留学生体験記                 2001年1月
              
                        西澤奈穂子


   (JIP・日本臨床心理学会のメールマガジンに連載されたもの)

正解のない問いにむかって

 私は今、CSPP(California School of Professional Psychology)のアラメダ校の心理学博士課程で臨床心理を勉強しているCSPPは60年代にアメリカ心理学会の直轄校として創設されたプロフェッショナルスクールで、プロとして心理臨床を実践していく人の養成を主眼におき、その見地から研究、トレーニング、人間教育などを行っている。カリフォルニアに4つの分校があり、アラメダ校はその中でもサンフランシスコベイエリアという臨床心理最先端の地にあるという「地の利」に恵まれている。APA(アメリカ心理学会)に認可されている心理学大学院として、APAで基準として設けている科目もカリキュラムの必修となっている。PhD(哲学博士号)とPsyD(心理学博士号)のコースがあり、PhDは研究中心、PsyDは実践中心の「プロ」を目指すことになっている。でも、どちらのコースでも現場で臨床ができるプロになるべく同じ実践的なトレーニングを受けなければならない。

 この学校ではカリキュラムがとてもしっかり決っていて、真剣にその課題を修めれば「プロ」としての基礎がある程度は身につく、ことになっている。本当かどうかは知らない。基礎をどれだけきちんと身につけられるかはもちろん本人次第で、それなのに「必修課題」が多すぎるじゃないか、と思うこともある。でもその課題の中でいいなと思っているのは、臨床を行うために一番大切な「自分自身の探求」が含まれていることと、全体的に非常に実践的であるということだ。これらは、学校の規模が大きいとただのうたい文句で終ってしまいがちだが、CSPPは小さな学校なので、現実的な課題としてカリキュラムの中に活かされている。

 小さい学校であるということには、学校のほとんどすべての人と知り合いになれるというとても大きな利点がある。実際私は今年3年次だが、教授のなかで知らない人はほとんどいない。廊下ですれちがう先生とファーストネームであいさつをかわしあえること、事情をわかってくれている事務の人が仕事をまわしてくれたり、気になっているトピックの論文のコピーを無言でメイルボックスにいれてくれている誰かがいたり、そういうつながりがものすごく支えになっている。

 ここで一人きりで勉強を始めた当初、言葉の壁とあわせて苦労したのは、人間関係、価値観、生活観などすべてにわたる「意外な体験」を文化の違いとして知るという課程だった。たとえば人との距離のとりかた一つでも、ここでは自分の「あたりまえ」が通じなくて、いろんな場面で戸惑った。文化の共通項のないところで、言葉の壁を乗り越えて「友達」を作るのは思った以上に難しく、「「友情」ってどういう意味なのか」など、改めて考えたりした。仲良くなったと思っていた人に意外な反応をされ、誤解して傷ついたり怒りを感じたりしたことも多い。勉強でも実習でも言葉の壁がつねにネックになり、自分をうまく人に表現できないことのもどかしさも加わって、苛立ちとともに劣等感もどんどん強くなった。

 そんな時、この学校の臨床心理分野の人、つまりは「人を助けたい欲望」を持つ人たち、そのプロの人たちとの小さなコミュニティーのつながりがとても助けになった。一番つらかったころ、授業のことで質問に行ったら、突然、「君はほんとうにがんばっているね。大変だろうね。」と質問内容をそっちのけで真剣に私の話を聞いてくれた先生がいた。ちょっとした一言で私の落ち込みを感じとってくれ、食事に連れ出してくれた友達もいた。

 そういう人たちのおかげで、今では自分と大きく異なる人と知り合うことを喜びと感じられるようになっている。むしろ、それがしたくて臨床心理をアメリカまできて勉強しているのだと思うようになった。「異文化」と格闘する中で、それまで意識しなかった自分の行動や感情ひとつひとつをとても注意深く観察するようになった。感情的になり、その反動があり、そう感じる自分を見つめる。その繰り返しをつづけているような気がする。そうするうちに、自分を見る目が少しずつ変わってきている。

 それが、私がここに来てよかったと思うことの中でも一番大きな収穫だ。日本を飛び出さなければえられなかったような視点が、自分に対しても「人」や文化に対しても作られつつあるように思う。異質なものの中に放りこまれる体験は、自身を、そして普段見ていなかったものを浮き彫りにし、意識させる。私がそこから得たものは本当に大きい。