Blind Spots in Risk/Benefit: 2
リスクベネフィット論の死角 2
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基本的な権利
利益がらみの発想と、命がらみの発想
車社会と化学社会
車社会のリスク管理
基本的な権利
国連人権委員会は、過去の歴史的いきさつをふまえて、「有害物質による
汚染や環境悪化の無い所で生活する権利を誰でも皆が持っている」という
結論に達しました。
汚染されずに暮らすのは基本的人権である、との結論です。
LIVING FREE OF POLLUTION CALLED BASIC HUMAN RIGHT
2001年4月30日 ニューヨーク発 Environmental News Service
しかし、リスクベネフィット論者の主張は、逆です。
汚染を引き受けて暮らすのは基本的義務である、との結論と強調に見えます。
しかし、そもそも私達が、検討、決定、運営に関わっていない企業が排出
する汚染を、私達が引き受けねばならないとは、どういう事でしょう?
そして、検討、決定、運営に携わってきた当の管理者達は、責任を回避する、
その為の理論的支援が、リスクベネフィット論のようです。
企業人として、人々に対してどんな危害を加えようと、何の痛みも責任も
感ずる事なく職務を遂行する理論武装として利用されうる理論です。
ベネフィットという大義名分を掲げる人達にとって、リスクは物の数ではない
のでしょう。医療ミス、汚染などのリスクに苦悶する人達の生存権さえも。
理論の帰結、それも最悪のリスクの際の責任と対処の粗末な現実を論ぜずに
リスク論を展開するならば、その姿勢自体が無責任であることに気付く必要が
あるでしょう。
「世界人権宣言で尊重されている基本権の多くが、大切な環境面と深い
つながりをもっている。」
「自然環境を汚染したり破壊する人達は、自然に対して犯罪を犯している
のみならず、人権を侵害していることを、私達は認識する時である。」
国連環境計画(UNEP)事務局長 クラウス・テプファー
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利益がらみの発想と、命がらみの発想
取り返しのつかないことに関して果敢過ぎては、いたずらに命を失います。
代替えのきかないことに関して慎重になるのは、人間として当然であります。
しかし今は、人命に関わることを慎重に扱うことが批判の対象になります。
更に、その手の批判を行う知識人達が、もてはやされます。
それほどまでにベネフィット、もしくは安全を強調する人達は、まず率先して
大きな農薬工場か産廃処理場の近隣風下に家族と共に永住し、自ら実証
した上で、ベネフィットと安全を強調して下さい。最も多く苦情の出ている
地点をお選び下さい。リスクの実態を知らずしてリスク論を展開しても、思い
込みによるバイアスと誇張を伴い、人災をもたらします。
農薬開発研究員や農薬会社社長、リスク論展開の学者など、大きな責任
ある方々に最適の場所です。妙な自信に満ちた保健所や自治体の環境職員、
臭気判定士、責任者の方々にも、まずお勧めの居住環境です。
利益がらみの発想と、命がらみの発想とで、相違が生じるのは当然のこと
ですが、両者が平行線を辿らずに済むには、 基本的人権の尊重にもとづく
実際の展開が欠かせません。そこで私は A to E の基本を皆様に提案します。
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車社会と化学社会
化学物質のリスクを、車のそれと同様だ、と見なす人達が大勢おられます。
ところで、運転者としてリスク軽減の原則は、初心に帰ることと、
「かも知れない運転」に徹することです。
それをまず念頭に置きましょう。歩行者としても同様の姿勢です。
交通事故を40年研究してきた丸山欣哉・東北大名誉教授は、事故を
起こし易い人達の特性、事故を呼ぶ心として、第一に軽率(拙速)、
第二に軽信(見込みが甘い)、第三に興奮性(こらえ性がない)、第四に
自分本位(協調欠如)を挙げ、「かも知れない運転」の重要性を強調して
います。
こういう人命に関わる地道な研究結果こそ、リスク論の基礎に活かせます。
リスク論を推進する人達は、人工化学物質のリスクに同じ事を強調しては
どうでしょう?車の場合と同様、リスク軽減の原則は初心者の気持ちを忘れ
ないことと、「かも知れない操業」であると。
多くの化学企業が、その精神に徹しているでしょうか?
少なくても身近な農薬メーカーからは、そうではないと痛感させられました。
公害問題は、それが生命として許容範囲を超えており、忍耐の限度を越え
ているからこそ、痛切な声となります。しかし、それでも問題を軽視されたり、
そこそこ程度で済まされてきたのは、保健所にも自治体にも裁判官にも、
何かが大きく欠落していると思わずにおれません。
その欠落を大きくするような方向性の理論にならないことを願っています。
耐性には様々な要件による個人差があります。化学汚染による苦痛を訴え
る人がまだ少ないとしても、それは大多数にとって安全だというシグナルでは
なく、全員にとって同様の事態が身近に迫っているかも知れない、という
予兆として見ることが、車社会の教訓から学ぶ化学社会の方向性でしょう。
私自身もそうでしたが、耐え難い刺激臭の中にあっても、そのうち工場側の
良心が機能して改善されるだろう、とか、いつまでもこんなひどい状況は
続かないだろう、何とかなるだろうと希望的に解釈し、懸命に耐えていて、
ギリギリ、体がギブアップするまで、声を挙げませんでした。
陰で不満と苦情を漏らす、そういう人達、疾病予備軍も確かにいます。
ですから、誰かが声を挙げた時、それは氷山の一角であることを保健所も
自治体も企業側も認識する必要がありますが、現実は全く逆の雑な扱いです。
人間の生命に関わる深刻なことでさえ、全て、数の多少で判断されます。
人工化学物質を車に例える人達が、率先して、車社会の運転原則である
初心に帰ることと、「かも知れない運転」の精神を化学社会に活かすように、
強調しないというのは、実に不気味です。
もし車社会の原則さえも適用されないようでは、先は交通地獄ならぬ
複合汚染の化学地獄による混乱が控えていることでしょう。一部の人達は、
既にそこで苦しんでいるからこそ、必死で声を挙げているのですが・・・・・
どうぞ、忘れないで下さい。
車社会が、交通戦争、交通地獄、交通遺児という言葉を産んだことを。
化学社会が、化学戦争、化学地獄、化学遺児という言葉を産みうることを。
車社会の経験を活かすことが、化学社会への備えになるでしょう。
もし誰かが化学物質を車と同様だと主張するだけで、車社会の教訓や原則に
触れず、活かそうとしないなら、その本質を曝すことになるでしょう。
多くのベネフィットと言いつつ、その行き着く先は・・・
素朴な農民達を満州へと駆り立てて見殺しにした人達と同列の人達かどうか。
あちこちで宣伝されているリスク論の理論展開を、しかと見届けましょう。
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車社会のリスク管理
車社会は、車の安全対策として、以下の総合的な取り組みと秩序に基づいて
維持されています。
○ 幼稚園から養老院までの交通安全教育、交通危機予測訓練
○ 夜間検問、特訓を受けた白バイ隊員、交通安全課などによる取り締まり
○ 免許取り消し、交通刑務所などの罰則強化
○ 排ガス基準の強化と、全車両への車検義務
○ 専門外科医の養成、救急医療、搬送体制やリハビリの充実
○ 傷害保険制度、医療保障、生活保護の整備
○ 各車の衝突テストによる人体への影響比較と、情報公開
○ 地域ぐるみの問題意識と、生命の尊重、安全第一
○ 事故調査機関と、相談機関の常設
○ 速度メーター、無人オービス、飲酒測定など、測定器や自動監視の導入
○ 運転適正検査と試験、更新時講習の実施
○ 官・学・産・民による切実な取り組みと、国内外の協力的な関係
○ 連日連夜のテレビ・ラジオ・新聞報道や緊急宣言による注意の喚起
○ 危険地帯の標識、巡回、チラシ・ビデオなどによる啓蒙
○ 交通事故撲滅運動、交通安全宣言による堅い決意表明
○ 交通標語の活用
などなど
これでも、まだまだ諸外国に劣る政策面など、深刻な課題が残っています。
カンガルーバー対策は、何年も遅れています。
ところで、ここまで総合的にリスク対策を実行し、資金を投入し、それで
車のベネフィットが下がりましたか?
下落どころか、質は向上し、価値は上がってきて、ニーズが高まり、世界に
普及しています。「走る棺桶」と言われた時代には、人々は買い控えました。
中途半端なリスク管理にとどまった三菱自動車や雪印は、どうなりましたか?
中途半端なリスク管理こそ、最大のリスクを犯すことになるでしょう。
それは消費者に対する最大の侮辱だからです。
化学リスクを車リスクと同様だと見なす人達こそ、車社会の維持に必要な
上記の項目に相当する対策が、化学社会として緊急に導入されるよう、
率先して訴えて行くべきではないでしょうか?
そうであってこそ、理論に責任を持つ、ということではないでしょうか?
理論一つが国家の方向を誤り、国民を不幸に陥れ、罪悪感無しに多くの生命を
奪うものだということを、私達は20世紀で嫌と言うほど痛感してきたのでは
ないでしょうか? 粗雑な理論の怖さを。
車は産業の発展に欠かせず、重要な働きを担ってきました。
だからと言って、寛大に許容されてきたのではありません。あれでもか、
これでもかと、リスク対策が行われてこそ、ベネフィットは活かされてきま
した。ベネフィットを推進する前提として必要なのが、リスク対策です。
車社会に、そこまで規制を課し、罰則を導入しても、ベネフィットを維持する、
それが素晴らしい人間の智恵です。今後も更に必要な厳しい規制や法の
導入で失われるほど、車のメリットは小さくありません。
化学リスクをそこまで管理したらベネフィットどころではなくなる、と言うなら、
それは人間の知恵と化学の恩恵への侮辱であり、最初から、低次元に
あぐらをかく安逸な姿勢及び生命軽視と言わざるを得ません。
化学のリスクを見くびることも、化学のベネフィットを見くびることも無用で
あり、車も同様であることを、車社会は教えているのではないでしょうか?
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