留学生体験記5 2001年1月
西澤奈穂子
プロフェッショナル・バウンダリー
プラクティカム(注1)をし、きちんと自分のケースを持ってセラピーをするために、それぞれの学年で受けなければならない授業がある。この基準は学校によって違うようだが、CSPPでは、2年次には「Clinical and Ethical Issues 臨床と倫理」のクラスが必修だ。これは10人ちょっとの小さなクラスで、心理臨床にかかわる倫理基準や法律の問題を学び、同時に、実習先で起きていることをお互いに持ち寄って臨床的問題について話し合う。
倫理基準や法律については、APA(American Psychology Association; アメリカ心理学会)が出している倫理基準に関しての本(注2)にそって倫理コードを覚え、守秘義務、虐待の報告、強制入院などにかかわる法律を覚えなければならない。学年の最後にクラスでテストがありパスしなければならないのは当然、そのあとに待っているComprehensive Exam (CSPPではこれを Preliminary Examと呼んでいる)でもこれが1科目になっていて、細かいところまで厳しく覚えさせられる。心理臨床関係の仕事は人間の一番ややこしい部分を扱うのだから、倫理や法律を自分でしっかり把握していないと現場に出ることはできないということを、感覚的にたたきこまれたような気がする。
ともあれ、このクラスは厳しかった。一番厳しかったのは法律や倫理の問題よりもむしろ、臨床的な課題のほうだ。倫理コードや法律はいくら量があるとはいえ覚えればいいことだが、臨床は、とても複雑なプロセスであり、そこに自分自身の問題もからんでくるので、がむしゃらな努力だけではどうにもならない部分がある。クラスでケースの話をしたりペーパーを書いたりするたび、何度もしつこく先生に言われたのは、理論をもっと深く理解し正確に現場に応用しろということだった。一つの理論を選び、それをしつこく勉強して、それにそってもっとまじめに「ケースフォーミュレーション」をやれというのだ。「ケースフォーミュレーション」というのは、その人がどうして今のような症状や問題を持つに至ったのか、何らかの理論にのっとって解釈を試みることである。理論については、いくつかクラスをとっていたし勉強していなかったわけではないのだが、生の人間を相手に理論を持ち出そうとすると、まるでその人と接しているのではなく理論にその人をあてはめようとしているようで気分が悪く、何度言われてもあまりまじめに言われたとおりの努力をしなかった。それで何度か注意をうけた。私の解釈にはまるで理論がないと言われ、しまいには「君、こんな複雑な理論を英語で理解しようとするのが間違っているのじゃないか?日本語の本を探してきて勉強したらどうだ」とまで言われて悔し泣きしたことがある。それでも私の態度は変わらなかった。それは、今考えると、私のプロフェッショナル・バウンダリーにかかわる問題とつながっている。プロのスタンスを取るのが怖くて、抵抗していたのだ。プロとして働くためには理論を自分のものにするのはとても大事なことだと心のどこかでわかっていながら、プロとしての自覚を持つには自信がなさすぎたのだと思う。
2年目のプラクティカムは、“インテンシブ・ケース・マネージメント(注3)”の新しい試みを始めたエージェンシーで行った。本来なら生涯病院で暮らさなければならないほど重度の精神障害を持つ人が地域で暮らせるようにサポートすることを目的に、3年前に生まれたばかりのエージェンシーだ。
私には、臨床の基本はつねに「同じ人間同士の関係」だという信念がある。それはプラクティカムを始めた時も今も変わっていないのだが、当時はそのポリシーが実に幼稚なレベルにあった。「クライアントとセラピストの距離」というのを無理に決めるのは不自然だと思っていたのだ。だから「境界線」の実に曖昧な関係の取り方をしていた。例えばクライアントと会ったあと「会えて嬉しかったです。ありがとう。」と言ってしまう。個人的なことを聞かれても、問題のない内容の場合は会話の流れとして話してしまう。最初は、人間同士の関わりなんだからこれでいいんだと思っていた。しかし、そういう具合にクライアントと接しているうち、しばらくして、私の態度がかえってクライアントを混乱させているだけだということがわかってきた。だんだん電話番号を聞かれたり恋人の話になったり、対応に困ってしまう会話が増えてきて、あげくは「この人は何のために自分と会っているのか」という疑問をクライアントの方に抱かせてしまったりしたのだ。それは私が、セラピストでありながらきっちりとした境界を作らず、関係の意味付けをしなかったために生まれた混乱だった。
時と場合では自己開示や臨床の枠を越えた会話も大事だが、それは相手を見て行わなければいけないことであり、それを臨床的材料として使う器がなければしてはいけないのだと、今では理解している。あの時の問題は、曖昧な境界が悪影響にしかならないような問題(分裂病の妄想など)を持っている人たちを相手に曖昧な境界を作り、しかも私にそんな微妙なラインを扱える器がないという自覚さえなかったということだ。
相手を同じ人間として尊重すべきなのはもちろんなのだが、それは同じ立場で同じことをしようとする友達同士とは違う。そもそも私がその人と出会ったのはどう転んでもセラピストとしてに違いなく、友達として出会ったわけではないのである。当たり前のことだが、友達のふりをするほうがずっと失礼なのだ。境界線は、セラピストを守る以前にクライアントを守るものなのだということを身を持って学んだのが、プラクティカムのセラピーを通して得た最初の貴重な収穫だった。
注1:エッセー第6回をごらんください。
注2:”Ethics for psychologists: A commentary on the APA ethics code.” Canter, M. B., Bennett, B.E., Jones, S. E. & Nagy, T. F. (1996). American Psychological Association.
注3:インテンシブ・ケースマネージメント
伝統的で一般的なケースマネージメントには、クライアントが必要とする住居を斡旋したり病院とコンタクトをとり薬を定期的にとっているかチェックしたりするのが主な『斡旋型』が多いが、インテンシブ・ケースマネージメントというのは、『包括的』『統合的』あるいは『アサーティブ・ケースマネージメント』とも呼ばれるケースマネージメントの方法の一つで、クライアントの生活全体を包括的にサポートしようとするもの。治療プランを作ったり、就職就学の相談を受けたりそのサポートをしたり、家族と協力したって治療にあたったりと、活動の範囲は非常に多岐にわたる。