Blind Spots in Risk/Benefit: 4
リスクベネフィット論の死角 4
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法治と放置
ベネフィット優先の落とし穴
患者不在のリスク論が通用する社会
個人リスクと社会リスク
汚れた空気と高血圧は関連する
法治と放置
車が走る凶器とならないために、社会はどれだけの努力をしてきたか
その姿勢を通して、人工化学物質が見えぬ凶器とならないための教訓を
学び、その貢献を活かしましょう。
いつの世も犯罪はなくならない、だから犯罪はある程度甘受すべきである、
とは言えません。
犯罪の中には、犯人にとって、どうしても見逃すことのできない悪への
成敗、正義の貫徹という映画のシーンのような意味が込められていたとしても、
犯罪は犯罪です。
その犯人がどんなに社会に貢献してきた人であったとしても、犯罪は犯罪です。
害悪を甘受せよ、とは言えません。まして被害者に向かって。
人間の行為でさえ、害悪は害悪です。まして、物質の作用ならば、幾ら
ベネフィットをもたらしていても、それで弊害を甘受できるわけではありません。
どんなに生産的な化学であろうと、汚染で人々を苦しめるのは暴力です。
苦しんでいる人が多いか少ないかの問題では全くありません。
そこの所を、多くのお役人達も勘違いしています。
生産的であって貢献しているから、多少の汚染は甘受すべきである、とは
言えません。それは傍観者の無責任な発言であり、被害者の苦しみの
一片たりと察してはいませんし、法治社会の発想でもありません。
他人の痛みがわからない大人達、察しようとさえしない大人達が増えており、
子供達の社会に影響を及ぼしています。
犯罪を人間社会から撲滅することはできなくても、いいえ、できないからこそ、
徹底した法の整備と、警察による巡回や捜査の徹底と、教育などの啓蒙が
必要になります。
完全に無くせないから甘受すべきである、生産的であるから多少は仕方ない
という見方を、車や刃物に当てはめたら、どうなるでしょう?
交通事故は無くせないから・・・
刃物は生産的であり、ほとんど、普段は害をもたらさない物だから・・・
と、そのマイナス面、凶器としての害を甘受や放置できますか?
成績が良く、学級委員長で、多くの生徒から受け入れられているから、深刻な
イジメをしていても許容せよ、仕方ない、と言えますか?
何十年も皆から好かれていた良い人であっても、犯罪行為は犯罪行為であり
暴力は暴力で、そのことへの責任は免れません。それが法治国家の原則です。
しかし、それが化学物質となり、産業問題となると、途端に放置国家の様相を
呈してきます。それは不公平な恐怖政治でもあります。
どんなに生産的であっても、そこに人間の生命や尊厳を踏みにじる要素が
含まれているならば、そのリスクは受け入れられませんし、真剣に対処する
ことがリスク管理の意味です。
産業利益優先、ベネフィット優先だから、人権侵害は多少やむをえないというのは、
全体主義と同根の理論であり、私達を苦しめた上に見捨てる最たる発想です。
法治国家の原則を揺るがす環境論、リスク論ならば、国家としての威信と、
人々の信頼を根底から覆し、情勢不安を世にもたらすでしょう。
大切なのは、水俣病にしても、当時の技術をもってすれば、公害を防げたことです。
発生しても、早期に対策を取ることが可能だったことです。
企業も、地方自治体も、中央官庁も。 しかしそれを怠りました。
その甘さのツケは、余りにも大きすぎます。
非加熱製剤によるエイズや肝炎感染にしても、打つ手がなかったのではありません。
家庭用の空気清浄機でさえ、大抵は数段階の過程を経て臭いを分解し、
最後に分解物を吸着してから新鮮な空気を出しています。
最後に吸着しない空気清浄機は、どんなに臭い分解性能の謳い文句が立派
でも、かえって変な臭いがして悪評があります。
しかし、工業用の脱臭過程には、単純な過程で済ませているものもあります。
様々な化学物質が含まれた排ガスを膨大に放出していても、脱臭過程は
単純そのもので、幾段階も経ずに放出して、それで済ませている場合もあります。
要するに、公害に関する法規制が途方もなく時代遅れなのです。
生産量や生産の種類が驚くほど増えても、排ガスの浄化過程は驚くほど
単純だったりします。驚くべき死角が見過ごされ続けています。
しかも省エネに乗じて、排ガス処理の燃料まで極度にカットされています。
現在、公害防止策として、様々な方法を組み合わせる技術が開発されています。
しかし、それを導入する意志、決断が不足しており、必要性が認識されていません。
企業からも官公庁からも。
脱臭装置は大きいから立派なのではありません。一度分解処理された排ガス
でも、分解されて物質が消えたわけではなく、分子が他の煙突からの煙分子などと
再合成し、新たな汚染物質を生じているケースも大いにありえます。
公害問題の多くは、普段から必要な調査が官庁によって充分行われていれば
予防も早期解決も可能なのですが、何十年経っても同じ所を堂々巡りしている
のが日本の環境行政であり、一部の企業姿勢です。
産業公害は過去のことではありません。
ベネフィットという旗印のもとに、どういう国家を目指しているのか、私達は
無関心でいられません。
「法治国家」の仮面をかぶった「危険放置国家」を、誰が望むのでしょうか?
ベネフィットは、免罪符ではありません。
車を「走る凶器」にしない堅い決意で国を挙げて対応してきても、日々ご覧の通り。
「黄金の島ジパング」を「汚染列島」にしない堅い決意なしに、どうやって
化学汚染の危機を乗り切れるのでしょう?
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ベネフィット優先の落とし穴
アメリカ映画で、人造人間が人々を苦しめるストーリーの映画が次々と
登場しています。それは、荒唐無稽なストーリーではなく、すでに
人々が実感したり予感していることの象徴でしょう。
人工化学物質の毒性も、人々を苦しめ、死に追いやることが可能です。
車も、武器も、刃物も、人間が作りだした物は、人間が安全管理する責任が
あります。安全管理すること自体に矛盾やリスクが伴おうとも、それは安全
管理を怠ってよいという意味ではありません。一層の工夫が必要だという
ことです。
自由と安全を守るためには何が必要か、それを怠るなら私達の生命が脅かされる
ことを、それらの映画は示しています。
人工化学物質もそうです。
安全管理を怠る理由は何でしょう?
考えられる理由は、様々あります。
ベネフィット優先もあるでしょう。
しかし、ベネフィットを優先した時、人々にとって最大のリスクに見舞われ
る可能性は考慮にないようです。
車社会で、リスク管理の何か1つでも緩めて利潤を優先した時、どうなりますか?
即、人々の生命に影響し、その収入は失われ、家族全員の市場消費額も
国家税収も減少ます。第一に、生命は取り返しがつきません。
未知のリスクより、身近なベネフィットを優先した典型は神戸市です。
阪神淡路大震災の15年前に、地震学会で重大な発表をした人がいます。
当時、東大地震研の助教授だった松田時彦氏が約100年間のデータをもとに、
阪神淡路大震災の予測を発表し、新聞社会面のトップに掲載されました。
「直下型の大地震」「要注意」「六甲・有馬高槻断層系」「近い将来、
大地震が起こる可能性の高い断層帯」その地図には、神戸、そして淡路島
北部まで太線が引かれていました。完全に正確な予測です。
いつ起きても不思議はない、との予測でした。
その新聞記事には、当時の気象庁観測部長・末広重二氏の見解も添えてあります。
「活断層の活動周期は数百年から1万年と幅が広く、活断層と言っても残存
エネルギーなどの現状を正確に測定しない限り危険ということはとても言え
ない。」と。
当時驚いたことに、神戸市は総力を挙げてポートピア博覧会へと邁進しました。
警告発表の15年後に震災の悲劇、火災による膨大なダイオキシン・・・
私達は人命や健康に関わるリスクを最優先し、まずそれへの周到な備えを
整えた上で、ベネフィットを論ずる必要があるでしょう。
砂上の楼閣にならないために。
今、人工化学物質のリスクや産業汚染の現状についても、その時の気象庁
観測部長と同様の見解が、責任ある立場の人達から発せられています。
人々は、同じことを幾度繰り返せば、気が済むのでしょう。
決して取り返しのできない命に関わることについて・・・
リスクは確かではないから、と言われます。ではベネフィットならば確かでしょうか?
ベネフィットだと思ったことが、取り返しのつかない裏目に出たことは歴史上、
枚挙にいとまありません。
地面と接するタイヤの状態が意識にないドライバーのように、患者のことが
意識にないリスク論者は、大事な観点が欠落していて足元をすくわれ、
乗員全員のみならず、周囲の人々まで致命的なリスクに巻き込む可能性が大です。
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患者不在のリスク論が通用する社会
ここでは、患者の視点から一般のリスク論を見直し、死角分を補足しています。
環境関係の専門担当者としてリスクを論ずる人達は、どうぞリスクを負わされて
ほとんど押し潰され、悲鳴を上げている患者達の現状をご理解下さい。
殆どの場合、患者達の声は、その人達にとって異様で過激な発言か、誇張や扇情
としか映らず、まず批判と説教が先立ち、無視へと続きます。
現実の万分の一も表現できなくても、それでさえ、うさんくさい脅しぐらいにしか
解釈されず、悲鳴はその人達に届きません。
リスクを一番知っていなければならない立場の人達が、一番遠い立場にいて、
実は被害者の声を反映しておらず、共感の姿勢も見られないままに、患者の
ことには一切触れず、被害者不在のリスク論や対応にとどまっています。
患者の意見が全く反映されていないリスク論は、身の毛がよだつほど不気味で
ドライです。そういう姿勢は、車社会の対応とは大きく異なり、実に立ち後れて
います。リスクコミュニケーションを語る人達さえも。
そもそも、慢性毒性の研究が立ち後れていて、神田の医学書専門店でさえ、
慢性化学疾患に関する本は殆ど見当たらず、わずかに記載があっても実に古い
内容であり、化学大国の寒々としたリスク対応の現実を思い知らされます。
こういう、目の届かない死角で苦しんでいる人達がいる現実を抜きにした
化学リスク論は、患者を抜きにした臨床同然であり、大きなバイアスになっています。
ベネフィットを追求する自由は誰にもあり、それ自体に反対ではありませんが、
化学物質がらみでは、その生産、消費の過程で毒性が他者に致命的な害を
及ぼす可能性が大です。そのリスク管理をきちんとした上でベネフィット追求に
邁進することが、阪神淡路大震災や、車社会の経験を活かすことになるでしょう。
15年先を待たずとも、化学汚染の被害者達は現に居るのですから。
非加熱血液製剤エイズ裁判と同様、被害者にとっては殺人罪に相当する被告も
裁判官にとっては無罪に過ぎない、こういう、被害者抜きの発想が、まるで
ブームの様に蔓延しているのは、ことによってエイズ以上に危険な悪性兆候かも
知れません。
被害者達にとっては、大きくて厳然としている化学リスクも、とかく
小さくて漠然としているリスクに思われがちです。
だから私達の表現が誇張や過敏にしか見えないのです。
行政や学者や企業がリスクを軽視して、そのツケは誰が負うことになるのでしょう?
そういう不条理なシステムの国に、明るい未来が開けているのでしょうか?
車リスクをそこまで言うなら車に乗るなとか、化学リスクをそこまで言うなら
原始生活に戻れとか、言う人達がいます。
その手の極論では何も解決しないどころか、リスク軽減への真摯な姿勢に水を差し、
いささかも建設的ではありません。
ベネフィット指向の強い人達が、何もベネフィットをもたらさず有害なそのような
レベルの話題に甘んじるのは、とても残念です。
より多くのベネフィットを望む人ならば、不毛な極論から脱却し、互いに
足りない観点を補い合って、より堅実なベネフィットを指向すべきです。
犯罪撲滅や事故撲滅運動、最近では小泉総理が提唱する「ゴミゼロ作戦」
これらも確かに極論ですが、それほどの決意をもって対処せねばならぬ現実
がある以上、その決意は必要かつ建設的な極論であり、方向性の堅持です。
学校の教師が「犯罪は無くせない以上、生徒が殺されても仕方ないし、
甘受すべきだ。学校のベネフィットはそれでもずっと大きい。イヤなら学校に
来るな。」と説教したなら、そういう人達と運命を共にしたいと思いますか?
その手の弁解理論に身を託したい、と、あなたは思いますか?
化学汚染に関しては、被害者の心を踏みにじる傍観者の如き冷酷な言葉が、
学問の装いをしてまかり通っています。役人の顔をして押し通しています。
断固とした決意は、できる、できないに関わらず大切で建設的な意志です。
切実な願いです。
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個人リスクと社会リスク
いくら地震国とは言え、地震の被害に合わずに済む人達は大勢いるでしょう。
しかし、化学大国にあって、その毒性と無縁で居られる人は居るでしょうか?
本人が気付くと気付かないとに関わらず、全員が影響を受けています。
それが、どれだけ深刻かは、時が来ないと想像がつきにくいかも知れません。
少子化が進み、老人社会が進み、原因不明の疾患が増え、慢性疲労や、いつも
どこか体調のすぐれない人が増え、切れる子やイジメや自殺が増え、さらに
既知や未知の化学毒が追い打ちをかけ、そのダメージによって本人の収入は
減り、市場消費額は減少し、労働人口は減少し、医療保険は増大し、国家税収は
減少し、それで、社会が安定したり、生産性が順調に行くのでしょうか?
アメリカでは、化学疾患の蔓延によって、どれくらい巨大な税収が既に失われて
いるか、算出した州もあります。それほど、個人的にも社会的にも深刻化
しているということです。
もし、行政が車社会のリスクを甘く見て、交通の安全性が悪化したなら、
それによる人々の被害、社会の負担や社会不安はどうなるでしょう?
既にそれは起きています。
目に見えやすい車のリスクでさえ、そうです。まして、目に見えにくい化学物質の
リスクには、更なる慎重さと徹底が必要なのに、車社会にさえ及ばないリスク
管理ならば、どれほど個人の負担、社会の負担と社会不安が深刻化する
でしょう?もちろん、行政への不信は頂点に達するでしょう。
ベネフィットを追求したあげくが、ベネフィットどころではなくなる社会の
到来をもたらさないとは限りません。
粗雑な経済理論の怖さは、それが、自由も、信頼も、繁栄も奪い去ることに
あります。麻薬のように、偽りの安心感を与えておいて・・・
既に膨大な赤字国家である日本の財政を、健全化しなければなりません。
しかし、国民自体が不健康の渦に巻き込まれていたなら、国家財政の健全化
どころの話ではなくなります。ですから、リスクを減らす緊急対策が必要です。
国保の赤字をこれ以上増やさない為にも、思い切った早期予防が必要です。
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汚れた空気と高血圧は関連する
20001年5月30日 ニューヨーク、ロイター発
アメリカ公衆衛生ジャーナル4月号
ドイツのニュルンベルグにある GSF 国立環境衛生研究所が25歳から64歳
までの成人2600人以上を対象に南ドイツで研究を行った結果、
二酸化硫黄などで汚染された空気は、汚染レベルと連動して収縮期血圧と
心拍数を高めることを発見。
その機序は不明だが、汚染は血圧を調整する神経系の一部に作用して変化を
起こし、心臓発作や他の心臓疾患の増加にも影響しうることが想定される。
また、大気汚染が気温、気圧、湿度に影響し、それが血圧に影響する可能性も
ある。
アメリカでも、汚染と心疾患や死亡率の増加を裏付ける最新研究が複数ある。
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