OCEANの『季節』
 
 

  今は1月。受験の季節である。受験生たちはこの世の地獄を味わいながらやがて、「春」を迎える。今はつまり、「春」の前の「冬」なのであろう。

  だがこの場合、「春」と「冬」の概念が平常のものとは違うことに気がつく。

  日本における季節の「春」は、3月下旬から5月程度までの期間である。その後夏が来、秋、冬、そしてまた春がやってくる。これは地球の地軸が動かず、公転軌道が変わらぬ限り永遠に変化のないものと思われる。つまりは当たり前のことなのだ。

  それでも日本人は「春」を目指す。

  「春」の語源を探ると、「ハレ」「張る」などから来ているらしいが、「張る」というのは植物の新芽などを指し、これはつまり日本においては稲作と八百万信仰の結びつきにより生まれた思想で、新たな息吹が目覚め、これから夏に向けての上昇気運のスタートを意味する。それが転じて、幸福への入り口、「春」となるのだ。

  幸福というものも「季節」同様極めて抽象的な表現であり、個々によってその内容は千差万別であることは疑い得ないが、多くの日本人が、幸福という言葉から連想する季節を挙げよ、と問えば、「春」か「夏」を挙げることは間違いないであろう。

  「秋」は、稲の収穫時期であり、最も幸福な季節にも思われるが、食など年中どこでも手に入れることのできる現代日本人には失われてしまった感覚なのかもしれない。貧困に苦しんでいた過去の日本人は、現代とは逆に「秋」を幸福の象徴としていたということも考えられる。だが、それでも「春」の優位性だけは動かない。「秋」はいずれにせよ、死のイメージを払拭することが不可能な「冬」への玄関口である。これは、季節のある場所なら世界中どこででも共通の認識なのではないだろうか。

  ただ、12月25日に神の子が誕生してしまうキリスト教の場合が問題で、ということは「冬」=「死」は成り立たなくも思える。だが、「12月」=「冬」という感覚は北半球のみのものであるから、あまりその辺りの議論は意味を成さないと判断できよう。

  四季はなくとも季節があるから時間はうつろう。そして人間があるから時間は進むとすると、歴史を形作る骨子となるもの、それが季節であると言えるのかもしれない。

  だが実は、そんな理屈云々より最も端的に季節を表現する手法がある。この際だからそれを最後に紹介させてもらおうと思う。

  季節とは、「春は桜が咲き、夏は海で泳ぎ、秋は紅葉が栄え、冬は雪が降る」ものである。

  これぞ「季節」なのではなかろうか。

 

 
戻る