庭哲学
 家があれば庭がある。少し前まではごく普通の情景です。この頃は庭がとても狭くなってきました。
まして植木となると、その美はますますなおざりになって来た感があります。
 庭とは何でしょう。植木とは、家とはなんでしょうか。

結論からどんどん書きましょう。
 庭とは人の影、植木とは空と地面の調和をつなぐもの、家とは調和の具体的存在です。
 いきなりで難しいですよね。1つずつ解説して見ましょう。

庭とは人の影 これは庭木の状態が、その木に関わる人々を象徴するということです。表面だけ取り繕った剪定の木、
これは、その職人が表面だけ取り繕う人物であり、その木を持つ家人もそれを容認する状況であると、婉曲に表現しているのです。
 
その逆もまたしかりで、このことから手入れが高額で、さらに技術の要求される枝ものの松が植えられるのも、その家の美意識と、繊細さ、富裕、行き届いた心配りを表現する媒体として選ばれてきたのです。
 そして植木が庭に必用な理由,それは、人の美意識が求めるからだ。ということです。
 ただ生活するだけなら、コンクリートの家とガレージがあれば事足りるでしょう。しかし誰でも機能性の追求のみならず、インテリアや内装も求めます。この気持ちがエクステリアとしての庭をもとめるとも言えるのではないでしょうか。
 ただ残念ながら、庭の美意識が失われ、ただ木が生えているだけの庭がどんどん増える時代になりました。庭の中の遊び心と、木と生活の調和を図ることは難しいものです。