空家あれども、借家無し(2)



住む家が決まらないまま日にちだけが過ぎていき、その後も良い家が借りられるという連絡は届きませんでした。来月
からの勤め先が決まっていないということよりも住む場所が決まっていないことの方が、どうも腰が落ち着いていないそ
の後のことに思いをめぐらすのに気が入らないと思います。これまでサラリーマンたちにとってそこはただ寝に帰る場
所に過ぎなかったのかもしれません。しかし企業=家族というメタファが破綻した現在いおいて、そしてこれから生き
方、働き方を見なおしていく中で、「家庭」のみならず「建物としての家そのもの」に対する認識を新たにする必要がある
と思います。それくらい「家」は大切で住む人の精神状態に対する影響が大きいということを思い知りました。

やっと何軒か候補の家が出てきたと言うことで、3月2日再度熊野を訪れて、物件を知人とてみたのですが、済んでも
構わないと言う所は半分崩れかかっていたり、日当たりが悪いものばかりでした。ひとつだけ気に入ったのがあったの
ですが、これは親戚の関係で多分望み薄ということ(後でやっぱりその通りになりました)。それで結局残ったのが前回
町長に頼んでおいたおかげで確保できた古い教員住宅だけになりました。子供の減少が続く本宮町では教員住宅が
あっても、他から新たに教員を招くことがあるわけもないので、使用するあてもないと言うわけです。それでも教育委員
会からは一般の人に貸すことに関して反対の声もあったと聞きます。

来月から住むことになった住宅は廃校の校庭の中に4軒建つうちのひとつで、広さは約40uの2DK、築年数も相当
経っているような感じです。また、廃校というと環境がよいイメージがあるのですが、南に山を背負っているために日当
たりが良いとは言えず、少し低い土地に建つので水はけも良くないように感じます。また国道が真横にあるので昼間は
結構を車も通ります。決して納得は出来ないのですが、息子の学校のことや、引っ越しの段取りのことを考えるともう時
間的に限界といういこともあり、とにかくこの家を当面の足場にして、転居してから自分たちの足で、そして自分たちの
ことも知って貰いながら地道に探そうと思いました。狭くなることによって入りきらなくなる家具や荷物は当面知人の納
屋に預かって貰うことにしました。

今住んでいる三鷹市のマンションは会社から家賃補助が出ているのですが、月々の家賃140,000円、共益費10,0
00円です。一方本宮町の教員住宅は頭金・敷金・仲介料無しの5,000円のみです。鉄筋コンクリート4階建てマンシ
ョンが木造一戸建てに、3DKが2DKに居住面積が減少。水洗式の洋式トイレが汲み取り式の和式トイレに。ひねれば
湯の出た3箇所給湯のシステムキッチンが瞬間湯沸し器の設置が必要な狭い台所へ。シャワー付きのシステムバスも
釜だき式で浴槽もサイズダウン。木製ドアとフローリングから障子とふすまそして畳に。サッシはその後の回収でステン
レスのが入っていました。

田舎に住んだら森や田畑に囲まれ小川のせせらぎか聞こえる民家というイメージが膨らむのですが、私たちの現実は
それとはほど遠い地点からのスタートとなりました。畳や障子・ふすまはリフォームされていませんしガラスにも少しヒビ
の入っているところがありました。しばらく人が住んでいなかったと見え、床や畳の上には砂埃でざらざらしました。役場
の職員が簡単に説明をしてくれ、鍵を私に渡して帰った後、私は1人残り、メジャーを片手に引っ越しに備えて部屋の
サイズを測りました。この家における家具と納屋に預かって貰う家具を切り分けて、レイアウトを決めるためにどうして
も必要な作業です。決して大きな家に住みたいとは思ってなかったのですが家財道具を分散して置かなければならな
いのは、何か心が引きちぎられるような悲しさを感じます。大した品物は持っていないけれど、それぞれ購入したときこ
とやその道具と過ごしたシーンが思い出され、こうした気持ちを起こさせるのだと思います。まだ夕暮れには早いはず
なのに、曇天のために薄暗い明かりの中で来月から暮らすことになるその家に佇んでいるいると、少し自分が情けなく
思えました。そして自分のわがままのためにやっと手に入れた快適な住環境を失うことになった妻のことを思うと、済ま
ないなあという気持ちが湧いてきて、少し涙が出てきました。

地域での生活に意識的に目を向け始めたのは確か新卒のときなので、もう18年も経っています。その直感を確信に
変えるための勉強や経験は多く積んだものの、実際にその具体的な準備を殆どしていないまま今回の決断をしたの
で、今回の家探しに限らず、現実的にはまったく不十分なことばかりです。いわゆる「田舎暮らし」の手引き書などの体
験談では家探し・土地探しに何年もかけて気にったとことろと巡り会っていざ行動という方が目に付きますし、手に職を
付けたり、少なくとも農業の技術だけは学校などに通って身につけたりするもののようです。今から思えばしばらく「5時
まで男」を通して、準備の時間を捻出するというしたたかさも必要だったかも知れません。私の場合はそんなに器用に
会社の仕事に取り組むことが出来ず、最後の最後までサラリーマンとしての可能性を追求して働いていました。こうした
性格のため、きっと家探し以外にもいろんな問題に見回れると思います。でも、私の場合こんなやり方でないと今回の
決断に踏み切れなかったし機会を逸するのがいやだったのです。逆に思わぬ良い展開もきっと巡ってくるはずと信じて
みたいと思います。 
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