「エルベ渓谷」の世界遺産登録抹消と平泉
はじめに
今から2年前の2008年7月、平泉がユネスコ世界遺産登録を果たせず、「平泉ショック」という言葉が、新聞に掲載されたことは記憶に新しい。何しろそれまで日本が推薦した案件が、登録から洩れたことが一度もなかった。ユネスコ世界遺産条約の優等生だった日本はいったいどこへ行ってしまったのか。
ユネスコ世界遺産に登録されている遺産の数が、2009年現在890件を数え、ユネスコ自身が、遺産登録を抑える傾向にあるのではないかと言われている。言うならば、登録のハードルは年々高くなってきているということになる。ところで、平泉ショックの前年の2007年、日本は石見銀山の登録に際し、世界遺産委員会で大変な苦戦を強いられた。それはユネスコに、各国の推薦案件を審査するNGO「イコモス」(国際記念物・遺跡会議)が、石見銀山の登録について、ユネスコ世界遺産委員会に「登録延期」の勧告をしたことから始まった。イコモスは、石見銀山の遺産について、日本が作成した推薦書に説明した世界遺産登録の評価基準(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅴ)をいずれも証明不十分として「登録延期」を勧告した。
これに対して、日本は猛烈な反論を展開した。「環境」というコンセプトを用い、「自然との共生」を掲げて、21各国で構成されるユネスコ世界遺産委員会のメンバー国に対し、猛烈なアプローチを転換した。この結果、石見銀山は、大逆転で登録に漕ぎ着けたのであった。これがイコモスの誇りを傷付けたことは想像に難くない。平泉の登録が、この石見銀山の登録の翌年に行われたことは、ひとつの不幸であったかもしれない。
本稿では、09年6月、スペインのセビリアで開催された第33回ユネスコ世界遺産委員会の概要を押さえた上で、10年1月18日、政府より、正式に発表された平泉の世界遺産登録に向けた新推薦書(11年バーレーンで開催される第35回ユネスコ世界遺産委員会で検討される)について検討を加え、最後に平泉の世界遺産登録の可能性について考えてみたい。
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