Blind Spots in Risk/Benefit: 9
 
    リスクベネフィット論の死角 9

リスクの判断基準は適切だろうか?
夜魔徒の国の化学者と環境学者のレベル
卑劣漢の論法


      リスクの判断基準は適切だろうか?


被害者が死ぬ。リスク論者は、これを化学汚染の究極基準としています。
この基準は、被害の現実にほんとうにふさわしいものでしょうか?

この基準が正しいなら、なるべく殺さず、手足や目に損傷をあたえる対人地雷が
世界に蔓延することは決してなかったはずです。
敵の死によって最大のリスクを個人や家庭、社会にあたえることになるという
発想通りならば・・・

しかし現実は、彼らのいう判断基準や理論と違っていました。個人や社会の
リスクを人の死よりも大きくするために、対人地雷が使われたからです。
リスクの大きさと残酷さゆえ、非人道的な対人地雷を廃止する運動が起きました。
ところがリスク論は、いまもなお、死が最大のリスクだと断定し切っています。


リスク論者は、それほどまでに被害の現実に無知です。
これでは国家、社会の見通しを長期にわたって立てられるわけもありません。
被害者の悲痛な叫びをかえりみない環境理論が「環境の世紀」をリードし、
国の環境政策に決定的な影響をあたえている現状を憂えずにおれません。


一人でも多くの人が、早くこの落とし穴に気づくことこそ緊急の課題でしょう。
膨大な赤字財政の医療保険制度は破綻寸前で、人々の負担を増やして行く一方
です。化学物質管理の制度は、本当にリスクを軽減する持続可能な方向に進んで
いるでしょうか。

対人地雷は、プラスチックで覆われ金属が少ないため、すぐ足元にあっても
危険であることがなかなか判りません。これと同じように、化学物質などによる
被害の現実からかけ離れた環境理論が世界に蔓延するとどうなるでしょうか?

対人地雷でもそうなのですから、ずっと小さな化学分子のリスクをどう
見るかという判断基準は、きわめて重要です。
基準が間違っていると、
対人地雷よりさらに広い範囲に被害がおよび、被害が社会全体に広がる
ことになってしまうでしょう。

大地に埋めこまれた対人地雷とちがって、私たちの衣食住に化学物質の分子が
入りこみ、職場、住まい、学校、大地、水、空気・・・ そして私達の一息一息、
一口一口にまでおよぶ環境要因、汚染因子となります。

後からの口実としていつも持ち出される「予測できないリスク」ではなく、
最初から意識して「無視されるリスク」があることに気づく必要があります。
人の死を基準とする誤った判断によって軽視され、除外視されつづけたリスクです。


このように誤った判断基準はどこから出てきたのでしょうか。
自分たちこそ学問研究のプロだ、環境問題の担当者だという驕りです。
そしてこれに被害実態の軽視という初歩的ミスが重なっています。
学究者として恥ずべき名を後世に曝すことのないよう切に希望します。

日本が世界一の長寿を成しとげたのは、
化学リスクが正しく管理されている証拠だと楽観視する人たちがいます。
日本が世界一の躍進を成しとげたのは、
経済リスクが正しく管理されている証拠だと楽観視した人たちと同様です。

リスクの基準をとり違えると、どんなに大きな被害がでてくるか、
身をもって知るのは、誰なのでしょう?


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夜魔徒の国の化学者と環境学者のレベル


アメリカ政府では、危険有害物質の輸送に関する原則として、もし事故で流出が
起きた際には、そこで発生する有毒揮発物から人々を守るために、現場から
どれだけの距離内を危険地帯とするか、明確に定めています。

たとえば、農薬工場等から放出されている
硫化水素もし輸送中に漏れると

少量の流出
ならば、30分以内の拡散地域として、まず現場から半径30メートルを
初期危険地帯とし、
日中ならば、風下方向に200メートル
夜間ならば、風下方向に300メートル

の範囲と合わせて、汚染処理班以外は
立ち退き地域とします。

大量の流出ならば、30分以内の拡散地域として、まず現場から半径215メートルを
初期危険地帯とし、
日中ならば、風下方向に1400メートル
夜間ならば、風下方向に4300メートル

の範囲と合わせて、汚染処理班以外は、
立ち退き地域とします。

流出時の措置として、
様々な化学物質の場合、日中と比べ、夜間では、
風下方向に3、4倍長い危険距離を設定
するのは珍しくありません。

少量の流出とは、200リットルドラム缶など、小さな容器1つからの流出、又は
大きな容器から少量の流出を指します。
大量の流出とは、大きな容器からの流出、又は複数の小さな容器から流出する場合を
指します。

2000 EMERGENCY RESPONSE GUIDEBOOK
TABLE of INITIAL ISOLATION and PROTECTIVE ACTION DISTANCES
http://www.tc.gc.ca/canutec/erg_gmu/search/distance.asp?prNIP=1005&dxNIP=1556&lang=en

夜間の待避距離を長く取る理由として、夜間は
・ 迅速な避難や連絡をしづらい。
・ 何かと目視で確認しづらい。
・ 大地が太陽で熱せられて上昇気流が盛んな日中と異なり、夜間は大気の対流と拡散が
減り、汚染された空気が生活空間に停留しやすい。
・ 睡眠中のため、危険に気付かない人達がいる。
・ 危険を感知しても、疲労でそのまま寝たり、適切に対処できなかったりする。
・ 疲れて無防備な時に不意を突かれるのは、被害が大きい。
・ 日中と違い、ずっと屋内に居ることが多いだけに汚染の影響は大きい。
・ 睡眠中の人体に与える生理的影響。

・・・などがあるのでしょう。

突然の一過性の事故による流出と異なり、
硫化水素や多種多様な化学物質を煙突などから年中排出している化学工場では、
地域住民の為に夜間の排出を減少することが絶対に必要です。
しかし逆に、殆どの工員が夕方帰宅した後、朝まで夜間の排出量が増大するのは
普通に行われています。
とりわけ、休祭日に排出量が増大しています。


夜間や休祭日は、保健所も自治体も立ち入らない時間帯なので、工場側は安心して
どっと大量に排出し続けています。
このような無法地帯が今なお厳然と存在していても、
日本は汚染に野放しです。

平日の日中、それも年に1回か、せいぜい2回測定して結論を出し、住民からの苦情は
鼻であしらっているのが、日本のお粗末な環境行政です。

これは、もはや、ただの化学汚染ではありません。
野蛮な化学犯罪行為であり、
住民にとって殺されるか否かの戦争であり
重大な挑発行為です。
日中の汚染だけでも慢性的なのに、寝ている間にも、一息一息、じわじわと更なる汚染に曝され続け、それが様々な疾患を誘発しています。

化学リスクを扱う専門家達は、こういう、化学リスクのイロハをおろそかにし、
現場の実態を知らず、
それでいて専門家を自認し、恐ろしいまでに
リーダーシップを発揮しています。
タイヤの悲鳴を無視し続ける無謀運転のような愚行が、いつまで続くのでしょう?

「産業公害は、もう殆ど発展途上国のことに過ぎない」と断言する国立大学の
環境学者もいます。何と無責任な発言でしょう?
国民のプライドをくすぐって人気を博しても、現実の化学汚染は何も解決しません。

ごく基本的な化学汚染の実態さえ知らず、その問題意識すら欠如しているのですから。

まるで大本営発表同然の調子で化学リスクを語っている学者達ですが、その陰で
どれほどの悲鳴が、命が見殺しにされていることでしょう。

汚染された空気は、とりわけ夜間、低地に濃厚に停滞します。
工場が民家より高い所にあると、低地の民家は最悪の状態に追い込まれます。
そして、保健所が年に1度か2度、調べたとしても、それは日中、平日のことでしか
ありませんが保健所はそれで自信満々です。
苦情を言う人間はキチガイ扱いです。何かが狂っています。
しかも、
保健所には警察のような転勤がないので、化学工場とコネで
べったりの保健所職員がいて、ツーカーだったとしても不思議はありません。


かくして、公害問題は連綿として人々を苦しめ続けています。
水俣病の責任さえ取らないで、構造改革を唱え続ける限り、体質は同じで
公害は繰り返すと宣言しているも同然です。水俣病への反省も決意も、そこには
全く見られません。水俣のチッソの会社だけに責任があったとでも言うのでしょうか?

いくら暴走族や違法マフラーを取り締まっても、夜魔徒の跋扈する工場地帯が
放任状態で、煙突群から煙モウモウでは、話しになりません。

祖先達が築きあげた大和の国を、化学無法地帯、夜魔徒の国として汚し
放置し続ける政権
に、未来はあるのでしょうか?

昼と夜と、同じ汚染の排出量であってさえ、夜間の害は大きいのに、
夜間の排出量を増やす化学工場は、まさに計画的犯罪であり完全犯罪です。
昼間と夜間との汚染の影響さえ理解できない愚劣な化学専門家が化学工場の
操業を担当しているのでしょうか?それとも、科学的に理解しつつも、意図的に
夜間の排出を増大しているのでしょうか?

プロとして知らないのなら、余りにも劣悪であり、もし知ってのことならば、
計画的犯罪です。
こうして今まで住民達から指摘されても続行するならば、まさに確信犯です。
一番近い煙突から風下方向に、ほんの100メートルほどしか民家が離れていない
巨大な化学工場、農薬工場で、年中繰り返されてきた現代の野蛮かつ冷酷な行為です。

それで、住民との共存は、今後も可能なのでしょうか?
国民の基本的な健康と権利を抜きにした経済構造改革を唱える小泉総理は、
歴史上、何と評価されるのでしょうか?

水俣病の判決を否定した総理として汚名をすでに残しています。
国家経済を担う国民の健康、それが基本であり、そこを守らぬ構造改革ならば
持続可能なシステムとは呼べません。


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        卑劣漢の論法



医療事故ゼロの徹底を第一目標に掲げている病院は少なくありません。
そのためのリスクマネジメントは、病院ぐるみで行われています。

職場災害ゼロを目指し、安全第一を掲げている会社は珍しくありません。

交通事故撲滅運動を展開している自治体や警察署、学校は少なくありません。

それは犠牲と被害の深刻さを知る人達にとって、もう決して起こしてはならないという
決意表明であり、犠牲と被害を無駄にしてはならないという切実な願いです。

しかし、それらの組織とは異なり、化学汚染の犠牲・被害を痛切に知る人達が、
化学汚染の深刻な被害に苦しみ、徹底した改善を求めると、途端に、やれ
化学物質恐怖症だの、リスクゼロ症候群だのと一斉に侮蔑を浴び、冷ややか
な差別が待っています。

そうやって患者を侮蔑する人達は、なぜ、日本中の病院に向かって、
こう言わないのでしょうか?
「医療事故ゼロは不可能だ。リスクゼロを目指せば経費がかさんでベネフィット
どころではなくなる。リスクゼロはナンセンスだ。リスクは受け入れられるべき
ものだ。あなた方は被害ゼロの妄想に取り憑かれている。リスクゼロ症候群の
医者達ばかりだ。病人が病人を診ている。」と何故声を大にして言わないので
しょう?

なぜ彼らは、日本中の会社、警察、自治体や学校に向かって、こう言わない
のでしょうか?
「あなた方は安全神話の盲信者達だ。ゼロリスクなんてあり得ない。あなた方は
不可能を目指している。被害過敏症だ。異常者だ。異常者集団だ。」と、なぜ
果敢に声を挙げないのでしょうか?

まず、一番身近な病院や警察、自治体に向かって、そこの方針を徹底的に問題
にし、噛みついてみては如何でしょうか?

しかし、彼らは卑劣漢ゆえに、そのようなことは死んでもできないでしょう。
彼らは、大きな物には巻かれろ式の生き方であり、せいぜい患者イジメと、少数
派の医者を念頭に置いた議論を延々と展開して自己満足し続けるでしょう。

医療事故ゼロ、交通事故撲滅、犯罪撲滅、労災ゼロ・・・などの組織的な
運動を相手に戦うガッツは、彼らにはありません。どこまでも卑劣漢なのです。

彼らは、公害企業やそれと癒着した公務員のように、頭ごなしに患者達を
否定する人達と何も変わりません。

ある人達にはベネフィットであることが、別の人達にはベネフィットどころか
リスクでさえなく、ハザードだという場合があり、それでも傍観者には単なる
リスクにしか思えない・・・・それほど、立場によって、リスク、ベネフィット、
ハザードは異なります。

そして、被害者達の多くは身近な現場で後に引けない窮地に置かれています。
生死が懸かっており、家族の運命が懸かっています。

それを救済する医療は、どれだけ進んでいると言うのでしょう?
カネミ油被害者達のように、婦人科系の癌や他の深刻な婦人科疾患で苦しんで
も、それらは全て公害とは無関係だと見なされ続け、定期検診の医師団に
是非とも婦人科の医師を加えるように患者達が切望に切望を重ねて、やっと、
平成14年後半から、婦人科が医師団に加わったという大変遅れた公害医療
と公害政策があります。

34年も経ってからやっと、それも患者達に催促されてから公害と婦人科疾患
の関連に眼を向けるようになったとは、驚きです。
環境ホルモンが騒がれて何年経つと言うのでしょう?

そこまで遅れている医療と政策のもとであえいでいるのが、患者達の置かれて
いる立場です。
あれもこれも本人のせいにされて、本末転倒の責任転嫁が行われてきました。
その患者達に更に鞭打ち、侮辱し、差別して喜ぶ人達がいます。
一体、その人達は、どういう人達なのでしょうか?

患者が増えると儲かる人達のようですが。



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