木曽街道の魅力にふれる  

 木曽街道とは

 本州のほぼ中央部から南に縦断し流れる木曽川。この川に沿って山間を縫うように伸びる中山道,木曽路。源木曽義仲が京都に登り,上洛を目指し破れた武田軍が敗走したこの街道は,江戸時代になってからも東海道と同様に参勤交代や伊勢参りなど大名から庶民までが利用した一大街道として栄え,沿線の集落は,木曽の豊かな天然資源と共に,その恩恵を受けてきました。

 時代は流れ,交通網の整備や産業構造の変化に取り残された感のあるこの街道筋は,現在,往時の宿場町の面影を伝える文化遺産として,木曽漆器や木工など伝統工芸の里として見直され,豊かな自然環境とともに訪れる人々の心を魅了しています。

宿場町を訪ねる

江戸時代に定められた中山道六十七次の宿場は,時代の変遷により失われてきたものの,塩尻から名古屋を結ぶ木曽街道二十二里の間には,北から贄川宿,奈良井宿,薮原宿,宮ノ越宿,福島宿,上松宿,須原宿,野尻宿,妻籠宿,馬籠宿の順に十一宿場があり,現在でも往時の面影が色濃く残っています。

今回の旅で,贄川宿の関所,奈良井宿,妻籠宿(ここに泊まりました),馬籠宿の様子を伺うことが出来ました。

木曽地方と林業

木曽といえば木曽檜(ひのき)。火山性の水はけの良い土壌と気候が,日本固有種であるヒノキの生育適地として古くから知られ,これから採れる優良材が利用されてきました。安土桃山時代には京都の伏見城普請に使われたほか,江戸時代に入って城下町が栄えたころには,この地から大量に伐採され利用された記録が残されているそうです。

 過度な利用の結果,木曽の山は大変荒れ木々も少なくなったことから,江戸時代中頃には他の樹種とともに伐採が禁じられ,明治時代からは木曽の山々の多くが皇室所有である御料林に,太平洋戦争敗戦後は国有林として管理されてきました。御料林時代には,赤沢地区に神宮備林が設置されたほか,当時の最先端技術である森林鉄道が敷設されるなど,日本を代表する林業地としての地位を確立してきました。

木曽五木

  ヒノキと共に,この地域で育ち人々の暮らしに欠かせなかった樹木にアスナロ(ヒバ),サワラ,ネズコ(クロベ),コウヤマキがあります。それぞれがその性質に合わせ利用されてきました。このため乱伐にさらされることもあったのですが,今から約300年前に禁伐の対象になり,大切に保護されると共に,木曽地域のシンボルとして,敬われています。

赤沢自然休養林

戦後復興とそれに続く高度経済成長の流れの中で,江戸時代中頃から続いた禁伐などの森林保護政策が緩み,豊かな天然資源の枯渇が心配されるようになってきた木曽地域。このような状況のなかで上松町の赤沢地区にある国有林は,昭和44年に全国で初めて自然休養林に指定され,昭和57年には,第1回全国森林浴大会が開催され,森林浴発祥の地としても知られるようになりました。昭和50年で全国から消えた森林鉄道が,昭和62年にこの地で復活し,観光鉄道として活躍しています。

実際この地を訪れてみると,花崗岩質の山を流れる清らかな渓流に沿って,大きく育った檜やサワラの大木が出迎えてくれました。林床の草花が咲き乱れる春や紅葉の季節は素晴らしい景観を見せてくれるに違いありません。

 木曽漆器

豊かな天然良材と気候風土に恵まれこの地で育まれてきた木曽漆器は,600年の伝統を誇っています。木曽漆器生産の中心地で贄川宿と奈良井宿の中間に位置する平沢地区は,1975年国指定の伝統的工芸品指定地に選ばれ,日本を代表する漆器の生産地になっています。