ともやの『虚無』
 
 
 私は、私が楽しいと 楽しいし
 私は、私が悲しいと 悲しい。
 私は、私が嬉しいと 嬉しいし
 私は、私がつらいと つらい。
 
 しかし私は・・・・・・・。
 
 私は、誰かが楽しいと 楽しいし
 私は、誰かが悲しいと 悲しい。
 私は、誰かが嬉しいと 嬉しいし
 私は、誰かがつらいと つらい。
 
 
 私は虚無である。
 私は がらんどう である。
 
 
 しかしそれは、大切なことではないだろうか。
 
 電気の発達していない頃に造られた
楽器達を思い浮かべてみて欲しい。
 彼等の内、がらんどうでないものが
どれほど居るだろうか。
 
 弦楽器、バイオリン・ビオラ・チェロ・・・・
 管楽器、ホルン・トロンボーン・・・・
 鍵盤楽器、ピアノ・アコーディオン・・・・
 そして、一番明確なのは 打楽器。
 
 その体内に存在する がらんどうな部分は
必要不可欠なのだ。
 
 発せられた音を 大きくするために、豊かにするために。
そして、やわらかいものにするために・・・・。
 
 
 私は がらんどう である。
 私は虚無である。
 
 
 やはりそれは、とても大切なことであるのではないだろうか。
 
 私の心を 大きくするために、豊かにするために。
そして、やわらかいものにするために・・・・・。
 

 
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