|
どうやら私は 元来、憂さ はたまらない方なのだ。
ストレスを感じていない訳ではないが、たまりにくく
時間と共に どんどん無くなっていってしまう。
もしかしたら、私が全く 忘れっぽい性質だからなのかもしれない。
しかしやはり 私はストレス消化酵素を持っているのだろう。
何と言っても 私は ともや星人 なのだ。
しかし、どうしても今抱えている精神的ストレスを
何とかしたい場合は “笑う” 事である。
声を出して とにかく笑う。
少しでも面白いことを見つけて 笑うのだ。
その時決して「何やってんだか」など、自分を顧みてはいけない。
所詮、人生は舞台であり 人間は役者なのだ。
人間は 自分が主人公の物語を 死ぬまで演じ続けなくてはいけない。
演劇は 人生の縮図 である。
それでは、少し演劇のたとえ話を持ち出そう。
私はある劇の台本で 主人公の “マコト” の役をもらったとする。
私の感情に関係なく “マコト” は 泣き、笑い、そして怒る。
そして、本来の私が 全く違う感情を持っているのだ
と言うことを 観客に悟られてしまうと それは、大根役者である。
大根でいいのか?
どうせなら 一世一代の大役者になりたい。
それを気付かれぬように 楽しくなくても笑い、哀しくなくても
泣き、怒っていなくても怒るのである。
社会は舞台であり、私はその物語の主人公。
自分の家は 楽屋である。
だから 楽屋でドーランを塗って、衣装を付けて、髪を
整えるように、家の内で 化粧をし、服に着替えて、髪を整える。
玄関は舞台ソデ。
ドアが開くと 緞帳は開かれ 目の前に広がる
その社会が 私の立つ舞台なのだ。
私が主人公。
だから 胸を張って歩く。
私が主人公。
だから 無様なまねは見せられない。
予想だにしなかったことが起きても 狼狽してはいけない。
周りに気付かれぬように、アドリブをきかせないと
いけないのである。
さて、私が役をもらった “マコト” は、何時 “マコト” であろうか。
舞台の上だけが “マコト” の住処ではない。
“マコト” の練習をするときも 私は “マコト” である。
楽屋といえども “マコト” の事があるのだ。
だから私は 楽屋であっても “私” であり得る。
私が “私” である時、私は楽しくなくても笑うことが出来る。
たしかに、私が本心から笑えることが望ましいのだが
そうも行かないときもある。
そんな時はまず 『楽しい振り』 から始めるのだ。
心に余裕を作ること。心に余裕が出来ること。
それがもう 既にいっぱいになっていた心の中の
ストレスが 減ったと言う事ではないだろうか。
そして、「ははは」と言う “私” の笑い声は 自分に
フィードバックされ、私の心を軽くする。
大切なことは “本心から楽しい振りをする” 事だ。
そしてとにかく 大声を出して 笑う。
ともやの ストレス軽減方 である。
|