|
ミレニアムに続いて新世紀の幕開け、ここのところ大きな節目が続き、私の周りにもこの機に自分で会社を起こした
り、違う会社に転職するといった決断をする人がちらほらいました。ところが最近ではニューヨークで起こったテロ事件 があったりして、構造不況によるリストラが吹き荒れる中、威勢の良い話よりも元気の出ない話題の方をよく耳にしま す。そんな中、私は以前から左右対称に綺麗に並んだ2002という年号がどうも気になっていました(この前は11年前 の1991年、この次は110年後の2112年)。それは私が昭和37年生まれで、この4月で40才の節目を迎えることに なるから、今年に無理矢理何らかの意味を持たせたかったからなのかも知れません。この40才という響きは、夢いっ ぱいだった20才、元気いっぱいだった30才を迎えたときとはひと味違って、さすがにラストチャンス的なイメージをぬぐ い去ることが出来ません。
一昨年の春、長男が寮生活を始めるため家を出たのと同時に、東京転勤の辞令を受けた私は、妻と小学校3年生の
次男と3人でそれまで住み慣れた大阪を離れて東京にやってきました。現在、我が家は東京都三鷹市で暮らしいます。
昨年、新しい職場での仕事がうまく運ばないこともあって、会社での仕事に行き詰まりを感じていた私は、ずいぶん以
前から暖めていた「いつかは田舎で暮らしたい」という希望を一年間かけて家族に説得しました。。正直に言うと実際に は「これまでいろいろやってがんばってきたつもりだけれど、自分には会社勤めは向かないと思うし、もうこれ以上続か ない・・・」と脅かしたり、深酒、不眠症がひどくなる一方で体の不調を訴えることが多くなり、「この人このままじゃ駄目に なるのでは・・・」と心配させたりしたのでした。それは金銭を得ることに人生の大半の時間を費やして、それで得た金で 必要なものを調達するという生き方から、出来るだけ自給する生き方に変えてみたい。人間として家族の命を家族自 身の力で支えているという実感と自信を取り戻したい(正確には生まれて一度も自信を持ったことがないので取り戻す というのは誤りか)と思いが高じてのことでした。
具体的な移住先としては、3年ほど前に出会って数回会った知人のいる和歌山県本宮町を候補地として考えました。そ
の知人の存在以外にこの地を選んだ理由は「熊野詣で」として昔から、多くの人々が現世の罪を洗い流す、よみがえり の地として信仰を集めていたということに惹かれたからです。昨年の夏と秋、二度にわたって家族でこの地を訪れた 末、我が家はいままでのライフスタイルにブレーキをかけ、大きくハンドルを切って、この4月に和歌山県は熊野という 典型的な過疎の山間地へ移住する一大決心を下したのでした。
私たちは夫婦とも出身が田舎というわけではありません。生まれてこの方、大阪と東京の大都市圏でしか暮らしたこ
との無い人間です。昨今増加しているの「定年帰農」といった悠々自適の生活が許されるな身分ではとてもないし、一 念発起して本格的に「就農」を目指すわけでもなければ、陶芸家や染織家のように手に職があるわけでもこれといった 才能に秀でているわけでもない、いわばごく普通のサラリーマンの家庭です。そういう意味ではとても無謀な決断である 言えます。新聞等を賑わしているように不況で失業者が増え続けているこの時期に、よりによって熊野地方という筋金 入りの辺境の地に行くという決断に、表面上は羨ましがっている友人も、その多くは心の中では首を傾げていると思い ます。実際この話を他人事として聞いたなら、私自身もきっとそう思うから間違いありません。仕事に悩みを抱えている とはいっても、今日のサラリーマンなら大なり小なり誰でも抱えているわけで、しかも安定した収入と「部長」という肩書 きを与えられているのにもかかわらず、それを棒に振るなんて全くナンセンスな話です。現在のところ、移住後の収入 のあては何も決まっていないという現実がすべてを物語っています。
それでも我が家は決断しました。このことが正しいかどうかは今はわかりません。ただきっと間違っていないという予
感が私にはあります。また、きっと正しいと思えるようにしてみせるという意地もありますが、自信はありません。我が家 では悩み抜いた末、もうそれ以上悩むのを止めました。いくら悩んでみても先のことはどうしてもわからないからです。 せいぜい、そこで出せるのは「少し見合わせて、じっくり様子を見てみよう」という先送りの結論が関の山です。なぜなら 私たちが暮らそうとしている地域には、それなりの待遇で仕事の面倒を見てくれるような企業など無いのです。頭では わかっているつもりでも、現状の生活では当たり前のものが存在しないというのは、なかなかピンと来ないものです。物 件をFAXで紹介してくれる不動産屋も無ければ、暮らしのガイドブック的なものなど当然出版されてはいません。都会で 暮らしながら、いろいろ調べてたり準備した上で、移住の決断をすることには限界があるのです。つまり勇気を出して実 際に一歩踏み出さないことには、先には一切進めないということなのです。
きっと我が家は現在想像だにしない変化に飲み込まれていくことになると思います。考えが甘かったと「後悔」の二文
字が頭をよぎることも一度二度ではないでしょう。しかし今後、難問が持ち上がっても、時計の針を戻すようなことは止 めよう、前向きに考え、行動していこうと思っています。
私はこれから我が家で実際に起こる具体的な出来事をできるだけ正確に記録していきたいと思っています。どんな事
件が私の家族に起こって、どんな会話が交わされるのか。何に悩み、何を決断し、そのことを通じて家族の何が変わっ ていくのか。何をあきらめ、何が得られたのか。その中で「豊かさ」はどう質的に変化していくのかを・・・。
戦後多くの若い人々が日本の各地域から東京や大阪の大都市圏へ、働き手として吸い上げられてきました。しかし、
都市での生活に行き詰まりを感じ、自然の多い人間関係の豊かな田舎暮らしに憧れるよう人が増えているにも関わら ず、今だにこれまでの動きは止まってはいません。それは現代日本というマシーンを効率よく動かし続けるために作り 上げられた巨大なシステムが、実質的には必要なくなってしまった今も慣性の法則で動き続け、もはや容易には止めら れなくなっているからだと思います。
私たちを取り巻く現実は決して甘いものではありませんが、もし普通のサラリーマン家庭である我が家のこの小さな
挑戦がうまく行ったなら、都会で暮らす田舎人たちを少し勇気づけることができるかも知れないと思っています。私はこ のことはとても重要なことだと思っています。一人でも、一家族でも前向きな気持ちで都会から地方に生活の場所を移 すことになれば、そしてこうした動きが広まれば、巨大システムを逆方向に少しずつ押し戻すことになる。そうすれば、 ゆくゆくは過疎と過密の問題に留まらず、今日本を覆いつつある難題のいくつかを本質的な解決に導くと思うからで す。 |