Blind Spots in Risk/Benefit: 8
 
    リスクベネフィット論の死角 8

エイブラハム・リンカーンの化学中毒
「ガン予防の12カ条」に見るリスク感覚
「ガン予防の12カ条」に見るリスク感覚 続き


          
  エイブラハム・リンカーンの化学中毒

シカゴ大学医療センターの最新の研究によると、リンカーン大統領は、鬱、不安、
不眠で苦しんでいたらしく、1850年代には非常に攻撃的になり、殆ど暴力的で
さえあった。
米国の「生物学と医学」2001年夏季号によると、リンカーン大統領は、鬱病に
一般的に服用されていた薬「ブルー・マサチューセッツ」を飲んでおり、それには、
甘草根、バラ水、蜂蜜、砂糖、バラの花弁、水銀が含まれていた。
通常の1日処方量は、現在安全とされている水銀の基準値を9000倍以上も上回っ
ていた。
水銀中毒の多くの症状の中には、攻撃性と激しい気分変動もある。
米国内戦の間、戦死者以上に病死者が多く、軍人は様々な原因で亡くなったが、
注目すべきは、当時の一般的薬物治療には、水銀とチョークの混合物が用いられ、
それは「ブルー・マサチューセッツ」であった。

http://sleepdisorders.about.com/library/weekly/aa072301a.htm?PM=n3072401e

当時のアメリカ大統領でさえ、1日の処方量が、今日の安全基準を9000倍以上も
越える毒物を、無害どころか、薬だとして処方されていました


今日、仮に千倍の余裕を見て安全値を定めたとしても、それでも実際は、はるかに
危険である可能性を無視できません。

安全だと思われていた薬物が組み合わされると危険な化合物になり、湾岸戦争症候
群の一因となったり、さらに放射線を浴びると生体への悪影響が増強される危険が
化学物質には付きまといます。


化学という字からしてそうでしょう。石油から意外にも繊維ができたりして、
化合物の世界は未知の可能性に満ちています。体内に取り込まれた複数の化学物質
がどのように化学反応を起こしているか、どこまで把握できているでしょう?

今後、人類に最大の厄災をもたらす人達は、体内で起きる様々な化学反応を知り
もせず、適当な数値を掛けて、安全だと思い込ませ、リスクを受け入れさせようと
躍起になる人達や、単独では毒性が低いからリスクを受け入れるべきだ
と強調し続ける人達である可能性は多分にあります。

すでに、そういう人達が蔓延と増大を許容、促進させてきた有害化学物質によって、
死ぬほど苦しんでいる人達は、日々増大しています。

そして、被害者はリスク許容範囲に過ぎないと見なされています。
しかし実際は、
リスク「強要」範囲として、犯罪的なまでに意図的、計画的、冷
徹に汚染を浴びせ続ける結果になっています。

かつて非常に似たような人達がいました。
侵略戦争も原爆投下も大量殺戮も、
全て、大きなベネフィットの前には小さなリスクを許容すべきだと判断した人達
の計算高い見通し
でした。
それが今日、別の形で再現されています。人々の健康や命は、象牙の塔や企業の
計算したベネフィットの前にゴキブリの如く扱われ、踏みにじられて来ました。

ベネフィット最優先の前に、個々の人権は風前の灯火も同然の扱いです。
公害は常に、特定のベネフィットの為に、掛け替えのない命を踏みにじってきました。
そして、リスク論者は今も、公害問題の不誠実と解決の遅さを堂々と弁護する勢い
を増しています。

人知への過信、数値計算への過信が、どれほど災いをもたらすか、計り知ません。
現に、大勢の化学者達、数学者達が居ながら、北極海にいる生物までもが
汚染に
苦しめられ、多くの生物が絶滅に瀕しています。人間だけはいつまでも例外だ
とでも言うのでしょうか?

人知への異常なまでの過信が、人知の及ばぬ災難をもたらしてきました。

実験動物は、他の影響を極力除外するため、可能な限り純粋環境に近い状態で
育成されているのに対して、人間は、その逆です。

ある動物がダイオキシンを与えられて観察されている時に、人間は、ダイオキシ
ンに曝される以外に、タバコの煙に曝されたり、検査のエックス線に曝されたり、
魚や肉や野菜など多種多様な食べ物を摂り、その中には残留農薬も環境ホルモンも
抗生物質も含まれます。実験動物と違い、コーヒーやアルコール飲料も飲み、工場
地帯や渋滞した道路や満員電車の空気も、他の汚染物質も吸い込み、膨大な化学
物質に曝されています。

食べ物でさえ、昔から長年の経験で「食い合わせ」が問題になってきました。
まして、
化学物質の「食い合わせ」は、どれだけ解っていると言えるのでしょう?
化合物が何を作りだし、どういう働きをするか・・・それは
個々の物質の毒性の
強弱だけを論じていれば済む世界ではありません。


個々の化学物質の発癌性の有無や、毒性の強弱を論じて、何とか安全性を認めさせ、
多少のリスクは受け入れさせようと躍起になっている人達もいます。
企業にとっては、さぞ有り難い学者達でしょう。

しかし、個々の化学物質だけをどんなに論じても、化学とはそういう世界に決して
留まるものではないという基本さえ、見失っているようです。
化合物についても調べずしては、人工化学物質の摂取について安全を強調する
のは無理があります。
化学とは物が化ける世界です。良きにつけ悪しきにつけ。
化合物として、とんでもない少量の化学物質が、思いもよらぬ作用をする世界で
す。余りにも思いがけないので、化学という名がついたのでしょうか?
いずれにしても千変万化の世界でしょう。

化学の世界では、単独物質の量と毒性強度だけを論じて人を納得させるのには
限界があります。発癌性の有無だけで納得させようとしても、基本的には不備です。

他の化学物質との組み合わせ、それによる変化、
化合物としてのリスクを調べない
限り、リスクの爪先のみを論じて、全体だと見なすようなものです。

人工化学物質が体内にある数千種の酵素、それぞれにどう働くのか、リスクが
調べられていますか?有害化学物質は目に影響しますが、
それぞれの有害化学
物質の目へのリスク
が調べられていますか?リスクを受け入れるべきだと頭から
押しつけ続けるほど自信に満ちているなら、そして化学のプロなら、説得よりも
検査と調査にもっと力を注いでからにして頂きたいものです。

出回っている人工化学物質の、よくある組み合わせパターンの結果さえ調べず、
それでいてリスク計算に自信満々で、それを受け入れるべきだと主張する人達が
得意げに語る「バランス」とは、一体どのようなものでしょう?

人知に対して
傲慢な人達がもたらすのは、拷問のような苦しみの現実です。
それを身を持って知る人達は、リスク論者にとって目の上のコブであり、
単に邪魔者でしかありません。ですから、ことあるごとに私達を頭から否定し続け、
侮蔑を浴びせ続け、それで「バランス」の取れた見解だと自己主張しています。
それは
現実から学ぶ姿勢とは大きくかけ離れています。

仮に余った複数の農薬を勝手に混ぜて使用し、それで健康や生命に被害が生じた
時、たとえそれぞれ規定量通りに使用していたとしても、農薬会社は補償するで
しょうか?保証外でしょう。たとえ2種類であったとしても、
一旦混ぜたなら、
その化合物に何が起きるか、そこまでは責任を取れないでしょう。


しかし、実際、アメリカでの広範囲に渡る住民調査では、各自の体内に、実に
多種の農薬類が存在しています。

それでもなお、規定値内の使用である限り、一生使用しても問題ないと言う人達
がいます。
農薬を勝手に混ぜて使用することを問題視する人達が、体内に複数の残留農薬が
入り込み混ざり合うことには、まず問題ないと見なしています。
どれも基準値内だから、一生摂っても大丈夫だと。

言っていることが、矛盾しており、ご都合主義です。
大量生産し、大量消費させ、責任を取るのは、あくまでもユーザー自身にさせるような
理論を普段から展開
しているのでしょう。企業や国にとっては実に都合の良い理論でも、
一般消費者や周辺住民にとっては、極めて不利な理論になっています。
そのままでは、差別的なリスク論として、その冷酷性と残虐性を発揮し続ける無責任な
理論に留まることでしょう。

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  「ガン予防の12カ条」に見るリスク感覚

ご存じのように、国立がんセンターではガンのリスク因子を分析、比較し、
「がん予防の12カ条」を掲げています。次の12項目です。

● 食事
バランスのとれた栄養を
毎日、変化のある食生活を
食べすぎを避け、脂肪は控えめに
食べ物から適量のビタミンを摂り、繊維質のものをなるべく多く
塩辛いものは少なめに、あまり熱いものはさましてから
焦げた部分はさける
カビの生えたものに注意

● 嗜好
お酒はほどほどに
たばこは吸わないように

● その他
体を清潔に
適度にスポーツをする
日光に当たりすぎない

つまり、
遺伝子を損傷するようなリスク因子を生活から排除する。
遺伝子の損傷を防止するような栄養補給等に努める。
ということを
個人的な面を中心として構成されています。
しかし、その12カ条を守っているだけではガンを防げていない、という現実は無視
されているようです。

12カ条をせっせと守っている個人の努力をなぎ倒すほどの社会環境因子に
ついては、一言もその予防原則で触れられていません。遺伝子を損傷するような
リスク因子に関して、個人で予防できる事と社会で予防できる事と、両方掲げずして
適切なリスク対策を論じられるのでしょうか?


患者達の悲鳴に耳を塞ぐかの如く、重要なリスク因子は欠落したままです。

社会因子に関する「ガン予防の12カ条」を掲げ、その改善を訴えない限り、
専門医療機関として無責任であり、原因と予防への対処が極めてアンバランス
で不適切ではないでしょうか?
これが日本のトップ医療機関の問題意識と責任感覚なのでしょうか?

国立がんセンターがどれほど時代錯誤か否かは、以下のページをご覧の上、
ご判断下さい。

第6回
 がんについての市民公開講演会 1999年6月5日
「日常生活におけるがん予防の現実性」
講演:前国立がんセンター研究所 発がん研究部長

http://wwwinfo.ncc.go.jp/NCC-CIS/pub/events/0sj/lec990605a.html

その中の、図2 
がんの原因(Nature, 303; 648, 1983) にご注目下さい。

講演は1999年で、その時に「がんの原因」として紹介された図2の資料は
1983年のデータです。

1993年のデータかとも思いましたが、Nature, 303 は確かに1983年で、
講演の16年前のデータをもって「がんの原因」としています。

講演の16年前では、測定器の精度は低く、検出されない場合もあったでしょう。

たとえば、アルマイト鍋等からアルミが溶出しているかどうかの実験で、古い
実験では「溶出していない」との結論であり、その後の実験では「溶出している」
との結論に落ち着いています。
トリカブト殺人事件では、従来の法医学検査で毒が検出されず「無罪」を証明する
結果になっていますが、その後の超微量分析では毒が検出されて「殺人」が立証
されています。
測定法の進歩により、同じ状況でも結果はそれぞれ180度違い、雲泥の差が生じ
ています。しかし、化学汚染の問題でも、測定に伴う深刻な問題が実質的に
まだまだ考慮されていないに等しいのが日本の悲劇的な現実です。

2001年の今日も、がんの原因として1983年のデータが、国立がんセンターの
ホームページに掲載されています。
その古いリスク分析による説得で、誰が喜ぶのでしょう?
誰に都合のよいデータでしょう?
誰の責任を回避できるのでしょう?


しかも、驚いたことに、講演者は前国立がんセンター研究所の発がん研究部長
です。つまり、国の最先端の研究責任者だった人が、古ぼけた資料で自己満足し、
人々にまで説得しています。
これが、いわゆる「科学的な根拠」の現実であり、「リスク評価」の実態とは驚きます。

その古いデータによる「がんの原因」から導き出される予防と対処で現実に間に合う
のでしょうか?大事な問題が放置か軽視されていませんか?

苦痛にあえぐ人達を救うより、経済至上主義に貢献する医学なのでしょうか?
当人が意識するとしないとによらず。
社会の責任を回避し個人の責任にして済ます「リスク比較」なのでしょうか?

そして、その古いデータだけを「がんの原因」として今もホームページに掲載して、
何も感じないのが国立がんセンターの体質なのでしょうか?
リアリティの薄いリスク比較に安住しないよう希望します。

データが少ない公害関係では、古いデータも深刻な意味を持ちますが、
がんの研究に於いてさえ、その程度とは、余りにもひどすぎませんか?

生身の痛切な声が反映されるよう、国立がんセンターや国立研究機関の聖域無き
構造改革は、どう抜本的に実施されるのでしょう?その青写真はあるのでしょうか?

ガンの原因と予防を殆ど個人の責任にして、社会としての責任と予防は軽視する
のが、いわゆる科学的なリスク論の現実なのでしょうか?


国立研究機関の描くリスク責任の偏向傾向と、患者からの遊離傾向は、放置して
良いのでしょうか?貴重な税金がそのように使われていて良いのでしょうか?

リスク責任を個々人のせいにし続け、官公庁や業界の責任を棚上げにしようとする
姿勢が、ありありではないでしょうか?
これは、本当に民主主義に貢献する医学でしょうか?
それとも、全体主義と官僚主義に貢献する医学なのでしょうか?


有害化学物質の汚染による深刻な疾患である化学物質過敏症は、保険適用に
さえならず、療養所もありません。

水俣病の責任さえ、国と県で回避する姿勢が何十年続いたら気が済むのでしょう?


正常な感覚では到底通用しないことも堂々と通るし、通させるのが国立の国立たる
由縁なのでしょうか?
国立の研究機関という名称の上にあぐらをかいたまま、時代錯誤と偏向に満ちた
研究理論が展開され、それで押し通されている可能性は無いのでしょうか?

個々人でどんなに食事や衛生に気を付けていても、知らずに食べている主食が、
米どころでは普通に行われている、抗生物質、有機リン系農薬、有機塩素系農薬、
合成ピレスロイド剤、展着剤(環境ホルモンである工業用界面活性剤の原料ノニル
フェノールを含む)を一緒に空中散布されて育ったお米で、他の農産物等も似た
ような状態で、更に食品添加物が多々含まれている食事では、どれだけガン予防
効果があがるのでしょう?学校給食や病院食でどれだけ配慮されているのでしょう?

国で許容した個々の化学物質の安全性や毒性だけではなく、化合物として
どのように性質が変化するのか、その安全性や毒性を科学的に示して下さい。
化合物として、思いもよらぬ性質に変化するのが化学の世界の出来事では
ないでしょうか?
主食の米に使用される農薬類の主な組み合わせで毒性データを出して下さい。
いやしくもリスクを評価し、自信満々で公表する専門家は、それさえも調べずに
自信を持ち、リスクベネフィット評価を自画自賛し、押しつけるのでしょうか?

それらが血液脳関門で防ぎきれる化合物かどうか、科学的に示して下さい。
それらの切実に知りたい事は何も知らされないまま、科学的だ、安全だ、バランスだ、
ベネフィットだと宣伝され続けています。私達はそのような幻想に酔うことは
できません。科学の死角を放置することはできません。

リスクに関する基本的な研究さえまだまだの状況では、象牙の塔によるリスク論の
妥当性よりも、実際に起きている人的被害の示すリスクの方が現実味を帯びており、
切実です。


工場からの排煙汚染が、保健所が決して調べない時には「闇の帝王」と化して
無法地帯同然では、保健所は有って無きも同然です。操業データを一切調べずに
結論を出し、何が解ると言うのでしょう?

これが税務署なら、帳簿や通帳を調べない査察で事実を解明できますか?
保健所が、このように無責任な姿勢を続ける限り、公害汚染で生命を損なう人達は
まだまだ続出するでしょう。産業公害の発生は決して過去の事とはならないでしょう。
象牙の塔は盛んに、産業公害は殆ど過去の事、発展途上国の事だと宣伝して
いますが。

威張ってばかり居て、基本的なことさえ調べておらず、危機管理意識の極めて
乏しいのが保健所の実態です。
昼間だけ勤務の警察や消防や病院がありますか?

公害汚染が危機をもたらし、生死に関わることであり、自由と健康が脅かされること
だという認識が保健所や自治体に欠如しているのでは、かつての悲惨な公害の
教訓が生かされているとは言えません。


国立研究機関や保健所に関与する方が読んでおられましたら、社会のひずみの
片隅で、不正の元に苦しむ人達の悲鳴を汲み取って頂きたく、切にお願い申し上げ
ます。


国立がんセンターの上記サイトに、こうあります。

>
がんの原因の1/3は「たばこ」です。それと同じぐらい重要なのが「食事」です。
>
それ以外の原因、例えば職業環境によってがんになる方もいますが、この数
>
どんどん減っています。こうしたがんは原因がわかりやすく、その対策が立て
>
やすいのです。

原因がわかりやすく対策を立てやすいなら、なぜ個人生活だけにとどまらず、
社会環境要因を対象とした「ガン予防の12カ条」を立てないのでしょう?

上記講演までの16年で、何万の化学物質が増え、どれほど化学工場が拡大し、
自動車が増えたか解りませんが、それらが「がんの原因」比率の増大にならず、
減少とは、一体どういう明白な根拠にもとづくのでしょう?

講演の16年前には、3人に1人がガンの時代という言葉はまだ聞いていません。
新種の化学物質が何万と増えてもガンの原因がわかりやすく対策を立てやすい
なら、なぜ3人に1人がガン、の時代になったり、原因不明の先天性疾患や
後天性疾患などの難病が続出しているのでしょう?

これが国立がんセンター研究所の発がん研究部長だった人の講演とは、
驚愕の世界です。
こういう発ガン原因理論でガン予防対策が取られている社会である以上、
誰がガンになっても不思議のない社会の到来は必然かも知れません。
このようにして、現代科学の死角で、いたいけな犠牲と悲鳴は更に続きます。

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      「ガン予防の12カ条」に見るリスク感覚 続き

人間は個人的な存在であると同時に、社会的な存在であり、両面からのアプローチ
が欠かせません。
どちらかが欠けても、決定的な片手落ちでしょう。
そういう意味でも「がん予防の12カ条」は、個人面と社会面からの予防対策を
がんセンターとして提示しても良いのではないでしょうか?
がんセンターが打ち出さなければ、どこが出すと言うのでしょう?
他に出すところが無いから、どこも今までに出していないのではないでしょうか?

職場や、公共の場や、学校などで過ごす人生の時間は、家庭に居る時間と比べても
決して無視できる長さではありません。それらは日常生活に含まれないのでしょうか?

それらの場に居る時の発ガン因子は、それほどまでに小さいのでしょうか?

主婦がどんなにラベルに書かれた成分に注意して食品を買っても、一緒に買う主食
さえ、よくあるように、抗生物質、有機リン剤、有機塩素剤、合成ピレスロイド剤、
展着剤などを一緒に空中散布している現状では、その影響はどうなのでしょう?
個々の農薬ではなく、それらの化合物としての毒性が、調べられているとは聞きま
せん。
展着剤には環境ホルモンであることが決定したノニルフェノールも含まれます。
しかも、それらは殆どの米袋に書かれておらず、消費者には知らされません。
米の1等米、2等米などランク付けに、農薬類は考慮されません。
主食でさえそうなら、他の食品は推して知るべしです。

病院で出す主食がそういう状況なら、病人への影響は一層大きい可能性があります。
こういうことは、患者など個人レベルでは、手に負えないレベルのことです。
社会として綿密に調べ、きちんと情報公開し、対応することが欠かせません。
職場や学校、地域の空気質が改善されないまま放置され、ひどく病む人達もいます。
個人での健康への努力を根こそぎにする力が、社会的な化学汚染にはあります。
公害にしても、恐ろしいまでに、蝕んで行きますが、それへの対応は背筋が寒くなる
ほど愕然とする実態です。

市民相手だから、個人衛生だけ語れば済むのでしょうか?
素人相手だ、と講師がバカにしているとは決して思いませんが。
土曜日の市民公開講演会でしたから、官公庁や企業、学校の責任者達やマスコミ
関係者、様々な専門分野の担当者達も参加していた可能性があります。

個人レベルと社会レベルとでバランスを取る相乗効果の展開や、訴えかけなくして、
本当に予防効果が上がるのでしょうか、
という問題提起を、ここでさせて頂きました。

リスク要因の認識や、リスク比較の内容は、そのまま、リスク責任が誰にあるか
ということに直結しがちです。個人の責任、で簡単に済まされ、誤魔化され、
社会責任が回避されがちな状況が厳然として存在している以上、リスク要因や
リスク比較を語る人の責任は重大です。そこには人々の生命が掛かっています。
リスク要因やリスク比較を公表する立場に於ける偏向は致命的な影響を与えます。

個人にとって深刻であるだけでなく、社会にとっても深刻であり、信頼関係をも破壊
し、社会に亀裂を作り、生産的とは到底言えませんし、民主主義的でさえありません。

社会要因、環境要因のガンは原因がわかりやすく、その対策が立てやすいならば、
なぜ人々は環境問題、汚染、保健所や自治体の対応に苦しんでいるのでしょう?
3人に1人がガンになると言われる時代になったのは、殆ど個人の心掛けの悪さ
が原因で、それさえ改善すれば発ガン率は一気に下がると言うのでしょうか?

「ガン予防の12カ条」
にしても、原因がわかりやすく対策を立てやすい、と豪語
するところの予防原則をも打ち立てて、その具体策を示して頂きたいものです。

ガンは社会のガンと密接な関係があり、社会のガンの一つが、化学汚染、公害で
あり、それを放置や軽視し続ける行政と企業倫理です。
社会のガン対策抜きに、ガン予防効果がどれだけあがるのでしょう?
環境問題、職場問題などを抜きに、殆ど個人問題だけでガン予防効果を目指す
のは、前世紀のあり方であっても、「環境の世紀」のあり方では決してありません。


ガン戦争は総合戦である、と言われることからも、総合的なアプローチが不可欠
ではないでしょうか?
皆様方の、賢明なるご判断を仰ぐ次第です。


ホームページは、もっと解りやすく箇条書きに書きたいと自分でも思いつつ、
汚染で体調が、思うにまかせず・・・済みません。




環境常識の死角、世俗常識 1 に、リスク論の死角に関連する内容があります。

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