平泉・高館・景観問題・掲示板バックナンバー H

H2001.7.28〜10.13

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改めて「平泉」とは何かを問う!! 投稿者:管理人  投稿日:10月13日(土)17時19分13秒

橘次さん
どうも、奈良での高速道路を考える集いの件ですが、もしも参加されるようなことがあれば、是非平泉バイパスのサジェッションになるような部分を書き込みいだだけませんでしょうか。おっしゃる通り、トンネルと言っても、予算から始まって、遺跡破損の問題など、様々な問題があり、口で言うほど容易なことではないと思います。どうぞよろしく御願いします。

Takaさん
こんにちわ。お久しぶりですね。私も平泉に敷設されつつあるウォーキングトレイルについて、初めは、とても良いことではないかと考えて居りました。しかしよくよく考えてみますと、ちょっと待てよ。これは少し、ニュアンスが違うぞ、と思った訳です。大事なことは、平泉という歴史的景観に相応しいものでして、一時的なブームとか、そのようなもので敷設すべきものではないと、今では確信いたしております。どうも柔軟に対応いただきまして、本当にありがとうございます。

菊地さん
こんにちわ。
衣川の写真を数々、送付いただきありがとうございました。また丁寧なる説明文まで、添えていただき恐縮です。早速、写真集として、まとめさせていただきます。今後とも、平泉一帯のあるべき姿について、書き込みいただくようにお願い申し上げます。

日高見王さん

はじめまして。以前の高館の景観を取り戻すということは、すごい発想です。川を東へ移動し再度高館の山を築山するということは、工法的にはどうなんでしょう。まず膨大な資金が必要になりますから実現はとにかく難しい感じが致します。それに現在は、国家予算が、危機的状況にあり、道路予算が、削られている真っ最中ですから、余計に厳しいことになりますね。

これは是非河川土木の専門家の人だけではなく、自然景観の哲学のようなものを研究しておられる研究者に聞いてみたい問題ですね。つまり純粋に河川工法的にできることと、長い年月で出来てきた景観の自然的変遷には、それなりの意味と論理があって、容易に手を付けてはならない領域というものもあるような気も致しますが。どうなのでしょうか。

高飛びさん

こんにちわ。地元の広報誌は、拝見しておりませんが、知人より、余りにも地元の声が少ないということは、しばしば耳にしております。「当事者意識の無さ」とは、少し言い過ぎかも知れませんが、これはこれまでの日本社会の官と民における垂直的な関係の残存が、より地方で残っていることの証左であると、残念ながら思います。すでに日本は、官と民は水平的な関係にあることは自明であるのに、実際は、官も民もまだまだ、「してあげる」官と「してもらう」民の関係が、暗黙の了解として厳然と存在しているのだと思いますがいかがでしょうか。官も民も双方が、その精神的な呪縛のようなものを払拭できないと、本当にこの日本という国は、駄目になってしまうかもしれませんね。私は当事者意識を持つ前に、地方の住民が、自分の住む地域について、自分達のアイデンティティや責任に基づいて、智慧やアイデアを出し合い、あるべき郷土を創っていく位の高い自治の精神をまず持たないといけないと思いますね。今のように官や政治家任せではいけないと思うのですが、いかがでしょうか。

美雪さん
こんにちわ。写真集8の金鶏山の写真は、本当に悲しい姿ですね。人は何かがあれば、お金で換算する傾向がありますが、平泉が潜在的に持っている価値というものは、そのような価値尺度では測れない文化的な価値があるのです。だからこそ、ユネスコが世界遺産条約というものを構想したわけですよね。ともすれば、世界遺産に登録されれば、町おこしだとか観光の目玉になるなどという安易な「世界遺産登録運動」が、全国のあちこちでなされておりますが、これは世界遺産条約の趣旨から言って、邪道も邪道の不遜極まりない考え方です。かの条約では、その計り知れない人類共通の遺産が損なわれようとしているものを、破壊や乱開発から防ぐという目的で、世界遺産に登録するのであって、観光開発の為ではありません。人間の欲というものが、本末転倒した論議を産み、写真集8にあるような不幸な問題もまた生じてしまうのです。神様や仏様のお住まいに家を建て、道路をこさえるような感覚の人は、そもそも文化遺産の価値を語る資格などありません。そのような素晴らしい場所「平泉」が今まさに、人間の欲と間違った文化遺産解釈によって台無しになろうとしているのです。是非美雪さんも、書き込みを通じて、平泉バイパス建設反対の運動に参加していただけませんでしょうか。
 
 

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写真集拝見させて頂きました 投稿者:美雪  投稿日:10月11日(木)23時09分16秒

私は、史跡等も含めて、美しい景色を見るのが大好きです。いつかは、義経様の旅路の跡を自分も歩いてみたいと思っていますが、その夢が叶うのは、まだずっと先の事になりそうです。
写真集の、感想を書かせて頂きます。
個人レベルな感想ですが、古き良きものが変えられてしまう姿は大変痛々しく感じます。特に目に止まったのは、写真集8の金鶏山のズームバックでした。凄く勿体無い...。時代の流れで多少の変化はあると思いますが、最近は必要の無い変化が多い様な気がします。そして、その変化の影響で忘れ去られつつあるものの事を思いますと、とても残念に思います。
史跡は、ただそのモノだけではなく、その周りの景色を含めてが史跡だと思うので(これは趣味の問題かもしれませんが)、必要の無い限りむやみに変えて欲しくないと願います。
この変化がもし、一部のお偉いサンの私服を肥やす為の事であるなら、凄く許せないです。
奥州には絶対に行きたいと思っているのですが、私が行く頃にはどんな姿に変わっているのか想像してしまうと、興醒めしてしまいます....でも、それでも行きたいと思っています。
失ったものを取り戻すのは、容易な事では有りませんのに....残念でなりません。
 
 

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それはちょっと待ってくださいー訂正 投稿者:高飛び  投稿日:10月11日(木)22時19分44秒

すいません。下の書き込みおそらく三行目に表示される
「私は考えますが)、2など特に一個下の佐藤さんのような…」は、
「一個下の菊地さんのような御感想…」の間違いでした。
日高見さん、そして菊地さん、重ねてお詫びいたします。
 
 

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それはちょっと待ってください・・・ 投稿者:高飛び  投稿日:10月11日(木)22時14分09秒

久々に書き込みいたします。
 論旨明快な日高見王さんの書き込みですが、前提のそもそも1・2が問題なんじゃないでしょうか。1は地元の住民の皆さんの生活と農業・産業保護からどうしても必要だということになっても(実はこれも怪しいものではないかと私は考えますが)、2など特に一個下の佐藤さんのような感想をふまえると、無条件的に前提して良いものかどうか…(これも地元産業の育成と住民の交通の利便性から必要ということでしょうか?)。
 だいたいいつも思うのですが、平泉(及びその周辺の)の人たちは、それほど堤防やバイパス建設の必要性を感じていないのではないのでしょうか。ここへ書き込みがあることもありましたが、私にはその必要性が具体的な論拠を示してのものとは考えられません。私の理解不足であれば、ご面倒でしょうが再びご教示ください。(すいません)
 前の書き込みで、私も夏に平泉へ行ってみましょうと書き込みましたが、その通り行き、具体的な景観の変化を目の当たりにし、つぶさに町を歩けば歩くほど、記憶の中になる「奥州・平泉の都(の残照?)」との距離に愕然とした喪失感を拭いきれませんでした。特にあの「新高舘橋」界隈などは、これからの高舘周囲の変化、それも劣悪?醜悪?な変化を十分に予期させます。
 話題を元に戻しましょう。私が現在計画されているものが地元住民の必要性など考慮したものでないのではないかという感じを強く受けたのは、そのとき平泉町の編纂している広報誌を目にしたからでもあります。議会での質問・解答抜粋なども、もちろんここで議論されている事柄に関連しての質問もありましたが、どこかよそで決まったことというような感じ、あえて言いきれば「当事者意識の無さ」が目についたからです。
 管理人様、ご覧になりましたでしょうか?皆さんにも機会があればと思いますが…。
 
 
 

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手はあるはず 投稿者:日高見王  投稿日:10月11日(木)21時03分33秒

1.遊水地堤防は必要
2.バイパスも欲しい
3. 高館の景観も残したい

 すべてが成り立つ方法はないか、技術的に可能な方法はないか、
 鍵はいくつかある。
 一つは、北上川、ひとつは、高館、そしてもう一つはバイパスの建設工法だ、
 北上川の鍵とは、流路のことだ。
 柳之御所遺跡保存のため、北上川は東へ移動される。
 川は動くのである。川は動かせたのである。
 次に高館、
 高館の景観とは何か、高館の残すべき景観とは何か、考えて欲しい。
 江戸時代、高館の高地はもっと東に張り出していた。
 明治以降だけでも、川による浸蝕や、崩落防止の治山工事で
 数十メートルも削り取られ、義経堂も数度にわたって西へ西へと
 移動を繰り返してきたのだ。
 すべてが現在と同様の景観というのは、たかだか数十年ではないか。 
 だとすれば、高館の歴史的景観としての高館というのは何か、
 後の世までも残さねばならない高館のあり様を考えたい。
 対岸の平野の先に見渡せる束稲の山々、
 眼下の北上川、衣川、義経堂、
 飛び交うトビの声が聞こえてくるような、
 静けさも大切と思う
 それらを一体化して残そう。
 バイパスはどうか、
 ルート変更が無理なら、隠せないのか、
 道そのものを隠すのだ。
 北上川によって浸蝕された高館の高地を
 江戸時代と同様もっと東へ張り出させれば良い
 それが出来る土地がある。
 北上川は東へ移動するのだから、それも100メートルも、
 高館の高地が、将来の北上川の岸までよれば、
 現状とさほど違和感がないだろう。
 するとバイパスが、計画ルートで北上すると、
 眼前に新しい高館の高地が立ちふさがる
 そこを突き破るのだ。
 工法はある。
 人口の山の中を通過するトンネルなら、
 高速道路下のガードを造るのと大差ない。
 この解決策に、ご意見を乞う。
 
 
 

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平泉バイパス工事にちょっと待て。 投稿者:菊地 清  投稿日:10月11日(木)11時49分37秒

先日、数年振りで帰郷して驚き同時に憂鬱な気持ちに陥ったのは、故郷の山河が無残な姿に変わっていたからです。国道四号線を北上し山ノ目駅を通り過ぎ、右前方にタバシネ山の景観が広がる懐かしい風景が広がっていました。が、車を進め平泉に近づくに連れ、目前を高い盛り土の壁で塞がれてしまったのです。それは、バイパスの基礎工事のための盛り土だったのですが、わたしの心のひだに残っていたタバしネ山の形が崩れ去ってしまい、深い喪失感に襲われてしまいました。芭蕉が通り、西行が詠ったこの景観を私たちの世代が台無しにしてしまったのです。百年後、いや数年後の日本人には芭蕉と西行の感動を字面でしのぶより他になくなるのです。僕はこの国を時々誇れなくなるときがあります。百年後の歴史家は私たちの世代をどうかくのでしょうか。目先の利益に目をくらませた不幸な世代であったとでも教科書にかかれるのでしょうか。そんな教科書を読む子供の姿を思うと、愕然とするのです。恥というすばらしい日本の基本的な道徳観念をわたしたちはいつ忘れ去ってしまったのでしょうか。
 
 

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たしかにそうかもしれません。 投稿者:taka  投稿日:10月 5日(金)04時04分23秒

 佐藤さんのご指摘が無ければ、とんでもない勘違いを・・・。束稲山の大文字焼きは京都からの
拝借であったこと。また、遊歩道(ウォーキングトレイル)は当時の道などを使うのではなく全く新しく整備された事。
 「柳之御所資料館」で頂いてきたパンフレットにはその道が柳之御所を起点とすると金鶏山まで伸び、毛越寺、東北自動車道下をとおり、中尊寺、衣川へと続く、というもの。
当時の道路とはいったいどこだったのか?奥大道は毛越寺前まで来て、そこから現在のJR平泉駅まで続くという、(現在車がとおっている道ではなく。)また、金鶏山前は当時、熊野神社があったことを考えて、麓を通って、中尊寺坂下へ抜けると、「平泉建築文化研究」に載っておりました。それを考えると遊歩道整備も一概には喜べないものだと。観光や見た目だけにとらわれ過ぎて、大事なものがなくなってしまうのでまないか?と。治水・渋滞・観光と解決しなければならない問題は山のようにあります。しかし、「古都・平泉」を訪れて、真新しい遊歩道や、「眺望平泉一」といわれる高館からの景色が、北上川の流れも見えず、国道バイパスのため騒音多く、ましてそれに阻まれて平泉時代桜の名所と詠まれた束稲山が山頂部分しか見られない(想像です。)。と知ればガッカリする人も中にはいるのではないのか?と。それを思うと、先日の私の発言はここのホームページの方々の配慮を欠いた発言であったこと、いまさらながらお詫びします。ただ、私は平泉に訪れた方たちが、気分よく観光をしていく為には、遊歩道というものがあると知れば、「今度は歩いて平泉を廻りたい。」というような感じで、「また今度来たい!」と思ってくれれば、平泉に少しでも興味を持ってもらえるのでは?という考えを、自分の体験を基にして書いた。ということです。
長々となってしまいましたが、私の平泉に対する興味は中学2年以来9年間、変わったことがありません。調査が進む柳之御所遺跡での発掘、長島地区の本町?遺跡などの新たな発掘、これからも発見が続くことを思いながらこれからも平泉を見守っていきたいと思っております。
 
 

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衣川点描 投稿者:菊地  投稿日:10月 2日(火)15時41分11秒

毎日命を削って仕事に追われている中高年の皆様、受難の時代がやってきました。皆様を私の故郷衣川をご案内します。短くつたない文では有りますが、一時でも心に風が吹いてくれれば幸いです。
衣川の里が秋色に染まる十月、真っ赤に紅葉したダンドウツツジはひときわ見事です。国道四号線の衣川橋を渡った枝道で車を左に回して下さい。時速は30キロ、どうせ後続車なんていません。スピードを落として回りに目をやってください。真正面に月山の岩肌が見えるはずです。右前方の彼方に岩岳の稜線が蒼い空に交わっているはずです。この山が雪に覆われて銀色に光るのはもうすぐです。左に関山中尊寺の黒い杉林。その反対側には世原の低い丘陵が連なっています。そこはまさに800年前、義経が見た光景です。ここらで車から降
りて、煙草に火を付けてはどうでしょうか。ゆっくり煙を吐き出して下さい。煙の向うに背の低い、真っ赤に紅葉したダンドウツツジが見えるはずです。
次回はこの場所の奥にある衣川の柵があったと伝えられているところに御案内致します。
 
 
 

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奈良平城宮地下高速道路 投稿者:橘次  投稿日:10月 2日(火)08時52分16秒

奈良県平城宮地下高速道路を考える集いが、14日の日曜日に開催されます。
場所:奈良県文化会館
時間:13:30?
講師:奈良文化財研究所、奈良女子大の先生方

ご存じのとおり、奈良は世界遺産に登録されました。京都から奈良を通過し、和歌山へ至るという高速道路計画があります。しかし奈良に橋脚をもつ高速道路は造ることはできない、それなら地下を利用しようということになったのですが、地下トンネルを掘るとなると、奈良の地下にある貴重な文化財の宝庫を破壊しかねない、それならさらに深くということになる。そうすると、高速道路は奈良市を通過してしまい、奈良市にのこされるのは排気口だけ。また奈良には木簡という貴重な古代の文字が書かれた木片が多く出土し、それから当時の生活がかなり詳細にわかったきました。
地下トンネルを掘ることにより、地下水の保水性がなくなり、木簡すべてが台無しになる可能性がある。世界遺産に登録された奈良でさえこんな問題がおきているのです。
道路問題は全国レベルの問題。しかも世界遺産になろうとしている平泉にも。世界遺産の本質が問われる問題ではありませんか?
 
 

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遊歩道を造る前にするべきことが?! 投稿者:佐藤  投稿日:10月 1日(月)13時28分11秒

taka さん、平泉のレポート心を痛めながら拝読させていただきました。
その上で、大変申し訳ない言い方をさせていただきますが、あなたの意見には少なからずある種の抵抗感を感じてしまいました。それは認識の中で、新しいものと古いものを一緒くたにして考えていらっしゃるのでは、ないかという点です。例えば、平泉の大文字焼きは、ご存じの通り、京都からの拝借です。大文字焼きなんて、物まねをしなくても、奥州平泉らしい文化遺産は、ごまんとありますね。束稲山に限ってみても、まず荒れているかつての「桜の杜」と呼ばれた「束稲山」を時間をかけて、整備することが必要ではないでしょうか。それから新しい試みとされている遊歩道計画も同じです。

あなたのお話を聞いていると、これは古いものを新しく変えることで、何かとっても良い状況になりそうな感じに受け取れるのですが、バイパスの完成によって、引き起こされる功と罪を、あなたはどのように考えておられるのでしょう。今問題なのは、高館の前を通るバイパスが、古きよき景観を崩すのではという危機感ではないでしょうか。

確かにバイバスが完成すれば、中尊寺前の渋滞はへるでしょう。しかし柳の御所から高館にかけて、巾30m、高さも同様の要塞のようなバイパスが建設されれば、これまで平泉随一といわれていた景観が台無しになることになります。もし渋滞が深刻であれば、中尊寺の手前からトンネルを掘って、駅前まで素通りさせた方が、いいと思いますがいかがでしょう。技術的にもトンネル化は不可能ではないという専門家の意見もあるそうです。思うに高館バイパスは、歴史的都市平泉のかけがえのない景観を台無ししてしまう暴挙そのものです。

あなたさまが評価されている遊歩道ですが、これは旧い道の復元などではありませんね。中尊寺の裏や毛越寺の方まで徐々に造られていますが、果たしてこれで平泉の歴史的景観が、確保されるでしょうか。遊歩道は、尾瀬などの湿原に渡された形状でしられますが、あれは湿原を荒らされないための工夫であって、心ないハイカーから自然を守るためのものです。それより遊歩道に優先して、私は高館の前の東北電力の施設の移動や、無量光院の遺跡としての整備なども同様です。それに無惨にも宅地造成された経塚山周辺の景観の整備など、手を付けるのが、逆ではないかと思うのです。

これはどうも全国的なウォーキングブームによって、なされている気がします。昨年はNHKの趣味の時間でしたか、平泉がウォーキングコースとして紹介されました。一時的なブームで過ぎてみれば、あの熱はいったいなんだったのか、ということにならなければと心配しています。

大切なのは、本当の遺産として残さねばならないものをあるいは修復復元し、あるいは今手を付けるべきでないものは埋め戻し、それを未来に託すようにすることではないでしょうか。思うに遊歩道などというものを、いとも簡単に造ってはなりません。まずは歴史的都市平泉に相応しいものかどうか、という本質的な議論を念頭に置いた上でやらないと、何年かして、無用の長物を造ってしまったということにもなりかねません。要は本末転倒ではないのか、ということを言いたいのです。以上大変無礼な物言いをしてしまいました。お気に障ったかもしれません。どうかお許しください。
 

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本日、高館に行って来ました。 投稿者:taka  投稿日: 9月29日(土)23時53分35秒

 本日、仕事の合間をぬって、高館に登って参りました。
3年半ぶりの高館はすっかり変わっていました。
北上川と衣川の合流地点に向かう道が寸断され、対岸の
北上川は木がすべて切り取られて整備されていました。
高館の下に国道4号線が通り、高館からの景観は昔とは
全く変わってしまいますが、毎年8月に行われる「大文字
の送り火」を国道から見ることができたり、中尊寺前の
渋滞がなくなるのはとても良い事だと思います。中尊寺前は
駐車場の入り口などはじめて行く方には分かりづらいと以前
から思っていましたし、それとは別に「遊歩道」が整備され
つつあるようです、それというのは、徒歩で平泉の遺跡、寺
院をすべて見ることができる、というものです。
これには私、大賛成です。私は中学生の頃から、平泉の歴史
に魅せられ、高館を含め、何回も平泉を訪れています。
当時は当然、車が無いので例えば毛越寺から中尊寺までは歩く
わけですが(途中、郷土館と千手院(源義経妻子の墓)に寄る
わけですが・・・。、すぐとなりを自動車が通過したりなど安
心して歩けなかったりもしましたが、平成18年頃には完成予
定とのことなので、期待して待ちたいと思います。
高館からの束稲山の眺めは変わっていませんでしたが、長島地
区の田園地帯の真中に鎌倉時代の墓跡、平安初期の畑跡、平安
中期の住居跡などが見つかった本町?遺跡が見れました。 
 
 

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新潟のTさんからの声 投稿者:管理人  投稿日: 9月 4日(火)10時23分55秒

皆さまに、「景観問題アンケート」にお答えいただいた中から、胸に迫るような反対理由を書いていただいたTさんの文章を紹介させていただきます。

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高館からの眺めはすばらしかったでした。北上川と衣川が合流する地点を中心に
田園地帯が遙かかなたまで広がっており、いつまでも眺めていたい心が和むよう
な風景でした。子供の頃眺めて育った魚野川の堤(規模、景観のすばらしさは高
館にはとうてい及びませんが、私にとってはなつかしい故郷の原風景です。)を
思い出しました。この景観が失われるのは非常に残念です。

最近日本中どこを旅しても、似たような観光地化された景観ばかりで、舗装さ
れた道路、鉄筋コンクリート、中途半端に洋風な建造物が建ち並び、旅の感動も
覚えにくくなっていました。しかし、岩手県は違っていました。確かに大学生の
頃旅した昔とは大きく異なっていたと思いますが、空や山々や谷の連なる風景に
みちのくの風情が漂っていました。無形の文化財である伝統芸能をもきちんと伝
承しつづける真摯で律儀な人々が住む東北のこの良さを大切に保っていって欲し
いものです。

しかし、しょせん私は地元の人間ではありません。そこに生活する人々が、
もっと生活を向上させたいと願う気持ちであれば、それを阻止する権利はありま
せん。ただ、地元の人々が、自らの生活する土地、風土の良さに気づいていず
に、それを壊してしまうとしたら残念なことです。こういった傾向はもはや全国
的なものといえます。また政治的な要素も多分にからんでいることでしょう。
   
私の故郷も新幹線と高速道路で見る影もなく変わりはててしまいました。
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高館と平泉の景観問題 投稿者:前川佳代  投稿日: 8月27日(月)07時47分20秒

高館残照
夏草や兵どもが夢の跡
芭蕉はまず高館にのぼり、その悠然とした景色の中、義経主従の最期を想う句を残した。義経の
死と平泉の滅亡。そこには「滅びの美学」がある。もし平泉が永続し、義経も生き長らえていたなら、このような感傷をもってここを訪れる人はいまい。高館は、訪れる人々を、義経と芭蕉の世界へ時空を越えた共同幻想の中に誘うのである。滅んでもなお永遠に美しく存在する世界、目にはみえない世界。平泉の魅力はここにある。
現在この幻想を突き破り、むりやり現実へ引き戻すような工事が行われている。平泉バイパスで
ある。将来、四車線道路になって、騒音が増すとここには誰もこないだろう。お気の毒な義経公。
街中から見えない高館の景観破壊は、平泉の現状の縮図である。私は毎年数回平泉を訪れるよう
になって今年で十年になる。この十年で平泉は急激に変貌した。しかも国と県と町が勝手に平泉を
いじっているという感を受け、具体的なグランドデザインは見えてこない。町民は、おそらく誰一
人平泉の将来の姿を知らないだろう。見えないからだ。藤原氏は、三代それぞれが、自分のコンセ
プトをもって都市平泉を造った。大違いである。

バイパスの効用?
一九九九年十一月十一日、柳の御所跡を保存するためルート変更されたバイパスが一部開通した。過去には一九六六年に奈良の平城宮が、翌六七年には藤原宮跡のバイパス建設が回避されている。平城宮や藤原宮は今の皇居である。都が奈良に置かれなければ、世界文化遺産となった伝統文化は生まれなかった。その根源を破壊しては本末転倒である。柳の御所跡も同じ評価に値する。
 バイパスの脇に建てられた柳の御所資料館は、平泉を代表する遺跡・柳の御所跡を学ぶには申し
分ない内容の展示施設だ。入館者数は昨年12月、三万人を超えた。県内の施設でこれほど急激に人が入った施設はないという。いっぽう、平泉には金鶏山の麓に郷土館がある。ここでは平泉全体の歴史を学べ、柳の御所資料館に引けは取らない。しかし、入館者はごく稀だ。両者の明暗を分けたのはバイパスの存在である。これは将来の平泉の姿である。バイパスが全面開通となったあかつきには、観光客は平泉の街中を通らず、バイパスを利用する。まずは道の駅、柳の御所資料館へ入って、水辺プラザとかいう人工の水際で遊び、柳の御所跡を散策して、そのまま通りすぎるだろう。初めてなら中尊寺へは行くかもしれない。街中に観光客の姿は無くなる。これでいいのだろうか?毛越寺街区は何のために整備したのか?ウオーキングトレイル事業は何だ?何よりも柳の御所跡は何のために保存されたのか?町民の観光資源になる予定ではなかったのか?ここで平泉町の方針のあいまいさが浮かび上がる。平泉は何で生きていくのか?観光か?地場産業か?今後の平泉のあり方を真剣に考えるべきだ。

四神相応の地・平泉
 清衡が柳の御所跡に移り住み、平泉が生まれた。平泉は、北に関山、東に北上川、南に湿地、西に大道、すなわち玄武・青龍・朱雀・白虎の四神が揃った吉土だった。藤原氏は、周囲の山々や北上川に当時の理念を織り込んで都市平泉を造った。堤防とバイパスのため平泉の街中から見えにくくなる対岸の山々も、平泉の重要な要素である。そして高館は柳の御所の軍事的施設と考えられる。
 「魚の住む川を取り戻そう」といって、汚い川に魚の稚魚を放流するような、そう柳の御所だからといって柳の木を植栽するようなことだけはやめていただきたい。本質を理解せず、表面だけをとりつくろって世界遺産になれるわけがないからだ。「夢の跡」は、この現代に刻々と甦りつつある。平泉は掌中の珠。磨いて輝かせるのも握りつぶすのも我々次第。それを自覚し、都市と自然のあり方を藤原氏の都市つくりから学んで欲しい。
     平泉文化会議所編『東方に在り』2001.3より
 私の主張は上文に凝縮されている。むやみやたらに地域住民の悲願であるバイパス工事に反対しているわけではない。未来が見えないのだ。バイパスができた後、堤防が完成したあとの平泉の姿が。ここに書き込み、多くの方々に披露し、ご意見をお伺いいたしたい。
 
 

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第一回委員会議事録の行方を知りませんか? 投稿者:管理人  投稿日: 8月21日(火)20時16分15秒

さて皆さま夏休みも終わり、どこか秋めいた感もあり、物寂しい季節となって参りました。

ここずっと、去る6月26日の第一回「平泉・高館環境検討委員会」の議事録が、どこかに掲載されるもの
かと思って期待しておりましたところ、さっぱり議事録の詳細が見えて参りません。どなたかご存じの方は
おいでなのでしょうか。それとも、このまま、公には一切掲示されないまま、委員会内部で処理されてしま
うのでしょうか?誠に不可解な話ですね。もう二ヶ月も経過しております・・・。
 
 

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船下りは・・・ 投稿者:高飛び  投稿日: 8月 5日(日)11時13分43秒

平泉周辺の船下りに関しては、確か昭和40年代か50年代初め頃あったような気がしますが・・・。
採算の点で、うまくいかなかったのではないでしょうか?
 
 

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お礼 投稿者:らんでん  投稿日: 8月 3日(金)19時10分37秒

佐藤様
ご教示ありがとうございました。とりあえず御礼のみ申し上げます。
また書き込みできたらと存じます。
 
 

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平泉保護運動 投稿者:橘次  投稿日: 8月 3日(金)17時39分20秒

平泉の文化遺産は、時代時代に保護を受け現在にいたっている。下の鎌倉幕府しかり、伊達藩しかり。明治9年(1876)には明治天皇が巡幸され、「国家規模たる古蹟なれば厚く保護すべき」といって御下賜金があったという。しかしながら、だまっていて、平泉の窮状が御上に伝わるわけはなく、寺側の訴えなどが頻繁にあったはずである。
昭和に入り、学術調査や発掘調査が盛んに行われ、平泉全体の様相があきらかとなってきた。国の史蹟も4カ所ある。10年前の柳之御所保存運動は、開発に伴う遺跡破壊に対する保存運動だった。破壊に直面しないと、誰も気づかないのだろうか?高館の景観問題もそうだ。
平泉が、日本の中で12世紀という時代の遺産を景観も含めて残している唯一の遺跡であることは、世界遺産暫定リスト登録からも伺いしれよう。破壊されるから保存運動するというのではなく、平泉の価値を後世の人々に残すための運動こそ、必要ではないか?下の修理計画のような積極的な働きかけが必要だと思う。現在の文化財保護法任せではどうにもならない。平泉を守ろうという人間の意志が必要である。ご協力をお願いしたい。
 
 

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揚げ足を取るわけではないですが・・・ 投稿者:taka  投稿日: 8月 3日(金)04時21分14秒

先に佐藤様が述べられている、金色堂の鞘堂について。
弘安8年(1285)、中尊寺、毛越寺の住職から(平泉地方の)奉行・葛西宗清が不法な課税・労役を行い、寺領を侵したと鎌倉幕府を訴えた。彼は祖父以来「違反の覚えはない」と、反論。しかし寺側は葛西一族の時員も同様なことを行っていると反論。結果、幕府は正応元年(1288)寺側の訴えを認めた。
当初は頼朝の命令を守っていた葛西氏もその頃になると横領などをするようになったらしく、寺側の訴えもしきりであったらしい。
弘安十年(1287)8月、時宗の後を継いだ執権・貞時は「平泉寺塔修理5ヵ年計画」を立て、修理
奉行までも立てたが、44年かけても細部までは修理が行き届かなかった。
金色堂内陣の板敷きが腐朽して地に落ちた状態の検分を行ったのは「・・5カ年計画」から40年経った嘉暦二年(1327)のことだったという。
 その「計画」の一環か?、正応元年(1288)、征夷大将軍(鎌倉幕府第7代将軍)惟康親王(大河ドラマ「北条時宗」で吹越満さんが演じた6代将軍・宗尊将軍の長男)の命令で、執権・貞時は
金色堂にサヤ堂を建立。金色堂創建以来165年間、風雨にさらされたままだった。しかしそのサヤ堂は金色堂にあまりにも接近して作られたため、保護される側の金色堂に(堂の重さで)傷が付いたらしいです。ただ、蒙古襲来のイメージが強いこの頃の執権、親王の計らいで建てられたサヤ堂があったればこそ今日、空調の聞いた鉄筋新覆堂(昭和天皇・皇后両陛下は昭和45年10月10日揃って金色堂に入られました。昭和天皇は皇太子時代大正天皇とともに大正7年7月以来53年ぶりの2回目)が建ち、今日奥州藤原氏の栄華をしのぶことができるわけですから感謝。
 
 
 

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光堂を守る鞘堂の美しさによせて 投稿者:佐藤  投稿日: 7月31日(火)18時40分09秒

歴史というものは兎角に光と影を持つ。歴史に華々しく名を残す者はほんの一部で、多くは歴史という森の中に埋もれてしまうのが世の常だ。いや人ばかりではない。人が造り出すあらゆる造形物だってこれと同じ運命にある。
今年義経公843年祭で、中尊寺を訪れた時に、つくづくとこの歴史の光りと影について、思い知らされた。中尊寺と言えば、すぐに思い出されるのは金色堂だ。中には藤原三代のミイラが眠っている。歴史などは知らない人間でも、この光堂と言われるこの御堂を知らない人などいないだろう。行ってみれば一目瞭然だが、6m四方に収まるほどの実に小さな御堂である。

この御堂が建てられたのは、天治元年(1124年)というから、いまから877年ほど前になる。時代で言えば、平安時代の末期にあたる。初めこの堂は、雨ざらしの状態であった。周知の通り、金色堂は、御堂全体に金箔が貼られている。これが陸奥の風雨に晒されれば、痛みは当然激しいはずだ。時々修理改善を加えなければ、たちまち朽ち果ててしまいかねない。

そこで正応二年(1289年)鎌倉将軍であった惟康親王(これやすしんのう)のお声掛かりによって、雨露によって剥脱した金箔を貼り直し、その上に「覆堂」を建立したのであった。以来713年、この鞘堂は、金色堂を雨露の侵食から守ってきたのである。現在1288年に建てられた旧鞘堂は、新しい鞘堂に役割を譲り、経蔵の北方に移築されている。その脇には、芭蕉のブロンズ像が、立っていて、実に風情のある景観を形作っている。

金色堂は、もちろん素晴しい歴史的遺産だが、私は長い間、この金色堂を陸奥の厳しい天候の変化から守り抜いてきた鞘堂の何の変哲もない姿にそこはかとない美しさを感じるのである。その脇にある芭蕉さんの像には、目には見えないけれども、芭蕉さんを陰になり日向になり支えた曾良という人物の存在を私は感じるてしまう。鞘堂と曾良そして金色堂と芭蕉。歴史というものは、このような光りと影が彩なすドラマそのものなのであろう。私は、金色堂に参詣した折には、必ず経蔵とこの鞘堂の何気ない佇まいの奥にかいま見える歴史の美に触れて帰ることにしている。

 鞘堂と曾良に捧げる三首

炎天の鞘堂の如蕉翁を守る曾良在りて光堂立つ
己が身を風雨に晒し金色の堂を守りて鞘堂は立つ 
ふと曾良の影を見るかな夏草に埋もれし像を振り向きて見る
 

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岩手日報「平泉 世界遺産への道」 投稿者:管理人  投稿日: 7月28日(土)11時20分37秒

さて、本日より「岩手日報」のホームページに「平泉 世界遺産への道」というタイトルの
旗が立ち上がりました。日報に掲載された最近の記事を一箇所に集めたもののようです。
コンパクトにまとまっていて大変素晴らしい企画です。皆さまも是非ご利用ください。
http://www.iwate-np.co.jp/sekai/index.html
 



 

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2000.11.26 
2001.10.13 管理人