BEV-NET会議                                          平成14年1月19日

                「"中国に緑を"基金」の植林活動について

                                                    "中国に緑を"基金
                                                    幹事 江原孔江

「"中国に緑を"基金」は、いまから13年前の1988年の秋、(財)国際文化会館理事長であった松本重治氏が88歳のとき、長年携わってきた国際文化交流の分野での最後の仕事として発足したものである。

松本重治氏は、元勲松方正義の孫として大阪に生まれ、思想的には内村鑑三、新渡戸稲造の影響を大きく得ながら成長した。中国関係者の間では、西安事件をスクープした国際ジャーナリスト、同盟通信社(現在の共同通信社の前身)の上海支局長としてよく知られているかもしれない。第2次世界大戦が終わり、敗戦した日本が今後世界の一員として国際社会で認められていくためには、国際文化交流をいかに推進していくかにかかっている、として、長年の友人であったJohn Rockefeller 3rd氏などの協力を得、宿泊施設を伴う国際文化交流団体である(財)国際文化会館(International House of Japan, 通称I. Houseアイハウスと呼ばれる)を、麻布鳥居坂にある元岩崎弥太郎氏邸跡地に、戦後いち早く設立した。

 欧米諸国との交流を中心とし数々の業績を残した松本氏だったが、中国との交流の糸がなかなか見つからず、ついに88歳のとき、時満ちて始めたのが、この「"中国に緑を"基金」であった。日本国内で会員を募り、中国社会科学院、中国現代国際関係研究所等を通じ、中国側から要請のあった地域に対し、ささやかな支援を開始した。以後年を経るに従い、三菱銀行国際財団や郵政事業庁国際ボランティア貯金等からの助成金も得、雲南省大理市や河北省承徳県などへ支援活動を行ってきた。

 援助方法としては、助成金をそのまま現地の政府関係者に渡し、現地の人たちが必要とする植林地域に、現地の人々の判断で木の種類を選定し、現地の人々の管理に任せる、という活動である。とかく、日本は援助の仕方が下手で、好意で行われているはずの援助に、"援助と言う名前の自国利益増進策"など、紐付きと悪口を言われることもあったりするが、そういうことのないよう、あくまでも現地のニーズにあった現地の人々の意見による活動を、というのが松本コンセプトであると、理解している。

 しかし、お金をあげればそれでいい、というのでは決してなく、日本からは、1年に一度、植林セミナーツアーを企画し、ツアーメンバー全員(基金事務局すらも)が自費で日本から現地を参観。現地の人たちと一緒に植林活動をするとともに、現地の人々とのセミナーを開催。日中の林業専門家にレクチャーをお願いしたり、日中の青少年が交流するプログラムを実施し、日中の相互理解の促進を図っている。たとえば、現代中国が抱える植林の悩み、その実体と対策を、「"中国に緑を"基金」の顧問的存在である北京林業大学の韓教授から、植林現地でレクチャーを受け、また、中国本土へ実際にJICA専門家として派遣され、長年林業関係に協力してきている当基金事務局長の松岡先生から、体験談を交えたレクチャーも、現地で中国の人たちと一緒にその話を聞くことにより、日中双方で大きな理解と環境問題に対する活動への連帯感につながっていく。

ツアーの参加呼びかけに対しては、ここ数年はインターネットを通して、中国在住の日本人留学生たちのネットに呼びかけ、中国からの現地への参加を呼びかける方法をとってみた。単に中国語の取得を目的として中国に留学してきた日本の学生さんたちが、中国で実際に生活することにより、中国の国内問題を非常に身近に受け止めるようになり、学校内だけでなく、植林の現場にぜひ行ってみたい、と早速メールの返事をくださり、参加してくださったのは、感激であった。

また、ツアーの他に事務局による現地訪問を年に2度ほど行い、直林現地の管理状況や相談事にのるようにしている。
昨年末の12月8日、緑の環境ネットワークを主宰している高見先生の講演会に参加させていただき、自らの体験と重ねたことが2点あった。

まず1点は、植林とは何なのか、ということである。日本で植林というと、すぐに思い出されるのが、戦後の杉の植林である。杉林を日本全国植えて、植えて、また植えて、と大森林にしたために、スギ花粉症が発生。生態系がどうなったのかよく知らないが、私自身もスギ花粉症で悩める人生となっている。植林活動に関わって勉強したことのひとつが、植林とは、その地域の生態系に適合する木、さらに、その地域に住む人々に役に立つ木、という観点も必要となってくる、ということであった。人々が生きていくために必要な木も、植林対象であるべきであり、経済林を作っていくことは、非常に有効である。だから、すぐに育つユーカリの種類を植えれば、人々が日日生活に必要な薪となりうる。また、果樹を植えれば、その果実を売って、生活を支えるために役立つのである。当基金が承徳県に6年前に植えたユーカリは、すでに、刈り取り、成長し、刈り取り、と、数回の薪材料として大変役立っているし、栗の木は、その実を収穫することにより、1本が年間約400元を生み出し、農村1家族が生活するのにとても助かっている。農村1軒につき1本を割り当て、育ててもらっているが、家中の子供まで来て、成長を楽しみに大事に世話をしている、とのことであった。基金が寄付したりんごの木も、同じである、とのことであった。植林とは、大森林を育てること、だけではないようである。

2点目は、教育、ということである。高見先生は講演の最後に、黄土高原に10年間植林活動を続けてこられ、いつまでも現地で采配をふるうわけにもいかず、現地の人々が理解し、現地の人々の積極的な姿勢を作らなければ、将来的な展望が開けていかない、とおっしゃっていたように理解した。まさにその通りで、自分の地域の環境問題は、まさに自分たちで取り組んでいかなければならないだろうし、そのためには、現地の人々への環境教育を現地の人々が自ら始めなければならないだろう。この点に関し、1997年承徳県(北京の水源地)へ派遣した植林セミナーツアーの際、現地政府主催の夕食会の席上で共産党書記が述べられた挨拶が大変印象的で、いまでも心に残っている。「数年前から、日本の『"中国に緑を"基金』の方々が、当承徳県の植林に対して援助を始めてくれました。当初は、農民の生活にすぐ役立つ木ということで、ユーカリや果物の木を植えさせてもらいました。おかげさまで順調に育ち、さっそく農民たちの生活が潤ってきています。そこで、今年は、千年経たないと伐採できないヒノキをみなさんと一緒に植えることにしました。本日、みなさんと一緒にヒノキを植えた小学生たちは、将来おじいさん、おばあさんとなったとき、彼らの孫たちをこの木の根元に連れて行き、今日の植林の日のことを伝えるでしょう。おじいさんが小学生だったときに、日本からボランティアの人々が来て、一緒にこの木を植えたんだよ。この木は、お前たちの孫の孫のそのまた孫のために、役立つ様にってね。どうして日本から中国のこんな遠い田舎まで自費でやってきて、私たちのために木を植えてくださるのか、承徳県では、教材も作り、小学校で教育をはじめています。中国の環境が世界に影響を及ぼすことを。そして、日本の人たちが来て、私たちを助けてくれていることを。」

「"中国に緑を"基金」が活動を始めたころは、中国との国交が回復され、残留孤児の肉親探しやかつての生まれ故郷にセンチメンタルジャーニーをする人々が行き来をしだし、その記念に桜の木を植えたい、という希望が出始めたころであった。桜は桜でもちろんすばらしい活動であろう。ワシントンDCのポトマック河畔の桜は、毎年咲くたびに、日米の友好が続くように、との願いが新たとなり、すばらしくもみごとな光景である。それとはまた別の意味で、環境としての植林、現地の人々の叡智にまかせた、現地の環境にあった木の援助、という意味での「"中国に緑を"基金」の活動にボランティアとして関わったおかげで、本当に多くのことを学ばせていただくことができた。

植林と一口に言っても、植えていい場所と植えてはいけない場所があること、植えていい木と植えなければならない木、植えてはいけない木があることなどを理解することにつながっていく。また、あるひとつの地域に木を植えるということは、即、地球全体の生態系に直接影響があることなど、実に大きなことを意味するものである、ということも学んだ。そして、中国に木を植える、ということは、同時に、人と人との心にも交流という種を蒔き、水を撒き、育ててくれるものである、ということも。