2003年、良かった小説(戯曲含む)(敬称略)


 注:普通「2003年良かった小説」と言うと、「2003年に発売された(書かれた)中で、良かった小説」のことなんですが、ここでは私が2003年に読んだ中で良かったものを紹介していきます。
 今年の前半は三島由紀夫を、後半は大江健三郎を集中的に読んでいたので、両者の作品が多くを占めています。

 ↓一応、順位。いい意味での印象度が、基準です。日付は読了日。

No. 本の題名、作者、感想など
『洪水はわが魂に及び』大江健三郎 11/9
人間のあるべき姿を根本的に描ききった。する必要のないこと・したくないことはせず、やりたいことはやる。当たり前だが、自分を見つめてこの地点まで辿り着いていない小説が多い中、この小説の提示したモデルは模範として強力だ。少なくとも、根本たるこの地点にまずは到着してからでないと、話にならない。
『同時代ゲーム』大江健三郎 12/20
大江がしばしば用いる四国の山村のトポロジーを、人類普遍の共同無意識の次元まで高め、神話・伝説化した。共同体を背景に描かれる無数のモチーフを貫いて、個としての生き方を探り、時空に捕われないヴィジョンを作り出した。
『美しい星』三島由紀夫 6/16
人間存在をどう見るか(どう生きるか、ではない。あくまで客観的)を語るために、地球外生物としての視点を導入した、硬質な味わいの思想小説。
『サド公爵夫人』三島由紀夫 6/3
ベケットの『ゴドーを待ちながら』のように、舞台上に姿を現さない一人の人物をめぐる人々を描く。中でも公爵夫人ルネはサドに深く心を寄せながら、歯車を間違えたために翻弄されてしまう。ちなみに今年新国立劇場で上演され、そちらも素晴らしい出来だった。
『ピンチランナー調書』大江健三郎 10/2
上述の『洪水~』では主人公(勇魚)は最後に「宙ぶらりんの無」に呑み込まれてしまったが、本作ではこの虚無感に対抗するべく、神たる白痴「森」とのつながりを描いている。連帯としての秩序へ−ただし本作の中では理想郷は実現しなかった。やはり還る先は無なのだろう。
『羊をめぐる冒険』村上春樹 5/2
やっと大江・三島両氏以外。登場人物は無個性だが、人物同士の関係が面白い。だから会話は生き生きしているのだが、全体的にだらけた雰囲気になってしまっている。人の「想い」があまり感じられなかったわりに、なぜか心に残ってしまった。少ない分、羊男の想いがクローズアップされたのか?
『ダブリン市民』J.ジョイス 4/5
やっと海外作品。15編からなる短編集だが、全てがダブリン市民各個人の肖像であり、連関はある。忠実な描写だけして批評は入らないので、辛い現実が突き放された形で提示されている。
『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』大江健三郎 8/18
それぞれに示唆に富む5編からなる。全体を通してのテーマは「自由を得て狂気に立ち向かう」ことであるが、狂気とは「宙ぶらりんの無」でしかない現実のあり様を認識することなのか?少なくとも、それが重要な一要件であるとしても、狂気には他の定義が用意されているのか?
『イェイツの詩を読む』W.B.イェイツ(詩) 金子光晴,尾島庄太郎(解説) 2/6
ジョイスに続きアイルランドもの。イェイツの詩を巡って金子・尾島両氏の対談形式で解説がなされている。美しく気高く、それゆえに錯綜しているイェイツの詩世界を、2つの視点から捕らえ直す快著。
10 『審判』F.カフカ 10/22
自己の内部での心理の葛藤(表層意識−超自我)を擬人化して表現した。微細な筆致による巧みな置き換え手法。
11 『遅れてきた青年』大江健三郎 4/24
WWUに間に合わなかった青年の心理を一人称で追いかけた。拠り所となる心理的ホームを持たない"up-rooted(根無し草)"ゆえに、論理を持たず、感覚的に行動するので、自己の無意識に切り込む術を持たず、ゆえに「鬼」に操られてしまう。悲劇として読めるか?

ちなみに2003年に読んだ本の数は61冊(前年比-3)、うち文芸(小説、詩、戯曲)は37冊(-4)でした。前年比微減。

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