留学生体験記2 2001年1月
西澤奈穂子
壁を越える力
今回は、アメリカに来たばかりのころのことを書きたいと思う。とても高かった言葉の壁と、それを乗り越えようとして探し出したボランティアのことだ。
私は、日本の大学では日本文学を専攻していたため、今いるCSPPに入学する前、心理学を勉強するためにオレゴン大学(University of Oregon)に学士編入した。96年の秋のことだ。着いてからしばらく、話せないというのがものすごいプレッシャーだった。それまで英語と全く縁のない生活を、かれこれ8年近く送っていたのに、たいした英会話の勉強もしないままいきなり留学したのだから、今から思えば話せなくて当然なのだが、当時はそう思いたくてもどうしてもそう思えなかった。言葉がいかにその「人」を造り、「自己」意識に反映し、話せない、というのがいかに大きな劣等感を生み出すかを、身を持って実験したようなものだ。
無我夢中で毎日を過ごし3ヶ月が過ぎたころ、言葉の壁をなんとかしなければとボランティアを探し始めた。何か今後のためになることで、お金もかけずに会話を上達させるには、それが一番だと思ったのである。
私はノーマルレンジを外れている人たちが好きだ。中でも、10代という若さで(あるいは若いからこそ)、どこか外れてしまっている人達がとても好きである。だから、大学の心理学部学生部に置いてある、心理社会学系のボランティアリストにこの施設を見つけたとき、これだ!と思った。この「青少年施設」は犯罪に関わった10代の人達のためのもので、つまりは外れてしまった青少年のための「塀の中」である。
ボランティアを始めるには、面接をし、トレーニングを受け、施設と大学両方に許可してもらわねばならない。そのかわり許可してもらえば、ボランティア経験は大学の単位として認められる。つたない英語でアポイントをとり、1月末の冷たい雨が降る中、面接をうけるべく初めてその「塀の中」に足を踏み入れた。学生ボランティアの担当をしている女性Mさんに会うことになっていた。
そのころは、毎日、まるで、水中を泳ぎながら人と意思の疎通をはかろうとしているような気分だった。面接はそんな私にとって、とても大きな「壁」だった。緊張して待つこと20分。いろいろな想像が頭をよぎる。それまで、英語で何かしようとするたびに、何かしら嫌な思いをしてきていた。どうしても意思を伝えなければならない時、寮の事務や学生部などと交渉事をするときなど、相手に苛立たれたり、同情されたりあきらめられたりしていると感じることばかりが多かったのだ。だから、今度もそういう思いをすることになるだろうと思っていた。
現れたMさんは、ものすごく大柄で声の大きな女性で、体全体から明るいオーラを発しているような人だった。私がただの挨拶にすら言葉をつまらせるのを見ても、まったく表情も反応も変えない。話しているうち、彼女が表面をつくろっているのではなく、本心から「話せない外人」の私とアメリカ人学生と、同じスタンスで接してくれているのが伝わってきた。言葉の壁が高すぎて、こんなに普通に「人」として接し合えることが、それまでの生活ではほんとうに少なかった。だからそれだけでも感動していたのに、面接が進み、英語の壁の前に苦労しているという話になると、ボランティアの時間外で、私の質問に答える時間を作ってあげようと言ってくれた。分刻みで働くハードスケジュールの中、遠い外国から来た会ったばかりの学生のために、無償で毎週1時間以上をさいてくれるというのだ。私は感動を通り越し心底驚いてしまった。
「そんなに忙しいのに、今会ったばかりの外人の私のためにどうしてそこまでしてくれるんですか。」
「したいからするだけよ。壁を乗り越えようとして苦労している人を助けるのが好きなのね。ここの子たちもこの壁をぬけようとして一生懸命で、それが好きだからこの仕事してるんだし。」
「でも私はしてもらったことに返せません。私はこの社会の一員ではないし、卒業したら日本に帰るし、してもらったことをこの社会に還元することさえできませんが。」
彼女は笑い出した。
「どうして返す返すって気にするの。私と質問用の時間を作るのが嫌なの?」
私は夢中で首をふり、驚いているだけだと言った。もしこれが日本だったら、日本人の私でさえ簡単に少年院でボランティアなどできないし、するとしてもそんなに大きなヘルプを初対面のスタッフの人から期待することはできない。まして外国人学生だったら、なお難しいと思うと。すると、彼女はまじめな顔になってゆっくりといった。
「この国にいるのはみんな『外国人』なの。ネイティブアメリカンの人達以外は。そうでしょう?それに、自分のしたことをなるべく多くの人に知ってもらうのは、罪を犯した彼らの責任でもあるし、彼らの行為に少しでも意味を持たせるための一番の方法でもあると思う。そして、それを手伝うのが、その罪を犯した人の矯正に関わってお金をもらっている私の責任なのよ。」
すごい人だなと思い、すごい社会だなと、アメリカに来て以来初めて思った。