Blind Spots in Risk/Benefit: 10

     
 リスクベネフィット論の死角 10
             新恐竜物語


むかしむかし、ある星でのことです。
恐竜は、この世の春を謳歌していました。

その、とてつもない大きさと強さは、他の動物を恐れさせ、
植物をなぎ倒し、恐竜は恐いもの知らずのように振る舞っていました。

恐竜は地上で、進化の頂点にいたのです。

今まで、これほどまでに進化した生き物はいないのだ、とプライドを持ち、
進化を信じ、先進恐竜社会の繁栄を誇って、恐竜は王者のように君臨して
いました。

他の恐竜が傷ついて倒れると、残った恐竜達は得意気に言い放ちました。

「そんな病気は、弱いおまえ自身の問題じゃないか。」

「なに? 苦しい? 空気が悪い? 汚染じゃと?
この弱虫の過敏者ども! 俺さま達は何ともないじゃないか!」

「おまえ達が泣き言を言っても、恐竜社会を納得させるだけの根拠が
ないのじゃ。根拠が!!」

「なに? 種の存亡に関わるだと? 恐竜さまが絶滅するわけでなし。
こんなにも強大に進化してきているのに、なにが種の存亡じゃ!」

「おまえが幾ら苦しもうと、個体が死のうと、それで恐竜が絶滅する
わけでなし。大したリスクではない。ない! 進化のメリットに比べれば
微々たるリスクなのさ。」

「皆の衆〜、安心しなされ〜い! 恐竜の平均寿命は、この地で着実に延びて
いる。我ら恐竜の適応力がいかに優れているか、見てみなされ〜い!
そもそも、長生きでなければ、こんなに大きくなれんじゃろうが。」

「なに? 恐竜は進化だけじゃなくて退化もしているだと?」
「身の危険を察知する感覚が、退化してきているじゃと?」
「身を守る本能としての不安や恐怖まで退化させてきているだと?」

「不安も恐怖も、そんなマイナス思考は、恐竜にとって役に立たぬ!」
「恐竜さまにふさわしいのは、おそれを知らぬ勇気と積極思考なのだ!」

「進化に落ちこぼれは付きもの。発展にリスクは付きものさ。」

「そもそも、恐竜は増え過ぎた。それが諸悪の根元なのだ。
恐竜の数が減れば、食べ物にしても、わしらの取り分が増えて助かる。
その、どこが悪い?」

「弱虫の過敏者どもに居場所は無い。 無い!」
「適者生存のオキテに進化論は忠実なのじゃ! 進化論こそ我ら恐竜の
支配を科学的に証明する絶大なる教えであることを忘れるな!」

「世の中は、あるがままで良いのじゃ!」

「なに、これは進化じゃなくて退化だと? 没落だ? 滅亡だと?」
「バカな! おまえは、今はやりのプラス思考を知らぬのか?」

「進化が全てなのじゃ。おまえ達が倒れるのも、恐竜という強い種の
存続が目的なのじゃ。おまえは知らぬだろうが、恐竜社会にとって
生態リスク評価とはな、おまえの命のことではない。ない! 恐竜群全体が
判断基準なのだ。集団リスクに比べれば、おまえの生きざま、死にざまなんぞ、
リスクのうちに入らぬのじゃ!」

「この恐竜社会では、落ちこぼれ要因を、許容リスクと言ってな、
恐竜社会の進化と発展に付きもののリスクに過ぎんのじゃ。」

「弱い恐竜に必要なのは、保護ではなくて放置なのだ。」

「過敏野郎の泣き言は、被害妄想のタワゴトなのじゃ。それ以上言うと、
洞窟病院に閉じこめるぞ!」


傷ついた恐竜には、先を見通す洞察がありました。
まだ元気な恐竜には、今を変える余力がありました。

しかし、誇り高く気難しい恐竜達にとって、一番難しいのが協力であり、
高みからの傍観が、いつもの習性になっていました。
やっと何とか、最後に協力が実現したものの・・・・時遅く・・・・

恐竜は、ことごとく消えて行きました。
しかし、小さな生き物は、つつましく存在しています。

私達がその星で目にするのは、恐竜の巨大な死骸であり、いつか誰かが、
この星で人類を目にするのは、その巨大な残骸と汚染の跡かも知れません。


個を尊重しないような民主主義があるでしょうか?

個々の命のリスクを重視しないような生態リスク評価で良いのでしょうか?
化学物質のリスクは、そのように社会評価されていて良いのでしょうか?

しかし今や、人間社会の生態リスク評価は、種の絶滅に基準を合わせ、
その大義名分の下に、個体リスクは許容リスクとして軽視されています。

化学汚染の危害に苦しむのは、個々の命であり、人類という集合名詞
ではないのですが。集合名詞が生身の命に優先する「リスク論」とは
どのような社会理論であり、その「生態リスク評価」とは、どれだけ
有効なのでしょう?

科学と環境の装いをした経済第一主義的な全体主義経済理論の台頭でしょうか?

「生態リスク評価」という、もっともらしい名目で犠牲を強い続け、個々の命
を又々飲み込んで行くのでしょうか?

別の恐竜物語は、すでに始まっているのでしょうか?

もし進化を本当に尊重するならば、それは一朝一夕ではない命の由来を知り、
命の重みを知ることであり、進化の成果を台無しにして行く化学汚染を、
人一倍嘆き、遺伝子の損傷因子に対して、率先警戒して立ち上がるでしょう。

命の価値を知るがゆえに。

しかし、はたしてそのような言動が見られるでしょうか?
逆に、化学汚染の影響力を軽微だと見なし、率先して被害を軽視する側に回って
いるのは、どのような人達でしょうか?


環境常識の死角、世俗常識 1 に、リスク論の死角に関連する内容があります。

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