G2001.06.20〜7.28
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264 バイパス問題と参院選 投稿者:佐藤
投稿日: 7月28日(土)11時07分30秒
らんでんさん
初めまして。
その件知人に聞いたところ、平泉のバイパス問題は、どうも参院選挙の争点とはなってい
ない模様です。どちらかと言うと、地元の雰囲気は、口元に人差し指を当てて、シィーと
いう仕草をしているような感じですかね。各自様々なしがらみを気にしての事でしょうが、
それが現実のようですね。
ですからこれを根本的に解決する為には、土木工事で、少しばかり地場産業にお金が降り
るような体制から早く脱却して、平泉という観光資源に光りを当てることも必要でしょう。
例えば、写真集9にあるような平泉の歴史と文化に見合った「高館舟下り」など立派なア
イデアだと思いますし、平泉の駅から毛越寺に通じる道路をただ素通りしてくれ、と言わ
んばかりに道をただ広くまっすぐにするだけではなく、過去の歴史のたたずまいを復元し
ながら、しかも門前町としての雰囲気のある街並みを造るような工夫が必要だと思います。
この辺りのことは、「東方に在り」最新号の中で、名誉町民の藤島亥次郎先生も書いて居
られます。
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263 京都より 投稿者:らんでん
投稿日: 7月27日(金)18時52分02秒
公共事業の見直しが、参議院選挙の重要な一争点となっています。その関係で、昨今、報道番組を見ていると、本当に必要だったのかと思わずにいられない、大きな道路などがどんどん目に入ってきます。
高館問題も、岩手日報にとりあげられて以後、全国的に認知されていくものかと思っていたのですが・・・
岩手の選挙戦関連で、高館は、問題として特に言及されてないのでしょうか。ご存じの方、おられましたら、お教えください。
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262 京都という都市に潜む深き智慧? 投稿者:佐藤
投稿日: 7月27日(金)16時32分06秒
「無防備都市」という考え方がある。これは第二次大戦が起こった時に、イタリア政府が自発的に採った策である。それは自国の歴史的都市である三つの都を「無防備都市」と世界に向けて、軍事施設は置かないことはもとより軍隊の通過にも使用しない旨の宣言をしたのである。その三都とは、永遠の都ローマ、ルネサンス発祥の都市フィレンツェ、そして水の都ベネチアである。周知のように当時のイタリアは、ドイツのヒトラーと並ぶ独裁者ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握っていて、米英仏の連合国と間で熾烈な戦争を戦っていた。
第二次大戦では、敵も味方もなくヨーロッパの歴史的な都市の多くが容赦なく破壊された。そんな中で、この三都だけは、奇跡的に破壊を免れたのであった。
この無防備都市という考え方は、多くの示唆を与えてくれる策である。何故ならば、戦争という極限の状況に在りながらも、イタリア政府は、歴史的文化的な都市景観というものが、単に自国やその都市の財産というだけではなく、人類共通の遺産として明確に認知した上で、そのような「宣言」を発したのである。そこにはある意味で、敵味方に分かれたと言えどもギリシャ・ローマを文化的源流とする国家同士であること、さらに大きいのはキリスト教という宗教的共通項を持っていたことであろうか。
この無防備という考え方は、一見無謀にも見えるが、わが国の「京都」もまた「宣言」というものはしていないものの、無防備都市の様相を呈していることは、その都市の構造からして誰の目にも明らかである。歴史的にみても京都は、その無防備な都市構造を持ちながらも、政治的且つ宗教的権威の象徴である天皇の住む帝都として、多くの戦禍の中をくぐり抜けて来た。
京都は四方を山に囲まれた盆地の中に築かれた都市である。御所のある辺りは、本気で攻めようすれば制圧することは実にさほど難しいことではない。しかし逆に言えば京都という都市は、寺社が至る所に建てられており、それが御所を守るような形で配置されている。だから攻める方からすれば、神や仏の住まいを侵してしなうような畏れ多い気持ちになってしまうところがある。何か建都した当時の発想から、無防備都市の思想が、どこかにあるのではないか、とさえ思えてくる。京都には一種の精神的治外法権のようなものが法律ではなく感覚や慣習として存在しているのかもしれない。そうでなければ、幕末に勤皇佐幕の敵味方が、あのような狭い京都に同居していたことは説明がつかない。だから猜疑心の塊のような織田信長でも無防備なまま、僅か数十名の家来を連れて本能寺に寄宿していたのではなかろうか。きっと信長には、「京都にいるのだから、よもや襲われることはないだろう」という思いがどっかにあったのかもしれない。その挙げく重鎮のはずの明智光秀にあっさりと殺されてしまったのである。(下へつづく)
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261 京都という都市に潜む深き智慧? 投稿者:佐藤
投稿日: 7月27日(金)14時48分23秒
しかしどんなことがあっても「無防備」という考え方は、ひとつの立派な「思想」であり「見識」である。中国の三国志に諸葛孔明が用いた策に「空城の計」という策がある。これは蜀の軍師諸葛孔明が、形勢の不利から退却をしようとしていた所、ライバルである魏の司馬仲達が15万もの軍勢を率いてやってきたのだ。そこで孔明は、城の周囲にあった旗指し物を下ろして、僅か2500人の軍勢に向けて命令を発した。
「門を開け放て、門前を掃き清め、水を打て、かがり火を焚いて、大切な客を向かいいれるようにせよ。門番は静かに、たとえ敵が近づいても、眠る如くあれ」と。兵士たちは、すぐに鎧兜を脱ぎ捨てて市民のような格好で、城の周囲を掃除し始めた。そして四方の門は、静かに開けられ、各門には20名の兵士は、配置された。すると何を思ったが、諸葛孔明自身は。城の高楼に登って、お香を焚いて、おもむろに琴を弾き始めたではないか。そして迫りくる敵の大軍を迎えるかのようにじっと遠くを見つめている。これを見た15万の司馬仲達は、「きっとこれは計略に違いない。何処かに伏勢が潜んでいて、罠にはまって、やられてしまうかもしれない。」そんな疑心暗鬼にかられて、何と15万の軍隊は、城に入らずに退却して行ったのであった。こうして諸葛孔明
と2500人の命は救われたのであった。この「空城の計」は、考え方によっては「無防備都市」と同じ発想の策である。
日本は、イタリアのように京都を「無防備都市」として宣言したわけではなかったが、アメリカの軍隊は、日本文化を研究する学者の提言もあって、京都という都市を攻撃しなかった。もちろんその最大の理由は、主だった軍事施設がなかったことが幸いしたのだと思うが、私はむしろ伝統的に、この都市が、無防備状態に近い宗教的都市だったということがあってのことだと考えている。
その反対に防備に優れていると思われた江戸の町は、東京大空襲という酷い無差別爆撃にあって、完膚なきまでに焼き尽くされてしまった。皮肉なことに焼く尽くされた結果、東京は、その廃墟に、かつては想像を越えた摩天楼を出現させるに至っている。しかしそのビルの耐用年数たるや、僅か50年や60年位であり、長い目で考えれば、東京の景観というものは、たった5、60年の寿命しかないはかないものなのだ。とても奈良京都の古寺のように五百年も千年もという長く続くものではない。それにしてもこの「無防備」という言葉の奥に潜む深き意味には改めて驚かされるばかりだ。佐藤
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260 思い出の平泉 投稿者:筆武将
投稿日: 7月24日(火)16時49分03秒
義経公生誕843年祭と北上川の舟下りに参加しました。夏草に囲まれた景観は
感動的でした。空にはたくさんの鳥が舞い、まるで空気や川の水までもが参加して
いるようでした。ラストシーンには高館、すばらしい風景でした。ありがとうございました。
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259 北上川から観た平泉の景観 投稿者:佐藤
投稿日: 7月23日(月)21時04分14秒
橘次さん
こんばんわ。
確かに「旅人の視点」という感覚は大切かと思われます。
考えてみれば、西行も芭蕉も、一生を旅に明け暮れた人々でした。
そのような二人が、平泉という場所にただならぬ景色を感じて、感性豊かな歌や句を残したのは、
平泉が持つ底知れぬ価値のようなものに心が感応した結果によるものです。
残念ながら、その平泉の景観を「どこにでもあるありふれたもの」との見解を述べられた人がいるという
ことを考えても、旅人の視点というものは、大切であるかもしれません。
7月21日、私は栗駒山麓の小さな旅館を経営しながら精力的に義経研究に取り組んでおられる菅原次男氏
のお誘いで、平泉にて義経公843年生誕祭と銘打った「舟下り」に参加させて頂きました。
箱石という所から、北上川からという別の視点に立って、平泉の景観というものを見させて頂きました。
まず感じたことは、北上川という河のおそろしいようなスケールでした。全国各地で、舟下りというものが、
なされていますが、それの幾つかを体験した者として言わせていただければ、それらとは全然違う趣を持った
感じがしました。まず河の雄大さと水の豊富さ、それに水鳥の多さ、田園風景の広がり、どれをとっても河から
見る平泉の景色は、実に爽快で、日本の田舎の原風景といった感じがしました。
これは先の言葉を借り、私なりにひねらせていただければれば、「どこにも在りそうでいて、実はどこにもない
平泉だけの景観」のような気が強くしました。ただ残念なのは、河を移動させるために岸辺が掘削されていたり、
旧いテトラポッドがむき出しになっていたりする箇所が、高館・柳の御所に近づくごとに鮮明に見えてくる現実でした。
箱石は、高館橋からみれば橋ひとつ遡った僅かな距離の北上川のほんの一部に過ぎませんが、何とか、この貴重
な景観を我々人類の共通の遺産として、未来に遺すことが、平泉の世界遺産登録の目的のひとつになることを祈り
たい気分で一杯です。考えてもみてください。もしも柳の御所の岸辺に30mの巾、同じく30mの高さのコンクリートの
壁が聳えて、北上川を遮断するような工事を許すような場所が、どうして世界遺産になど登録されるでしょうか。
もしもそのようなことが結果として、起きた場合は、寺社だけが登録された日光の場合同様中尊寺金色堂と毛越寺の
浄土庭園だけが世界遺産に登録されるという変則的な形か、もしくは見合わされることだって、十分に考えられるかも
しれないのです。周辺の景色をおろそかにすることは、平泉の歴史の町としての価値を損なうことであり、地元の人々
もその辺りをよくよく考慮いただきたいのです。
下の写真集9に、北上川からみた平泉の景観が映っていますので、是非ともご覧ください。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/6455/takadati_photo09.html
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258 旅人の視点 投稿者:橘次
投稿日: 7月21日(土)23時02分51秒
今、平泉に必要なのは旅人の視点だ。町の日ごとの変化に住民は鈍感で気付かないのに対し、旅人は訪れた瞬間を切り取って記憶するため、町の変化に敏感になるし、危機意識も高くなる。
平泉の歴史的特性が、人や物資の往来であるなら、旅人の視点は必要となる。つまりは外部からの視点だ。現在の平泉は内からの視点でしかこの緊急事態を理解していない。いや、理解しようとしていないのではないか。目をきつく閉じ両耳を閉じて嵐が去るのをただただ待っている。頭から布団でもかぶって・・・。そんな感じを受ける。
平泉が外からどう思われているのか、どんな町に見えるのか、どうしていったらいいのか。わが町を一旦突き放して外から見ることも必要ではないだろうか?
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257 商工会 投稿者:管理人
投稿日: 7月20日(金)22時35分02秒
こんばんわ。
昔の景観さん、はじめまして。これは、以前掲示板で紹介した平泉・高館環境検討委員会の名簿についてのご指摘と推察いたします。ご指摘、ありがとうございます。委員のメンバーの関宮氏は、商工会議所ではなく、商工会の所属ですね。ここに訂正させていただきます。
ところで、この商工会とのご指摘は、さらなる意味を含んでのことかと推測いたします。
平泉の町中の商店街やおみやげ物屋さんは、人が来ないと商売にならない。平泉が観光で生きていくのかそうでないのかという判断に一番敏感なのは商工会ではないでしょうか。
バイパスができて人がきても「道の駅」でお金を落として通過されてはおみやげ物屋も商売できないでしょう?そのあたりはいかがなものでしょうか?
平泉なら、平泉にしかない、おみやげ物を創り出すことは可能でしょう。要はアイデア次第ではないでしょうか。平泉にとって何が「得」かを考えてみてはどうでしょうか。
広くご意見を求めたいと思います。
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256 平泉・高館環境検討委員会委員名簿について 投稿者:昔の景観
投稿日: 7月17日(火)15時57分21秒
たしか平泉は商工会議所ではなく商工会があったように思いますが?
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255 了解です 投稿者:高飛び
投稿日: 7月17日(火)15時09分16秒
「ハレ」「ケ」問題了解です。
要するに、高舘・柳の御所跡にとどまらず、朝廷外の影響の濃いかもしれない中世「平泉」という都市遺跡をどう守るかということなんですね。
同時に私はこの問題を、それが環境保護行政とか住民運動のあり方という一般的な政治・行政のあり方を示す指標としても見ております。もちろん歴史的考察は大切であり興味深いものですけれど、今度の委員会設立以後に平泉の住民の皆さんがどういうことを考え、どういう事をしようとしているのかが非常に気になります。
言い換えれば、「官僚の思いつきからではなく住民の必要から」政策が決定され、「利益はゼネコンにではなく、住民へ還元」されるよう政策決定が実行され、かつ自然環境保護が行われるのか。その場合住民によるチェックはどのように行われる・べきのか。より直接的には平泉の自然環境保護と農業・住環境保護と歴史的経済資源として考えるべき景観保護との調和がはかられているのか。住民は自覚的にそれを進めているのか・・・。
前川さん同様に、私自身もこの問題は高舘・柳の御所跡にとどまらず、平泉全体の大きなデザイン問題が最終的には視野に入ると考えます。だって前にも書きましたが、平泉は「国立博物館」誘致もしていますよね。どこにそれを建てますか。現市街地にしろそれ以外にしろ、「平泉」は掘れば何らかの新発見がある「地中大都市」ですよね。町関係者や検討委員会メンバーがそういう視点を共有しているのかが非常に気になるところです。私の誤解であれば良いのですが、どうも今に至るもこの問題が平泉の住民の頭の上を飛ぶ「空中戦」の様相をてしているのではないかと気になります。
この夏、私も平泉に行き、辺りを見回してみる計画を立てましょう。
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254 平泉の風景を一個の星座として観る!? 投稿者:佐藤
投稿日: 7月17日(火)11時13分57秒
平泉の景観を「ハレ」と「ケ」に分けて考えるよりも,私はひとつの星座というように捉えたいですね。これはユングの心理学で云うところの布置(コンステレーション)に当たりますが、星々を位置の関係を、意味あるひとつの集合あるいは塊(かたまり)として考えるようなものですね。まさに今日において「失われた中世都市平泉」が象徴しているものは、かつて奥州に住んでいた人間の熱くて強い思いです。何しろ八百年も前に、都をも凌ぐような構造と構想を持った都市を本気も本気で建設しようとしていて、それがほぼ実現していたのですから・・・。
何故、都からこれほど離れた辺鄙な地域に、皆金色の御堂が建設され、その構想が、その子孫たちに受け継がれ、三代百年に渡って努力が繰り広げられたのか。これは元々この奥州に存在した蝦夷と蔑まれた安倍・清原の時代から、都を凌駕する文化を構築したいとの奥州の土地に根ざした奥州人の潜在意識(集合的無意識)が、何処かに在って、それが今日八百年の眠りから醒めて、花開いた中尊寺蓮のように発芽しただけだったのではないでしょうか。私は本気でそう思いますね。人の「思い」(念)というものは、それほど強い力を持ったものだと考えます。
さて、takaさん。こんにちわ。takaさんは映像が好きなのですね。今日平泉に行かれるとか。もしよろしければ、デジタルカメラで写真でも撮って来て、投稿でもしていただけませんか。メールで送っていただければ、使わせて頂きたいですね。併せてレポートも添えていただければありがたいですね。
義経公が、平泉に行っていないとの仮説は、少し考えすぎかと思いますが、いかがでしょうか。当時の平泉の内情を解く鍵に、藤原基成という人物がおります。もちろんこの人物は、秀衡の正妻の父であり、泰衡は孫に当たる人物です。この人物を良く見ていけば、義経公をめぐる事実関係が見えて来ます。
私も少し藤原基成について以下の所で書いています。
http://www.st.rim.or.jp/~success/motonari.html
また最近、京大の角田文衛先生が出された「薄暮の京」(東京堂出版2001年6月刊定価2800円)という本に「平泉と平安京との見すごされていた関係」という論文が掲載されてあります。この中で、平泉政権の内情がよく描かれておりますので、ご覧下さい。またその中には、腰越状についての記述もありますよ。角田先生の事実を、総合的に判断する眼力は流石です。是非ご覧下さい。
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253 お久しぶりです 投稿者:taka
投稿日: 7月17日(火)02時30分35秒
takaです。覚えておられる方は少ないとは思いますが、とりあえず書き込みをしてみました。というのは、今日、ビデオの整理をしていてその中から「知ってるつもり」の「源義経」(92年放送)を発見しちょっと見てみました。義経が平泉に来たときに住んだであろう「高館」が対岸の北上川からの映像が映っていました。今はもうない風景に複雑な気持ちになりました。この場所に住んだということですが、実は私はそうは思っていません。初めて義経が平泉に来た際、秀衡に歓迎され、平穏な日々を過ごしたという風に言われていますが、本当のところは最初は秀衡に気にも留められなかったのでは?と。後に頼朝挙兵の際、義経も従って行きますが、「平泉にいた。」とは一言も書かれていないし、「腰越状」にもありません。(「腰越状」の真偽は別として)
2度目に平泉に来た際に頼朝と戦うにあたって、必要な武将として秀衡に声をかけられたのではないかと。頼朝挙兵の際、付き従ったのは佐藤兄弟のみであったことや、義経に同心し、泰衡に殺された忠衡も住まいが衣川のほとりにあり、泰衡・国衡・隆衡とも全く別の場所で、当時から一族から疎んじられていたのではないかという方も居ります。
高館の景観を見に、明日 平泉に行こうと思います。柳の御所遺跡の発掘(今やってるのでしょうか?)や月曜日には休館日で入ることの出来ない「平泉郷土館」(ふだん休みが月曜日なので…)にも行ってみようと思っています。
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252 中尊寺蓮の開花に 投稿者:佐藤
投稿日: 7月16日(月)21時20分17秒
また今年も、泰衡公の首桶から発見された中尊寺蓮が美しい花をつけたそうです。
この蓮が800年の眠りから醒めた意味を、私はずっと考え続けています。
この花の発芽が象徴している意味をとは、一体何でしょうか!?
中尊寺蓮の開花に五首
首桶に無念と眠る泰衡に誰が手向けしものやこの蓮
この蓮が八百年の眠りから醒めたる訳を我は知り得ず
奥州の心は蓮の華にあり泥に蘇生す泰衡が蓮
敵味方老若男女なにせうぞ泰衡蓮の咲くは目出度き
又夏に今年も咲けりいにしゑの奥州偲はれ中尊寺蓮
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251 象徴としての高館景観 投稿者:佐藤
投稿日: 7月14日(土)12時06分56秒
高飛び様
こんにちわ。
メールの御提言にある高館の景観を「ハレ」とし、柳の御所のそれを「ケ」とする考え方は、私は単純にこのように理解しております。
「おいおい、高館の景観ばかり言っているようだが、柳の御所からの景観も忘れては困るよ!!30mの高さの堤防が、柳の御所の前に聳えれてしまうんだよ」というような。
提言された人物が、自然的景観と歴史的文化的景観を必ずしも分けて考えての発言ではないと思うのですが、どうでしょうか。その意味では、下で前川さんがおっしゃっているように「平泉全体の問題」として考えることが大事だと思うのです。つまり高館の景観は、一つのランドマークであって、景観保全の運動からすれば、その象徴とも言える代表的な景観な訳ですね。
考えてみれば、今回のバイパスが完成した場合、高館や柳の御所からの景観だけではなく、中尊寺の東物見から見ても、また束稲山から見ても、平泉という中世都市の歴史的文化的景観は、まったく変わってしまうことは明かです。そうなれば、どこが「ハレ」でどこが「ケ」などということは言っていられない状況が形成される訳でして、御提言の人物には、我々の運動がけっして高館景観だけを問題にしている運動ではないことを理解していただければ、メールの御提言に応えることになると思うのですが、どうでしょうか。
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250 平泉全体の景観問題 投稿者:前川
投稿日: 7月13日(金)23時33分41秒
メールの提言について活発な意見が交わされているようですね。
どういう「ハレ」と「ケ」を想定して高館と柳の御所からの眺望を区別されているのか、的をえませんが、問題は高館の景観問題だけではないということを含んでおられる提言のように感じます。
つまりは平泉全体の景観問題だということです。
このサイトでも書かれていますが、北上川遊水池計画は標高30Mの大堤防を計画しており、平泉のまちはこの堤防により囲繞された要塞の姿を呈することになります。柳の御所遺跡でも3Mの壁ができるそうです。バイパスはその上を走る計画です。
大堤防で囲まれた平泉を想像できますか?柳の御所に立って北上川も東の高峰も見えなくなるのです。そもそも柳の御所遺跡があそこに立地した所以は何か?北上川がすぐ北を流れる舌状の段丘崖、天然の要害ではありませんか?遺跡に立ってみると発見することはたくさんあります。近い将来、その発見が出来なくなるという事実を知ってもらいたい。西行が歌に詠んだ束稲山、金色堂の正面にある観音山、高館の正面にあり『吾妻鏡』にも名前が出てくる駒形山。すべて、そこに存在することに意味があるということを。平泉を取り巻く山河すべてが歴史的景観であることを理解してください(写真が掲示されている金鶏山裏手の別荘分譲地の問題も含めて)。
標高30Mに設定された大堤防を、柳の御所附近だけ低くできないか?という話が先月の環境委員会で出たそうです。それは柳の御所からの眺望を意識しての発言だと思います。藤原氏が何を考え、平泉を造ったのか。多くの方々に知ってほしい。その上で、この計画で見直せるところは見直していこうではありませんか。すぐに生命・財産の危機論を持ち出すのではなくて。
高館と義経の話がでましたが、確かに高館が義経終焉の地であるかどうかは疑問です。しかしながら、芭蕉が高館を訪れ、義経主従の最期に涙を流したのはまぎれもない事実です。芭蕉が記した高館の眺望は歴史的景観にあたいする。
よくよく考えると、藤原氏亡き後、平泉を全国的に有名にしたのは、義経と芭蕉でしょう?違いますか?遺産の恩恵を受けるだけでなく、それを次代にどう残すのか、どう保護するのか、藤原氏の遺産を引き継いだ人間の役目ではないでしょうか。100年200年後の人たちに非難されないように・・・。
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248 メール提言?とは・・・ 投稿者:高飛び
投稿日: 7月13日(金)20時52分17秒
管理人氏と佐藤氏に交わされている匿名氏のメール提言?に関する議論には多少整理が必要かと思われます。
匿名氏提言では、明らかに2つの次元のものをそれぞれに「ハレ」と「ケ」という分類をしているように思われます。その二つとは
1 「高舘からの景観」と「柳の御所跡からの景観」
2 「名所・旧跡の有する歴史的価値」と「自然的景観の有する価値」
ではないでしょうか。
これに対し佐藤氏のご意見は主に1の点で、両景観ともじゅうようであるとの観点から「柳の御所跡からの景観」問題に言及し、さらに「高舘」の歴史的価値の問題に言及し、「義経終焉の地」の確定問題を指摘しているものと解します。誤解していないでしょうか?
しかし管理人氏の要約による匿名氏の提言が2の次元での「ハレ」と「ケ」を指摘しているのだとすると実に興味深く思われます。それは、一般的「自然的景観の有する価値」を「ケ」とすれば、その固有の価値を肯定している上で、さらに「ハレ」である「歴史的価値」を有する「高舘からの景観問題」さらに佐藤氏のご指摘を入れて「柳の御所跡からの景観問題」の重要性を増すものと解することができると考えるからです。一般的に自然的景観の有する価値が認められるとすれば、「ハレ」である歴史的景観を有する場所の景観を保護することは、単なる効率性や、経済問題では反故にできないこととなるでしょう。
そう言う事ではないのでしょうか?
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247 高館と柳の御所(メールの提言に対してのお答え?) 投稿者:佐藤
投稿日: 7月12日(木)19時54分19秒
高館の景観が「ハレ」で柳の御所が「ケ」という考え方は、面白いと思います。ただし私は、高館も柳の御所も一帯としてのハレであり、平泉館であると考えるべきであろうと思いますがどうでしょうか。つまり柳の御所と高館は、中世都市「平泉」にあって、明確な区切りがあった地域ではなく、全体として奥州の政庁としての役割を担っていた場所ではなかったのでしょうか。
はっきり言って、柳の御所を串刺しする形で、平泉バイパスが通らなくなっただけで、景観はまったくもって台無しになることに、10年前の計画と今回の変更の間には、何ら考慮は払われておりません。要するに当初からの計画には、景観に対する配慮が欠けていたことは明確であり、景観に対する配慮なき現在進行している平泉バイパスは、当初からの設計の欠陥を引き継いでしまっていることは誰の目にも明らかです。
しかも10年前の柳の御所の保存運動に際しても、平泉の「歴史的景観」、特に高館からの景観を蔑ろにしないようにして欲しいのです、その場合十分なコンセンサスはかった上で、計画の変更をして欲しい、との訴えがあったにも関わらず、相変わらず、昭和48年当時の計画の骨子は、いささかも変更されていないのはどうした訳でしょうか。
バイパスの橋脚の高さが、堤防の役割を果たす為に何故か30mに固定されているのは、いささか解せないと私は思います。理由としてはアイオン台風の時の水位28mにも堪えうる高さという発想らしいが、これでは、柳の御所は、橋脚の下に埋もれるように存在して、柳の御所から束稲山を望む景観は消滅(見えない!!)することとなる。もしも景観に配慮をするというのであれば、北上川の流れを、束稲山添いにずらすというのであるから、その際、川幅と川底の深度を計算して、景観にも配慮をする高さも実現できたはずです。
そもそもバイパスと堤防を一体のものとするという発想が、おかしいと思うのです。工事推進をしようとする人々は、我々の「景観にも特段の配慮して欲しい」という我々の考え方が、あたかも、地元の水害事情を考えない「よそ者の戯言」のように言われるのは、大いなる誤解であり、この誤解をまず解いていただきたいと思います。すなわち少なくても我々は、ただ単に、景観だけを重視して欲しいなどという情緒的な発言をしている者ではありません。私たちも現在の平泉には、堤防は必要であると考えております。ただしその際には歴史の都市平泉の文化的歴史的価値を考慮して、自然工法によって、景観に配慮した形で行うべきということを主張しているものであります。
その為にも、バイパスと堤防を一体として考える考え方を一旦反古にして頂きたいのです。
さて、?の提言には、義経と短絡的に結び付けることはどうか、という意見がありました。これはおそらく、義経記などの流布によって、高館で義経公が自害したことになっているが、実際の問題としては、吾妻鏡に表記されていることによれば、藤原基成の居館であった衣河館で亡くなっているのではないか。あなた方は、その辺の虚実を知っていて、高館を義経終焉の地と言っているのか、という問いであるように思います。
この問題に限らず、歴史において、虚と実の間には多くの誤差があることは、周知のことであります。当然厳密な意味では、おっしゃる通りであり、少なくても、文献史的にも、佐久間洞巌翁の「奥羽観蹟聞老志」(1719年)の衣河館と高館の混同を引き継ぎ形で、相原友直翁もその著作「平泉舊蹟志」(1761年)において「衣川館、又高舘とも云ふ」という言い方をしており、私はそろそろこの際、平泉館と衣河館の混同を是正しようと考えております。歴史というものは、実に怖いものです。佐々木翁の著作に限らず、ある史料が、たとえその中に錯誤や誤謬が混じっていても、一旦価値あるものと見なされることによって、その誤謬が引き継がれていることは良くあることです。
この誤謬の発端は、やはり北上川の流れが、洪水によって、大きく変化し、そもそも衣河館というものが消滅してしまったことに由来しているのではないか、と推論しており、衣河館の比定地を改めて考えてみたいとも思っております。
ただやはり高館と言えば、一般的には、義経堂がある場所であり、義経公終焉の地と考え、それを高館の景観を保全する運動をする立場で、世間に訴えることに、問題があるとは思っておりませんがいかがでしょうか。またこのような運動の過程で、学術的な関心が高まり、義経公の終焉の地の比定地論争が、巻き起こって欲しい等とも個人的には考えておりまして、「平泉エッセイ」の中に
「源義経終焉の地再考」という雑文を継続しておりますので、お読みいただければと思います。
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246 そうなんです!だから・・・ 投稿者:高飛び
投稿日: 7月 9日(月)21時24分02秒
管理人様、そうなんです。
普段見慣れているからナントも思わない私の妻も、三日合わなきゃ?良いやつなんです。
ではありませんね。
おっしゃる通り、この「お上」意識というのが、今や「後進性」を現す尺度になるのかもしれません。だからこそ「10年前に声を出してバイパスの通り道を変えさせたのだから、今度はそうも言えない・・・」などという議論を許してはならないものだと考えます。そして(要約メール?の点は何と何を分けて論じるのか私には解りませんでしたが、)直下、佐藤氏のご意見のように「治水問題」と「景観問題」は二者択一的選択問題ではなく、両立すべき問題だということに私も賛成いたします。しかし、氏の御意見が今回の「検討委員会」発足で良しとされるというのであれば、管理人氏の「お上」問題の認識の共有から、異論を述べたい。
必ずしも佐藤氏のご意見ではないことを前述べして氏にはご容赦願いたいのだが、そもそも今回の委員会の人選は誰がどういう見地から行ったのであろうか。第一回検討委員会の時に、設置団体からその人選の経緯と紹介は無かったのでしょうか。一般論ですが、現在までの「お上」のやり方では、肩書きと学歴から田舎人の文句の出ないような「知識人」を人選しますが、実はそれはやはり「お上」よりであり、結局は「お上」のご意向を無視できない玉虫色の解答を発して終わりというものが多かったのではないしょうか。しかし、肩書きがその人物の見識や論理的思考能力の高さや知識の豊富さを表すものでないことは、昨今の国会中継にも明らかなことでしょうし、大学人も同様であることは、もって黙すべしです。
今回の人選に関する資料は何所かにないものなのでしょうか?この人々が過去にどういう活動をし、その団体がどこから資金を得てどういう活動をしてきたものであるのか?
それがやはり「お上」よりであったならば、もはや彼らをして「景観問題」と「治水問題」の合理的解決を望むべく世論を喚起してなどという事は、難しいのではないでしょうか。だから私は、地元の人達が声を上げるべきだと思うのです。「そういうやつらばっかしじゃなく、反対派も入れろ」「私達にもわかる言葉で説明する能力のある人間を入れろ」と。もちろん政府主導事業に批判的な学者も必要でしょう。
そしてその上で自分達で「官製委員会」の議論を評価するための「民間委員会」を作るべきだと思うのです。もちろんそういうことを田舎ですれば、やれあいつはどうのこうの・・・と足を引っ張る輩も出ますし、党派的活動家も出ることでしょう。しかし前者のような機関を作らなければ、「大本営発表ならぬ委員会発表」でこの問題は片付けられてしまうでしょう。非効率的で馬鹿を見る人も出るのでしょうが、そういう議論こそ本当の民主主義に必要なものだと考えますし、冷静かつ論理的に議論が行われ、そして長い目で見ることができれば党派的活動家の擬態を暴くことも可能だと考えます。私はだから、地元の素朴な、頑固で引くことを知らない本当の「いなかびと」が立ち上がるべきだと思うのです。いささか感傷的に過ぎるかもしれませんが、平泉の人は、この問題に関しては「ごんぼ」を掘り続けるべきです。そのために立ち上がるべきだ。
もちろん残念ながら、そのことの難しさも理解できます。だからこのサイトが、上記のような場になることをせつに望みます。全くの匿名性はネット上の問題になることも多いものですが、こういう形が地元のしがらみを避ける方法であることを理解して欲しいものです。
管理人様、佐藤様、皆様、この問題を見続けましょう。新参者ながら、私も事の重大さに気づき始めました。引き続き注視し続けさせていただきます。
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245 メールの提言に対してのお答え? 投稿者:佐藤
投稿日: 7月 4日(水)15時09分00秒
下のメールに対する問いかけを通して、この間の歴史的経過の総括と、私たちの基本的な考え方というものをお話したいと思います。
?の御提言に
まず最初にお話し致しますが、私たちは、水害常襲地帯である平泉・一ノ関に堤防を造るな、歴史的景観を守れ、という主張をしている者ではありません。私たちは、治水のための堤防は、当然必要であり、堤防と歴史的景観を共存させ得るような形で、計画を見直すべきではないでしょうか、という主張をさせていただいております。平泉という都市の価値は、この10年間の多くの研究の努力によって、飛躍的に進展致しました。その意味では突然10年ほど前に降って涌いたような治水と交通渋滞解消のための「平泉バイパス」計画の浮上は、肯定的に考えるならば、平泉のアイデンティティに火を付るきっかけとなったと解釈してもよいのではないでしょうか。
現在、「高館景観保全運動」は、10年前の「柳の御所保存運動」を引き継ぐ形で展開しつつあると認識しておりますし、そうでなければならないと強く意識しております。「柳の御所保存運動」は、奥州の政庁でもあるほどの歴史的価値のある柳御所の上を平泉バイパスが通るという計画が持ち上がったものですから、平泉を研究していた藤島亥治郎先生などが中心となって保存運動の声が上げり、その価値を改めて知らされた地元住民も、柳の御所とは、そのような遺跡だったのか、とその運動の隊列に加わったと聞いております。その過程では20万にも及ぶ反対の署名活動も集められ、その結果として、柳の御所の遺跡通るバイパスの計画は変更となりました。実に素晴らしい運動であったと思いますし、何よりもこの「柳の御所保存運動」のエネルギーが平泉の歴史研究にもたらした考古学的成果は驚くべきものがあったと思います。その結果、奥州藤原氏の文化圏が世界的な広がりを持ったものであることも立証されとともに、次第に都市としての平泉の全体的構造が浮かび上がってきたのでした。
しかし話を戻れば平泉バイパス計画の白紙撤回ではありませんから、いずれは何処かをバイパスは通る訳です。平泉バイパスは、治水と交通渋滞緩和を当初から掲げていたと思いますが、元々平泉の歴史的景観に配慮を欠いた計画であったことは明白です。もしも柳の御所の歴史的価値を理解していれば、その上をバイパスを通すなどと考えるはずはありません。設計者にとって、そこは水辺の原野に過ぎなかったのです。計画変更が持ち上がった当初から、平泉の歴史的景観が損なわれることに対する危惧の声は、多くの人から言われていました。例えば入間田宣夫先生などは、その時点でバイパスの計画変更にあたっては、「景観にも十分配慮して欲しい」旨の申し入れを、河北新報紙上で行っておられます。
やはり問題だったのは、計画変更にあたって、現在のような住民や学識経験者を入れた「平泉バイパス検討委員会」のようなパブリックな組織を作って議論の推移を情報公開という形で世に問っていたら、もしかして現在のような状況にはなっていなかったと思います。これは国側に大きな責任がありますが、運動に関わったすべての人にも少なからず責任があると思います。現在の地元の情況を聞けば、10年前に、国にあれほど譲歩させたのだから、これ以上の意見は言いづらいという雰囲気があると聞いております。それでもやはり、私たちは今回の高館景観問題を、10年前の「遺跡保存運動」を発展的に引き継ぐ形で進めて行くべきであると思います。つづく
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244 メールでの御提言から!! 投稿者:管理人
投稿日: 7月 3日(火)14時00分08秒
皆さま、名前は開かせませんが、ある人から大変貴重な内容のメールをいただきましたのでその大意をまとめたものを、披露させていただきたいと思います。
?「柳の御所遺跡」保存運動の経緯をしっかりと理解した上で、この運動を展開してもらいたい。治水か遺跡保存(景観保持)という二者択一の議論ではなく、その両方が共存のできる形での運動が望ましい。「柳の御所遺跡」保存運動は、まさにそのような運動だったはず。治水問題にも叶い景観を活かした地域づくりという地元住民が理解できる形で運動を進めるべき。
?高館の景観だけではなく、「柳の御所遺跡」からの景観をもっと問題にして欲しい。高館からの眺望を「ハレ」とすれば、柳の御所からの眺望は「ケ」である。さらに高館をすぐに義経と結びつけて論じていることが多いが、その辺りの伝説と歴史をしっかりと峻別して議論すべき。そのようにしないと景観のもつ重要性が地元住民には伝わらない可能性がある。
以上です。このご意見について、後ほど見解を述べさせて頂きますが、皆さんもこのご意見について、感想など書き込みいただければ幸いです。
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243 地元の住民が声を発すべき時!! 投稿者:管理人
投稿日: 7月 3日(火)13時51分53秒
高飛び さま
貴重なご意見ありがとうございます。大変参考になりました。
私も、ずっと、千田貫首の「センス」の意味を考えておりました。ご指摘された「美的センス」と「知的・論理的センス」という分析、なるほどと思いました。そしてそれが平泉の地域の後進性を示している、という指摘は、実に心にぐさりと刺さるようなご指摘だったと思います。
このような問題は、一平泉の問題ではなく、やはりこれまでの日本という国家の成立時からつきまとっていた「お上対民」の問題であるかもしれません。つまり「美的センス」を持って、村落景観をデザインする者は「お上」の仕事であり、その運用上、制度上の議論を「知的・論理的センス」をもって議論をするのもまた「お上」の仕事だった。
戦後アメリカから民主主義というものが移入され、住民の権利、あるいは地方による自治というものが喧伝されるようになりました。しかし多くの地方にあっては、依然として、「お上対民」の関係は変わっておらず、「お上」は間違えないもの、勧善懲悪の善行の者として機能して来ました。もちろんそんなことは幻想に過ぎません。お上も間違えば、そんなに利口でない首相だって登場するのが昨今の日本です。しかもお上は責任を取ってくれません。もしその政策や方針が間違っていたとしても、その人間は、別のセクションか、地方に飛んで、別の「プロジェクト」に精を出すことになります。ですから最近は、ひとつのプロジェクトに対する厳しい評価システムが言われ出しました。
これは仮の話ですが、もしも間違った地域づくりがなされて、最後に苦労するのは、住民の方に決まっております。ですから私は、今こそ、この平泉バイパスというプロジェクトが真にこれからの平泉という町にとって、本当に必要なものか、どうかの議論をするいことは実に有意義なことだと思うのです。6月26日の「第一回平泉・高館環境検討委員会」の論議の席上、高館の景観について「景観も大きな財産」という意見が出る中で、ある委員から、「どこにでもある景色ではないか」という発言があったことを聞き、耳を疑いたくなりました。さて高館のような景観が、どこに存在するというのでしょう。確かに地元の人にとって、高館から見た眺望が最高だ、と言われてもピント来ないかもしれません。いがいとこんなものですよね。美人の女房もなれれば、あまり美人に見えなくなってしまうといいますからね、ですからここのところは、よそに住んでいる者の方が、その価値を客観的に判断できるので、よそ者の目で見てみることは必要です。
私からすれば、誰がどのように言おうとも、平泉という所は、間違いなく奥州無二の歴史性と文化的価値をもった中世都市だと思います。昨日一ノ谷の話がありましたが、あのような風光明媚な場所であっても、歴史的価値を解しない人が、開発の主体となれば、ガラス細工のように景観は崩れてしまい二度と復元できない状況になってしまうのです。
平泉の景観が、これまで歴史的景観を保持してこれたのは、ある意味で奇跡的なことかもしれません。ですから平泉の皆さん、自らの生命財産を守る堤防の敷設問題とこの大切で稀少な景観という地域の共有財産を守るべく、声を発する時が、今まさに参っていると思うのですが、どうでしょう。
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242 問題は? 投稿者:高飛び
投稿日: 7月 2日(月)14時25分31秒
最近の掲載内容の内、現中尊寺貫主の「センス」発言と「環境検討委員会」の二つ関して考えを述べたい。私にはこの二つが次元が異なりながらも今後の景観問題の行方に大きな影を落とす一つのキーに思えるからだ。
まず貫首の「センス問題」だが、彼があさひさんの指摘のようにこの言葉を異なった意味で使いまわしていることは明らかだが、それが同指摘後段のように「平泉」という地域の閉鎖性を意味してのことであるとするならば、それは二重の意味で「平泉」という地域の後進性を示していると考えられる。その一つは、あのような開発行為を受け入れる美的センスであり、もう一つはそのような行為に対して有効な議論を持たないという知的・論理的センスである。
そのようなセンスの後進性は、「環境検討委員会」問題にも共通の影を落としていると考えられる。いまどきいわば開発の主体である役所の選んだ委員会に、その役所の行為を評価してもらうということでお茶を濁すようなことが許されるのだろうか。他の地域開発行為にまつわる問題が見られるところでは、確かに必ずしも強い影響力を持ったとはいえないが、地域住民主導の開発評価委員会が作られることが多かった。地域住民の発言によって、お役所主導によって設置された委員会の人選が変更を迫られたり、あるいはカウンター議論場としての「住民主導の評価委員会」が設置されない限り、平泉の住民の知的・議論レベルでのセンスの遅れは、いまだ遅れたままという事を示すのだと考える。
しかし、最後にそれを決して平泉だけの特殊・地域的精神性とは考えないことを強調しておきたい。さらに、こういう問題を地域の特殊性に一般化するような議論に_摩り替える事の無意味性も了解していることを述べておく。というのはそれが全く実証性を欠く議論だからであり、かつそのような特殊な精神性を持つという事実が判明しても、その改革の方法をもたない指摘だからだ。
私が今必要だと考えるのは、国土省がやるような開発行為であっても、おかしいのではないかという声をあげられるのだということが、何よりも平泉住民に伝わる事であり、そういうことを地域的な問題にしていく(しかも党派にこだわらず、特定党派活動家の影響を排除するような)住民運動の方法を考えてあげることだと思う。そういう意味で、このページが最近町議会議員間でまわし読まれたり、町職員がまわし読んだりすることは良い傾向だと考える。
平泉町関係者の皆さん、あなた方は大いに「ごんぼほって、良いんでネガ?」。
自分の考えというものを喋っても良いのではないですか。私も遠くから、応援します。
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241 歴史的景観を守るには?! 投稿者:佐藤
投稿日: 7月 2日(月)11時37分18秒
神戸のある人から掲示板を通じて便りがあったので、すぐに神戸の一ノ谷を思い出してしまった。今そこは須磨浦駅が出来、JR、私鉄、国道が入り乱れて、お世辞にも風光明媚な古戦場とは言い難い場所になってしまった。
想像するに、かつての一ノ谷合戦のあった、神戸須磨区の一ノ谷古戦場は、素晴らしく風光明媚な場所であったはずだ。しかし今、遠浅の砂浜だったはずの海岸線には、道(国道二号)が出来て電車の線路が敷かれている。波が押し寄せていた砂浜は、コンクリートの岸壁が壁となって、地と海は分かたれている。こうして源平合戦の主戦場となった歴史的景観は、永遠に失われてしまったのだ。それでも須磨浦公園から明石海峡を挟んで淡路島を遠くに見る景観は素晴らしい。
何故一ノ谷が、このような状況になってしまったか、と言えば、それは須磨寺という聖域以外には、時の権力者にも、民衆にも、今目の前にある歴史的景観を大切にするなどという思考がそもそもなかったからに他ならない。更に言わせて貰えば、須磨寺の寺社の力がもっと優勢なものであるか、時の権力者が、松島における伊達政宗のように、この地を大切に保護していれば、もう少し名所旧跡として景観が保持されたかもしれない。つまり地域開発と言う美名のもとに、景観は蔑ろにされ、様々な人間の欲というものが強く働いた結果、現在の一ノ谷の古戦場跡の無惨な変貌があるのだ。
考えてみれば、日本三景にしても、その他の多くの風光明媚と言われる名所でも、やはり寺や神社が、その景観の中心なしているか、深い関わりを持っているような地域に限られるようである。つまり景観というものは、ある意味で信仰というものと結びついて初めて、維持されるような類の壊れやすいものなのだ。人々の利便や私欲が優先される時には、どんなに過去において風光明媚な場所であったとしても、ことごとくその景観は破壊される運命にある。
我々は平泉の景観を考える時、このような歴史の教訓から学ばなければならないのえはあるまいか。だから一ノ谷の景観の変貌はけっして他人事ではない。
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240 賢治の「青の時代」 投稿者:佐藤
投稿日: 6月29日(金)18時45分53秒
平泉を詠んだ宮沢賢治の二首の短歌に寄せて
中尊寺の千田貫首が、宮沢賢治について、6月27日に東北文化を文学の面で受け継いだのが、宮沢賢治だ、と言われていたので、彼の短歌二首について考えてみたいと思う。
宮沢賢治と言えば、すぐに思い出すのは、一連の童話群である。しかし以外なことに賢治の創作の始まりは、15歳から始めた短歌だった。それから一年後、早熟な精神を持て余し気味の賢治は、県立盛岡中学四年となり、修学旅行で仙台方面に行くことになった。この時、松島などを周遊した賢治は、初めて海というものを見た。そしてその帰途に平泉を訪れ、次の二首の短歌を詠んでいる。
中尊寺青葉に曇る夕暮のそらふるはして青き鐘なる
賢治を含む盛岡中学の一行は、午後遅くなってから平泉に着いたのであろうか。五月晴れの空を日が西に傾き、伽藍を取り囲む青葉が木漏れ日となってきらきらと光っている情景が浮かんでくる。「青葉に曇る」ということの解釈は、夏が近づき、自己主張を始めた青葉の勢いを指していると思われる。私はこの青葉という言葉に、何故か賢治自身そのものを感じてしまう。生命力に満ちた木立に囲まれた中尊寺で、賢治は抑えきれないような創作意欲というものを内包させながら佇んでいた。そんな夕暮れ迫る時に、突然と梵鐘が境内一杯に響き渡ったのである。賢治はさっき見た青き青銅の鐘が突かれる音を聞き、それが自分の魂までも振るわすかのような錯覚にとらわれたのではあるまいか。
桃青の夏草の碑はみな月の青き反射のなかにねむりき
平泉には夕暮れが迫っていた。賢治たちは、次に毛越寺に参詣した。大門を入ってすぐに賢治たちは、そそくさと、寺内の説明を受けながら、本堂の脇にある芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の碑の説明を受ける。初五の「桃青」(おうせい)とは、もちろん芭蕉の号である。その碑の向こう方には、浄土を象徴する池、大泉ケ池があり、上空を見上げれば、群青色に染まる空に満月になり切らぬ月が木立の上に懸かっていて、次第に青き輝きを増していたのであろう。もしかしたら、月の光が大泉ケ池に映っていたかもしれない。その中で、古びた芭蕉の句碑が、賢治には、安らかな眠りに入っているように感じたのであろうか。
この二首の歌を鑑賞してみると、「青」という言葉がキーワードになっているように感じる。一見写生の歌にみえるこの二つの歌には、共に二字ずつ「青」が使用されている。この青が意識的に書かれたものとは思われない。おそらく無意識であろう。「青」という言葉を考えながら、私はふとピカソの「青の時代」を思い出した。スペインからパリに出てきた青年ピカソは、その修業時代の二〇歳からの四年間を、独特の青のタッチの絵を描いた。一説によれば、お金が無くて、様々な色の絵の具を使えなかったと言われているが、おそらくそうではあるまい。じっとひとつの「青」という「色」にこだわりを集中することによって、色というものの根源を見極めようとしていたのではあるまいか。そんなピカソ的な感性というか、「こだわり」のようなものを賢治の短歌にも感じる。賢治もこのようにある時期「青」という色やイマージュにこだわることによって、後の彼の最高傑作「銀河鉄道の夜」の創作へ辿り着けたのであるまいか。
平泉を訪れた賢治にとって、平泉の景色は、あくまでも青のイマージュの中に存在した。つまり平泉の景色も、自分が心で抱く「青」色の中に浮かぶ風景であった。そのことが、先の二首の歌によく現れている。賢治の眼は、歴史の古都としての平泉を観るというよりは、ひたすら「青」に象徴される自分という得体の知れない内面に向かっている。賢治にとって、この「青の時代」の最大の興味は、やはり自らの外に存在する風景ではなく「青」というものに象徴される内なる自己であったに違いない。このことをもっと極端に言えば、外に存在するものをも、自分の世界に引き寄せて世界そのものを造り替えてしまいかねない芸術的才能の萌芽なのかもしれない。要するにその位の傲慢さがなければ芸術という鬼道において、名をなすことなどできないということであろうか。
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239 平泉・高館環境検討委員会委員名簿について 投稿者:管理人
投稿日: 6月28日(木)11時49分18秒
委員会の名簿が、東北工事事務所HP上に確かに掲示されてありましたので、
ここに改めて転記させていただきました。
ご苦労様ですが、委員の皆さま実のあるご審議を御願い致します。
委員 氏名 所 属 役 職
1 岩淵恵美子 女性団体 つばさの会
2 岩淵勝治郎 平泉バイパス事業促進期成同盟会 会長
3 岩淵照美 平泉町遊水池対策地権者会 会長
4 遠藤セツ子 平泉メビウスの会事務局
5 小野泰正 岩手大学名誉教授 理学博士
6 小野寺亀一 漁業監視員
7 小野寺弘之 平泉文化会議所 所長
8 金丸義一 A&A調査研究所 所長
9 佐々木邦世 中尊寺執事長
10 篠原修 東京大学工学部 土木工学科教授 同委員会委員長
11 菅原亀悦 岩手大学名誉教授 理学博士
12 関宮治良 平泉商工会議所 事務局長
13 高橋幸喜 岩手県建築士会一関支部 事務局長
14 千葉庄悦 平泉観光協会 副会長
15 藤里明久 毛越寺執事長
16 三好京三 作家
17 八重樫忠郎 平泉教育委員会文化センター文化財調査員
オブザーバー
1 天野光一 日本大学理学部 社会交通工学科教授
2 佐藤宏明 東北地方整備局 岩手工事事務所 所長
3 竹内重蔵 岩手県 県土整備局 部長
4 合田武 岩手県教育委員会 教育長
5 千葉和夫 平泉町 町長
以上22名
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238 もっと詳しい内容が知りたい 投稿者:さいたま住人
投稿日: 6月27日(水)22時44分22秒
岩手日日ニュースの記事を見て、「景観も財産だ」との意見が出たことが嬉しく感じられましたが、正直なところ、もっと詳しい内容が知りたいです。
さて、委員会メンバですが、「国土交通省 岩手工事事務所」のホームページに掲載されております。
「国土交通省 岩手工事事務所」のホームページを開く
↓
「記者発表」をクリック
↓
「平泉・高館環境検討委員会の開催について」をクリック
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237 やっと平泉の景観論議スタート 投稿者:管理人
投稿日: 6月27日(水)21時49分36秒
さて皆さま。
6月26日、平泉・高館環境検討委員会が発足した模様です。それにしても工事が始まって、がらりと景観が変わって、その景観の余りの変貌振りに驚いた内外の声の高さに急かされての委員会発足は、いささか遅すぎではなかったでしょうか。委員会の構成メンバーは、近々明らかにされるでしょうが、委員長に篠原修東京大学工学部教授。その他町内各種団体代表及び学識経験者などで構成されている模様です。
冷静にみれば、この委員会も国土交通省の肝煎りでの発足であり、委員長は東大工学部教授ということで、これで歴史的景観にも配慮がなされるなどと楽観してはいられないことは明らかです。それでもともかく岩手日報紙が、”「高館景観論議」スタート”という、見出しを使ったように、ともかく歴史的景観と住民の生命を守る堤防を共存共生させるための論議は始まったと前向きに考えたいと思います。予定調和のシナリオがあるとは思われませんが、無いとも言い切れません。そんな中、委員に任命された方々は、大役ご苦労様ですが私心を捨てて実のある論議を展開していただきたいと思います。
予定では年度内に数回の委員会を開催し、年度内には意見を集約させたいとしているようですが、まず我々として要求すべきは、委員会議事録のインターネット上での開示でありましょう。もしも途中での議論は開かせないというのであれば、それは大いに問題です。すべての面で透明性を確保した形で論議を深めて貰いたいものです。
詳しくは下の岩手日日新聞紙6月27日の記事を参照してください。
http://www.iwanichi.co.jp/iwanichi01/news/news-nishi.htm
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236 あさひさんの言葉をうけて 投稿者:ロンドン塔
投稿日: 6月27日(水)16時13分38秒
先週の日本経済新聞(夕刊)に景観問題を考えさせられる内容の記事が気になりましたので
紹介します。インタビューで橋本大二郎高知県知事が、「年に1,2度しか来ない人が、
景観問題や町作りに口を出されては困る」というような内容の事を言っておりましたが、
やり手で知性あふれる知事がそんな事を言ってもらっては困ります。むしろ私はあさひさんが
言うように、目の高い人や外から見る他人(よそもの)の目や意見を大切にしてこそ幅の広い
議論ができるのではないでしょうか。今後もこの掲示板に参加させていただきます。
宜しくお願いします。
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235 貫首のお言葉 投稿者:あさひ
投稿日: 6月27日(水)01時55分42秒
一関シンジさん、はじめまして。私が貫首のお言葉から、感じ聞き取った枠でしかお答えできません。よろしいでしょうか?
まず『センス』という意味です。これは私も真意はわかりかねます。「土木工学だけでないセンスが問われる」とは、建設することだけを主目的としない、「見た目」とか、「いかに周辺の風景にマッチさせるか」といった地域に即した「配慮」のことを指しておられるのではと思います。最後の「京都などのセンス」とは、文化的感覚とでも訳せましょうか?以前の書き込みの中に高館の階段上ってすぐ、あの感動的な風景がみられると思いきや、国土交通省が設置したバイパス完成予想図と説明板が目の前にあり、がっかりしたというものがありました。これこそ「センス」が問われるとは思いませんか?
二つめの「芭蕉も平泉に泊まらなかった」というのは、文意から「目の高い人(芭蕉)は平泉に泊まらなかった」と考えられます。日光には「目の高い人」を疎んじる傾向があり、平泉もまたそうである。という指摘だと思います。また「排他的」という言葉もお使いですが、平泉には他者(よそ者)と自己(平泉人?)を区別して考える風潮があるように感じられます。ひどい言い方ですが、よそ者蔑視ともいえ、貫首は日光出身でいずれは「帰られる方」という立場でおられるので、平泉の排他主義を身を以て感じられているのではないでしょうか?
平泉の御国性を考えると、感動的な貫首の言葉も、このようなHPで議論している我々も「よそ者」であり、だからこそ、無視され続けていると思われます。色んな人々を大きな懐で受け止めてきた(京下りの人々、例えば義経とか)奥州藤原氏の末裔、あるいはその遺産を受け継いだ者とは思えない態度だと思います。年間250万人の観光客がほとんど宿泊せず花巻温泉方面へ流れるのも道理なのかもしれませんね。まずは平泉の町の意識改革からですか?
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234 やっぱり変だ 投稿者:高飛び
投稿日: 6月26日(火)14時42分03秒
始めて書き込みをいたしますので、過去ログ内容と重複があれば、お許しください。
まず本題の高館の景観問題ですが、皆様高館直下の道路問題を主にお考えのようですが、あそこから見える長島側への新高館橋は、見苦しいものとはお考えにならないのでしょうか。高館から一望する対岸の束稲山系と北上川、そして眼下一面に広がる稲田に対し、四季折々の変化に超然と釘を刺すのが工事中の高館橋ではありませんか。工事概要の説明会が開かれるとかありましたが、あそこまで工事の進んだものを撤回するとは思えません。あれが単に眺望を破壊するのみならず、平泉の町を分断すると同時に、通学時の危険性や学童の通学意欲をそぐものにならないことを祈るばかりです。そういった点については町民の方々からの異論はないのでしょうか。不思議なことです。
世界遺産登録うんぬんについても、千田中尊寺貫首の意見から察するに、どうも地元での期待は観光客の増加待望にあるようで、その背後にあるはずの自分達の将来を見据えているのかが気になります。もう少し明確に言えば、どうも地元の人たちの希望が見えないような気がします。
平泉は確か国立博物館の誘致にも名をあげているはずですが、世界遺産に登録し、博物館を誘致して、それでいったいどういう将来を描いているのでしょうか。世界遺産登録が地中に眠る藤原時代の遺物をも含めてのことだとすれば、現在の平泉市街地はことごとく開発してはならないはず、あるいはできないはずですし、その上で国立博物館を誘致するとすれば長期的な町の建設デザインも大きく所を変えねばならないはずです。しかし、そんな議論はどこにも見当たりません。
さらに千葉貫主の言われる通り、それが「信仰」を核に行われるものだとしたら、なおいっそうの事現存中尊寺や毛越寺の機能代替を含めた移行問題さえ視野に入るべきではないのでしょうか。こういった事柄は地元民が声を出さないとしたら、誰が言い出すのでしょうか。
このようなことを地元の人達が言い出さなかったことが、非常に疑問です。
さらには、講演会などで招聘される「文化人」の方々は、こういった問題を発想されなかったのでしょうか。されていないとすれば、国土交通省が中心となって今後作られるであろう検討委員会も、そして今平泉の町の行政機関が中心となって作られつつあるという新しい町並みに関する委員会も、町住民にとっても観光で平泉を訪れる人々にとっても、何ら役に立たない雛壇飾りでおしまいという事になりはしないのでしょうか。
エーい、ここまで言い切ってしまったのだからもう一つだけ、疑問があります。
毛越寺・中尊寺に寄生して観光というものだけで食ってきた平泉という街だからこそ、芭蕉も足を留めなかったものでしょう。そういう街では、千葉貫首の言われるとおり、「目の高い人」が敬遠するのも当然です。であるならば、いまこそ箱ものだけでない「なにものか」を目指さないといかんですよね。そうであるならば、きちんとグランド・デザインを考えましょう。そしてそのために必要であれば、両寺からもきちんと財源を確保しなさい。
そして、きちんとその使い道が議論なされるべきだと私は考えます。
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233 中尊寺貫首の言葉に感銘しました 投稿者:一ノ関シンジ 投稿日: 6月26日(火)14時02分03秒
あさひさんはじめまして、一ノ関シンジと言います。千田貫首の記事読みました。とても感動致しました。
ふたつほど質問があります。貫首の言う「センス」をかみ砕いて説明していただけませんでしょうか。
いったい貫首はどんなセンスが必要だというのでしょう。それから、芭蕉が平泉に泊まらなかった、という
指摘ですが、意味がよく分かりません。よろしければ教えて下さい。
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232 中尊寺・貫首のご意見 投稿者:あさひ
投稿日: 6月25日(月)23時06分49秒
インタビューの全文は下をクリックしてください。
http://mytown.asahi.com/iwate/news02.asp?c=5&kiji=497
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231 中尊寺貫首の景観問題についてのお考え 投稿者:あさひ
投稿日: 6月25日(月)22時56分38秒
朝日新聞岩手県版に、中尊寺貫首・千田孝信師が平泉と世界遺産についてインタビューにお答えされています。その中で景観問題に対して次のように述べられていました。
「一関遊水地の周囲堤と4号国道平泉バイパス工事の問題は、変えていいものと変えてはだめなものとのバランスが求められている。ロマンを求める人には、高館の直下を通る道路に抵抗感がある。国土交通省の熱意は分かるが、歴史的景観が損なわれようとしている。大幅で著しい変容が心配だ。土木工学的な見地からだけでない『センス』が問われる。今ごろ説明会を開くという点、町民も知事も知らなかった景観問題は是正すべきだろう。」
師は平泉の「文化遺産」は「信仰の遺産」だといわれ、平泉は清衡が築きあげた理想の仏国土であることを指摘されています。そして世界遺産がいわゆる「観光」に直結することに危惧され、自身のご出身である栃木県日光市と平泉について次のように指摘しお話を締めくくられました。
「観光客は熱が冷めたらすぐに減る。業者は受け入れ態勢やマナー・サービス面で京都などのセンスを参考に「観光文化」をみがくべきだ。文化の受け皿は人間交流からで、排他的では人は来ないし文化も育たない。日光にも「目の高い人」を疎んじる気風があって、軽井沢にみな行ってしまった。芭蕉も平泉には泊まらなかった。」
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230 岩手工事事務所のホームページ 投稿者:さいたま住人
投稿日: 6月25日(月)22時23分50秒
国土交通省・岩手工事事務所のホームページを見て気が付いた点
ホームページは「国土交通省 岩手工事事務所」で検索すればヒットします。
(1) 管理人さまが既に投稿されていますが、
6月26日(火)に「平泉・高館環境検討委員会」が開催されるそうです。
どのようなことが話し合われたのか、27日の岩手のメディアに注目したいです。
(2) 平泉町からの要望書(6ページ)がありました。
今まで、平泉町側のスタンスを示した内容が、ホームページ上のどこかにないか
探していたのですが、平泉町からの要望書(6ページ)がありました。
バイパスと堤防の一体化で要望していることがわかりました。
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229 23日の現地説明会の様子について 投稿者:管理人
投稿日: 6月25日(月)20時44分50秒
さる6月23日の平泉バイパス現地説明会(町、平泉文化会議所、平泉ユネスコ協会が国土交通省岩手工事事務所に依頼して実現)に地元の人たちが、120名も参加されたようです。このような説明会を同工事事務所が開いたのは、初めてのことであり、少し説明会の開催が遅すぎるという批判は、当然のことではないでしょうか。やはり下で「一ノ関シンジ」氏も指摘しておられたが民主主義の基本ルールである「説明責任」というものをキチンと果たした上で、より透明性のある手続きをもって、事を進めて頂きたかったと思います。
24日の岩手日報及び岩手日日紙上で詳しく述べられておりますが、やはり高館で行われた景観に対する懸念が、かなり出た模様ですね。それとテトラポッドの問題で「いったいこれをどのように使うのか」という指摘もなされたようです。また「バイパスを通る車両は景観にマッチしない。騒音などの対策をどう考えているのか」というような意見も出た、一方「遊水池事情は住民生活に必要であり大切。歴史景観がそれによって変わることはやむを得ないが、十分配慮して進めて欲しい」旨の発言をされた方もおられたようです。
最後に主催者側でもある佐々木中尊寺執事長は、「掛け替えのない景観、生活を守る治水事業、どちらも大切で、これをどう組み合わせていくかが求められる。事業を進める、やめるという二者択一の浅はかな考えでは、当事者のわたしたちは、計画をよく知り、どうすべきかをしっかり考えることが大事」と発言されました。
6月26日午後には、「平泉高館環境検討委員会」の初会合が、同町の役場で開催されることになっており、景観を含めた諸問題が、具体的に提言されることになっています。その成り行きを皆さんと共に注目して行きたいと思います。
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228 バイパスの対案 投稿者:びゃっこ
投稿日: 6月24日(日)22時33分12秒
昨日の説明会のおかげで、いろんな意見が出てきたようですね。
バイパス問題については、?トンネル案、?県道一関北上線の整備、という意見があります。そしてかなり前ですが、?東北自動車道の一関前沢・平泉間を無料にする、というのもあったと記憶しています。?のトンネル案には国家財政問題が指摘され、?の路線は現在実質的なバイパスという意見でした。
ただ気になるのは、以前として堤防問題も同質とみなし、被災者の感情を刺激している点です。堤防建設には反対してませんよね。堤防と堤防兼バイパスでは築堤の幅が大きく異なり、完成後の見栄えは変化するものと思われます。現況の工事は堤防兼バイパスですから、そこのところを見直して欲しいということではないでしょうか?
もうひとつ、バイパスについて投稿されている人は平泉を通過される方々であるという点です。道をご存じの人ならご指摘の一関北上線を利用されているとのこと。
平泉町の人はどうなのでしょうか?以前、4号線近くに住む人から、「夜ダンプの音と地響きで眠れない」という話を聞いたことがあります。大きなわだちが出来ている道路なら地響きもすごいでしょう。現況道路を整備し直すのも一法だと思います。が、そんなことはしないでひたすら道を造るのだと元建設省の人から聞いたことがあります。
バイパスを造ると、4号線沿線で商売をなさっている方々は影響があるのではないでしょうか?
いずれにせよ、この問題は、バイパスや高館の景観といった「点」での話でなく、平泉全体、つまり「面」であり3次元の話であることを認識すべきです。グランドデザインという言葉が出ていますが、今こそ、平泉のグランドデザインを考えるべき時なのではないでしょうか?
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227 バイパス問題 投稿者:一関市民C
投稿日: 6月24日(日)14時58分08秒
何故なのでしょうか。
実際の景観では以前のと近いアングルもありますよ。何人の人が200円の料金を支払って発言しているのですか。案外少ないのではないですか。4月28日の新聞掲載以降の入場者数は大幅に増えましたか?
トンネルも確かに選択肢の一つであり、現実、高速道路は平泉を迂回して築造されています。
最優先されるのは一関遊水地であり、堤防なのです。
管理者がバイパス問題を提起されるのであれば、市民としては多少の渋滞は朝夕のみであり早急に必要ではありません。それよりも県道一関北上線を整備してください。(現実的バイパスです)
堤防には出来るだけ植林等をして、出来るだけ原風景を再現する努力をしてください。
大雨が降れば、水に浸かるかもしれないという恐怖を一日も早く解消してください。
この地に住居していない人が、これ以上勝手なこというのは一日も早く終わりにしてください。
世界遺産も水害の恐怖からの解放が優先されます。
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226 工事説明会案内 投稿者:さいたま住人
投稿日: 6月24日(日)14時12分04秒
工事説明会の案内は、平泉町のホームページ(最初の表示されるページ)に出ていましたが、
私の知る限りでは、6月19日からは無くなっていました。
6月のいつ時点で削除されたかはわかりません。
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225 工事説明会と説明責任 投稿者:一ノ関シンジ
投稿日: 6月24日(日)10時20分13秒
わたしも説明会知りませんでした。工事はこのようにして、進むものなのでしょうか。
ニュースでもしらされなければ、分からないまま、「説明したじゃないの」というよう
に、後で文句でも言ったら叱られることになるかもしれません。事前にもう少し平泉の
住民だけではなく、近隣地域にも知らせて欲しかったです。これでは説明責任(アカウ
ンタビィリティ)のアリバイ作りと言われても仕方ないのでは。もう少し、実のある説
明責任を果たしてもらいたいです。
ところで肝心の参加された方、説明会はどうでした?
東北事務所の一方的な説明でしたか。それとも対話集会のような双方向のやりとりはあ
ったのでしょうか。何が何でも造るというのか。それとも見直す余地はあるのか。そこ
が問題です。でも状況を考えれば、建設費を取得するのは、国の財政も逼迫しておりた
いへんかもしれません。
ところで下で「あおどらごん」氏は、「なぜあのときトンネルにしなかったのかとか」
と「トンネル」の話をされておりましたが、それはトンネルにすれば、景観も交通渋滞
も解消されることにはなりますが、工事費の積み増しは必至であり、その捻出は財政の
面から厳しくなり事実上凍結になる可能性もでるのでは?
「みんぺい」氏の言う
「バイパス問題が、そもそもどうして堤防とくっついて出てきたのか、依然として僕に
はよくわかりません。渋滞が理由に されているのだから、きっと、混雑する季節・月・
時間帯、場所、車の方向、通過する台数など、つまり渋滞の詳しい実態が分析されてい
るはずでしょう。バイパスが必要である、との結論を導く根拠となった事実認識がいっ
たいどういうものなのか、そしてなぜ堤防と共に造るのか、もっとはっきりと各当局よ
り説明されるべきです。」
同感です。「水害常襲地」の住民である地元に堤防を否定する人がいないのは当然。
それを良いことにその「堤防と道をセット」にされては、地元では賛成するしかないの
です。所詮、この道路計画は、日本が世界遺産条約を批准する前の環境よりも新全総な
どという開発優先の政策の中からでてきたものでしょう。平泉が世界遺産になるつもり
ならば、見直しは当然であり、地元でも高館の景観がいかほどの価値あるものか、知っ
ている人などいませんでした。
町も、バイパス計画の推進ばかりを言うのではなく、国家財政の逼迫という状況も踏ま
えて情勢の変化を正しく認識し、平泉という素晴らしい歴史文化をもつ地域を、どのよ
うに未来に引き継いでいくのかのグランドデザインを見直す位の方針を出して欲しいで
すね。そのためには、この計画を見直しも含めた住民投票だって、現実的に考えてもい
いのではありませんか?今のところ、どのように考えても、国土交通省も県も町も民主
社会の基本である説明責任を果たし得ているとは言えないことは明白です。
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224 ついでになんですが。 投稿者:おとみ
投稿日: 6月23日(土)19時18分48秒
明日、平泉を車で通過せねばならぬのですが、
母が「平泉はいつも混んでるので通るのが億劫だ」
とこぼしておりました。
これが現地に住む人の正直な言葉だと思います。
思いっきり遠回りでもしない限り、目的地へ行くのに平泉町内の国道4号線しか通る手段がありません。
堤防の上に道路を通すかどうかはともかく、
国道4号線バイパスは、近隣住民のこういった要望がある限り、いずれどこかに通さなくてはならない存在なのでしょう。
行政側は現在板ばさみなのではないでしょうか?
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223 県からの説明会 投稿者:おとみ 投稿日: 6月23日(土)19時02分50秒
お久しぶりです。
お家の事情で岩手に帰省中です。
先ほどニュースで、今日、高館の景観について県から工事の内容などの説明会があったことが流れておりました。
(前もって知ってたら帰省ついでに言ったのに!(>_<))
説明を受けた方々はどんな説明を貰ったのでしょう?
その説明について納得できたのでしょうか?
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222 撮影に行きましょう 投稿者:はなみずき
投稿日: 6月21日(木)15時00分34秒
昨日の管理人さんの話は、とても純粋な気持ちになり感動しました。来月は平泉にビデオを
かついで友達と行って見ようかな、と思いました。かつてディスカバージャパンという言葉が
はやりました。今は誰も使わないような気がします。撮影に行きましょう。
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221 平泉町の姿勢を問う! 投稿者:あおどらごん
投稿日: 6月21日(木)14時30分35秒
現在バイパス工事をされている方々や堤防・バイパスその他の道路・施設促進を要求している町サイド、またこのHPで平泉の景観問題を取り上げている方々、すべては平泉の町がこれからより良い方向へ進んでいけるよう努力されている人たちだと思うのです。誰が敵で味方というものではなく、住民のためを思い、平泉という歴史的遺産のためを思い、お仕事をされているのでしょう。しかし、現在の状況では工事関係者対景観保全論者の対立という図式が明確です。町はとういうと、促進要望を出している手前か決まりきった文句しか唱えない。工事促進側は住民からの真の意見が出にくいのを逆手にとっているように感じられる。しかも対立図式を作り出そうとする情報操作さえ見え隠れする。おかしくはありませんか?みんな平泉のことを思ってやっていることでしょう?工事の方々は住民のために工事をしてるのですよね。景観保全を訴えている人は平泉の文化遺産を活用したまちつくりについて考えている。平泉にとってこれらは対立すべきものではないはずです。問題は、町自体、首長である町長を始めとして、平泉という町をどうしたいかではないでしょうか?問われるべきは町の姿勢ではないでしょうか。
柳の御所の保存問題で、英断を下した工事関係者が今度の問題でまたかといって怒るのも無理はないと思います。でも、平泉の景観を破壊する、あるいはしたことによってこれから何十回も何百回も説明しなければならないでしょう。このHPで意見を述べられている方々のように、「なぜなんだ」という問いかけはこの先続くと思います。なぜあのときトンネルにしなかったのかとか、きちんと議論はしたのかとか、問い合わせはあるのではないでしょうか?町に対しても同じです。平泉町のHPに世界文化遺産登録を目指すと明確に提言しているのに対し、この現状はどう説明するのか。工事側は町の要望そっているという殿下の宝刀があるかぎり、町の姿勢は厳しく問われるのではないでしょうか?
2000.11.26
2001.10.13 管理人