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口癖。普段からよく聞く言葉であり、イメージもそれなりにはできる。が、ほんの少し真剣に考えてみるとなかなかややこしい言葉である。 手始めに周りの人間の口癖を考えてみた。なかなかいいものは見つからなかったが、弟に一つあった。 「調子にのっとる」というものだ。何か自分にとって不愉快な対象を発見するたびに「(あいつは)調子にのっとる」を連発する。調子に乗っているのはお前の方だと突っ込みたくなることしきりであるのだが、まあそれはいい。 ここで一つ気がついたのだが、口癖というもの、シチュエーションが整わなければ発せられることはないのだ。 阪神ファンの友人は「元木むかつく」が口癖であるが、これも読売ジャイアンツに関連するものを視覚や聴覚で捉えた時、または何か他の原因によってそれらの記憶を喚起された時に、そして文脈としておかしくないという条件をクリアした上でしか「元木むかつく」は発せられない。 だがそれを言うのならば、文脈上、シチュエーション上、どうしても口をついて出てくる言葉というものは口癖と限定しなくとも大量に存在する。 朝起きて他人と顔を合わせ、「おはよう」と言う、結婚式に呼ばれ、「おめでとう」「お幸せに」と祝福する、などである。社会の中で取り決められた決まり文句であり、一見口癖と同じようだが、そうではないのである。 口癖とは、シチュエーション、環境、文脈に限定されつつも社会の中では認定されていないその人独自の決まり文句のことを言うのだ。 これは特に口に出さなくともよいのである。私はよく、「なるようになるさ」と頭の中で考えるが、それは口に出さないだけで、私の口癖と言ってもいいものであろう。 だがこの口癖というもの、時にその人間の内面を暴露してしまうことがあるのだ。 学生時代、「悲観する」という言葉を連呼する人間に出会ったことがあった。「悲観」など難しい言葉でもなんでもなく、誰しも常識的に用いるレベルの言葉であるが、その人はどうも、いかにも難しい言葉を使っているのだ、という風に何度も何度も文脈すら無視してそれを強調し、用いていたのである。 新しい言葉を覚えたときなど、確かにそれを早速使ってみたくなる気持ちは分かるし、私も時に、単語から文章を導き出すということをすることもある。だが、その用法が熟達したものではなかった時、他人の目には明らかな馬鹿の一つ覚えとしかうつらないのである。 良識的な知人も、一時期、「感化される」という言葉を必要以上に用いていたことがあった。そういう言葉は連発することなく、サラッと一度だけ用いたらあとは必要がない限り使うべきではない。これは自分を良く見せるテクニックである。 文章(芸術としての文章)においては常套句は普通嫌われる傾向にあるが、かといってオリジナルな表現であっても、一度用いた表現の反復は意図を持ってしなければ見苦しく感じられることもあるのだ。 これらは厳密な意味での口癖とは違うだろうが、よく見かける傾向であり、自分も陥ることが希にある落とし穴であるので、気を付けた方が良いと考えるのである。 そもそも、芸術としての文章であれば話は別としても、話し言葉であれば、あえて難しいと思われる言葉を用いる必要などどこにもないのだ。それを口癖として連呼するなど滑稽の極みである。 話は戻って私の弟の「調子にのっとる」という口癖。これは明らかな語彙不足と常識的判断力の欠如、世界認識能力の無さに起因する口癖である。その人のどこがどう調子にのっているのか、と問えば絶対に答えることは出来ないだろう。ただただ、深い意味もなく安易に用いているに過ぎない。自分を格好良く見せようという心理が潜んでいるのかもしれない。 口癖とは、自分がよく用いる言葉であるからこそ、しっかりとそれを吟味しておく必要があるのである。もちろんそのようなことをすれば口癖でなくなってしまうかもしれないが、それならそれで仕方がない。口癖に限らず、言葉の使用法には細心の注意を払うべきなのだ。 つまり、他人に余計な誤解を与える口癖などは、ないに越したことはないのである。 |