運転免許証がもたらしたこと



東京での普段の暮らしににおいて、マイカーは便利なことよりもどちらかと言えばやっかいなことの方が多いような気が
します。まず何と言っても駐車料金が高いこと(我が家は三鷹の外れですが、未舗装の空き地のようなところに月18,0
00円も支払っています)。狭いエリアにたくさんの自動車が集中することによって、特に土日の夕方などは駅周辺や幹
線道路は毎週のように大渋滞が起こっています。少しの距離を進むのに時間ばっかり掛かり、自転車で走った方がず
っと早いという状態です。首都圏では地下鉄やバスが縦横に走っているので、路線が少々ややこしいのに慣れさえす
れば、マイカーを持っていなくても殆ど不自由なく生活していけます。

 ところが、和歌山県本宮町では状況は全く異なり、子供の通う学校やよろずやさん的な店(それも町内に数件しかな
い)に行くのしても、とても歩いては行けない距離にあります。まして、品数の揃ったところで買い物をするとか、ある程
度の大きさの病院にかかるとかいうことになると、車で40分位の所にある新宮市まで出なければなりません。紀伊半
島には海岸沿いにしか鉄道が走っていないので、公共交通機関となると専らバスだけです。しかし本数は大変少なく、
運賃もとても高いのです。因みに新宮に出るにバスは1時間に1本(朝夕で2本)、料金は片道1500円程度かかりま
す。

 昨年の秋、家族で熊野を訪れてみて、どこに行くにしても、何をするにしても自動車が必須であるということがわかり
ました。そこで大きな問題となるのは妻が運転免許を持っていないということ、さらに妻は車どころか自転車も乗れない
位の運動神経の持ち主だということでした。しかも本宮町から通える範囲に自動車学校が無いので、東京にいる間に
免許を取得しなければならないことになったのです。妻に残された時間はもはや長く、一刻の猶予もありません。東京
に戻った私は妻と一緒に、すぐに自動車学校を訪れ、入学の申込を行いました。そして、昨年の12月初めから、妻は
私と息子をそれぞれ送り出した後、自動車学校に出かけるという毎日の生活が始まったのです。最近の自動車学校は
実技授業の予約をインターネットで入れることになっています。最も効率的な教官の配置を目指してスケジュールはす
べてコンピュータ管理されており、直近の日程は先客で埋まっていて、キャンセル待ちをしてこちらの都合の良い時間
に予約を入れようと思うと何度も何度もサイトを訪れる必要があります。私もなんとかスムーズに教習が進むようにと一
日50回くらいはサイトを見ました。

 吸収の早い年齢を過ぎ、もともと勘がいまひとつの妻にとって、自動車の運転というのはかなりハードルの高い課題
のようでした。人が10時間で終わるところを15時間も20時間費やしました。あるときうまく課題のこなせなかった妻は
教官に「私は春から熊野へ行くんです。だから、どうしても運転免許がいるんです」と涙ながらに訴えたそうです。どうに
かこうにか年末ぎりぎりに修了検定に合格し、仮免許までこぎ着けました。お正月も、車の量が少ないのを良いことに
私が横に乗って路上でのトレーンニングしました。その後も相関わらず苦戦の日々が続いたのですが、ひとつひとつク
リアしていき、妻の努力の甲斐あって1月31日運転免許を手にすることが出来ました。

 私たち夫婦は結婚後、お互いの持ち場でそれぞれ努力してきたつもりでしたが、二人で力を合わせて何かを成し遂
げたと思えることは今回初めての経験でした。私にとって運転免許は比較的簡単に取得できたので、自分ならいとも簡
単にできたことに手こずっている妻を見守るのはかなりじれったいものがありました。でも今になって思うとそれは私自
身の修養であったような気がします。その後二人で自動車学校を訪れたのですが、さすがに数多く通っただけあって妻
は顔見知り多く、会う教官、会う教官、向こうの方から笑顔で会釈してくれたり、教習中にもかかわらず車から手を振っ
てくれたりしたのです。いつの間にか妻は学校の有名人?人気者?になっていたようでした。よくできの良い生徒よりで
きの悪い生徒の方が印象にに残るという話を耳にしますが、それはできの悪い生徒の方がより多くのことを先生にもた
らすからではないのかと思います。

 今回の免許取得をきっかけに、決して積極的な方とは言えなかった妻の考え方が少し前向きになったような気がしま
す。免許を取得して数日後、食卓の上にパソコンのビギナーズガイドが置かれているのを発見して驚きました。私は「こ
れからの時代、田舎に行っても自動車とパソコンがあれば都会にいるのとさして変わらず生活できる」とよく妻に言って
いたのを思い出しました。また別の日に「いずれは、自分なりに人の役に立つようなことがしてみたい」などと、これまで
一度も聞いたことのない妻の台詞に耳を疑いました。

 多くの人がいて、たくさんの機会に恵まれているはずの東京で、妻は息子を通しての最低限のつき合いしか作り出す
ことが出来ませんでした。それは言葉の問題を始めとして慣れ親しんだ関西と友人の全くいない東京との間で苦しんだ
からなのかも知れません。今回、私たち家族が田舎に移住することにならなければ妻は運転免許を取ることも無かっ
たと思います。これから、都会と比較すると人数も少なく、限られた機会しかなさそうな田舎に行くことになっているにも
関わらず、逆にこれまで以上に積極的な生き方ができそうな予感がしています。きっと出会いとか機会とかいうのは待
つだけではなく、作り出すべきものだったのでしょう。都会での生活に苦しんで苦しんで、最後に下した、都会を去るとい
う決断が逆に前向きに生きるための新しい気づきを与えてくれたことが不思議に思えました。

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