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世の中を飛び交う噂話は人の心を容易く掴み、なかなか離さない。他人のトラブルや痴話を面白いと感じる心理とは何に由来するのだろうか。 羨望の歪んだ妬みか、憎しみか、鬱々とした自分自身の日常の捌け口か。 かつて人間社会に存在した流説とは、口頭で広まる噂話だけであった。やがて文字が生まれ、それを媒体として流説の範囲は広がった。そして現代、膨大な出版物と容易な文書化、テレビ、ラジオ、電話、インターネットなど多彩な情報の網により、流説はそのウイルスを世界中に撒き散らすことに成功した。 たとえば今、目の前にある一つの情報にしても、それが流言飛語である可能性は捨て切れない。真実かどうかの判定など、誰にも出来はしない。現実に起こった出来事を真実であるとするならば、その場にいた当事者のみは真実を知ることが出来るだろうが、それを口頭で誰かに伝えたり、書いて伝えたりした瞬間にそれは真実ではなくなる。 情報は人を介して歪められ、もととは違った形へと変質していく。同じテクストを用いたとしても、そのテクストから疑わなければならないのだからこんな無限ループはなかろう。どこまで行っても当事者でない限り真実には到達しない。 変質した情報に躍らされ、一生幻惑されながら生きるのが人間なのだ。 流説に満ちたこの社会で、自分以外の何を信じて生きればいいのかが分からない人間たちは、何か信じられるものを求める。そして誰しもが何かを見つける。そしてそれら信じられるものを見つけた人間たちは他人にそれを押し付けようとする。 嫌な世の中だが、それでいいのである。 |