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まずはその定義を古典に求めてみる。 一つの犬を柱につなぎ、その縄をすこしゆるめて、器に食物をもり、その犬の口さきのすでにとどかんとする所に置きて、うえ殺しにしてその霊をまつり納めてなすことなりといえり。もろこしの蠱毒の類なり。 「百物語評判」 四国あたりに、犬神ということあり。犬神をもちたる人、だれにてもにくしとおもえば、件の犬神たちまちつきて、身心脳乱して病をうけ、もしくは死するといいう。 「醍醐随筆」 主に、四国を中心とした妖怪、憑き物の類「犬神」。または「狗神」。陰陽道で用いられる式神としての性質をも併せ持つという。 人が人を憎み、嫉妬した時にその姿を現すものであり、現代では心理学によりある程度の解明がなされている。主に精神的な病であり、精神病同様世襲性を持つ。それは「犬神家(犬神に憑かれた家系)」などに現れている通りである。 そして、ムラやイエなどの狭い共同体の中での、一戸、一人に対する攻撃なども犬神を世に召喚する要因となる。 特に、犬神家の「女性」に犬神は憑依することが多いそうである。その理由を説明するものの中には、女性の知性の低さ、精神的薄弱さに由来するのだと断言するものもある。 だがそれはいささか暴論である。古来より日本では環境的に女性の方が内に篭らざるを得ない性質を与えられていたため、そこによって精神が虫食まれることが多かったのではなかろうか。そもそも犬神を遺伝的精神病と断ずるならば、性別によって差を求めるのはナンセンスである。 他に、狐憑き、魔憑き、蛇持ちなども、犬神と同種であると思われる。同じように精神病者、もしくは他人により精神的苦痛を与えられ、異常を来した人間たち。 つまり日本人は、自分と違う人間を認めようとしない閉鎖的思考を潜在的に持つのである。これは言うまでもなく、島国という環境がその主たる原因としてある。 外来文化は無節操なほどに受け入れるくせに、人間は受け入れないとはどういう事であるのか理解に苦しむが、文化は利用すべし、人は警戒すべし、というスタンスを日本人は持つのかも知れない。 無視、爪弾き、嫌がらせ、いじめ、罵詈雑言、ストーカー・・・・・・。 陰湿なそれらの中に、現代社会でも犬神は生きている。犬神を生み出すのは人間であり、駆逐するのも人間、逆に受け入れることができるのも人間なのである。 犬神を悪とみなす周囲こそ巨悪である可能性。それを考えなければならない。 ここまで書けば気が付いた人もいるであろう。 犬神は人間に与えられた、差別的「枠」なのである。式神として用いる場合は、犬神は犬神、妖怪である。だが、それがひとたび人間に取り憑くと、犬神の呪いという名目のうちに「人間」が差別されてしまうという結果が待ち受ける。 差別の民俗学を考えれば、アイヌ民族の存在を知る。これは想像だが、「アイヌ」とは「亜犬」なのではないだろうか。つまり、「犬に次ぐ」民族という意味である。差別の枠の広さではアイヌと犬神は勝負にならないが、同じ根を持つと考えても良さそうである。 伝統とは、美しいものばかりではない。因習というものもある。現代社会から放逐されるべきは、人間よりも因習が先であると考える。因習も伝統であるなどという意見もあろうが、さすがに受け入れ難い。 つまり人間に憑いた場合の「犬神」は因習であり、そのすべての伝統を消し去れとまでは言わないが、気をつけて用いなければならない要素であるのだ。 この機会に用心を喚起したいと考えるものである。
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