==========カササギの森プロジェクトに参加しませんか?=========

※BEV‐NETでは、カササギの森プロジェクトを支援するため、20元1口の募金活動をしています。
土壌流出の激しい黄土高原の東端にある山西省大同市。
北京の水源地でもあるこの地で足掛け十年の緑化協力経験を持つ大阪のNGO[緑の地球ネットワーク](略称GEN)は今春から600haの自営林場「カササギの森」建設に着手しました。
「植樹後も自分達で直接管理し、色々な植樹方法を試せる林場がほしい」という現地スタッフの願いと、「ここが自分たちが協力した所だという実感が持てる森があったらいいな」という日本のGEN会員の願いをかなえるべく、大同県聚楽郷に土地を確保し、整地費用、苗木代、管理費などを含めて1haあたり五万円の寄付を募り多くの団体・個人の参加により緑化協力のモデルとなる森を作ろうというプロジェクトです。
大同を流れる桑干河は北京郊外の官庁ダムに注ぎます。このダムはながらく北京の飲用水源となってきましたが、水質の悪化と多量の土砂の流入により、1997年に飲用水源としては取水を停止しています。今年からダムの水質改善プロジェクトがはじまり、2005年の取水再開を目指していますが、大同の緑化は桑干河に流出する土砂の量を抑制し、官庁ダムの水質改善に貢献します。

そこで下流に住む北京市民として少しでも大同の緑化に協力致したく、BEV−NETではこのカササギの森プロジェクトに対し、一口20元の募金活動をはじめました。3500元(約五万円)に達したら「北京在住者有志」として送金します。
ご協力頂ける方は bevnet@cocoa.freemail.com まで御連絡ください。送金後は森の成育状況が5年間報告されますので、ホーム−ページでご紹介していく予定です。
以下に2001年春にGENのワーキングツアーに参加したBEV−NET有志の報告記を掲載します。
「北京環境ボランティアネットワーク」有志「黄土高原緑化協力」ツアー参加の記
森よ、よみがえれ!
4月上旬、大阪に本部を置く緑化協力NGO「緑の地球ネットワーク」(略称GEN)のご好意により、東京からの某労組の植樹ツアーに家族で参加させていただく機会を得た。このNGOの活動はすでに10年目に入り、この労組も6年連続で参加しているという。
「入社20年記念に!」「バツイチ10周年だから」「昨年参加の夫に勧められて」…
北京西駅で夜行列車に乗り込む前の自己紹介によれば、日本各地から集まったメンバー
20人の参加動機はさまざまだったが「このツアーでしか見つけられないものを求めて」という
期待は十分伝わってきた。ほかの植樹ツアー同様女性が過半数を占めている。そのうちの
ふたりはリピーターで4年前に植えた杏が育った様子を見にきたのだという。このツアーには
不思議な魅力があり、再度の参加を求める人が多いので、この労組では4年間のリピーター
制限があるという。自費でやってきて、観光都市北京を素通りし、嬉々として夜行列車を待つ
この人々を前に、私達家族の期待も高まるのであった。
珍しく全員分の軟臥がとれたと喜ぶGEN世話人の竹中さんも北京合流組。長く海外協力
の仕事をされたあと、奥様をなくされたこともあり、毎年数回は中国でこの仕事に尽力さ
れている。
子供達も初めて体験する夜行列車に大喜びで、興奮気味ながらも0時過ぎには夢の中で
あった。
眠い目をこすりながら降りたった大同駅にはGEN事務局長の高見邦雄さんや中方カウンター
パートの緑色地球網絡大同事務所・球環境林センター所長の武春珍さん、ボランティアの通訳
王萍さんなどが早朝にもかかわらず、迎えに来てくださった。朝もやの大同…と思ったら実は
これが黄砂なのだという。黄砂の粒子は非常に細かく、いつまでも空中に留まったり、少しの
風で舞い上がったりする。市街地にある駅前から、もうすでに黄土高原に来たのだという実感
を持つ事となった。
その後のスケジュールは以下のようなものだった。
1日目AM 大同県聚楽郷「カササギの森」にて植樹
PM 聚楽郷人民政府にて昼食後、陽高県守口堡村小学校附属果樹園見学
明代の長城に登る 招待所にて夕食・宿泊
2日目AM 天鎮県城関鎮にて地球環境林の植樹
PM 同県南河堡郷東沙河村の農家にて昼食、民間芸術活動を見学後
小学校附属果樹園で植樹 グループごとに農家で夕食・宿泊
3日目AM 大同市希望学校で昼食・交流【雪のため植樹は中止】
PM 1日早く発つ我が家の4人は一旦皆と別れ、地球環境林センターを
見学させていただく。
市内で皆と夕食後、我が家のみ夜行列車で北京へもどる。
・ 人を圧倒する荒涼とした黄土高原
今までにも黄土高原を列車で通過したことはあったし、画像にも多く接しているので、頭では
わかったつもりでいた。しかしその土に触れ、その風と砂に吹かれてはじめてその過酷な状況
の一端を垣間見た気がした。ここは世界でもまれな『風成土壌』。200万年をかけて西域から運
ばれてきた細かい土は直径0.01ミリ前後、乾燥すると固くしまる。その性質は土器や青銅器、
鉄器の製造に寄与し黄河文明の発達を促したという。また、約2200年前の秦代、山西省の森林
被覆率は50%もあったそうだが、都市や長城の建設、人口増加、戦乱などにより次第に減りつ
づけ、新中国成立時には2.4%にまで落ち込んだと言う。
「文明後の世界、つまり『風の谷のナウシカ』の世界ですよ」と高見さんは言う。
・ 農村の生活
北京の便利な生活からは考えられない程差し迫った水不足。その大事な水を担いで農民や
子供たちが私たちの植樹活動のために山に登ってくれる。みな好奇心丸出しで、私たちを取り
囲む。あんまりしげしげ見つめられるので、その子供に向かって「几歳了(何歳)?」と訊いてみ
たら「○歳!」と元気に答えるその○が聴き取れない。数字の発音さえこんなにも違うのに驚く。
厳しい眼差しの年配の方もちょっと会釈すれば、歯のない口をほころばせて笑ってくれる。「日本
人を見るのは抗日戦争以来だ」という大同地域で、こんなにスムースな受け入れ態勢ができてい
るのも足掛け10年ここで頑張ってきたGEN及び連合会の人達の実績と信頼関係がなせるわざだ
ろう。
農民との交流の中で色々な事を考えさせられた。農村は良くも悪くも自然環境と密着した生活
スタイルである。長い冬が終わった後、春一番の仕事は家畜の糞拾いだそうだ。作物の葉、茎、
根なども焚き付けや肥料として利用し尽くす。そのように鋤き込めるものは何でも鋤き込んで肥や
した畑は、それでもトウモロコシや燕麦、アワのような雑穀しか育たない。「日本人の主食は何で
すか?」と農家での食事時に尋ねられ、「お米です」と答えると、彼女は困ったような顔になってし
まった。(食べきれないほどのご馳走を用意してくださり、どれもとても美味しかったのだが。)そんな
大事な畑が、夏に集中的に降る雨のために流されてしまう。桑干河の水には
1立方メートルあたり、44キロもの土砂が入っているという。小さなグランドキャニオンのように深い亀裂
の走る大地を見ているだけでここを耕すしかない農民の苦労が偲ばれる。
・都市の常識は通用しない
土に返るものだけで暮らしていたころは無かった新たな問題が白色汚染だ。温室を建てるより
ずっと安価で済む「地膜」と呼ばれるビニールシートは強い日差しと風による乾燥ですぐにぼろぼろ
になって風に舞う。レーキで巻きとっているそうだが取りきれない。もともと生態循環型な暮らしを
していた農村にはゴミ箱という存在すらない。総量としては、都市に住む私たちの方が毎日何倍
もの白色汚染を出しているというのに、現地の人のポイ捨てに対し、ついひとこと言ってしまった。
「ビニールは100年以上腐らないから、そこらに棄てないで一括処理した方がいいですよ」。「じゃあ
お寺の和尚さんに言ってくれ、わしらに言われても困る」植林地で拾ったビニールごみをまた棄てる
訳にもいかず、村役場まで持って帰って棄てた。
人々の考え方も都市と全く違う。村のリーダーの家でさえ、子沢山。
とにかくびっくりするほど人口が多い。男の子が生まれるまで頑張る。食事の時も主人と息子だけ
が客と共に食卓につく。主婦と娘は土間で立ったまま残り物を食べる。しかし娘も幸せそうに笑いな
がらいう。「農村の生活はのんびりしてますよ。大したストレスもないし」ここの一家は歴史が好きで、
家には沢山の歴史書があった。植樹の時に立ち寄った「盤山寺」という古寺のことをたずねると、すぐに
文革で破壊される以前の姿が載っている郷土資料を見せてくれた。「まだ全部の本を読んではいないん
です。ゆっくり読みますよ」 「晴耕雨読」・・なんて豊かな暮らし。
しかしそれはここが低地で土質もよく、何と言っても村のリーダーの家だからだ。
「山の方の農民は水も無いし、土地も悪くて大変ですよ。でもここは大丈夫」都市と農村の格差に加え、
農村内部でも低地と高地の格差が激しい。そしてどちらの場合も豊かな方はそうでない方に対して
無関心なことが多い。
・ 過酷な自然環境より怖いもの
大同市青年連合会幹部であり、緑色地球網絡大同事務所・地球環境林センター所
長でもある武春珍女史は言う。「どんなに自然条件が悪くても恐れはしない。最も恐
ろしいのは人的要素だ」緑化に熱心な指導者がいる地域はいいが、そうでない地域
はなかなか進まない。また人事異動で人が変わったために、今までうまく行ってい
た地域が全滅してしまうこともあるという。またプライドのある技術者にこちらの
提案を聞いてもらうのも一苦労。混植・木炭や砂を混ぜた土壌改良法などを納得し
てもらうのに何年もかかる。私たちが訪れたある植林地では南向きの斜面に植樹用
の穴が掘ってあった。武女史が地元の担当者と何やら声高に話していた。
「黄土高原で植樹する場合、南向き斜面では乾きすぎて、苗は育ちません。残念
ですが今日植えた苗は根付かないでしょう」。GEN顧問の遠田先生が帰途につくバ
スの中で率直に、またとても残念そうに皆に語る。こういう状況に直面した時、今
まではツアーの人の前でも声を荒げてケンカをしたという高見さんだが、「今日は
ちょっと疲れました」と言葉すくなだった。
・「緑化」という仕事
前述の植林地で、以前村自身で植林したという20本ほどの松の植えられた土地を通
りかかった。人の背丈を超えた大きさである。高見さんが私に尋ねた。「この中で今年
も成長できるのは何本あると思いますか?」私はあきらかに茶色く枯れているか枯れ
始めた木を除いて言った。「6割くらいでしょうかね?」高見さんの答えに私は絶句し
た。「1本だけですよ」。 教えられて良く見ると枝の先端に芽がついているのは1本し
かなかった。(北京に帰って良く見ると、なるほどずっと生きている松の枝の先端には
立派な芽がついている。)「大きな苗の方が立派に見えるというので大きな苗をうえた
のでしょう。これも形式主義ですよ」。根の扱いも重要なポイントで、大きいものはき
ちんと根巻きして慎重に取り扱わねばならないそうだ。吹きさらしの植林地で私が不
精をして、10本ほどの小さな松の苗を束ねて持っていたら、すかさず高見さんに注意
された。「根が乾いてしまうので、一度に沢山持たないで」。
「『緑化』」なんて仕事は、一人の人間が朝から晩までそのことばかり考えてやっと
なんとかなるかどうかというものですよ。良い結果は何年も待たなければ出ないのに
悪い結果はすぐに出る」。と高見さんは苦笑する。「豊かな水と土地にめぐまれた日本
で木を植えるのとは全く条件が異なる。『緑化』と言ったって砂漠が森になるのでは
ない。夏に集中する雨により表土が流され、新たな耕作地を求めるという悪循環を続
ける『水土流失』を少しでも食い止めようという試みです。人が飲む水すら足りない
のに、大量の水遣りを必要とする木を植えるなんてナンセンスですよ」とも。
・GEN-「緑の地球ネットワーク」について
667人の会員の会費と寄付、官民の諸団体からの助成金で運営されるこのNGO
が発足したのは1992年。この10年間で植えた木は1100万本、もし4m間隔で植えた
なら地球を一周する長さになると武春珍女史は喜ぶ。大同市の4区7県のほとんどに
足跡を残し日本からのツアー参加者も1100人を超えたそうだ。年収500元以下という
"国家級"貧困地域の多い大同の農村を回るこのツアーは、参加者に別の豊かさの存在を
気づかせる。小学校に附属果樹園を建設し、実がなるまでの費用をGENが負担し、実
がなってからはその利益の一部を子供たちの就学費用や設備建設にあてるというプロ
ジェクトもほかの緑化協力同様、現地からとても感謝されている。
春と秋のツアー以外にも、高見さんや遠田先生ほかの専門家が度々大同を訪れ、技
術指導や研究を行っている。その核となる場所が[地球環境林センター]で植樹に使
う果樹苗や潅木苗はここで生産している。また樹種の多様化をはかる実験、技術者の
研修、経済的な自立をめざして園芸品種を育てたりと多彩な活動を行っている。最終
日にここを案内してくださった遠田先生は森林生態学がご専門。「だけどここに森は
ないんですよね」と笑われる。そんな先生もツアーの時はマイク片手に土地・気候の
説明から歴史背景にいたるまで、バスガイドさんも真っ青な「講義」をしてくださる。
(春節の鼓笛隊の起源が戦国時代(B.C.403‐221年)の趙の『武霊王の胡服』に遡る戸
は……。バスの最後部に座ったため、良く聞こえなくて本当に残念だった。)
その遠田先生が大いに喜ばれたのが大同市の最南部霊丘県の奥地で発見された自然
林だ。日本の東北の山と大差ないようなナラ、カバノキ、シナノキなどの落葉広葉樹
林があったのだ。ふもとに松を植林し、奥地まで薪を取りに来なくなったため、自然
に再生したということらしい。GENではここで採取した種や苗を足がかりに【霊丘自
然植物園】を建設し、この地域本来の植生の遷移を観察したり地元技術者の訓練フィ
ールドにする計画だという。

・おわりに
緑濃い北京に暮らしていると、黄土高原の砂漠化ははるか彼方の出来事のように感
じられる。しかし私たちが目にしてきた一切は、北京のふたつ隣の市、たった280km
西で起こっている出来事なのである。そして私たちは大同の発電所から送られてくる
電気を使っている。また大同を流れる桑干河は官庁ダムに注ぎ、北京の飲用水源の一
部となってきたが、水質悪化と砂の流入のため1997年に取水は中断され、そのまま永
定河となって北京に流れてくるのである