Blind Spots in Risk/Benefit: 3

 
    リスクベネフィット論の死角 3


まだ無法地帯なみの化学社会
化学社会の方向
誰のためのベネフィット?
リスクコミュニケーションの現実

          まだ無法地帯なみの化学社会

人間社会が製作した物は、人間が責任を持って管理する以外にありません。
人間社会の政策、清策が、そのためには是非とも欠かせません。

両脚で走る速度を超えるに従って、人間の目の認識力は低下します。
人の普通の動体視力を越えて突っ走る車が、人の手に負えない物とならない
為に、社会は、その危険とどう取り組んできたのでしょう?


人の普通の嗅覚でとらえられる範囲をはるかに越えた多くの化学物質が、
人の手に負えない物となっている現在、
車社会のリスク管理を知ることが、
化学社会としてあるべき姿への目安や展望となるのではないでしょうか?


人工化学物質への適切な管理を怠る時、それは人間が人工化学物質に
コントロールされ、手に負えなくなる時
でしょう。環境ホルモンにしても。

人工化学物質がむやみに体内に入り込まないようにすることと、人工化学
物質から人々がベネフィットを受けることとは、矛盾することでしょうか。


車の暴走族を放置できないのと同じように、化学物質の暴走族
なおさら放っておけません。
前者は若者達ですが、後者は大人達となれば、とても示しがつきません。
夜中など、思うぞんぶん暴走している工場は、どこにもないのでしょうか?
汚染の暴走で苦しんだのが、各地の公害問題ではないですか?
スピードオーバーの夜間取り締まり官は、化学社会には存在していません。

各地で、工場が撤退した跡地から、膨大な汚染物質が検出されていますが、
操業中には、長年、汚染が見逃され続けていたということでしょう。
操業中に苦情を言った人達は、多分キチガイ扱いされたことでしょう。
保健所から「精神科に見てもらいましたか」と言われたかも知れません。

化学物質からベネフィットを受けようというのなら、それとは逆のように
見みえても、化学物質のリスクに苦しむ人達の声を通して、リスクの実態を
把握し対応することが欠かせません。

「かも知れない運転」に相当する慎重さは、化学社会では、「化学物質への
不安や恐怖を煽る」とか、「化学物質や、そのリスクに過敏な特殊な人」という
レッテルを貼られますが、
そういう行為は健全な発想にもとづくのでしょうか?

物事は逆です。化学戦争や化学地獄を一歩先に知ってしまった人達が、
不安と恐怖と苦痛の中で、安心と安全への道を求めているに過ぎません。
ただ、あまりにも想像以上の苦痛と打撃なので、他の人達には、まだ実感
を伴わず、誇張か過激な表現として見えるに過ぎません。

車社会と比べて、化学社会の備えがあらゆる面で遅れているのは歴然です。
あまりの遅れを取り戻そうと懸命になる姿勢を皮肉る人達は、一体どんな
化学社会にしようとしているのでしょう?
車社会に当てはめて想像してみて下さい。

不安と恐怖に満ちた無防備な化学社会で、耐えがたい痛みに苦しむのは、
私達だけで沢山です。

あまりにも失うものが大き過ぎ、そのほとんどは取り返しがつきません。
今すぐにでもできる対策から、早急に実現することが求められています。

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              化学社会の方向

キチガイに刃物
酔っぱらいにハンドル
何とか に化学
それは何でしょうか?

刃物も車も化学物質も、凶器となり、凶悪犯罪となりうるのですが、
化学は学問であり、とても生産的であるがゆえに、そのリスクは
とかくベネフィットの陰に追いやられ、ベネフィットが優先されています。

車は国土を駆けめぐりますが、化学物質は体内を駆けめぐり、累積もします。
ともに暴走は許されません。
道路など指定された所以外を走って荒らしまくる
ならば、害があります。

限界に挑むのはサーキット場に限られるように、化学実験が研究室に
限られるうちは良いのですが、人体実験さながら、広範な規模で、本人の
許可も得ず、勝手に人工化学物質漬けにして良いはずはありません。

食べ物であろうと、空気であろうと、水であろうと、本人が望まぬ異物、
汚染物質を取り込むことになるのは、強制的であり暴力的です。
最小限にとどめられる自由の余地は、生存権の一部として必要です。

刃物や車による犯罪行為に対しては撲滅運動を推進し、安全に生きる権利
を尊重しますが、
化学物質による汚染に対しては、同じ真摯な姿勢が、
ヒステリー的だと非難され、不安や危険を煽っているとして追いやられます。

刃物や車などによる不当な被害に苦しむ人達に、同じ事を言ってみて
下さい。「ヒステリックだ。不安や恐怖を煽っている。脅しだ。リスクに過敏
になっている。刃物や車の大きなベネフィットを忘れるな。多くの人達は
ベネフィットを受けており、刃物や車による被害は少数でしかない。
リスク防止に金をかけ過ぎれば、車のベネフィットが損なわれる・・・・」
ありとあらゆる批判を被害者や交通安全促進者に向けて発信して
みて下さい。

そういう被害者切り捨ての論理が通用するほど、リスクも暴力も小さくありま
せんし、限定されてもいません。
これは自然淘汰ではなく人災であり、その犯罪性を誤魔化す為に、
被害者は化学物質に敏感な例外的な人達に過ぎないとして見下され
続けています。氷山の一角という観点も人道的な観点も、そこにはありません。

こちらが工場の汚染について話している時に、「だってそれはあなた自身
の問題でしょう。あなたが苦しいのだから、あなたの問題じゃないですか。」
と言い放ったのは、保健所の環境課責任者です。そのように

環境写真を見せながら説明しても、深刻さは理解されません。

切実なリスクを負った人達の現状や対策に毎回全く触れないリスク論が
世間では学究的な装いをし、総合的な仮面で、延々と展開されています。
被害者救済と再発防止が眼中にない一面的なリスク論
では、人間性を逸脱
する方向に向かおうとしている切迫した危惧を与えます。

人間が作りだした物が弊害をもたらさないように、最大限の努力を払う、
それは、人として当然の義務であり、企業や国家が果たさないなら、
それを要求するのは当然の権利です。

ベネフィットという名のもとに自由をはき違えた大人達が、自由をはき違えた
子供社会を作り出します。学校のイジメを論ずる前に、大人達が公害、汚染
というイジメにどう対処しているか、化学リスクの後始末がどうなっているか、
足元を見てはどうでしょう?

環境の世紀と言われる今、化学社会の方向を、しっかりと見据えましょう。

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          誰のためのベネフィット?

いま広まっているリスク論は、リスクをゼロにはできないという認識から
理論を展開しています。あるリスクを甘受しなければならないという考えが
基本にあります。リスクをゼロにすることなどできないから、リスクをなくす
運動は現実離れしていてヒステリックだ、という主張になっています。

車を使用する限り交通事故をなくすことは不可能だから、交通事故をなくす
運動は現実離れしているとか、交通事故の被害や悲惨さを訴えるのは、
不安と恐怖を人々に煽っている脅しだ、と言えますか?

リスク論がお得意の発想は、「リスク許容範囲内」という観点です。
しかし、交通事故で年間に何人死のうと、何人身障者になろうと、そこに
リスク許容範囲はありますか?
全てを経済で考える人達なら別でしょうが。

ユダヤ人虐殺でさえナチスにとってはゲルマン民族への大いなるベネフィット
であり、それに伴うリスクは許容範囲に過ぎませんでした。
ナチスにとっては大量虐殺ではなく、目的達成に必要な浄化に過ぎませんでした。

一方この社会では、人工化学物質による被害は、不適切なリスク管理による
人災ではなく、許容リスク範囲または自然淘汰に過ぎません。
特に公害問題では、それがこの社会の基本姿勢になっています。

ベネフィットを強調し優先する人達がいたなら、誰にとって一番大きな
ベネフィットであり、誰にとって一番大きなリスクなのかを吟味しましょう。
ベネフィットというおいしい言葉の背景に、利害の落差がないかどうか。

「学校はベネフィットが大きいから、そこでイジメや自殺があっても、リスクの
方が小さく、殆どの子は大丈夫なのだから、許容しろ」と言えますか?

「交通事故や犯罪は無くせないから、交通事故や犯罪撲滅運動は扇情的で、
撲滅運動に金を使いすぎれば車のベネフィットがなくなる」、といえますか?

できないという現実を口実に、徹底した努力や真摯な方向性を否定し
骨抜きにするのは、実に危険です。

リスク論には、さまざまな問題が凝縮されています。
化学物質を車やナイフになぞらえてリスク論を展開する以上は、
リスク論を実際に車社会での事故やナイフによる犯罪に適用したらどうなるか、
自分が不当な事故や犯罪に巻き込まれたら、どう思うか、
避けられた事故や犯罪が、経済ベネフィット優先で防止策を取られて
いなかったならば・・・と足元から考えてみましょう。


この上なく計算高いリスクベネフィット論ですが、命と健康をどこまで考慮に
入れているのでしょう?

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        リスクコミュニケーションの現実

化学汚染による被害は、交通事故による被害に比べれば小さい、と言う
説があります。年間の交通事故死者数と、化学汚染による死者数とを比較し、
化学物質のリスクは、まだしも許容範囲内だと思わせる論調です。

その見積もりは正しいでしょうか?
メダカやトンボに大きな影響を与えるのは、車社会でしょうか、化学社会で
しょうか?イルカやアザラシに大きな影響を与えるのは、車社会でしょうか?
人々の遺伝子を知らぬまに傷つけ、ホルモンを乱し、化学毒が子々孫々まで
引き継がれて行くのは車社会でしょうか?

癌や心臓病や脳卒中などによる死者、原因不明の難病による死者は、
人工化学物質の影響を全く含めない算定ですが、影響ゼロということが
ありうるでしょうか?

化学物質による患者達を30年以上調査してきたアメリカの環境倫理学者
は、化学社会で起きている現実を「まさにもう1つの大虐殺(ホロコースト)
と表現しています。
多くの人達は、それを聞いて、誇張だ、脅しだ、不安や恐怖を煽っている、
過激な表現だと思い、反発するでしょう。
でも、自分が患者になって全く違う状況を知った時には、どうでしょう?

化学汚染による連日の苦痛を、まるで拷問のようだと患者が表現した時、
「脅しだ、表現が異常だ」と言って怒り、叱った自治体の環境担当官もいます。
周りの役人は誰もそれに注意を与えませんでした。
余りにも異常な苦痛や症状のため、多くの医師達も知らない症状であり、
薬剤も効を奏しません。
水俣病とて、何十年経っても治療法は確立されていません。

地獄の苦痛、死亡率5割以上と言われたイタイイタイ病でさえ、半世紀以上
に及んで、その悲鳴は企業や官庁に相手にされなかったと言います。
血と涙でつづられた言葉でも、他の人達には、単なる脅しや誇張に過ぎず、
嘲笑や無視の対象でしかないのは、化学疾患に関して頻繁に起きています。

化学疾患は、落差が大きすぎてリスクコミュニケーションが極めて困難です。
リスクを把握すべき立場の人達は、リスクを負っている人達の悲痛な声に
謙虚に耳を傾ける必要があるにも拘わらず、実際は逆であり、従って、
そのリスク管理は、患者や実害を無視した、的外れの対応になっています。


しかし、人々は車社会ではギャップを乗り越え、リスクコミュニケーションを
実行し、悲鳴に手を差し伸べようとしてきました。
決して他人事ではない身近な問題として。
まだまだ不充分なリスク対策とは言え、あれだけ総合的に推進しても、
人々は車のベネフィットを活かしてきました。

リスク対策とベネフィットは必ずしも二律背反するものではなく、リスク対策
を徹底することが、ベネフィット向上の条件
であることも経験してきました。

リスクに関して、それも二度と取り返しのつかないリスクに関しては、
どんなに強調しても、し過ぎることはありません。


車のリスクを軽減し過ぎて、消費者から見捨てられ、ベネフィットをすっかり
失ってしまった自動車メーカーは、ありますか?
車の事故撲滅運動に力を入れすぎて、ベネフィットを台無しにした自治体は
ありますか?


その時に可能な最大限のリスク対策をし、それでも防げなかったリスクには
責任を持って対応する、それが責任ある国家、企業のあり方ではないで
しょうか?安心と信頼と繁栄は、そこにあります。

車に伴う有形・無形のリスクへの歴史的経験は、そのまま、
人工化学物質に伴うリスクへの対応で、きっと活かされるでしょう。
しかし、そこまで安全対策を実施させたくない人達がいるのでしょうか?

大虐殺には、それを正当化する理論が伴います。冷酷なことでも
当然のこととして遂行し、大虐殺とさえ感じさせない理論的な根拠です。
そういう冷たい理論を産み出さないためにも、歴史的な経験は大切です。

交通地獄、交通戦争、交通遺児の痛ましい教訓の中からこそ、
化学地獄、化学戦争、化学遺児を防止する堅実なヒントを学び、
更に発展させましょう。

車のリスク対策をあれだけ実行しても、まだ車の悲劇は絶えません。
もし、あれだけのことさえも化学のリスク対策として実行しなければ、
何が起きても不思議はありません。


リスク・ハザード管理を誤り、消費者に見切りをつけられるような企業が
続出しないことを願っています。

環境問題を熱心に論ずる人達の中にも、化学汚染の実感を伴わず
汚染を過小評価している人達が大勢います。
化学の価値さえも過小評価しているのでは、と思われる人達もいます。

人間社会に於ける化学の重要な地位は揺らぎませんが、犯罪的な汚染を
厳しく取り締まり、リスク管理を徹底しなければ、化学の価値まで汚れていきます。

化学物質の良さも問題点も、ありのままに見て行く上で、
化学疾患に苦しむ立場からの痛切な声がお役に立てればと願っています。

            

大量虐殺という表現を誇張だと思う人は、以下のページをご覧下さい。
pesticide は通常、広義で農薬、狭義だと殺虫剤を意味します。
農薬は agricultural chemicals, agrichemical 、殺虫剤は insecticide と
いう言葉も使われます。
なお、次のホームページで紹介されている被害は、氷山の一角です。


The Pesticide Action Network Estimates that worldwide there are 200,000 deaths from pesticide poisoning each year

Memorium
547 Men, Women and Children will Die today from Pesticide Poisoning
(Statistically known as "acceptable risks" for pesticide poison registration)

http://www.getipm.com/our-loved-ones/memorium.htm


The World Health Organization (WHO) estimates that more than 25 million people are poisoned by pesticide poisons, worldwide every year.

Remembering the Injured
(Statistically known as "acceptable risks" for pesticide poison registration)

According to the World Health Organization more than 68,493 people will be poisoned by pesticides today.  Please don't be one of them.

http://www.getipm.com/our-loved-ones/injured.htm

"I am here to bear witness for all those who have no voices.  The dead, the injured and those who don't know they are poisoned yet." - Steve Tvedten


続 く

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