは、各地の別荘地の現状が物語るのではないでしょうか。成功している所は、管理人さんが指摘するように、文化の香りのする所です。
「平泉」が「世界遺産」指定を受けられ、どういう形で「文化」を発信するか。地元の人たちの精神性が問われる所です。日光のように、ならないことを願うばかりです。

また管理人さんがご指摘のように、平泉には未だ人に知られぬ「観光資源」がごまんとあるような気がします。遊歩道整備で、土建屋さんとその寄生人物達を儲けさすばかりでなく、草に埋もれた小さな物語をつむいで歩けるような、そんな観光の売出しもできるのではないのでしょうか。
弁慶の足跡石とか、郷土館の人から私も聞いたことがあります。
管理人様、今度の平泉行では、そういう所を私も歩いてみようと思います。
よろしくお教えください。
また街の企画課とか、観光課とかの皆さん、これを見たら、いいアイデアでしょ。早速取り入れてください。パンフレット作るだけなら、お金もかからないでしょ。都会では、中高年の山歩きが盛んなんです。ちょっと資料をもとに、実地調査するだけでしょ。簡単な案内板立てるだけでしょ。頑張りましょう!

また管理人さんが指摘され、言うまでもなくここで何回も話題にされる「グランド・デザイン」
私は、また悲観です。
行政の「景観問題検討委員会」でしたっけ?
審議過程が公にされることも、もれ聞こえることすらありませんね。
地元でも同様なんでしょうか?
 

--------------------------------------------------------------------------------
金鶏山のリゾート問題 投稿者:管理人  投稿日:10月31日(水)09時54分53秒

おとみさん
おひさしぶりです。

金鶏山のリゾートのHP驚きました。高飛びさんも指摘しておられますが、あそこは経塚ですから、何とかできないものでしょうか。本当に。
考えますと、「世界遺産登録」を見越しての商売ということになりますが、法の網は逃れられても天網恢々という言葉もあり、神罰仏罰が身に及ぶことを畏れない人が購入するのでしょうか・・・。奥州平泉の聖域に実に悲しいものが、構想されているものです。
 

--------------------------------------------------------------------------------
旅人の視点をキーワードとして 投稿者:管理人  投稿日:10月30日(火)21時04分43秒

皆さま。貴重な御発言本当にありがとうございます。

皆さまのご意見を拝見しながら、ずっと考えていました。それは前川さんが指摘されたことの中にある「旅人の視点」という言葉でした。なるほどな。と思いました。それは平泉という町は、平泉に住む人の町ではあるけれども、誰もが一度は行ってみたい古都平泉であり、奈良や京都とはまた違う奥州独特の空気が通う町「平泉」なのです。
この町をどうするかは、もちろん住民が中心になって行うことは、地方自治の精神から当然な事ではありますが、もしもこの町が、例えたまに訪れる人のために「また来てみたい」「是非今度はあの人を連れて」と思われないような町になってしまえば、元も子もないのです。

そのためには、まずは基本になる町全体のグランドデザインはどうしても欠かせません。で私がこのバイパスに一番持つ懸念というのは、グランドデザインを書きにくい状態になってしまうということです。このままもしも工事が続行され巨大な高さ30m巾30mの道路が、柳の御所と高館を斜めに掠めて通ったならば、芭蕉が「夏草や」と詠んだ景観は
まず水泡に帰し、世界遺産登録が、仮になされるにしても、日光のように寺社にしか、登録は許されないことは疑いの余地がありません。平泉であれば、金色堂を中心とする中尊寺と毛越寺の浄土庭園の景観という事になる可能性が大です。それでも良い、交通渋滞解消と観光誘致のためにはバイパスが是非とも必要だ、というのであれば、それによって、失うリスクも当然勘定に入れていなければなりません。この事だけはバイパス工事を推進されている方々もしっかり考えていただきたいと思います。

日光の山々や杉並木などは、いろは坂を初めとするバイパスや高速道路を造りすぎたために、結局世界遺産に登録されなかったと思います。つまり過度に人の手を入れすぎたことになります。日光に行き、男体山をご覧になった方も多いでしょう。皮を剥がれたウサギのように悲しい山肌をしています。しかもそこには刀の傷のような千が縦横に走っています。我々は、日光の現状から学ばなければならないのではないでしょうか。

本当の文化の香りがしなければ、人は集まりません。道路があるから来るのではなく、そこに平泉という町独特の文化の香りがするから全国から人が集まって来るのではないでしょうか。今、大ホテルがあるからというのでは人が、集まりません。その良い例が熱海温泉の状況ではないでしょうか。素晴らしい気候、立地にしてあの有様です。駅間のかなり大きなホテルも、皆閉店休業なのは、何か原因があると思います。それは熱海でしか味わえない独特の個性や文化の香りが弱いことです。

その意味で、やはり平泉は京都の知恵から学ぶべきことは多いと思います。何年か前に、京都の首途八幡神社に行った時のことです。そこには若い宮司さんがおりました。確か普段は石清水八幡宮にお勤めとお伺いしました。

この神社は知る人ぞ知る金売吉次の住まいだったという歴史のある神社で、終戦後は廃れてしまっていたようです。所がこれを町衆が、復興しようという気運が盛り上がりついには小さいながら八幡宮の造りの社屋を立派に再建なさったのです。ここには首途の井戸として有名な井戸があり、義経が、16才で奥州に下るとき、それから一の谷に平家をうち破るとき、清めに使ったという所です。ですから何にも古書類はないけれども、この神社は今に形を留めているのです。

そう考えると、平泉まだまだそこに住む人々が主体的に取り組むべきものがあるように思えるのです。例えば、様々な義経主従の墓と伝わるような場所がありますが、今は草むして、よほど好きな人でなければ、発見できるようなものではありません。このような墓をひとつひとつ綺麗にして、札を立て、パンフレットに謳うだけで、まるで違うと思うのですがどうでしょうか。橋や道路のようなものは出来なくても、自分の家の前にある古跡を綺麗にするくらいの運動ならば、さほど難しいことではないと思います。そのようなことをしていけば、どのような町になれば、文化の香りがしてくるかということは一目瞭然となるでしょう。
皆さまどんどん、ご意見をください。
 

--------------------------------------------------------------------------------
新聞の折り込み広告 投稿者:おとみ  投稿日:10月30日(火)00時20分08秒

お久しぶりです。
金鶏山の裏手の話題が出ていたついでに。
日経新聞の広告特集「住宅取得大作戦」(10月26日)の一ページに、金鶏山の裏手にリゾート住宅地の第1期販売が出てました。
これが、町の方針なんでしょうかね。たぶん。
さすがにこれは呆れました。

↓販売会社のリンク
http://www.maplewood.jp/hiraizumi/

--------------------------------------------------------------------------------
平泉から「発信」を 投稿者:前川  投稿日:10月25日(木)04時52分03秒

高飛びさん、こんにちわ。呼びかけに呼応していただいて感謝です。とてもハイレベルな「理想」ですね。確かに、平泉には「何かを発信する」という積極性が必要だと思います。平泉ってとても恵まれてます。小学校の課外授業で能や狂言鑑賞に、野村万作・万斎親子を呼べるくらい文化的程度が高いのです。羨ましいかぎりです。中尊寺のお坊さんも、中尊寺で子供達に学ばせる機関を作りたいとおっしゃっていました。例えば、仏像の彫刻などだそうです。町の催しで超有名な先生方を呼べるくらいの文化性があると、全国的に周知されているのだから、もっと活用すべきなんです。そしてその事実を町の人は受け入れる必要があると思います。だけど、その文化性は藤原氏の遺産があってこそです。自分たちが遺産を活用し、平泉から発信するものを考え出す努力こそが、今の平泉には必要なのではないでしょうか?個人的には「国立博物館」でない施設が理想ですが、
高飛びさんのご意見は貴重だと思います。
みなさん、あまり難しく考えないでください。以前書き込みされたtakaさんのように、平泉に滞在し散策したいという感想で充分です。
 

--------------------------------------------------------------------------------
私の理想… 投稿者:高飛び  投稿日:10月23日(火)21時59分58秒

前川さんこんにちわ。
いろいろと考えましたが、具体的なものを考えようとすればするほど、それがいろんな問題を引き起こすことに気づき、未だに考えがまとまらないんですが、ちょっと抽象論でも良いんでしょうか?

平泉は、「国立博物館」誘致をしていますよね。
私はそれを核に、「東北学」の拠点をまず目指すべきだと思います。
それは単に、今まで省みられることのなかった東北の歴史や社会風俗・慣習や科学的調査研究だけでなく、中央史観に対する辺境中心の歴史観や中央主権に対する分権など、政治や哲学など様々な研究を含み、
今までの権威的な学問に対して、アンチテーゼとなるような研究が行われるような拠点になって欲しいと思います。それは決して、東京や京都でも良いのですが、そういう中心地志向=権威主義でなく、広く世界に目を向けた、グローバライゼーションなどとは無縁なものだと言う気がします。

そういう研究機関があれば、世界中から人々が集まり、そういう思想を生かした景観作りがなされなければならないはずですよね。
こういうものは、当時としては先駆的に敵・味方の別なく供養するために中尊寺を建立した、清衡の思想にも近いのではないでしょうか。

そういう思想性が今の世界、特に今の日本には必要な気がします。
 

--------------------------------------------------------------------------------
一旅人の「理想」 投稿者:ニシキゴイ  投稿日:10月21日(日)19時53分33秒

 僕は、一度しか平泉に行ったことがありません(去年10月)。でも、いろんな印象が残っています。
 中尊寺の金色堂や毛越寺の庭などから受ける美的な感銘はいうまでもないでしょう。数多くの旅行案内などで紹介されているとおり、期待が裏切られることはありませんでした。
 「意外」だったのは、遺跡です。観自在王院や無量光院、柳の御所など、予想より大きく保存されていました。そのおかげで本来の規模が想像でき、現存の建築や仏像などから受けるものとはまた違う、奥州藤原氏の往時の迫力のようなものを感じました。同時に、文化財に対して関心が深い町なんだなとも思いました。
 高館からの景色を見たときには、驚愕のあまり卒倒しそうになりました。
 つき先ごろまで愛され尊ばれてきたものが、こんなにも簡単につぶされるものでしょうか。平泉を世界遺産に登録しようとの運動があると聞き及びます。歴史・文化の町としての発展こそが「理想」ではないかと一旅人としては思います。呼びかけ人の意図とは違ったかもしれませんが、書き込みさせていただきました。
 

--------------------------------------------------------------------------------

「こんな「平泉」が理想です」募集 投稿者:前川  投稿日:10月17日(水)14時36分54秒

 平泉の現状に対する悲観的な意見や、積極的に景観復元をという声が聞こえていますね。そこで提案があります。みなさんはどのような平泉が理想だとお考えでしょうか?おそらくここに書き込んでいらっしゃる方々は町外の方がほとんどでしょう。町の人間が意識する「平泉」と、なにがしかの感慨を求めて平泉を訪れ好きになった人とでは理想が異なると思うのです。そこで平泉がこうあって欲しいという意見を出してみてはいかがでしょうか?
 平泉は観光の町でもあり、芭蕉が一躍有名にしてくれたことにわかるように「旅人の視点」が必要だと思うのです。町民が要求するまちと旅人が要求する姿、両方を兼ね備える必要があるでしょう。いま一番恐いのは、排他的に町内の意見だけで孤立することです。「景観委員会」のメンバーもほとんどが町内の人間であり、そこに外部の意見が反映されるはずはありません。漠然としていても平泉への要求を考えることが、グランドデザインを描く上で貴重な意見となると思います。考えてみてはいただけませんでしょうか?
 

--------------------------------------------------------------------------------
管理人様 投稿者:高飛び  投稿日:10月15日(月)15時08分40秒

ご指摘の通り、「当事者意識の無さ」は言い過ぎかもしれませんが、敢えての言い切りですのでご容赦ください。
 ただ私が町広報ならびに議会便りにあった記事を見て、そう感じたのは率直な感想です。「上の方で決まったこと」だからというような逃げ方を感じたものです。そしてそれがご指摘の通り、この国の政治の形を如実に反映したものであることは、同感です。しかしこのHPやそれを反映する形でおこったと聞いている地元新聞の報道によって、現在のように工事が一時滞っていることを考えると、ここで行われているような活動が決して無力ではないと感じ、皆さんの活動を支援したいと同時に、また「平泉」の「人々」がどうして声をあげないのかを疑問に感じるわけです。
 県議会の関係からか定かではありませんが、このHPでご指摘があったように、公的な高舘景観問題に関する「審議会」が、立ち上がっているはずですよね。この審議過程すら公開されていません。まして地元住民にそれが公開されているわけでもないようです。最近の行政手法である「審議会」という形を通して、この問題もまた誰の責任かを不明確にする形で進められていくのではないでしょうか。そういう形で進められた場合、どの政治家の、あるいはどの行政主体の、あるいはどの行政官の責任が問えるでしょうか? 多くの審議会の場合審議方向は設置行政体の行政官の、あるいはその人物と議長の誘導によって議論の方向性は大方決まってしまっていると聞いています。地元民が主体的にチェックすることなく、つまりは世論の圧力が無いままにもうすでに方向性は決定しているなんて事は無いのでしょうか? そしてさらに地元の人々も、もはやすでにこういうことすら一過性のことと考えてはいないでしょうか?
非常に不安です。
 私にはむしろ日高見王さんの方向で、(ここでも以前何度か指摘されたように)地域的に大きなグランドデザインこそ必要な気がしますが…。

つい先ごろ、新高舘橋界隈(加えて金鶏山裏手の)の変化に驚いたことも悲観させている要因かもしれません。
 



 

HOME

2000.11.26 
2002.1.13 管理人