Blind Spots in Risk/Benefit: 5
リスクベネフィット論の死角 5
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命あってこそ
生命を守る本能
NEW 健康への道 / リスクベネフィット論の死角を見抜くポイント
ゼロ・エミッション構想
亡国への道
命あってこそ
環境問題を論じる人達の立脚点を、どうやって知ったら良いのでしょうか?
私達の健康と生命を真剣に守ろうとする立場かどうかを知るには?
リスク論では、リスク管理規制に於ける2種類の失敗が列挙されています。
1:リスク防止の規制が遅れ、被害が拡大すること。
2:規制が早すぎ、過剰で不要な予防措置を取ること。
1の例としては、タバコやアスベストの規制が遅れ、肺ガンが増加したこと。
2の例としては、サッカリンの危険を大きく見積もり、長年に及ぶ規制を行い、
安価なサッカリンでなく、高い砂糖を長年使用した損害が指摘されています。。
サッカリンはラットの実験で膀胱癌を引き起こすことが解り、約20年間、米国で
発ガン物質に指定されましたが、近年、発ガン物質の指定を解除されました。
砂糖の300〜400倍甘く、非常に経済的なので、20年間も人々に不安を与えた
上の経済損失は膨大であると、リスク論は指摘します。あるリスクを回避しようとして
大きな別のリスクをもたらした例は、サッカリン以外にも幾つもある、と強調します。
しかし、この2つのタイプの失敗は、対等に見て良いのでしょうか?
1のように、規制が遅れて人命に被害が出ることは、深刻であり、取り返し
がつかず、人々は緊急時でさえ対応の遅さにいつも苦しみ続けてきました。
2のように、規制が早すぎても、それは生命への慎重を期しての事であり、
その後の研究を待って規制を緩める、それは人命への被害を軽減するために、
必要な予防措置です。
それによって、他のリスクが生じても、後から挽回する努力を払うことができます。
それに、サッカリンが癌以外の何かに影響しないと断定された訳ではありません。
20年もかかって、一つの結論が出たのであり、これが逆の結論なら、20年前に規制
して正しかった訳です。早期の危険回避は、損失以上に、人々を救うでしょう。
1のような失敗は、頻繁に生じ、消費者や住民の健康と生命にとって、致命的です。
日本政府の対応は遅いことが圧倒的に多く、2のような失敗は、比較的少な目です。
両方のケースを対等に並べたり、後者を強調し、規制時機を遅らせる口実とする
ならば、繰り返されてきた公害の苦い経験は活かされません。
早期のリスク回避によって新たなリスクが生じた時、新たな工夫で回避し、
命がある限り克服できますが、手遅れで生じたリスクは、身体に回復不能の打撃を
受けて、克服困難な例が、公害でも医療被害でも多く見られます。
リスクは機敏に早期回避することが手腕の見せ所であり、被害が拡大し、
誰の目にも危険だと解り、骨身に沁みてからでは遅いのです。
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生命を守る本能
人々の不安や恐怖を批判するのは、プラス思考の人達とリスク論者に
多く見られます。慎重な不安や恐怖は、そんなにもマイナス要因でしょうか?
頭で考えるより、はるかに早く正確に危険を察知する場合は多いのですが。
不安や恐怖があるからこそ、人も動物も危険を察知して回避するのであり、
恐怖がなければ、健やかに成長する前に、危険、犯罪、事故の餌食となって
命を落とす可能性が高まります。
松下幸之助は、若者達へのアドバイスとして、恐れるということを知りなさい、
と強調していました。健全な成長にとって恐れが必要であるという見解には、
人生の深みがあふれています。
天をも恐れぬ行為、何者をも恐れぬ行為、そういう大胆不敵な犯罪が増加
していますが、恐れを知らず、恐れを軽んじる人達が、残虐な犯罪行為を
次々と犯しています。
一流企業に於いても、恐れを知らぬ人達が、臆面もなく公害をもたらし、
人々を散々苦しめ続けています。
たじろぐこともなく殺人を犯すように、躊躇もなく化学毒をまき散らしています。
戦争にしても、恐れを知らぬ人達が仕掛けて行きます。
こうして見ると、世の多くの害悪は、もし、恐れるいうことを深く謙虚に知っていたなら、
恐れと不安を大切にしていたなら、素早く感知し、防げたことでしょう。
なぜ私達に恐れがあるのか、その深い意味を理解した人達が、世の浅薄な
風潮をとても憂えています。
恐れを見下す人達は、化学毒に苦しめられておびえている人達を、弱者、
社会不適合者とみなし、たとえ亡くなっても、自然淘汰で当然だとみなすような
無慈悲でドライな社会にしようとしています。実際は自然淘汰でなく、人災であり
犯罪なのです。公害犯罪そのものです。
今まで敵対し合ってきた地球の人々が、地球外生物の侵入によって一致団結
するという筋書きに映画ではなっていますが、何も地球外生物を待たなくても、
化学毒という未知数の多い脅威に対して、協力関係が実現することは可能です。
しかし、恐怖を恐怖と感じない人達ならば、地球的規模の脅威に遭遇しようとも、
協力し合うことは不可能でしょう。
私達患者は、「化学物質や、それがもたらすリスクに過敏で過激な表現を使って
危険を誇張しており、社会に不安と恐怖を煽り立てている」 というレッテルを
貼られ続けています。リスク論者や環境を語る知識人の一部によって。
考えても見て下さい。不安も恐怖もない人達がハンドルを握る社会を。そして
不法にも交通事故に遭った人達の恐怖を。危険を放置し続ける行政への不安を。
治療法がないまま、化学毒の不気味な苦痛に耐え続ける思いを。
一体、化学物質による慢性中毒症状に詳しい医師が何人いますか?
普段からのバックアップ態勢や、いざと言う時のリスク管理が貧困なまま化学社会
を推し進めてきた社会の死角で苦しむ立場から、私達は伝え続けるでしょう。
私が倒れても。
人々の恐怖や不安が見るに見かねるならば、恐怖や不安を抱かずに済むだけの、
社会環境を整え、徹底した予防措置、緊急対処、事後対策を充実させることこそ、
すぐに必要なことです。
リスク論 死角見ないで どこがリスク論?
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健康への道 / 経済理論の仮面を見抜く
膨大な赤字財政を抱える日本政府は、不健全で異常な経済状態にあります。
国保にしても、まさに膨大な赤字状態であり、何と、漢方薬の健保適用までも
早く廃止しなければならないと言うほどの異常事態です。
犯罪や自殺が増え、凶悪犯罪、少年犯罪、家庭内犯罪が増え、社会不安を増大
させており、不健康で異常な様相が不気味なまでに拡大しつつあります。
教室での授業が成り立たないほど心身の不安定な子供達が成人した時、会社の
業務ならば成り立つのでしょうか?製品の質や安全は保たれるのでしょうか?
心身の安定や人間関係は、どうなのでしょうか?
こういう社会で生きていくのに、最大の資本である身体までも、人工化学物質
の体内累積によって異常をきたし、親から子へと傷ついた遺伝子や化学毒まで
も引き継がれて行くことは、個人、家族、社会、国家にとって極めて大きな
ダメージを受け、脱却の難しい危機的状況に直面します。
どんな経済リスクをも乗り越え、挽回できるように、せめて、裸一貫でもやり直せる
だけの体力と気力が残されているべきですが、化学毒は極端なまでにそれらを
奪い去り、通常の社会生活を営めなくします。
化学物質過敏症患者のことを、アメリカでは、目に見えざる障害者と呼び、患者達は
一見、普通に見えても、実際は化学毒による深刻なダメージを受けています。
それを現実に痛感している人達は、化学社会で化学毒の影響と苦闘する
前線の兵士に相当します。しかし生死にかかわる前線の厳しさが、後方の
人達には伝わらず、誤解され、無視や軽視されることが頻繁に起きています。
残る力を振り絞り、必死に訴える姿を見て、人々は健康だと勘違いします。
最前線からのメッセージが、後方にきちんと受けとめられないならば、その
せっかくの教訓は活かされず、後方からの支援もないままに、前線の兵士達
は倒れ果て、やがて後方の人達までもが最前線に立つことになるでしょう。
ところで、化学物質に関して語る人達の中に、もし下記のような傾向が見られたなら、
それは悲惨な化学戦争の最前線を知らずに後方で語る人であり、その内容が
果たして適切かどうか、よく吟味してみて下さい。
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リスクベネフィット論の死角を見抜くポイント
● 徹底したリスク管理の必要性を軽んじ、リスク対策、予防原則を骨抜きにする。
● 患者達、被害者達の目線での観点が欠落し、その現実に疎い。
● 現に起きている化学汚染に対する人々の不安と恐怖を軽視し、
偽りの安心を与える。
● 不安と恐怖に対しては、危機管理と予防原則で解決するのではなく、
議論、理論、批判によって、頭だけで納得させようとする。
● 人命に関わるリスクを、経済リスクと同列に見るか、経済リスク以下に見なす。
● 慎重な検討と称して、緊急に必要なハザード対策を遅延させる。
● リスク対策が別のリスクを生じた時、リスク対策を行う真剣な姿勢自体を批判
する。そして、リスクは付き物という持論と矛盾することにさえ気付かない。
● 産業汚染は殆ど改善されていると言って、産業公害を過去や途上国の事とみなす。
● 化学物質を自動車になぞらえて語っても、自動車と同様の総合的なリスク対策
を行うようにとは主張しない。
● 化学物質のリスクは自動車のリスクよりずっと小さいと主張し、化学汚染
による種の絶滅的な影響と、人々の予防原則への願いを軽視する。
● リスク論お得意の「許容リスク」という概念を、人命に関わる事にまで持ち込む。
● 生命に関わる未知のリスク、計算外のリスクを軽視し、目先の経済的な
ベネフィットを強調し優先する。
● 人命に関わることなのに、そのリスク対策を徹底すればベネフィットが損なわれる
と強調する。
● リスク管理とベネフィットを常に二極対立、二律背反で捉える。特に人命に関わる
ことではリスク管理や予防原則がベネフィットに貢献する、という事実を無視する。
● サッカリンで猿に膀胱癌が生じなかったことを強調し、
ダイオキシンで猿に子宮内膜症が生じたことは軽視し、
いずれにせよ、予防原則を軽んじる。
● 犯罪、乗物、火、毒と同様、化学汚染への予防と対策の徹底は必要であるが、
それよりも、もし予防原則を徹底すればベネフィットを損ねると強調する。
● 化学物質は政府が安全基準を管理している以上、大きな問題はないと主張し、
現実の被害者や被害を無視し切り捨てる。
● 新たな医学的現実に疎く、患者への共感に欠け、自分に理解できない疾患は
全て気のせいにして済ませ、他人事でしかない。
● 官僚の視点、産業界の視点を代表し、汚染被害者の視点等が欠落している。
しかし本人は最もバランスの取れた合理的な視点だと思い込んでいる。
● 何事もリスクは付き物だからリスクを許容することが大切だ、と強調し、
何故リスクが起きるか、その徹底検証も対策も疎かにし、被害補償を考慮に含めない
リスク論を展開する。
● 原因の科学的究明に時間がかかるのは当然だ、と主張し、公害問題の解決
には意図的に時間がかかっているという作為的な現実を全く見ようとしない。
公害の原因を隠そう、時間稼ぎで責任を隠蔽しようとする企業や官庁の思惑を
一方的に擁護し、原因への被害者達の鋭い洞察を完全に無視する。
● 被害が続出しても、不可避の許容リスクだ、経済リスクは小さい、と見なし、
予防原則の徹底とリスク補償に向けての取り組みは行わない。
● 既に古い欠陥だらけの理論だが、新しい合理的な理論だと勘違いしている。
● この理論によって人々に平等なベネフィットの恵みとリスクの自業自得が
もたらされるのであり、それを有り難く受け入れることこそ人と社会のあるべき姿だと
信じている。
現実に横たわる差別と偏向を是正するのではなく、増大する役割を果たす。
● 何がリスクであり、何がベネフィットであるかの決定者や、管理者は誰なのか?
完全な情報公開のもとに決定されたリスク・ベネフィットなのか?
その検証抜きに、偏向した情報と偏向した決定を人々に一律に押しつける役割を
果たしている。
あなたのベネフィットは私のリスク、という厳しい現実を見ず、その是正に尽くさない。
● 一般住民から決定権と管理権と知る権利を奪い、リスクと責任だけを
重く押しつける卑劣な役割を果たしている。
● 利害決定者の視点も立場も偏っている以上、共通の基盤ではあり得ないのに、
これこそが人類共通の基盤だと単純に信じ込んでいる。
そして理論の死角を無視、否定し続ける。
● 化学物質のリスクを個別に見るだけであり、化合物としての毒性や複合汚染
としてのリスクを見ず、検証せず、それでも科学的だと思い込んでいる。
● 合理的、科学的であることを尊重する反面、その理論の矛盾を示している
現実を否定する非科学的な姿勢が見られる。
● フグ、毒キノコ、トリカブト、毒蛇などの自然毒も危険なのに、合成された化学物質の
毒性だけを問題にするのはおかしい、と主張する。
人類が長年かけて経験的に毒性を把握してきた自然毒と、まだ殆ど把握できていない
化学毒とを同一に扱うことはできないにも関わらず、既知のリスクと未知のリスクとを
同一に扱うリスク感覚に留まっている。
既決書類と未決書類を混同するような感覚と理論が科学的かつ合理的なのでしょうか?
化学毒を完全に避けては生きられないから受容せよ、ではなく、完全に避けられ
ないからこそ、避けられる危険は極力避けておく努力が大切になります。
交通事故は完全に無くせないから、千人死のうと1万人死のうと許容リスクだと
いうのではなく、完全に無くせないからこそ、手の限りを尽くして、生命を救う・・・
そういう姿勢が、人々に信頼と希望と価値をもたらす国づくりに欠かせません。
繁栄する産業と化学社会は、真剣なリスク管理の備えあってこそだということを
良きにつけ悪しきにつけ、車社会は私達に教えているのではないでしょうか?
七代先を見て決断せよ、ということわざを残した民族があります。
化学社会に必要なのは、車社会で蓄積された対応と経験であり、数台先の
死角も見逃さない目配り、気配り、危険予知ではないでしょうか。
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ゼロ・エミッション構想
北九州の大工業地帯でも、デンマークの大工業地帯でも、ゼロ・エミッション
構想に従って、排出物を無くす運動が展開されています。
ともに一般民家から離れた地域であり、北九州の場合は埋め立て地に作られた
工業地帯です。まして民家に近い工場なら、排出物に慎重であるのは当然
果たすべき義務です。
リスクを無くそうとすることが、利益と矛盾する逆のことでしょうか?
リスク対策とベネフィットを相反するものとして機械的に捉える理論には
限界があります。
そもそも、人体に害が無いようにすることが、ベネフィットに反する、ベネフィットを
減ずるという発想自体が、金銭を中心に物事を考える原点に立脚しています。
そういう発想では、どこまで行っても、先へ行けば行くほど、
人間疎外をもたらし、苦しむ人々を際限なく産み出すでしょう。
金銭的にはマイナスであっても、人体にとってはプラスであれば、長い目で
見て、経済的マイナスも、やがて人間の力でカバーして行くことができます。
これが逆ならば、経済的にはプラスでも人体にはマイナスであり、そのマイナス
をカバーする人間の力さえも、リスクのダメージによって発揮できなくなります。
実際、リスクを無くすことが、いつも経済的ベネフィットを減少させるでしょうか?
たとえば、硫化水素などの硫黄化合物が日夜大量に排出され、住民達にとって
苦痛である時、その資源は煙突から無駄に排出されています。
それを回収する工夫を行うならば、せっかくの資源を外部に放出せずに排ガスを
再利用でき、しかも周辺住民の深刻な被害も防げます。
余計な有害物が外に漏れていて苦しいのですから、その漏れを防げば、資源の
回収になるとともに、人間にとっても助かります。
そういうことを工夫するのが人智であり、化学です。
価値の無い物から価値を産み出すのが、化学の得意とする所でしょう。
人々は化学に夢を託し挑戦してきました。不可能を可能にしてきました。
それが今や、俗物の経済主義に堕し、人々を苦しめる異物として体内で猛威を
ふるいつつあります。
排ガス防止、排ガス利用こそ、即座に必要なことです。
人と化学の力、現代技術の導入で改善して行ける領域です。
最初から、リスク対策 VS ベネフィットという単純化の図式で、安易なレベルに
留まることは、物的にも人的にもマイナスであること、おびただしいものがあり、
高いレベルのベネフィットとは遠くかけ離れた、俗物のベネフィットになるで
しょう。そして、俗物のベネフィットでは、常に、ベネフィットを受ける人達と、
逆にリスクを受ける人達との対立が激化して行きます。
従来のリスク論から見れば不可能な極論に過ぎないゼロ・エミッション構想が、
既に国内外で稼働を始めています。その現実に目をやることなく、
リスクをゼロにすることなどできない、と、こだわり続け、人々の誠実な努力の
方向にブレーキをかけ続ける理論とならないことを願って止みません。
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亡国への道
相手に害を与え、自分が利益を得る時には、オウムのように毒ガスをまいたり、
和歌山カレー事件のように毒物を与えたりします。それも、人々が油断している
時間帯を狙って。
しかし、そのように顕著な方法では、すぐにバレル場合には、風邪薬を安全だと
偽って与え、更に効果を挙げるために、酒と一緒に飲ませる手が使われます。
まさに、毒も積もれば山となる、です。
これらを民族レベルで大規模に行うと、どうなるでしょう?
人々が寝静まった時間や、休日でくつろいでいる時に、理由はどうであれ、工場
から有毒排気ガスを大量に放出したりしたならば?
害は無いと言って安心させ、微量の人工化学物質を徐々に飲食物や空気から
摂取させ続け、心臓発作か脳卒中か癌か難病か自殺か何かで死ぬように
もっていったならば?
リスク対策を行い過ぎれば、ベネフィットの価値がなくなる、と説得し、予防原則を
徹底させなかったならば?
リスクよりベネフィットの方が大きいので物事は良い方向に向かっている
と安心させたならば?
リスクを無くす事など絶対にできないのだから、リスクを受け入れるべきであり、
リスク許容範囲内だから大した問題はないと安心させていたならば?
化学物質への不安と恐怖を煽り立てている過敏な人達がいる、とマスコミで非難
のキャンペーンを張ったならば?
化学物質に鋭敏な人達を、不安神経症か、被害妄想か、心身症として扱い、誤った
薬物投与を行ったり、異常者、例外者扱いして黙らせようとしたならば?
それら一つ一つの戦術が、ジャブのようにジワジワと効き、日本に浸透しています。
人々の健康は損なわれ、精神的にも不安定化して行き、病人は増え、国家財政は
ますます赤字になり、企業や行政への不信は高まり、人々は生き甲斐を無くし、
人々の遺伝子は傷つき、不妊症は増え、少子化が進み、人間不信と情勢不安の中、
個人も、家庭も、社会も足元からの異常事態に揺らぎ、化学毒の累積が子孫へと
受け継がれて行きます。
そのように病的な社会、希望のない国家は、確実に衰亡への道を辿るでしょう。
シナリオは着々と進行中です。自分達がしていることもわからず、一緒になって
ダメージを増す役目を果たしている人達も大勢います。
人々の地道にして誠実な努力を上回る勢いで、複合汚染も死角だらけの理論
も広く浸透しています。
それを心底から憂え、化学毒で倒れる前に、苦痛に耐えつつ、こうして書いています。
死角からの叫びが、必ずや届くことを願って・・・・・
続 く
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