I2001.11.23〜2002.1.11
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西行さんの衣川の歌に寄せて 投稿者:佐藤 投稿日: 1月11日(金)23時23分02秒橘次さんの「平泉は二度滅ぶ・・・」というお話し、
それにTakahashiさんの「過ちは繰り返さぬように」というお説。
同じことをおっしゃっているように思えます。人は多くのしがらみのようなものを背負って生きていて、時には、自分の腹と別のことをしなければならぬことがあるかもしれません。でも声を出すべきに出さずにいると、一生涯それに後悔をして、一度しかない人生を悔やみのうちに終えることにもなりかねません。
いつも歴史はそうして、多くの過ちを繰り返してきたのです。歴史にもしもはない、などと言う人もおりますが、私は歴史というものは、その時々の人々の勇気ある判断によって、様々な可能性があるものだと思います。
橘次さんが言うように、八百十数年前、時の奥州のトップが、勇気ある決断をしていたならば、無惨なにもあっけない奥州の悲劇的な敗北はなかったでしょう。最後には、名誉もなにもなく、奥州藤原三代の心だけが、ポツリと残り、寂しく儚げに今に伝えられているのです。奥州に潜在しているその儚いものは、目には見えないけれどもとりわけ美しいものです。この暮れから正月にかけて、関山中尊寺の袂から泉が城を見、衣川周辺の冬景色をカメラに納めながら、西行さんが、最晩年に命を賭けて、極寒の奥州にやってきた気持ちが、よく分かりました。清冽な冬の衣川を見ながら、かつての栄華に溢れていた衣川周辺の安倍氏の居館跡を辿り、きっと雪で難渋しながらも、深い感動に心が熱くなったことでしょう。
西行さんは、平泉に来てまず、吹雪?の中を衣川に行き、こんな歌を詠みました。そして歌の前には、殊の外長い詞書きを添えています。
十月十二日、平泉にまかりつきたりけるに、雪ふり、嵐はげしく、ことのほかにあれたり けり、いつしか衣川見まほしくて、まかりむかひて見けり、川の岸につきて、衣川の城し まはしたる、ことがらやうかはりてものを見る心ちしけり、汀(みぎは)こほりてとりわ きさびしければ、
とりわけて心もしみてさえぞわたる衣河みにきたるけふしも年老いた69才の西行さんは、二ヶ月もかけて、鎌倉から奥州に辿り着きました。もしかしたらこの異例な長い到着は、途中で病に倒れた可能性だってあります。ともかく、翁といっても芭蕉さんはまだ四十代半ばでした。きっと冬季の奥州の寒さが身に応えたのかもしれません。ともすれば、「聞きもせじ束稲山の桜花吉野の外にかかるべしとは」の歌の方が、地元では有名ですが、歌として、「とりわけて・・・」の歌は、西行さんの数多い名歌の中でも、最上位にランクされるべき歌だと思います。これは多くの歌人が、風情を醸し出す意味で「歌枕」として「衣川」を読み込むのとは違い、強烈な実感がにじみ出ている絶唱だと思います。
地元の皆さま、皆さまは、歴史的にも当代一の不世出の歌人西行さんが、全国をくまなく歩き通し、その人生の旅の果ての最後に是非とももう一度見たいと思って命を賭けて歩いて来た奥州の地に住んでいらっしゃるのです。衣川や高館の写真を是非もう一度心の眼を見開いて観てください。きっと普段見ているのとは、違う思いがされるはずです。素晴らしい景色です。何もないが、何もない景色なんて、今の日本にはないのです。みんな一様に画一化された作られた空間それは、景観ではなくて、まさにどなたかがおっしゃっている通りの殺風景が存在するだけです。誰が「殺」(ころし)を為したのでしょう。それはその地の人々が声を上げるべき時に声を上げる勇気がなかったからに他なりません。したがって厳密に言えば、風景は、人によって屠殺された哀れな牛馬なのです。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/6455/36kei05.html
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過ちは繰り返さぬように 投稿者:Takahashi 投稿日: 1月10日(木)13時28分36秒佐藤氏のHPの扉写真を拝見して
高館の雪景色のなんと美しいことでしょう。昨年の秋に見た高館とは別世界のようです。
あの無惨なむき出しの赤土も、無粋なコンクリートの道路も、人々の思惑も、すべて雪に覆い尽くされ、そろって厳しい風雪に耐えている姿には、偽りの余地はありません。
生まれてからずっと雪国育ちで、時には憎たらしくさえ感じる雪にも、こういう利点があったことを思い出させていただきました。
高館で、西行法師の生きた時代から変わらないものは、ただこの雪だけという事態になるのでしょうか。年末にTVニュースレポートで、イスラム過激派の自爆テロで死んだ男の家族のインタビューがありました。その母親は、「息子を誇りに思う。」と言いながらも、涙を流していました。
これは欺瞞です。あのような極度に抑圧された社会で生き抜くためには、自己欺瞞しかなすすべはないのでしょうか。おかしいことはおかしいとはっきり言える感性を、皆が大切にしていけば、この乱れた世の中も少しずつ変わっていくかも知れません。平泉の地元の皆様、自己欺瞞はどうぞ終わりにしましょう。それによって失う者はあまりにも大きいです。
心を研ぎすませて聞けば、どの意見が真に地元民のことを考えてのものかは、自ずと見えてくるはずです。どの工事が本当に必要で、どれが意義に乏しいものかもわかっているはずです。
私利私欲にかられて押し寄せてくる中央の官人にまつろうことはありません。
彼らの策にはまらずに一致団結していたならば、古代中世の奥州の歴史だって変わっていたかも知れません。中央と地方の関係の構造は、古から今もほとんど変わっていないかのように思えます。
平泉の地元の人々のためにも、世界遺産としての平泉のためにも、過ちの繰り返しは避けなければなりません。
地元の方々、勇気を持って主張してください。いやなことはいやだと。
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平泉は二度滅ぶ・・・ 投稿者:橘次 投稿日: 1月10日(木)13時15分47秒1189年、平泉政権の首脳陣は会議を重ねていた。鎌倉からは執拗に「義経を出せ、打て」と催促される。京都からの命令も届いている。秀衡の跡を継いだ泰衡、祖父の藤原基成、長男の国衡は最終決断を迫られていた。父秀衡は「義経を大将軍として、兄弟が仕え、鎌倉にそなえよ」と遺言した。三男忠衡はそれを守ろうという。「ただの謀反人ではないか。切り捨ててしまえ」という意見がでる。「平泉を鎌倉から守るには、この民を守るには義経に死んでもらうしかない。」これが結論だった。閏4月30日、泰衡の部下は衣川館にいる義経を襲った。それからわずか5ヶ月後、京都に次ぐ文化を誇った平泉は鎌倉軍に占領され、泰衡は殺された。絢爛豪華を誇った柳之御所は灰燼に帰し、中尊寺と毛越寺は頼朝に寺領安堵を願い出た。それから、無量光院は水田とない、毛越寺は焼け落ち、金色堂のみ奇跡的に今日その姿を留めているにすぎない。
あの時、義経を殺さなければどうであったのか?あの苦渋の選択は結果的に平泉の鎌倉武士支配(地元主導でない経営)を認め、藤原氏の頃の平泉は滅亡したのだ。
いま歴史は繰り返されようとしている。高館景観検討委員会の内容が、平泉政権首脳部の見解と同じく、高館を見捨て切り捨て生活者を守るという大義名分で意見交換され、外部の意見を採り入れない狭い認識でなく、もっとグローバルな視点から議論されるよう心よりお祈りして、新年のご挨拶にかえたい。
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1月13日(日)平泉で第2回世界遺産講演会が開催 投稿者:管理人 投稿日: 1月 9日(水)20時30分04秒皆さま第2回世界遺産講演会が開催されるようです。
講演者は 金関 恕 氏(かなせきひろし)で現在、氏は、大阪府立弥生文化博物館館長及びユネスコ・アジア文化センター文化遺産保護協力事業所所長をなさっている模様。演題は「世界遺産を語る」で、日時などは以下の通り。
日時 平成14年1月13日(日)
午後1時?(受付) 午後2時?(開演)
会場 毛越寺レストハウス入場は無料とのことだが整理券が必要で
申込方法は、FAX、電子メールで、OKとのこと。
「第2回世界遺産講演会」と明記、氏名、住所、年齢、電話番号を添えて平泉町教育委員会事務局までお申し込めば県外の人物でも入場可能。詳しくは平泉町のHP参照のこと。
http://www.town.hiraizumi.iwate.jp/scripts/mgrqispi.dll?appname=hiraizumi&prgname=MakeHiraizumi
尚、問い合せ先は、以下の通り。
平泉町教育委員会事務局
〒029-4102 平泉町平泉字志羅山45-2
TEL 0191-46-5576(直通)
FAX 0191-46-2015
e‐mail kunihiro@town.hiraizumi.iwate.jp****************
金関 恕(かなせき ひろし)氏のプロフィール
大阪府立弥生文化博物館館長
1927年京都府出身。
1972年から京都大学教授。
考古学者で日本の弥生時代研究者の第一人者。
著書に、『古代史発掘4 稲作の始まり』(共編著)、
『弥生文化の研究』全10巻(共編著)、などがある。
****************是非、お時間のお有りの方は参加して、そのレポートなど、戴ければ幸いです。
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垣間見えるとこが良いんですね 投稿者:高飛び 投稿日: 1月 8日(火)22時33分43秒遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
しばらく忙しく訪問すらできいなような状況になりつつありますが、
今年は些少ながら私も何らかの行動に出たいものだと考えておりますことはお断りしておきます。その意味で、菊地さんの匿名反対発言は、謝りを入れられてはおりますが、耳どころか(目ですか?)心までも痛いことと感じ入りました。その意味でも時に厳しい発言をしたと考えるときは、自分のアドレスを入れているつもりなのですが・・・。
しかし、私は匿名性を確保できることが、この新しいコミュニケーション・ツールとしてのサイバー空間の特性であり、且つ又そこがこの空間の強みとも成れるもの(同時に弱みにもなるものですが・・・)であることをご指摘させていただきます。声無き声と言うものは、本来そうして生まれてくるものであり、匿名性とは反対側にある現実の人間からは離れたもの、しがらみや私の利害からは容易に離れて発言ができるという特性もあるはずだということです。
もっとも「みんぺい」氏が御指摘のように、逆にしがらみや私の利害の垣間見えるような(間違いであるならば、御反論ください)本音も見えるものですね。・・・そこが面白いとこでしょ?「佐藤三兄弟」さん、私も管理人さんの御指摘のように貴方の御発言の根拠や理由が聞きたい。
少なくともこのサイトの以前からの書き込みを見ただけでも、発言が関東在住者だけのものでないことは御わかり頂けるはずであるし、地元民が今までの工事の結果に関しても、またこれからの工事の進行方向に関しても、もろ手を挙げての賛成でないことは御解りになるのではないでしょうか?
そして貴方の言う関東在住の私ですら、地元の人々がけっして一枚岩の工事推進派でない事も、また官庁主導の委員会ですら錯綜した議論のあることは、漏れ聞く所であります。ここでの議論が、けっして何でも反対の過激な自然保護急進主義的な議論でないことは、数ページの皆さんの書き込みを見ればお判りのとおりです。もしあなた方があくまでの工事推進を主張なさるのならば、「地元民はみんな・・・」とか「関東在住者は・・・」とかでなく、あなた方の本当の必要性を御発言になられたらいかがでしょうか?もしかしたら、前ページの発言の中には、あなた方の必要性からはもっと大きな解答が見つかるような、誰かのアイデアが埋もれているのではないでしょうか?
匿名であると言うことの長所は、自らの立場や発言に無為に拘泥する必要性すらないということもあるのでしょう。
反対発言はこのサイトの主催者のおっしゃるとおり、理性的かつ建設的であるならば、議論の活性化であり、大歓迎だと考えます。私は今年も皆様を通じて、新たな視点と視野が獲得できればと考えます。
本年も、よろしくお願いいたします。
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魅力的な「本音」 投稿者:みんぺい 投稿日: 1月 8日(火)17時05分34秒以前、「220交通渋滞の実態は?」を書き込みさせていただきました、みんぺいです。ご無沙汰しております。
「早く工事をしてほしい」との、佐藤三兄弟さまの「本音」、なんとも魅力的です。
渋滞をなくしたい、洪水を防ぎたい、ではなくて、「早く工事をしてほしい」。
なかなかのしたたか者?、単に口がすべっただけ?、といった感じです。
たいていの場合、工事が欲しい方々は、渋滞をなくすために必要だ、洪水から守らなければならない、などとあくまでも力説して、「本音」を隠すものだと思っていたのですが。
問題の核心を垣間見たような気がしました。--------------------------------------------------------------------------------
反対の声が顕在化する年に!! 投稿者:管理人 投稿日: 1月 7日(月)10時43分13秒皆さま
新年明けましておめでとうございます。
日本という国家規模で、この平泉バイパスというプロジェクトを考えた場合、
大いに考える余地が多いような気がします。
また真の意味で、地域の活性化を図るためには、これまでのようなまず道路を通して、
ハコモノを造る、といったやり方では、どうしようもないことは、各地での地域開発の失敗が
教えています。官主導ではなく、地元の人々の手作りのやり方、しかもそれが歴史に根ざした
ものでなければ、結局、なんで今さらこんなものを造ってしまったんだろう、ということになりかねません。その意味でも、佐藤三兄弟さま、地元の人に、反対者は皆無だ、と言った発言ではなく、どうしてバイパス
が必要なのか、分かり易くお教えいただけませんか。ただあなた様も承知であられるように「皆無」ではありませんね。
たとえ「反対」でも、そのように発言しづらい状況にあって、発言を控えている、ということが適切ではないでしょうか。
そのことは、検討委員会等の発言の場でも、賛成反対の意見が交錯している状況からも伺える事実であり、今年は
その意味で、反対される人々の姿が、顕在化してくる年になるのではないでしょうか。そのような年になることを心から祈念しながら、本サイトがより活発で健全で建設的な意見交換の場となるように努力したいと思います。
尚、冬の平泉、衣川の写真を以下に掲載していますのでご覧下さい。
古都平泉の新景観探訪5 冬
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/6455/36kei05.html--------------------------------------------------------------------------------
地元の意向 投稿者:Takahashi 投稿日: 1月 5日(土)15時35分07秒佐藤三兄弟さま、地元の方からのご発言とてもうれしいです。この掲示板には今まで地元の方々のご発言が少なくて、少々むなしさを感じていたところでした。
私は工事そのものに反対しているわけではありません。差し止めなどとはとんでもありません。おそらく、この掲示板への投稿者の方達もそうであると考えます。地元の方々の生活にとっても、歴史的景観の保存にもどちらにも利のあるやり方をしていただけたらと思っているのです。
かっての事例を見れば、公共事業が必ずしも地域住民の望む結果を生むとばかりは言えません。後にこんな筈ではなかったなどという事態になってからでは、もう取り返しがつきません。平泉の代償は膨大です。
本当に住民の方達の要望が反映された工事が、妥当な規模と価格で為されておりますでしょうか?
私達には工事の差し止めなどとの考えは毛頭ありません。
また、この事業の背後には膨大な金額としたたかな政治活動が蠢いていることでしょうし、それらの勢力が必死になれば、仮にもし地元民が反対したとしても工事を強行することさえするかも知れません。わが新潟県の刈羽村プルサーマル計画の事例のように。もしも工事がすすんでいないのであれば、何か他の要因が有るのではないでしょうか。
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本音 投稿者:佐藤三兄弟 投稿日: 1月 4日(金)23時56分57秒私は地元に住んでます。早く早く工事をしてほしいのに、関東など地元に住んでない人が、景観景観といって、工事を差し止めようとしています。せっかく工事を認めたのに、こうもダラダラを延期されるのはほんとに耐え難いです。地元で反対される方は皆無といってもいいでしょう。反対されているみなさん。どうか地元に住んでいる私たちのことを考えて意見を述べてください。どうぞよろしくおねがいします
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匿名の方々への謝罪と訂正を致します。 投稿者:菊地 投稿日:12月28日(金)13時44分40秒このホームページへの挑戦ととれる事を書いてしまいました。主催者様の書き込みをよく読みますと、?匿名でもokーという記載を見つけて唖然としています。
下品な言葉を使った上に、匿名の方々を愚弄するような事を言いまして、心からお詫び申し上げます。同時に後半部分の一切の消去をお願い致します。
本当に申し訳ありませんでした。
世界遺産登録指導委員会とはどういう組織ですか? 投稿者:Takahashi 投稿日:12月28日(金)13時43分41秒
菊地さん、このHPのあなたの写真集を見るたびに、私はささくれだった心をいつも和まされています。この景観を失わせないためには、いったいどうしたらよいのかといつも考えさせられます。
あなたのご意見に、私は基本的に賛成です。本来、議論とは公明正大に行うべきものと私も思います。しかし、HPの掲示板というメデイアの特性上、匿名なのはいたしかたないとも思われます。しかも、その特性ゆえに全国から広く多様性のある意見が集まるとも言えます。
また、匿名か実名かの議論は、このHPの本質からはずれてはいませんでしょうか。
この掲示版では、皆さんがよくぞ本音でまっとうなご意見を語って下さっていると私は感じています。
それよりも、むしろ、私は世界遺産登録指導委員会とはどういう方たちが中心になって組織され、どのような選考基準で委員が選出されているのかが知りたいです。以前、問題発言をした委員のことがこの掲示板の話題になりました。菊地さんが、この指導委員の面々に何か問題点があると思われるなら、そこをこの掲示板で明らかにしていただけたらと思います。そのオーガナイザーや選考方法や、委員の適性に問題があるのなら、そのような委員会は再編成を訴えるべきではないでしょうか。
菊地さん、ご存じのことがありましたらどうぞもっと詳しく教えて下さい。
いずれにせよ、地元の方たちに立ち上がって頂く必要があると思います。地元の方々はどのように考えておられるのでしょうか?多額の予算をつぎ込んだと思われる巨大な新高館橋が、北上川の氾濫時には結局は水につかり意味をなさず、しかも対岸住民の生活上支障を来す可能性が大きいことを、なぜ地元の方たちは声を大にして不満を訴えられないのでしょうか。バイパス堤防関連の事業では、おそらく今までも今後も多額の税金がつぎこまれることでしょうに。
そして、柳の御所資料館の半分近くのスペースが、発掘された資料ではなく北上川の治水工事関連の展示にさかれていましたが、これは何を意味しているのでしょうか。
他県の人間にはわからないことが多々あります。
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勇気が必要です。 投稿者:菊地 清 投稿日:12月27日(木)23時32分40秒-名誉の甘みはじつに強い、それをどんなものに結びつけても、死に結びつけても、人は名誉を愛する。それほどに強い。?パスカルの言葉です。
人間が愚かなのは何を隠そう貴方がたー社会的に絶対的で揺るぎ無いポストにいるエグゼくティブーが良く熟知しているはずです。その対極から言わせて頂きます。世界遺産、あるいは有形、無形文化財諸々あります。大事な事です。人の営みの証を目先の営利ではなく、後世に伝えようとする言わば、餓えと病と乗り越えた人間の義務です。
悲しい事にそれが、うまく機能してません。偏狭な人情と我欲が絡まった利害の関係です。指導委員会の皆様の平均年齢はいかほどでしょうか?七十才、、?良いでしょう。五十年前、日本が破壊された時、二十才であったはずです。それから、辛酸な努力を重ね、キャリアを積み、名誉を重んずる年齢になったのでしょう。
名誉を保つためには、信号が赤でも渡らねばなりません。世の中を渡るコツです。もう、パスカルの言葉を引用するのは止めましょう。陳腐です。
平泉文化の成り立ちを後世の考古学者がどう考えるのかお考え下さい。一関、衣川など平泉文化に関連のある地域に早急な保護が必要です。
おそらく、予算と消去法、そして名誉が貴方方の価値基準になっているのでしょう。愚かです。あまりに愚かです。
生活に不安のない安住にいる貴方方の視野が狭くて、国の文化はどう成り立つのでしょうか?
それから、このホームページに投稿する方々に、反論覚悟で苦言を呈します。
やはり、匿名ではいけません。それぞれの事情は分ります。しかし、自らの出自を明らかにしてからこそ、意見は成り立ちます。我々は意見を述べるとき、自らの責任を持たねばなりません。匿名はやはり姑息です。正々堂々と自らの氏名を名乗り、意見を述べるべきです。
私は匿名で意見を言う人は、すみません下品な言い方をしますが、クソであります。
わたしたちは、意味のある行為をこのホームページでしてるつもりです。匿名と言う行為によって、行政に翻弄される当局の次元と一緒にされては困ります。
わたしの意見が極端と言われる方もいらっしゃるでしょう。どうぞ、管理人様の仲裁を入れて議論、致しましょう。
まず、そこからなのだと思います。根のない花は色のない造花に過ぎません。
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世界遺産登録指導委員会の動向に注目しよう!! 投稿者:管理人 投稿日:12月27日(木)11時22分09秒平泉町は、世界遺産の核心地域(コア・ゾーン)と緩衝地域(バッファー・ゾーン)の区域指定を検討する「世界文化遺産登録指導委員会」を平成13年12月24日開催し、柳の御所と無量光院一帯を視察後、意見交換をした模様である。これにより、平泉町は、核心と緩衝の両地域の区域指定を、年度内(来年4月頃?)には、決定する意向のようである。
尚、同委員会のメンバーは、牛川喜幸京都橘女子大文学部教授、岡田茂弘東北歴史博物館館長、小野正敏国立歴史民族博物館助教授、河原純之川村学園女子大教授、工藤雅樹福島大行政社会学部教授、佐藤信東京大学文学部教授、西村幸夫同大大学院教授の7名である。
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このあとは・・・ 投稿者:高飛び 投稿日:12月17日(月)21時01分24秒平泉の町の広報などでも、この高舘問題は盛んに紹介され始めたようですね。
もちろんここで議論されているような幅の広い議論ではなく、あくまで建設省もとえ国土交通省主導の議論が、いかに良い物であり、かつ町は広く意見を求めつつ幅の広い見地から検討を進めているのかというような玉虫色基調を町民に喧伝すると言うスタンスらしいですが・・・。考えるに、こういうことが本格化したということは、かの地の建設が本格化するということの現れでしょう。北上川下流の一ノ関地区の堤防建設は一段落を迎えており、予算は本格的に平泉地区へと投下されるようです。
ここで繰り広げられている議論が、どのような影響を及ぼすことができるのかの正念場が近づいていると言えるでしょう。
その意味で、もっと活発に議論を繰り広げるだけでなく、何らかの合意や行動も必要な時期なのかもしれません。私はそう考えます。
その意味で私には、かわむこうさんや佐藤さんの議論を歴史的に補強するのが前川さんのお話のように読めました。 いかがでしょうか?
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前川さんのご意見の趣旨について 投稿者:管理人 投稿日:12月16日(日)16時04分05秒前川さん
どうもありがとうございます。大変重要なご提案も含まれておりますので、管理人として簡単に内容を分解させていただきます。
________________________@平泉の都市範囲
かつての都市平泉は。おおむね現在の平泉町域とさほど変わらない範囲にあったと推測される。
都市平泉は、初代清衡が理想とした仏国土・奥州の政治的拠点として造営された。それは中尊寺供養願文に表現されている浄土世界の具現化を目指した都市である。
A都市平泉造営のコンセプトは「浄土世界」の形成にあった!!
現在、岩手県や平泉町は「浄土庭園のまち」と銘打った街造りや世界文化遺産登録を目指している。確かに平泉には毛越寺の優雅な庭園跡、観自在王院、無量光院などの浄土式庭園(史跡指定)がある。
「しかし毛越寺の庭園以外は、観自在王院、無量光院ともに往時のイメージはまるでない。観自在王院は、単なる公園となっている。無量光院に至っては、田野となって、民家の脇をくぐって行かねばならず、また跡をかすめて東北線が走っている。」(管理人書きこみ)「浄土庭園」とは、仏堂と一体となって仏の浄土を荘厳するために仏堂前面に準備された園池を指す。清衡以降三代の造営者の理念は、浄土を平泉という都市に現出することにあった。浄土を表現する装置としては、仏堂と園池と自然景観を三位一体として形成された。したがって都市平泉は、全体として「浄土」を形成していることに特徴があり、この「浄土景観」を最大に生かすような町造りをして世界遺産登録に向けたアピールすべき。
B浄土としての北上川西岸浄土景観を形成する(借景)装置としての金鶏山、経塚、そして金色堂!!
柳之御所跡の真西に金鶏山がある。頂上には経塚が設営されている。柳之御所跡から見れば彼岸の中日にはこの金鶏山の頂上に太陽が沈む構図となる。経塚は弥勒浄土を願った施設である。冬至には、中尊寺方向・金色堂付近に太陽が沈む。柳之御所跡からみると、一年中太陽は平泉丘陵に沈む計算になる。「西方浄土」の思想がここにある。そして平泉丘陵には点々と経塚が営まれている。この丘陵を背景に浄土庭園が造営されるのである。藤原氏は、平泉を仏国土・奥州の中心拠点として「浄土世界」に形成した。
C彼岸としての西岸、この世(此岸)としての東岸
平泉中心区(柳之御所跡などがある台地)を浄土世界とみる「彼岸」であるなら、「かの岸」に対する「この岸」つまり「此岸」は、北上川対岸地区にもとめられる。太陽が昇る方向である北上川をはさんで「彼岸」と「此岸」が存在し、北上川はさしずめ「三途の川」であろうか。
「あの世」と「この世」が太陽や月の道筋によって一つの宇宙を形成しているのである。平泉全体(平泉中心区と長島区)が一つの宇宙空間なのである。実際、氾濫源とされてきた東岸地域に今年度の調査で平泉時代の遺構や遺物が検出されている。
D高館を柳の御所と一体で史跡登録を!!
「浄土」というからには浄土を体現できる装置としての自然景観が重要な要素となる。_______________________________問題なのは、これら自然景観が見るも無惨に破壊されようとしていること。金鶏山裏の温泉付き分譲地は、柳之御所跡から金鶏山頂上に沈む夕日を「西方浄土」とみた景観を台無しにする。現在建設中の堤防兼バイパスは平泉から北上川や太陽が昇る方向を遮断する。
平泉から北上川や対岸が見える場所はただ一つ。高館である。堤防兼バイパスが現状不可避なら高館を活用せざるをえない。高館からの眺めは、平泉を代表するものである。また高館は柳の御所の軍事施設と考えられることから、柳の御所と一体として史跡登録をし、整備においては柳の御所を上から眺める展望台の役目を担わせてはどうか?
前川さん以上で間違いございませんでしょうか。もしご指摘があれば書き込みください。
以上、皆様前川さんのお話にご意見など、短くてけっこうですので、ご意見等どうぞお寄せください。
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平泉のグランドデザイン 投稿者:前川 投稿日:12月13日(木)13時01分05秒私がいま考えている平泉像からグランドデザインを提示したいと思います。
私は、いま問題にされている北上川西岸と東岸を含めて都市平泉に包含されると考えています。大きくいうと、現在の平泉町域とさほど変わらない範囲が都市平泉ではなかろうかと思っています。北上川西・東岸は、近世以降西磐井郡、東磐井郡として隔てられ、東の旧長島村が平泉に合併されたのは、昭和30年のことです。北上川の流れの変化で土地が西・東どちらに帰属するのかという谷起論争が起こったりしていた両者の間柄では今も残る確執があるらしいのは伺っております。
さて、都市は造営当初の理想世界と、現実の実体とは異なるものです。特に年月を経るにつれ、膨張や拡張を繰り返し、破滅することもある生き物です。私は、初代清衡が理想とした仏国土・奥州の拠点としての平泉を、浄土世界の具現化と考えます。少々長いですがお付き合いください。コンセプト:「浄土世界」
平泉は「浄土庭園のまち」と銘打ってまちつくりや世界文化遺産登録を目指すという。確かに平泉には毛越寺の優雅な庭園跡、観自在王院、無量光院などといった浄土式庭園が史跡に指定されている。「浄土庭園」とは、仏堂と一体となって仏の浄土を荘厳するために仏堂前面に準備された園池を指す。無量光院は、「仏堂と園池と自然景観の三者関係を明確に関連あるものとして最大限に表現した」(本中眞氏)と評価されている。すなわち仏堂と前面の園池のみでなく、それらの背景である景観が浄土という空間を演出しているのである。いま「景観」を造営者の理念を表現する装置ととらえ、浄土を表現する装置を「浄土景観」とするならば、平泉は平泉全体が「浄土景観」である。
1,西岸について平泉の中心拠点であった柳之御所跡の真西に甘南備山とみまごう金鶏山がある。頂上には経塚が設営されている。柳之御所跡から彼岸の中日にはこの金鶏山の頂上に太陽が沈む構図となる。経塚は弥勒浄土を願った施設である。冬至には、中尊寺方向・金色堂付近に太陽が沈む。夏至には毛越寺方向に太陽は沈む。柳之御所跡からみると、一年中太陽は平泉丘陵に沈む計算になる。「西方浄土」の思想がここにある。そして平泉丘陵には点々と経塚が営まれている。この丘陵を背景に浄土庭園が造営されるのである。藤原氏は、平泉を仏国土・奥州の中心拠点として「浄土世界」に創り上げたのである。2,東岸について太陽が沈む方向に対し、登る方向(東岸)もまた重要である。太陽の光は古来聖なる光として尊重されてきた。太陽の光がさす道筋は清浄と意識されてきたのだ。特に冬至は一年の始まりと考えられてきたこともあり、その日に太陽が沈む金色堂に対し、冬至の日の出が差す方向はまさしく金色堂。平泉の町中で金色堂を唯一見ることが可能な柳之御所で、冬至の日の朝日をうけて燦然と輝く金色堂は、柳之御所の主にとり、父祖に対して平泉の継承者としての意志確認と宣誓をする重要な装置ではなかったのだろうか?また平泉中心区(柳之御所跡などがある台地)を浄土世界とみる「彼岸」であるなら、「かの岸」に対する「この岸」つまり「此岸」は、北上川対岸地区にもとめられるだろう。太陽が昇る方向である。北上川をはさんで「彼岸」と「此岸」が存在し、北上川はさしずめ「三途の川」であろうか。「あの世」と「この世」が太陽や月の道筋によって一つの宇宙を形成しているのである。平泉全体(平泉中心区と長島区)が一つの宇宙空間なのである。実際、氾濫源とされてきた東岸地域に今年度の調査で平泉時代の遺構や遺物が検出されている。
3,高館の活用性浄土というからには浄土を体現できる装置としての自然景観が重要な要素となる。現在の平泉で問題なのは、これら自然景観が見るも無惨に破壊されようとしていることだ。金鶏山裏の温泉付き分譲地は、柳之御所跡から金鶏山頂上に沈む夕日を「西方浄土」とみた景観を台無しにする。現在建設中の堤防兼バイパスは平泉から北上川や太陽が昇る方向を遮断する。平泉から北上川や対岸が見える場所はただ一つ。高館である。堤防兼バイパスが現状不可避なら高館を活用せざるをえない。高館からの眺めは、平泉を代表するものである。また高館は柳の御所の軍事施設と考えられることから、柳の御所と一体として史跡登録をし、整備においては柳の御所を上から眺める展望台の役目を担わせてはどうであろうか?
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都市平泉の構造について/北上川東岸と西岸 投稿者:管理人 投稿日:12月11日(火)10時38分14秒皆さまご意見ありがとうございます。
ここでいったん問題を整理してみたいと思います。
まず高飛びさんの書き込みで「新高館橋」の開通によって、北上川両岸に住む人々の生活が寸断されることに懸念が表明されました。「川の向こうから」さんの投稿も同じような趣旨であったと思います。やはり旧高館橋が壊され、新高館橋ひとつが橋として、否応なしにバイパス的?に機能した場合、実際その両岸に住む人々の生活は、とても危険な状態になってしまうことは避けられません。
子供たちの通勤通学、お年寄りの問題、農作業のトラクターなどが通る時には、その地元でも危険性が指摘されているようですね。これまでどうしても高館からの景観という視点が強調され、いささか北上川東岸からの視点は、弱かったように思われます。考えて見れば、束稲山の麓から栗駒山が大きく羽を拡げたように見えますが、あのパノラマは、絶景です。個人的な話ですが、一度その景色に見とれて、車をしばし止めて見入ったことがあります。
あの周辺は、古地図などによれば、元々武家屋敷が並んでいたとされ、きっと奥州に平泉ありと言われた次代には、名だたる武将達の家が軒を連ねていたのでしょうか。そうするとかつて平泉に住む人々の中心は、あの北上川東岸にあったことになり、それに対して、北上川西岸地域は、中尊寺、毛越寺、無量光院、観自在院などが悠然として立ち並び、その周辺に政庁として柳の御所や首相官邸とも言える伽羅御所など、為政者藤原氏の公的な建物が建ち並ぶような地域だったのでしょうか。そのように考えると、北上川西岸は、都市平泉の聖域であると同時に政庁の性格を有した地域であり、この周囲を修景、復元するなどすることによって、奥州平泉文化の全貌が、初めて明らかなものになるのではないでしょうか。このことは、世界遺産に平泉が登録されることになるときには、極めて大切なことになると思われます。
現在この辺りの詳しい解明が為されないままに、平泉バイパス工事が急がれ、平泉駅から観光のためと称して、歴史的な景観とはかけ離れた真っ直ぐな道路が、毛越寺方向に延びるなど、極めて曖昧な形で、新たな平泉の景観が造られようとしています。これで良いわけがありません。この辺りは、平泉町の名誉町民で平泉研究の先駆者でおられる藤島亥治郎東大名誉教授もはっきりと懸念を表明されている通りです。
この辺りのことを、都市平泉の構造を研究しておられる前川さんに、柳の御所発掘の考古学的な成果を踏まえて、教えていただきたいと思います。できましたら、北上川東岸と西岸の違いや、それが平泉の千年の都市計画(グランドデザイン)にどう反映されるべきか、述べていただければ幸いです。
その上で、新高館橋を迂回させて、西行さんの名を冠した街道にするという北上川東岸のイメージについて、皆さんで話し合っていただきたいと思います。
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地元の人の投稿がない理由 投稿者:おとみ 投稿日:12月10日(月)21時23分26秒1.そもそもインターネット環境を保有している人が少ない
2.持っていたとしても、このHPの存在を知らない
3.持っていたとしても、景観問題を考えていない。
4.書き込む勇気がない。
5.地元にいない人の無責任な戯言と思っている。
6.地元の工事関係者なので口を出すべきではない。
7.国のやることに口を出すべきではない。だとおもいます。
特に「1?3」の理由が占める割合多いです。
インターネット環境を持っていて、且つ景観問題を考え、わざわざインターネットで検索し、書き込む勇気のある、地元の人の人口が少ないということを忘れないで下さい。もと地元の隣隣町の農村部に在住していたものより。
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やはり、それしかないか 投稿者:高飛び 投稿日:12月 6日(木)15時45分00秒かわむこうさん、佐藤さん、私もあなた方の見方に賛成です。
まず私が先週ここに書き込ませていただいた悲観論は、どうしてもあそこを生活圏に使わなければならない人間、それも車を使えない人間を視野に入れているとは考えられないから書き始めたわけです。実は私仕事のついでにまた行きまして、これまたひょんな都合から町の人と話をしての感想だったわけです。それにかわむこうさんもおっしゃっていますが、束しね山、正確にはその手前にある大の字の書いてある山の展望台から見ると、新高舘橋は本当に異様です。そこだけ縮尺が違うような感じさえ受けます。地元のお年よりは言っていました。
「こんな立派なものは、もったいない」
よく考えると、それは田舎の老人の、奥ゆかしい皮肉かもしれません。
しかもその老人は続けます。
「水つくからって新しいおっきな橋をこさえるって話だったんだが、この橋も水つくんだってな。頭の良い人たちの考え出ることは、解らんなあ」〔正確には、もっとなまっています〕
しかし、そんな橋でも壊すことはできないですよね。
そうして書き込んだのが、先週の代替案でした。
しかし佐藤さんのようにそれが積極的な意味をもつものとは、私は考えていなかったのです。佐藤さんの意見を呼んで、少しこの案もっといろんな人に言いふらせるのかな、などと感じ始めています。管理人さんの言うように、基本的に「バイパス」とはその地域の混雑を緩和するために、その地域に流入する交通量を迂回させてやるものですよね。
しかし、「平泉バイパス」の場合は、その発想を転換すべきだということですね。
【 新しい町を作る 】
この発想は、私には非常に魅力的です。 もしもこういうことが実際にできれば、旧市街に埋蔵されているのであろう、高舘から中尊寺、無量光院、毛つう寺そしてその周辺地域の解明が、一気に進む端緒になるのではないでしょうか。その代わりに、新しい市街地を北上川東岸の束稲山ろくに展開する。この前にはもちろんその地域の歴史的再評価、具体的には埋蔵遺産調査が必要でしょうね。しかし景観保護という意味では、実は高舘からの景観保護というこのHPの主旨には、対立するものかもしれませんが・・・。それと私が同じように気にしていたのは、この案の持つ、政治的な意味です。歴史的に川をはさんだ地域が対立している所は、ごまんとあります。この案は旧市街地(あるいは観光地)が東岸に変わるわけですから、どうなんだろう。
と、ここまで快適がつきましたが、佐藤さんはこういう主旨ではないのでしょうか・・・。いずれにせよ、何か動かなければ、どんな現状も変わらないわけですから、
私はこの案がいいと思います。
その案がいけるということであれば、地元も政治も動くんじゃないかな。
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役割は大きいぞ 投稿者:宮城 投稿日:12月 5日(水)21時52分51秒
この掲示板には町の人が投稿していないということでびっくりしています。
でも、多分読んでいる方はいると思います。そんな町の方がこの掲示板を見て
「結局通り過ぎていく通行人」「見物人」の戯言くらいにしか思わないでしょう
か。そんなことはないと思います。気にはしてるんだと思います。だから、呼び
かけは必要だと思います。
書き込みで熱くなることはありますが、多分ここに投稿する人のほとんどは町や
町の方を批判するつもりではないはずです。
高館景観検討委員会の詳しいこと公開されていないのが残念ですけど、高館下の
風景を「ただの河川敷」だなんて発言した委員さんにはショックを受けました。
私も結局よそ者ですけど、「ただの河川敷」発言した委員さんよりは、平泉に愛
着を持っているつもりです。
私は堤防も道路も必要だと思いますが、平泉では風景との調和が大事なんだと思
います。不自然=不必要というような考え方じゃなく、両立できるアイデアはあ
ると思うんです。できれば、平泉のすてきな風景を100年後まで残せたらいい
と思います。このHPが果たす役割は大きいと思います。がんばって下さい。
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飛弾の智慧に学ぶ 投稿者:管理人 投稿日:12月 5日(水)13時56分30秒
皆さま、貴重な御発言ありがとうございます。
徐々に皆さまの御発言により、掲示板も活性化して参りました。
あとは本当に地元の皆さまの御発言が是非とも必要です。
匿名にて大丈夫ですので、持論をご披露ください。高飛びさんの発言、とても胸を痛めながら拝読いたしました。本来街が活性化するために道は開かれるべきものだと思いますが、現在進行している平泉バイパスは、そうではなく、4号線の混雑を緩和し、迂回するための道路、もっと言えば、はやく平泉を通過させるための道路に他なりません。そこで道の駅のような「ハコモノ」を根拠なく造った所で、人はそのような所には流れません。どうしたら平泉の町が活性化し、平泉にかつて栄えた街並みが復活するのか。それには、歴史というものを踏まえて、考えなければなりません。世界遺産登録のノミネートは、改めて安易に構想され過ぎた「バイパス」構想に、それでは「世界遺産なんかになりませんよ」という警鐘を鳴らされたようなものです。そこでやはり我々平泉をこころから愛する者たちは、歴史家や旅人の声に素直に耳を傾けることが必要なのではないでしょうか。「灯台もと暗し」と申しますが、平泉にお住まいの人々は、ご自分たちが、いかに稀少な世界遺産にノミネートされるほどの地域に居ることを認識していないのかもしれません。どうしたら過疎化の進む町に、全国から人が集まるかと言えば、世界遺産に登録された地域というブランドによって、集まってくるのではありません。それでは本末転倒です。
考えて見れば、飛弾の合掌造りの家々が世界遺産になりましたが、30年前であれば、どうでしょうか。こんな住みにくい家は時代遅れだ、などと言っていた話があったと聞きました。しかしその家の稀少性に着目した人が居て、「とんでもない。あれは日本文化の粋であり、文化的価値のあるものだから、遺そう」と決めた過程があった訳です。今は、そこに全国から人が溢れるように訪れるようになりました。
高館も同じです。ある人はそこを日本中何処にでもある「ただの河川」と見るようですが、同じ場所に立って、300年前、俳聖とまで言われる松尾芭蕉は、感嘆しつつ「夏草や」と絶句した。この違いはなんでしょう。単なる美意識のちがいなのでしょうか。生活者と旅人の違いなのでしょうか。
私は「ただの河川敷」と言うことは、せっかく芭蕉という世界的な芸術家にお墨付きをもらったような「高館の景観」を根本から潰してしまうような行為だと、率直に思います。芭蕉は旅人です。ほんの数時間しか、平泉には居ませんでした。きっと高館には、30分か40分ほどしか居なかったはずです。でも芭蕉は直感したのです。この景色は紛れもない奥州の文化のエッセンス(本質)が存在するのだと。
Takahashiさんはおっしゃっていますね。
「高館からの眺めを見たときの気持ちは何とも言えません。またひとつ、日本の美が失われたと感じました。心が重く沈んでいくのでした。ああ、もうすでに遅かったと思わずカメラを下ろしました。脱力し重苦しい気分のまま階段を下り、中尊寺へと向かいました。」と。
皆さま、高館からの景観は、本当に貴重な景色です。Takahashiさんが言うように「日本の美」そのものかもしれません。そのような大切なものを遺さずしていったい何を未来の人々に託すのでしょうか。皆さまの御発言をお持ち申し上げます。菊地さん、ヨルダン川と衣川の話、楽しみにしております。衣川は、古歌にも多く詠まれた「歌枕」ですよね。菊地の写真の下に衣川と衣の関の歌を45首ばかり拾遺致しましたので、皆さまどうぞお読み下さい。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/6455/takadati_photo11.htmlみなみこうさん
手厳しいご指摘ありがとうございます。今後ともその切り口で書き込みください。その厳しさも平泉を愛すればこその発言と読ましていただきました。川の向こうからさん
ご指摘ごもっともです。束稲山の側からの視点が欠けていたかと思います。これまではどうしてもバイパスの関係で、文化景観としての束稲山からのバイパスの景色が弱かったと思います。その点佐藤さんが自身のグランドデザイン論を展開し、西行の名に因んだ街道名を付けて、素通りの道ではなく、西行縁の地を訪ねる為の束稲山直下の街道構想を打ち出されましたが、これについてどうでしょう。ご意見などあれば、おきかせください。
みやびさん。
京都弁での書き込みありがとうございます。じんときました。今後ともどうぞ宜しく御願いします。
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「ただの河川敷」の歌 投稿者:佐藤 投稿日:12月 5日(水)12時53分33秒みやびさんの文にあった「ただの河川敷」発言は、ちょっとひどいですね。
それで歌を詠みました。「夏草や」と芭蕉が詠みし辺りをば「ただの河川敷」とは何抜かしける
美意識は人それぞれに違ふれど「河川敷」とは余りにひどき
ある人の「河川敷」なる発言に腰はくだけて悲しくもなる
日光の杉の並木も街道も世界遺産になり得ぬ意味問ふ
素通りを意味する言葉「バイパス」の悲しき響き脳裏離れず
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「ただの河川敷」発言へ 投稿者:みやび 投稿日:12月 5日(水)09時44分21秒この掲示板で、高観環境検討委員会の席上、高観の景観を「ただの河川敷」と言い放った委員がいたと知りました。そんなことをいってしまったら、京都の嵐山かてただの田舎の河川敷です。渡月橋という欄干をもつ橋がかかっているだけ。大原の里も田舎の風景でしかない。せやけど、そんなことゆうたら、京都の人間は怒ります。なんで平泉の人は怒らないのでしょうか?ましてや、高観の景観を、どうするかという委員会の席上で、検討以前の意見を述べるなんて信じられません。
風景は、見る人々の関心で、どうとでもとれるものです。嵐山かて京都になかったら、ただの河川敷でしょう。バイパスかて通るかもしれません。京都の町中は混むさかい。特に観光シーズンなんかは。北山に向かう道路ができてもおかしくはない。嵐山が古来名勝で、その奥には嵯峨野、高雄、そして北山杉で有名な北山の集落がある、名勝史跡や文化人が愛したという事実が嵐山を「ただの河川敷」にしてへんのです。平泉はどうでしょう。高館からの眺めは文化的景観ではないのでしょうか?平泉随一の景勝地という看板は偽物ですか?わざわざ拝観料を取るのですか?平泉の人はどうおもたはりますか?
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平泉のネームバリュー 投稿者:みなみこう 投稿日:12月 4日(火)21時40分08秒はじめまして、先週友人のすすめがあって平泉に行ってきました。率直に言って平泉はそのネームバリューに甘えていると思いました。だからいつまでも一流の観光地になれないと思います。町の人と話をして感じた事なんですけど、県とか町とかのお役所も平泉の名前にタカっているだけだと思いました。現実を見てみると中尊寺や毛越寺は、それなりにきれいにして、やっぱり観光地ですけど、町や町の人には生き生きしたお客様をお迎えするような感じが全くありませんでした。ただの東北の田舎町でした。高館のことも、「しかたないんだ」とか言って、私が勉強不足なのかもしれませんが、それを差し引いてもひどいと思いました。多分町の人はここが観光地だという自覚がそんなにないのだと思いました。観光パンフとか、標示はそれなりでも、商店の様子をみるととてもお話になりません。観光客とか皆さんの生活に関係ないんですよねきっと。どこかと較べてという以前の問題なんじゃあないでしょうか。
そういうひなびた感じがいいんだと、平泉ファンの皆さんはいうかもしれませんけど。それにこのHP読んでいて感じたのは、町の人はあんまり(というか全く)発言していませんよね。匿名の掲示板でこのありさま。町の人はものすごく関心が低いんだと思います。多分すっごい田舎性があって村意識が強いのかもしれません。よそ者は勝手なこといって、いつかいなくなるとたかをくくっているのかもしれません。あるいは、言いたい事があっても自由に言えない、誰かに詮索されるかもしれないとおびえて、だから一流の観光地にもなれない、自分の土地の遺産の大切さにも気づかない、気づいても怖くて言えない。あるいは基本的に関心が低いのかもしれませんよね。高館の景観なんて、ここ何年も見てないんでしょうね。
私はそんな町が世界遺産になれるとは思いませんし、多分登録されても迷惑なのは町の人たちなのではないでしょうか。
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完成予想図を見て? 私のグランドデザイン 投稿者:佐藤 投稿日:12月 4日(火)21時10分37秒私の感覚では、バイパスという意味は、素通りの為の無味乾燥な道を指す。文化都市、ましてやこれから世界遺産ともなろうという平泉が、そのような安易なものを義経公終焉の地にして芭蕉翁縁の地高館を串刺しするような格好で通って良いはずはない。高館を崩壊から守り、かつ景観を配慮したものでなければ、平泉の世界遺産の文化的価値が半減する。そこで起こることは、より狭い限定された範囲での日光方式?のような世界遺産登録しかあり得ないことを、まず一点確認しておきたい。
その上で今こそ、奥州文化を愛する人々は、知恵を絞り出す必要がある。私の案(グランドデザイン)は、当初から述べていることだが、再度説明しておきたい。大きく言えば、文化的景観を構築するためのアイデアは、芭蕉縁の高館直下と西行縁の束稲山の麓の田園を修景する二点からなる。
まず芭蕉高館直下を自然工法によって補強し、現在の四号線を方から、なだらかな傾斜の自然堤防を設けて、雨が降った時には、遊水池になるような水草が生い茂るブッシュ地帯を形成する。少しの時間が経過すれば、そこは水鳥達が憩う場所になるはずである。言うならば、高館の前にサンクチュアリー(鳥獣の保護区)が出現する。水鳥たちが様々な木々や草を運んで来て、素晴らしい景色となるであろう。そこを芭蕉に因んで「つわものの池」「蕉風の池」とかにする。またこの名称については、全国に公募するということもあって良い。
次に、西行のイメージを持って、現在までの工事を無駄にしない方法を志向する。すなわち新高館橋を経由して、これをバイパスを迂回させる道を造る。はっきり言わせてもらえば、現在の平泉バイパスは、「いかにして平泉を早く素通りできるか」ということに重きを置いたバイパス計画である。これでは多くの人が指摘するように素通りの道を造っているだけで、文化都市平泉には、少しのメリットもない。いやそれどころかせっかく備わっている世界遺産にもなり得る文化景観を破壊する以外の何ものでもない。
私のアイデアは、造ってしまったバイパスを一部利用しながら、平泉に本来あった桜の山としての束稲山を桜の名所として復活することを意図している。そこで西行さんに登場いただく。かつては束稲山の下を北上川が流れており、その名称は「桜川」と呼ばれていたことは周知の事実である。現在は、束稲山から見ると、誰かも指摘していたが、新高館橋は、大きな白い傷痕のように見えるが、この橋と道路の景観を少し工夫し、沿道には桜を植え、ここから旧北上川が流れていた跡を辿るように、箱石橋の方向に道が進むようにしてはどうだろう。そして箱石の先当たりで、4号線に合流させる。同時に現在痛んでいる束稲山に、山桜を移植運動して、西行が「聞きもせじ束稲山の桜花・・・」と感嘆したかつての隆盛を復活させる一大桜山運動を展開する。
ここに新たな、しかし実は古き良き平泉の名所が誕生するであろう。そしてこの道を「西行桜道通り」「西行桜川通り」「西行通り」という名称を冠したらどうであろう。もちろんこれは全国公募すべきかもしれない。
バイパスとは、素通りのための無味乾燥な道路のことである。それに対して、この束稲山の麓の街道は、平泉の最高の景観である束稲山から眺望を見るために、人々の足を止めさせ、そこに新たな新町の可能性も浮かび上がる構想であると思う。そして結局このことで、かつての平泉の華やかさを復活させるものとなるであろう。だからバイパスという発想を超えて、西行桜川通りを通って、帰ろうというまでにある景観を出現するくらいの気概が欲しいと思う。
もしもこのような方向ができれば、文化的評価が高まって、平泉地域を中心とした壮大な世界遺産都市が開かれるかもしれないのだ。元々早く平泉を通過したい人は、高速道路を通れば良いのだし、平泉区間については、文化都市景観保全のための優遇制度のようなシステムを設けることだって、知恵を絞ればできるかもしれない。
以上非常に一方的な形で書きまして、ふざけるなと思った方もおるでしょうが、真剣に考えてみてください。今のままでは平泉という歴史的都市は死んでしまう可能性大です。
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ヨルダンと衣川 1 投稿者:菊地清 投稿日:12月 4日(火)21時01分06秒また、馬鹿な話をと思う方、ちょっと我慢して付き合って下さい。一度でも平泉を訪れた人に衣川の名前を知らない人百年八前の衣川は、中東の火薬庫を流れるヨルダン川であったと云う一見途方もない話です、、。その1
はいません。川幅数メートルの牧歌的な小川と云ってしまえる川です。世界に名だたるあのヨルダン川もそうなのです。広い所で数十メートルでしょうか。名前ほどにちんけな川です。ちんけですが、悲しい川です。この濁った流れがどれほどの人命を吸い込み、大きな不幸をもたらしたのか計り知れません。
言うまでもなく、現在も民族の争い故の悲劇がヨルダン川をめぐって繰り返されています。アラブとユダヤの民の熾烈な争いです。
八百年前の衣川も今のヨルダン川と同じだったと言ったら、四方八方から凄まじい反論が返って来そうです。
独断で語ります。
色々調べますと、ネイティブジャパニーズとフロンティアジャパニーズの言わば熱い接点、衣川はそんな感じです。
衣川の北岸言わばノースバンクは北東北から北海道、そしてロシア沿海州等々の区域から搬入される物資で溢れ、取引のマーケットでした。ちょっと前の香港と思えば良いでしょう。
一方、衣川の南岸です。柳の御所を代表とする政庁、そして、千キロの道のりをものともせずに踏破してくる京の都の商人の支局のエリアであったと推測できます。代理人は毎日衣川を渡り七日市場、あるいは六日市場でネイティブジャパニーズの持ってきた商品、久慈の琥珀、アザラシの毛皮、秋鮭の燻製などをめぐって息の詰まるような駆け引きを繰り返していたのでしょう。
衣川マーケットの経済的規模は当時の平泉の絢爛たる都市国家を見れば自ずから推測できましょう。
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新高館橋 投稿者:川の向こうから 投稿日:12月 4日(火)20時58分47秒新高館橋、もうすぐ開通です。
すごい橋です。北上川の西側みるとそれほどでもないですけど、東側、束稲山側からみるとなかなか圧巻?天にかかる橋という感じ?
橋から田んぼまでの勾配も結構あって、自動車専用の橋というのが率直な感想。あの橋を、徒歩とか、自転車っていうのは、ちょっと怖いかも。地元のみんなも、出来あがってからびっくりってのが実情のよう。だれか写真で紹介してくれるといいんですけど、北上川東側の道路からみた平泉の風景は一変しました。遠く栗駒山の山並みがあって、手前に毛越寺の山や中尊寺の山のなだらかな稜線が重なるように見えていて、日が沈むときなんかすごくいい風景だったんですが、中国のどこかで見たような、人民勝利の象徴みたいな、大躍進みたいな、でっかい橋が眼前に立ちはだかって、そこだけ別の世界です。あんなに大きい橋がほんとにほしかったのかなあ。
今の高館橋をちょっと立派にするぐらいでも足りるのにね、どうせ洪水になったら水がついて使えなくなるのにね。お役所はいつも空まわりだね。
こんな橋でも、千年持つわけないから、将来架け替えのときはもっとおとなしめのものにしたほうがいいかもね。当分この不自然な風景を見つづけるのもちょっとやだけど。どっちにしても人のやったこと。
冬場はあぶなくて自転車や徒歩では渡りたくないのが本音です。車の事しか考えてないんだよね結局。平泉の町も誰も歩きたくないと思います。全然つまんないもん。
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問題は、やはり高舘直下だけではない 投稿者:高飛び 投稿日:12月 3日(月)15時05分28秒Takahashi氏御指摘のように、やはり問題は高舘直下の問題(樹林帯の破壊)だけでは無いように思われます。
何よりそこから眺める一面の水田地帯が、もはや完成してしまった「新高舘橋」によって、?その景観が寸断されていることが問題なのであり、地域住民に対しては、?それによって北上川両岸の住民の生活圏が寸断されていることが問題なのであり、?地元商店街の活性化には逆効果であろうというのが問題なのではないでしょうか。
地域的な生活圏の再構成によっては、??の二点は解決されるのでしょうが、何よりも問題なのはそれが地域住民が意図しているのかどうかということです。私が見るにこの点は、十分に怪しい。将来的な近隣自治体との合併が必然的になる事など、地元住民は視野に入っていないかのようだし、駅周辺の商店街住民にしても「新しいバイパス沿いにあちこちで見られるようになった『道の駅』なるものを建設することで、商店街の方々は新しい場所で活性化されますよ!」なんてことを言われているような疑いが、十二分にするなあ。
そこまで対象範囲を広げなければ、この問題も「工事の進展に伴って、一定の景観に配慮した」なんてことで終わりになるのでしょう?
地元の説明会でも、現在既定路線の変更までは話題にすら上らず、もっぱら現行の完成した(12月下旬には開通式らしい)「新高舘橋」から高舘直下を通り、その先これまた完成している衣川の堤防へと続くバイパス路線をどのように≪景観に配慮≫して通すかの話題ばかりだったようではないですか。実際、先月末辺りには、景観に配慮した工事とやらで、高舘から北上川対岸の河川拡幅工事の行われている場所へ、他の河川改修工事で不要になった≪柳の木≫がある程度の数植えられたようですね。こういうことから考えられる路線は、やはり高舘直下を通過する路線変更は無く、せいぜいが埋め戻し式のトンネル方式で上には植生でのごまかしと言う事でしょう。(私はそれすら危ういと危惧しますが・・・)その結果は、私の前記のとおりです。
商店街はさびれ、中尊寺・毛越寺前の駐車場に観光客はたむろし、「道の駅」が週末だけのドライブ客を集める。そんなところです。
高舘からの景観は、多摩川でも利根川でもなく、江戸川から荒川沿岸に広がる高速道路の迷路のようなものが広がるだけです。(周囲が周囲だけに、その近未来的な不気味さは一層でしょうが・・・)対岸の子供達は、どうやって毎日学校へ通学するのでしょうか?
バス路線のほとんど無い中を、対岸からの老人はどうやって日々の用事を済ませるのでしょう?今後そのことを視野に入れなければ、私はこの景観問題は解決しない、いやむしろ新たな問題を生じさせるだけだと指摘しておきます。
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旅人のたわごと 投稿者:Takahashi 投稿日:11月28日(水)12時04分56秒恐れながら、一旅人の率直な印象を述べさせていただきます。
高館の眺めが変貌する前にもう一度見てカメラにおさめておきたいと、10月末に岩手に行きました。
このHPの菊池氏の写真集を見てよく予習してから行くべきだったと、今とても悔やんでいます。平泉の町を歩いてみたく電車で駅に降り立ちました。駅前での率直な印象は、なんだかさびれているなでした。中尊寺や毛越寺などに直接車で行ったときの観光客の集まりようから、平泉駅前の寂れた感じは想像だにしませんでした。この差はいったいどういうことなのだろうと思いました。観光資源は町の活性化にはあまり貢献していないのだろうか。その反面、観光ビジネスにまだ毒されていないのだと、なんだか安心したりしました。
今脚光を浴びている柳の御所跡に行ってみました。発掘現場のわきに小屋のような建物があり、どうやら地元の方たちが集まって遺物の(?)説明会をしているようでした。ちょっとのぞいてみましたが、テレビカメラが回り人垣でほとんどなにも見えないので、すぐに出て発掘現場を見学しました。この下に無数のお宝が埋没しているのか思うと何だかわくわくしました。もったいぶらないでもっと見せて欲しい、早く全貌を明らかにして見せて欲しいと感じました。さっそくデジカメに現場をおさめました。
柳の御所資料館は思ったより小じんまりしていました。発掘品のごくごく一部のみ展示しているのみのようでした。800年前のかわらけの実物を手に取ってみました(触れてもよい展示品です)。手作りの、ややいびつなやさしい丸みを持った形、厚みのある白いなめらかな肌触りが心地よかったでした。この器に中世に生きた誰かも触れたのだ、私が感じたような肌触りをその誰かも味わったのかと思うと心が熱くなりました。もしかしたら、あの源義経が唇をふれたのかも知れない、などと勝手に想像してひとりで盛り上がっていました。
興味深かったのは、トイレ遺跡周囲より出土したという、トイレットペーパー代わりの木べらでした。とても固そうで本当に使えたのだろうか?再びかの源義経公も御使用されたのだろうかなどど、不謹慎な想像をしてしまいました。
柳の御所跡は、これからさらに発掘が進み、整備拡張されていくのでしょうか。発掘現場の脇の細い道を歩いていくと高館義経堂の近くに出ました。ここまでのどかな田舎道でした。
高館からの眺めを見たときの気持ちは何とも言えません。またひとつ、日本の美が失われたと感じました。心が重く沈んでいくのでした。ああ、もうすでに遅かったと思わずカメラを下ろしました。脱力し重苦しい気分のまま階段を下り、中尊寺へと向かいました。
以下は高館の現状に心乱された私のたわごとです。
議論を呼びそうな公共事業を興すとき、まず何か地域住民が喜びそうな工事計画を大々的に公表しておき、それに付加するようなかたちで先のような工事をおしすすめるのが、その筋の手管のひとつのように思えます。本来なら個別に行うべき工事計画をカモフラージュのために強引に連結するのです。住民にはバラ色の計画のみを強調し、それを実現するにはもうひとつの計画をも受け入れなければならないかのように錯覚させる、または無言の圧力をかけるのです。日本人の人情的な心理を利用しているのです。(我が街も同様な手段でいびつに変貌させられています。)
要するに、政治家たちは、自分たちの任期内に事業を達成し業績を残したい一心なのです。任期後に、将来に起こりうる事態など意に介せず、じっくり考慮したり専門家の意見などに耳を貸す気などさらさらないのでしょう。もちろん、その地の歴史的、文化的意義など知るよしもありません。限られた時間単位でしか物を考えず、己の権勢へのあくなき欲求を満たすのみです。こうやって日本国土の景観破壊、変貌は、未来への展望を持たない者達によって進んでいくのです。小泉総理の公共事業廃止案により道路公団も政府組織から切り離されようとしています。
平泉町のバイパス工事もあせってすすめずに先の見通しが明らかになるまで、時間をかけてもっともっと住民に良い方向に議論を戦わせていただければなどと、
予算の見通しが狂って、後には破壊された無惨な景観と工事中断により半端に放置された道路、堤防だけが残ったなどという事態にならないようにと願っております。
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完成予想図を見て? 投稿者:佐藤 投稿日:11月27日(火)16時55分26秒私はこのように思いました。
おそらく何も知らずにあの岩手日報11月23日の写真を見たならば、まさかあの場所が、俳聖松尾芭蕉が「夏草や・・」と絶句した高館の光景とは絶対に思わないであろうということです。きっと「利根川か多摩川べりに又新しい道路でも出来るのか?」という位の感想しか出ないでありましょう。高館とは、そもそも柳の御所と一体の歴史的旧蹟であります。しかし芭蕉が訪れた時も、そこには茫々と生い茂っている夏草しかなかったのです。しかし芭蕉は、その高館直下の湿地(遊水池)にこう直感しのです。「ここには何かある。目には見えないが何かある」と。それはまさに平泉文化そのものでした。我々はそのことを今こそ真剣に考えるべきではありますまいか。つまり「かつてそこにあった茫洋とした景観こそが、世界遺産になるべき文化的景観なのだ」と。ですから心ある人は堂々と主張すればいいと思うのです。「天才松尾芭蕉が、思いを込めて「夏草・・」と絶句した場所です」と。これは世界遺産委員会の委員であれば十分に分かっていただける話です。何故ならば、世界遺産登録基準(文化遺産)として、次のようにはっきりと明示されています。
1.人間の創造的才能を表す傑作であること
2.ある期間、あるいは世界のある文化圏において、建築物、技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に大きな影響を与えた人間的価値の交流を示していること
3.現存する、あるいはすでに消滅してしまった文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること
4.人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体、あるいは景観に関するすぐれた見本であること
5.ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類の伝統 的集落や土地利用の一例であること。特に抗しきれない歴史の流れによってその存続が危うくなっている場合
6.顕著で普遍的な価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、 芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連があること特にその「6」番を見ていただきたい。まさに「6」番は、高館の景観に該当する。高館の景観は、「義経記」と「おくの細道」という歴史的名作の文学作品と密接な関係にあることは否定しえない事実です。ですからもしもこの高館からの景観をバイパスという構造物で、たとえそれが堤防の役割を果たそうとも、完成した暁には、この基準から著しくはみ出すことになり、世界遺産登録の範囲は、おそらく日光方式すなわち、中尊寺の金色堂を中心とした範囲と、毛越寺の浄土庭園を中心としたふたつのエリアに限定化されてしまうことは、想像に難くありません。
この際せっかくなのですから、平泉文化というものを、もう少し奥州の古代から中世を形成する黄金文化として位置づけることによって、地域全体を活性化する文化の運動にすべきではないでしょうか。
また順番は逆であるが、「5」番の基準にも該当する可能性があります。何故ならば、高館は度重なる北上川の氾濫によって、次第に段丘は抉り採られていて、このままで行けば、高館そのものが消滅してしまう可能性がすらあるのですから。このことからも堤防が、是非とも必要なことはわかります。当初から私たちは、そのことには異を唱えておりません。ただし景観に配慮したものでなければ、世界遺産としての歴史的文化的価値は損なわれるということを主張したいのです。ですからそもそも、この堤防の形状と工法は、現在のようなバイパス一石二鳥のような安直なものではまずいと考えるのです。
悲観的です・・・が、それでも 投稿者:高飛び 投稿日:11月26日(月)19時42分14秒
検討委員会、やはりそうだったのかという内容のようですね。
以前ここにも書きましたが、最近の行政のやり方は、「何とか検討委員会」や「00意見を聞く会」などというようなものを組織し、結局は行政責任を曖昧にして、当初計画のようなものを、結局は、進めてしまう、というやり方が一般化しているのでしょうか。具体的に、原則的に、長期的に、というような、ただ今の一人一人の利害を抜きにした検討が、何故にできないのか、悲しいかぎりです。
現在あるようなバイパスは、平泉のどの町民に必要なのでしょうか。
私が見る平泉の商店街は、今都会の旧商店街が大規模店に客足を取られ空き店舗ばかりが目立つゴースト商店街になるのと同じように、バイパスの完成によってますますひなびた商店街になり、街の人々でさえ買い物は平泉を離れた大規模店ばかりという状況になるのは、ひを見るより明らかなのではないのでしょうか。駅や観光寺院のある場所から対岸の人々は、ますます平泉の町の商店街との一体感もなくなるでしょう(商店ばかりではないですね。町の役所関係でさえ車ならもっと近いところがあるはず・・・)。学生は、あの「近代化されたチョーモダンな橋」を渡って学校へ通うのでしょうか。(少々ふてくされて言えば、平泉という町は、もはや生活圏としての一体形成を捨てており、北の前沢や西の一ノ関との合併を視野に入れている・既定路線である・必然であるというべきなのでしょうか?)
水害対策?北上川周辺農地を遊水地化する以上(そして遊水地化された地域内に住んでいた人々を移住させた以上)、何故に大規模堤防が必要なのでしょうか?
まして、日本の将来の農業環境は厳しく、さらに水害のたびに対策費や保障が出るような状況にあって、どちらを取るの議論が何故先になく、大堤防建設が決定され、用地買収がなされ、さらにバイパス路線までが乗る形で、何故に、どうして建設は進められていくのでしょうか。
現行完成している路線を変えるということが、いかにむずかしい議論であろうと、議論が不明確だった経緯があり、責任が曖昧である以上、まずその議論があるべきではないでしょうか。
その上で現行建設を凍結するのか、原状回復までするのか、あるいは(どんな施設が必要かつ理想的なものなのかを含め)計画の大幅変更をするのかの議論が、繰り広げられるべきではないでしょうか。
私自身はこの夏の平泉行で見た景観を考えると、建設凍結やまして原状回復は難しいのではないかという感触を持ちました。となれば計画の大幅変更ですが、現状の完成したものを全く利用できないということであれば、それは政治的にも経済的にも難しいことになろうと考えます。現在あるものを少しだけ利用する形になるのでしょうが、バイパスを大きく東の北上川対岸に移すこと位しか私には考えられません(しかしこの案でも、景観の問題が十分にクリアできるわけではありません)。あるいは、もっと西の山中に移すか・・・(しかしこの案は、完成バイパスの路線を根底的に変えることになるでしょう)。いずれにせよどちらの案であれ、平泉の町の商店街や、町民全体の生活圏を劇的に変化させるでしょう。だからこそ世界遺産登録だけでなく、国立博物館誘致を含めた、さらには周辺自治体との関係性を視野に入れたデザインが必要であると考えます。でもそういう案は、錯綜した様々な利害関係人に反対され、まして急進的な自然保護派の賛成を得ることもなく、結局は既存の計画が優先し、今建設が凍結されている高舘の下だけがほんの少しだけ北上川対岸辺りに行くかあるいはドームをかけるとか木を植える!などの小手先の変更の末に、路線自体のその先はもうすでに完成している堤防の上へとバイパス路線は戻り、そして北の東北道へと連結されるような路線になるのでしょうね・・・。
そして「世界遺産」は寺院だけが登録され、寂れた町や商店街とは対照的に、駐車場と「新・門前町」だけが賑わいを見せるのです。
高舘から望む田園を行き交う人は無く、機械だけが荒涼と作業を続け、人は北や南の仕事場へとムゴンデクルマヲハシラセルヨウニナルノダ・・・コドモヤロウジンハ・・・リッパナドウロニケサレテユク・・・
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2回平泉・高館環境検討委員会で提示された完成予想図について 投稿者:管理人 投稿日:11月26日(月)17時44分51秒第2回平泉・高館環境検討委員会(委員長・篠原修東大工学部教授、17人)が11月22日平泉町役場で開催された。これは国土交通省岩手工事事務所が、工事の続行を目的として、現在内外で問題になっているバイパス完成後の景観に対する懸念の意見に配慮する形で、開催されているもので、今回で二回目に当たる。第一回は、本年の6月26日に開催されたのだが、その議事内容については、今もってその議事内容は公表されていない模様である。(もしもどなたか、その議事内容をご存じならご呈示いただきたい。)
今回は、各委員とオブザーバーとして、千葉平泉町長も参加され、まず交通省側から、完成時の千分の一の模型及び高館からの景観予想図も提示された模様である。詳しくは、以下の岩手日報の「平泉世界遺産への道」の中の11月23日のインデックスをクリックして、実際に目を通していただきたい。
http://www.iwate-np.co.jp/sekai/index.html
この写真ついて、皆さまの率直な感想をお聞かせ願いたい。
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様々な状況を考慮する議論を望む 投稿者:前川 投稿日:11月26日(月)11時45分56秒秋之川さんこんにちわ。ご質問、ありがとうございます。バイパスが必要か不要かといった二極論になった場合、見落とす点が多々あるということを指摘したかったのです。問題点は二つ。
一点=現在のルートが前提となっている。なぜ高館の下にバイパスを通すのか。一点=世界文化遺産登録を視野に議論されるべき問題だということです。
一点目、バイパスが必要か不要かと対したとき、過去平泉において国や県に陳情を繰り返してきた経緯と、住民感情から、バイパスは必要という結論に達するでしょう。事実、聞くところによると第一回の検討会ではバイパス建設に反対する委員はいなかったらしいのです。ということは、バイパスは必要で、高館の下にバイパスを通すことをも容認するということになる。しかし、このHPでも指摘されているように、高館の下にバイパスを通すということが問題なのです。前にも書いたように、これは10年以上前のルート決定時点の問題であり、柳之御所の保存でルート変更されても高館が削られずに済んだだけで高館直下にバイパスが通ることに変わりはありません。
二点め。ルート変更の時点と、現在では平泉を取り巻く環境が大きく変化しています。平泉研究は急進し全貌が明らかとなりつつあって、高館は柳之御所と一体の施設と考えられます。そして何よりも、平泉町は平泉遺跡群を世界文化遺産登録するべく推進しているのです。世界文化遺産とは、いうまでもなく遺産を保護することを世界的に宣誓することで、核となる遺産群とそれを保全するための緩衝地帯が必要となります。このような世界文化遺産登録を視野においた遺産群の保護を前提としたとき、バイパス建設は再考されるべきなのではないでしょうか?
高館景観検討委員会が議論するべき問題が、バイパスが必要か不要かといった問題ではないというのは、平泉町が世界に対して遺産保護をアピールしていく上でこの建設が非常にネックになるのではないかと考えるからです。バイパス建設は国の仕事。しかし町へのアクセスは町の都市計画の問題と突き放された時、町全体の構想がないまま車が入ってくる。遺産群の保護どころではない。それこそ生活の安全を脅かすのではないでしょうか?状況は10年前とは変わっているのだから、バイパス建設・世界文化遺産登録・史跡整備・まちつくり・今後の町の活性化・方向性などすべてを考慮して議論して欲しいということです。
現在平泉では各事業やプロジェクトがたちあがっているようです。世界遺産推進委員会やプロジェクトチーム、そして国土省の平泉・高館景観委員会などなど。しかしこれらは別個で議論され別々の方向へ向かっている。それでは統一性もなにもない。町としての明確な方針が見えてこない。一つ問い合わせても別のところで議論されているからといわれるでしょう。
ただ一つ言えるのは、国土省がバイパスは世界遺産登録に影響ないと断言しても、国土省が世界遺産登録を決定するわけではないということです。世界遺産の審査組織が決定するということです。
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八百年前の幹線であった東北道について、一考を、、。 投稿者:菊地 清 投稿日:11月25日(日)21時52分41秒何とも名状し難い狭い道です。これが幹線だったのですかと思わず問うた小道でした。中尊寺を訪れた人、あるいは訪れようとしている人。どうぞ金色堂を見学した後、能楽堂まで足を伸ばして下さい。金色堂から歩いて3分の距離です。二階建てのレストランと能楽堂の間に緩やかに下降している斜面を見つけるはずです。何の変哲もない草叢に覆われた山の斜面です。ここが正に遠く青森、北海道へ通づる古代の幹線であったと言われている所であります。
義経も清衡も足繁く通った古道といわれている当時の幹線です。
ここを下りると写真11にあった衣川の関に通じるのです。上宿、中宿と言われる小道に続くのですが、もう少し足を伸ばすと長者ヵ原と呼ばれる金売り吉次の屋敷跡に辿り着区のです。
実は約四十年前、僕はこの古道沿いに生まれました。そんな大仰な歴史ある古道などとは知る由もありませんでした。春先の古道の傍らに咲くスミレの群生が野生なのだと気がついたのはつい先日の事。つい30年前には紅色の蓮華草が田圃一面に咲いていました。
僕は春先に田圃に通ずる水路を流れる水の音を聞くのがことのほか好きでした。今のように舗装もされてもいない言わば砂利を敷いただけの悪路であります。
ですが、紛れもなく義経、清衡、泰衡の通った古道の趣が残っていました。これは、まさに直感であります。直感でものをいってしまえば笑う人もおりましょう。ですが、衣川村の界隈にはどうにも不明な礎石、石仏、地名がこの古道沿いにあり過ぎるのです。
同時にその根拠を探る物証もなさ過ぎるのです。勝者の歴史に封印された不幸が衣川にあるような気がするのです。
最近、それに輪を掛けるような動きがあります。これは、僕が確認をした訳ではありませんが、農地整備計画がこの辺りに持ちあがっているのです。ここで詳しく言及する資料はありません。ですが、農業の効率化を優先して四角四面に聖地する予定があるようなのです。
確かに農業の効率は大切です。何より私たちの食料を供給するための計画なのは判ります。ですが、なんとか古道の片鱗を残すような方法はないものでしょうか。--------------------------------------------------------------------------------
前川さんに質問します 投稿者:秋之川 投稿日:11月25日(日)15時56分40秒はじめて投稿します。
匿名にて失礼いたしますが、
前川さんのバイパス必要不要論の二元論を越えた論議をという言葉は
、耳障りは良いのですが、ちょっとおっしゃる意味が分かりません。
できればその辺りお考えを明確にお答え下さい。お願いします。
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平泉という地名に封印されている清衡公の思いについて 投稿者:佐藤 投稿日:11月24日(土)16時01分22秒写真集11(菊地清氏提供)に掲載されている衣川周辺の風景を改めて見せていただいて、「平泉」という地名に封印されている歴史文化の深淵というものを感じた。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/6455/takadati_photo11.html
平泉と多くの人が一般的に云う時、それは中尊寺の金色堂や、毛越寺の大泉が池を連想してしまう。それでもちろん間違っているわけではないのだが、「平泉」には、言葉には納まりきれない初代清衡公の思いが込められていることを、我々はもっと認識すべきではないだろうか。
金色堂は、この世に出現した蓮の花のようなものだ。この花を見ることによって、奥州の人々は、西方にあるという浄土を想い、良き心を起こし、平安に満ち溢れた安らかなる生涯を全うしようという気を起こす。平泉は、平らなる泉と書く。それはおそらく悠久に流れ出す水の都を永遠の平和の都にしようとする、清衡公の思いが込められた上での命名だったのであろう。すると真に平泉という歴史文化を継承するということは、単に中尊寺や毛越寺を未来の世代に受け渡していく、ことばかりではなく、「平泉」という概念(コンセプト)に込められた清衡公の思いそのものを継承していくのでなければならないはずだ。
そのように考えれば、平泉文化というもので括れる範囲は、当然周辺の地域にも及ぶのであり、特に安倍氏の時代の館も多くあり、数多の人々が、戦火に倒れた地域をも、生かしてこそ、平泉文化というものの文化範囲が明確にすることができる。現在は、町単位や県単位でバラバラに考えられているが、元々、当時には岩手も宮城もなかった訳であり、狭い考え方で、こっちは、「何町」あっちは「何町」というような考え方では、平泉文化を世界史的な視点で捉えていくことはできないと思う。
もっと大きく云えば、平泉の「世界遺産登録」という前に、地域を越えた「平泉エコミュージアム」のような広域のネットワークを構築する必要があるかもしれないとさえ思うのである。どうしても、現在の「平泉世界遺産登録運動」は、「平泉町」や「岩手県」の運動にしか思えないのが残念だ。しかし元々そのような発想では納まりきれないとてつもない世界遺産クラスの歴史文化が、「平泉」には封印されているのであり、そのことを自覚した上で、例えば、衣川周辺の古道や遺跡なども含めた周辺地域との巾の広いリンケージが必要になるのではあるまいか。
菊地氏の写真を見ながら、つくづくとそう思った次第である。
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委員の発言にびっくり 投稿者:MIYOSINO 投稿日:11月23日(金)09時08分29秒今日の岩手日日によると、なかには「高館からの景観は単なる河川敷。人も自然も変わる。生活者のために自然も変えなければいけない」と発言した委員もいたとありました。
第1回の委員会でも、それと似た発言があったと新聞にありました。(6月の新聞)
どなたか存じません、どんな偉い方か存じませんけれど、そうした発言をなさる先生には、文学的な心情も、歴史に対する認識も、文化遺産を保護していこうという思想も、何もないと思われます。これはもうとてもはずかしい発言です。
あるいは、こんなこころない発言をなさる方が、地元の方だったり、それも教育者だったり、文学者だったり、あるいは役人でないことを願うばかりです。
2000.11.26
2002.1.13 管理人