●編集後記●

 私は4年前から「くおーたりーSUITA」という地域雑誌の編集長をしています。吹田市役所の職員組合が編集する雑誌で、「吹田の街のことを市民みんなで考えていこう」という趣旨で創刊されました。そういう意味では、梅田貨物駅の吹田への移転問題は絶対に避けては通れない問題でした。
 取材のために地域に入り、様々な方の意見を拾っていくうちに「これを許せば今後100年単位で吹田市民は後悔することになる」「こんなに重大な問題が地元の一部の人にしか知らされていない」と感じました。何とかしなければいけない。しかし何ができるのだろうか…。
 雑誌の編集会議でスタッフと議論しました。早急にやるべきことは、この問題を多くの人々に伝えることと、ネットワーク作りだということになりました。「くおーたりーSUITA主催で市民シンポジウムをやろう。会場はメイシアター。500人集めよう」という私の無謀な(?)提案が通り、ゲストに「週刊釣りサンデー」の小西和人さんをお招きすることになりました。有り難いことに、小西さんにはその場で、代表に就任することを快諾していただきました。それからが大変でした。 自治会長名簿に基づいて「こんなシンポジウムをやります。ついては準備段階から協力してほしい」という旨の手紙を送りました。シンポジウム成功のための会議に自治会長さんたちが集まってきてくれました。最初は誰が誰やら互いにわからないので名札をつけた会議でした。
 「これは共産党がやってますのか?私ら政治的なことはダメでっせ」と、最初に「ぶちかまし」を入れる方や、「もう決まってることや。いまさら反対しても遅い」とおっしゃる方。それを聞いた別の地域の方が「何言うてはるの、お宅は賛成でっか」と詰め寄るシーンもありました。しかし1回、2回と「場」を作ることで、次第に相互信頼のような関係が出来てきました。「実は私の地域にも、まだまだ知らない人が多くて困っています」というような交流が始まりました。
 こうなればシンポは半ば成功したようなものでした。2001年4月11日、約400人の市民がメイシアターにやって来ました。「公害道路いらない。梅田貨物駅移転反対吹田市民連絡会を結成しよう」という呼びかけが満場の拍手で確認され、何と10数万円のカンパが集まりました。口には出さないけれど、参加者の必死な気持ち、市民連絡会への期待をヒシヒシと感じました。 市民連絡会ができたことで、それまでバラバラに要望、陳情などをされていた自治会が、ネットワークされることになりました。「子どもたちにキレイな空気を残したい」というみんなの願いが横につながりました。その後は、JR鉄建公団や吹田市への要望、住民説明会への参加、意見書の提出、市長、議員懇談会…。そうした一つ一つの運動を、今回記録に残しておこうと思いました。21世紀の近い将来、「あの頃、JRの無謀な計画があったけど、一人一人の市民が反対の声を上げて、吹田の街を守ったんだよ」と、子どもたちに語れるように。
 このパンフレットがみなさんの運動の支えとなり、計画の撤回まで活用されることを願ってやみません。

公害道路いらない。梅田貨物駅移転反対市民連絡会
    事務局長 
西谷文和  

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