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私がまだ就職活動をしていたときの話し。
入社試験に面接は 付き物である。
自己PRの時に、インターネットの話をすると面接官の興味は そこに注がれる。
中でも一番の関心所は ネットでの人間関係だ。
顔も知らないような人と 本当に仲良くなれるのか・・・と言う問題である。
(ネット上での人間関係を尋ねられるときによく“本当の”と言う言葉が使われるが、「本当ってなに?」と言う疑問が多大に残される質問なのではないか と思う。)
閑話休題。
さて、話がもつれると困るので、ここで一つ定義しておこう。
ここより以降の“ともや”は、ネット上にのぼり、万人に見られることを想定して行動をとっている“ともや”の事だと 思って欲しい。
私は「相手の顔や声を知らない」と言う事が、人間関係を築く上で 致命的な欠陥になるとは思わない。
たしかに 百聞は一見にしかず。
百読は一見にしかず。
百読は一聴にしかず。
しかし、(顔を)見られない、(声を)聴けない と言う事が、即「相手を知ることはできない」と結びつくとは 思わない。
ただ単に、それをする事は より相手を理解することに役立つ と言うだけである。
相手が自分を騙そうとしているのではなく、ネット上に現れた人物が存在する人物である・・・・つまり ハンドルネームが“A”と言う人物がいたとして、その“A”は、それを操っている人物(実際にキーボードを打っている人物)A と全く同じ人なのであれば、オフラインの関係とほぼ同じような人間関係を作ることは可能ではないだろうか。
それには、自分も・・・・これを打っている私と“ともや”とが同じ者であり、ハンドルネーム“A”と言う人物を通して、それを操っている人物A の事が分かり、相手もそれが分かったとき・・・と言う条件が付くだろうが。
先ずは、パソコン上に映し出されたハンドルネームを持つ人物がそれを操っている人物と同じである事を 信じ合うところから始まるのだと思う。
しかし、オンライン上で それは必ずしも必要な事なのだろうか。
たとえどれだけ言葉を重ねても、私と言う人物の完全なるコピーを、誰か他人の記憶の中に住まわせると言う事はできないと思う。
オフラインでもそうなのに、ネットはその上 活字の世界なのだ。
いくら言文一致と言ったところで、やはり 書き言葉と話し言葉の違いはどうしてもでてきてしまう。
リアルタイムで言葉を交わすチャットでも、たとえば 長い語尾を言い切りの形にして載せたり、タイプするのが面倒なので、10ある言いたいことの内 半数しか発言しなかったり・・・・は、多々あるのではないだろうか。
ともや と“ともや”は 全く同じ人物と言う訳ではないのだ。
それは だれしも当てはまることだと思う。
そして、この小さな差異を認める私は、騙され続けるのなら かまわない。 と思っている。
私はネット上に現れた人物が 実在する人物だと信じて そして、私の持つ全てを“ともや”に語らせて 対応する。
たとえ、相手が実在する人物でなくても、自分が信じている内は やはり 実在する人物なのではないだろうか。
そして、仲良くやっていくこともできるのではないだろうか。
ネットの世界は、最近出て来た物なので やはり“本当の”あるいは“本来の”が示す言葉は “オフライン上で”と言うのと同意なのだろう。
しかし、オフラインの社会の中でも 一口に「人間関係ができている」と言っても、そこにはいろいろなレベルが 存在すると思う。
オンラインの中にも 社会は存在する。
人間関係を築いて行こう と言うのは、どんな社会に居たとしても同じ事ではないだろうか。
ただ単に、新参者のネット社会が アナログ世代の人たちにあまり認識されていないだけだと思う。
“ともや”は ネットがあったからこそ生まれ、そして その中でのみ存在する。
それならばやはり “ともや”の『終のすみか』は ネット社会 と言う事になるのではないだろうか。
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