蝶の採集などに使う”三角缶”は昆虫採集用具の代表格.これを腰に付けるだけで洟たれ坊主が昆虫少年に変身する,そんなオーラを秘めた虫捕りの神器といえるでしょう.

言い換えれば,いろいろある昆虫用品の中で最も特化したグッズでもあります.それ以外に何に使うねん!ぜんぜんツブシが利かんぞ!なのです.また造りはごく単純で,要するに三角の箱,金属製なので滅多に壊れません.採集品を収めるものですから,行動中は命の次くらいに大切なもの,滅多に紛失するものではありません.
その結果,世界には虫屋の数とほぼ同数の三角缶があって,すっかり飽和しています.破損や紛失する数も新たに製造される数も僅かだと思います.毎年何個作られ売られるのでしょう? 最も安価なブリキ製でも1300円,牛革製のは3900円,こんな物体がそんなに高価なのには,それなりの理由があるのです.
しかし,昆虫の採集を始めようと思ったとき,この高価さが重大な障壁になっているのも事実です.虫網は夏ならそこら辺のコンビニや100円ショップでも買える(あまり良いものではありませんが)のに,三角缶は手に入りません.
そこで,同等品を安く作ろう,というのがこの頁の趣旨です.
三角缶の機能は,三角紙が納まり,簡単に取り出せ,それに虫(蝶)を入れてまた収めることも簡単で,圧迫や破損から守る,という程度の事です.簡単に,というのは,片手だけでできるとか,すばやく出来るとかです.
だったら適当なイレモノはないかと考えると,ありました,ありました.CDケースです.しかも100円の.

CDケースはサイズも三角紙にぴったりです.厚手のA4の紙を使って隔壁を作っやると,これまたぴったり二段式になって,空のと虫が入ったのを整理することが出来ます.
100円ショップのCDケースは奥深〜い世界([ダイソーCDケースのある生活]を検索して参照)なので,ここでいい加減な評論はできませんが,三角缶への改造を目的とした場合にお薦めなのはNo.46(=旧No.18)という型,プラカバータイプの24枚入りのやつです.
特徴は本体が〔〕形構造で,その主要部がプラ製であることです.圧迫にも耐え,表面の濡れや汚れにも強そうです.穴あけ加工も容易です.内側はCD袋が外せるタイプなので,取り去りやすく,取り去った袋も無駄になりません.内部に十分な厚さ(約40mm)があります.
同じ24枚入りタイプでも最近は150円や200円の品がある中,No.46は比較的旧式な単純な構造の製品で,価格は100円です(税別).

加工する点といえば三点ほどです.
まず第一に隔壁の増設.CD袋を撤去したがらんどうのケースに三角紙を放り込むと,方向が不揃いなり,取り出しにくくなります.厚紙で隔壁を作ってやると巧く納まり,出し入れしやすくなります.上の略図に示したようにA4用紙一枚に二ヶ所切れ込みを入れ,折って接着剤で止めたものが.上の写真の黒い紙の隔壁です.|/|的な配置で,空の三角紙と虫が入った三角紙を区別して収めることが出来ます.もっと頑丈な材料で作るのも良いかもしれませんが,この程度でも十分に思えます.
ケースはジッパで三辺が開くようになっています.全開すると三角紙をぶちまけてしまうので,二辺だけしか開かないようにしましょう.それには安全ピンで止めれば十分です.やりにくですが,内側から止めるのがエレガントというものです.これが二点目,大げさにいうと[リミッターの設置].
三点目はベルト対応加工.特に穴あけはミスると取り返しがつかないので十分考えて行う必要があります.ケースに穴をあけ,ヒモを通し,ベルトに付けるようにします.下図のように穴をあけ,上写真のようにヒモを通しておくと,ベルトの通し方によって◇方向または□方向に選ぶことができます.

出来上がってみると,三角紙が三角なの(長方形をおるだけで作れるので直角二等辺三角形であることは理にかなっている)はともかく,三角缶は三角である必要が無いことに気づきます.正方形の方が断然機能的です.
そもそも45°の尖りを持った物体を身に付けるのは如何なものか.実際に腿とかに食い込む事もありますしね.
昆虫の標本の作り方を紹介する場合,いきなり方法や手順,道具の使い方を説明することが多いように思います.その教育過程では[なぜそういう方法を採るのか?],[なぜそんな道具があるのか?]という視点はなく,[より巧く,効率的にやるには?]という発想が欠如しています.
今,子供たちに説明や紹介を行っている立場の人,先生自身がそうやって教えられてきたのでしょう.[とにかくそうやれ],[標本作りとはそういうものなのだ]というわけです.悪く言えば教条主義に陥っています.
例えば[昆虫の標本には刺す],これは針を刺して乾燥することで,以後は針をつまむだけで扱えるようになり,虫体に直接触れる必要がなくなり破損が防げるからです.ラベルも針に串刺ししてくことで紛失錯綜することがなくなります.
これは大発明でした.この方法の昆虫研究の発展,昆虫趣味の普及への寄与は大きなものがあります.しかしその偉大さは主張される事がありません.先生たちが物心ついたとき,既に昆虫標本とはそういうものであって,それがなぜ,何のためという発想がなかったからです.
[蝶蛾の展翅では前翅の後縁を一直線に揃える]これは何でしょうか?
蝶や蛾には大きな翅があります.というか,だいたい翅が広く大きく,模様がある虫はとりあえず蝶か蛾です.ときどき違うグループの虫でも蝶みたいな格好のことがある,程度です.そういった虫を調べるためには,翅の裏表の模様をよく見る必要があり,標本を作る場合も,それが見える状態で固定するのが好ましいのです.だから[展翅]するのです.
だから展翅する.展翅したくなったのです当時の虫屋は.[当時]といいましたが,それは漠然と展翅が始まった頃であって具体的に何年ごろどの地域というわけではありません.さて,蝶や蛾やその類いは展翅したくなりますが,そうでない虫もいます.展翅する虫と展翅しない虫,があり,展翅する虫は絶対展翅すべきで,展翅しないと標本として失格と思う人もいたかもしれません,ちょっと後の虫屋の中には.
さて具体的にはどう展翅するか? 模様が見えれば良いだけなら,多少斜め,前から見て\/でも良いでしょう.しかし,翅形を直感的に見極め,破損のリスクを回避するために平坦にする習慣になります.おそらく展翅のための道具(展翅板)の発達と展翅そのものの定式化が平行して進んだのでしょう.本来の目的からすると,なるべく隠れた部分が少なくなるようにすべきなので,前翅は不自然なくらい前方に引くことになります.いつしか[後縁が一直線になる程度]という習慣ができあがり,マナーとして定着しました.
図示されるのはマナーに則った標本ばかりであり,今では図鑑と見比べるためにも初心者が新たに作る標本はそれに合わせておく必要があるわけです.
元々の[一直線]という基準に根拠はありません(なぜ75°でも105°でもなくではなく90°なのか?).しかし,基準からのズレは一目でわかり,今やそれに合ってない標本はだらしないか,下手っぴに見えます.これはいわば文化です.
理想的な展翅が想定される以上,現実の展翅には出来,不出来があります.初心者は最初から巧く展翅することが出来ませんし,ベテランでも常に完璧ではないでしょう.そもそも標本を壊すリスクを冒してまで無理な展翅をする必要があるのか?一般的にそうなのか?常に展翅をする必要があるのか?大いに疑問です.
たとえば,証拠物,研究材料として保存する目的からすると,本来の優先順位としては不細工さに甘んじても破損を防ぐべきでしょう.初心者は蝶の胸に縦に針を刺すだけでも大変です.横刺しなら比較的容易で,裏側の斑紋が良く見えるのに,敢えて展翅を試みる必要があるのでしょうか?
[前翅の後縁一直線]これは文化ですから,初心者はこれを弁えておき,必要な場合にそれができるようになっておくべきです.それには練習が必要です.練習では,きっちり良い角度に展翅するよう努力せねばなりません.その過程でどうすれば翅に穴が開いてしまうか,鱗粉がとれてしまうか,それらを避けるためにはどうすべきか? 体験するでしょう.厳しい修行時代 … しかし展翅は”道”ではありません.
一方で,初心者が残すべき標本を展翅する場合もあります.記録を取ったり,提出用だったり.これは練習用ではありませんから,破損を避ける事が優先されるはずだと思います.
思いもよらない蝶が採れてしまう.蝶の師匠に聞いたら地元初記録のビギナーズラック.自分で展翅するなら壊さない事を最優先でやるべきで,その結果,甘い展翅になったとしても正しい選択の結果です.自信がなければ師匠に頼むのも正しい選択でしょう.展翅は手段であって決して”道”ではないのですから.
要するに,それぞれの目的からして,展翅しない,甘い展翅で十分,という選択肢を常に持つべきだと思うわけです.このように,たとえばこの場合[前翅の後縁一直線]とする理由が何なのかを理解しておけば,それに照らして判断できるはずだと思うわけです.
そもそも甲虫屋の筆者がこの文章を書こうと思ったのは[三角紙]や[展翅板]がなぜああなのか?を説明される機会の少なさが不思議に思えたからです.
三角紙がああなのかは1)矩形の用紙をたった三回折るだけで蝶を封じ込める単純な幾何学,2)鱗粉が落ちにくく中身が透けて見える材質の紙,を言う必要があり,それだけで十分です.シンプルかつベスト.もう改良の余地の無い完璧に洗練された道具なのです.
その三角紙を携行するために出現した三角缶.これは今でもよく使われていますが,植物採集の[胴乱]と同様,[軽くて硬い箱]が無い時代の遺物ではないかと思います.少なからぬ距離を歩いて移動し,その間に採集,発見した資料を押しつぶさないように持ち帰る,そのためのなるべくコンパクトな容器をわざわざブリキ細工で作った物体,それがこれらです.
三角缶の場合収納すべき物(つまり三角紙)の形状も一定で,容器(つまり三角缶)の構造も簡単なものですから,現在はいろいろと利用,代用できるものがあるわけです.わざわざ既製品を作るほどのシロモノではないと思います.
販売されている展翅板は,標本の量産に適した形態といえます.そのための省資源,省スペースに徹したグッズです.非常に特化したものであり,[ツブシ利かん度],[売価/コスト比]が高いのも三角缶と同様です.しかし三角缶が時代遅れの過去の遺物となりつつあるのに対し,展翅板は他では代用が不可能(〜困難).ユニークな地位を占めています.おそらく展翅という方法がある限りその地位に君臨し続けるでしょう.展翅板が滅ぶのは人類と蝶蛾のどちらかが滅ぶ時です.
ただ,既製品の展翅板は(展翅テープも)ベテランが一日分の採集品を大量に展翅して何週間も乾かすような状況に向いているものであって,初心者が練習したり少しずつ作り溜めていく状況に向いてはいません.初心者にとって本式の展翅板は取りまわしさえ困難で,二頭目をやっている間に一頭目が崩れてしまいます.せっかく虫に興味をもち,展翅に挑戦している子供を展翅嫌いにする,すごい効果があります.