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自由帳


 11   常陸の銀山を調べる
更新日時:
2009/07/10 
戦国時代には銀も金に並ぶ軍資金、あるいは政治資金として重要な役割を果たしました。歴史に名をとどろかせた銀山としては、尼子、大内、毛利、徳川と支配者がめぐるましく変わった石見銀山、上杉の上田銀山と鶴子銀山、豊臣の多田銀山などが特に有名です。
武田、佐竹といえば金山ばかりが目につきますが、意外なことに銀山があったようです。名前は高野銀山とよばれ、どうやらタングステン鉱山として知られる高取鉱山付近にあるらしいことは、うすうす分かっていたのですが、錫高野のことを指すのだと思い込み、単独の銀山だとは考えもしませんでした。しかし最近になり見つかった以下の資料から錫高野や高取鉱山および大正鉱山とは全く違う鉱山跡が見つかり、第一回目の探索で3つの坑口とズリ山を見出すことができました。
ズリの特徴から高野銀山である可能性が出てきたものの、まだ分析をするまでは断定は出ません。しかし鉱物愛好家の入った跡がなく今後の研究が楽しみな鉱山跡です。
 
金川原鉱山
佐竹藩採掘旧坑々゚数ヵ所にある→不詳→昭和十六年三月ごろより小規模に探鉱
鉱種
金、銀、銅、重石
地質鉱床
本地方は第三紀層及び古生層上部の粘板岩、砂質頁岩分布し鉱床は粘板岩中の小レンズ縞状石英脉にして上磐の粘板岩は石墨化す、母岩の走向は皺曲あり大体南北/70度東傾斜は北へ30/40度なり
本鉱山には以前稼行せるも現在は水没する本坑以上仮名主要なるものと思はる、然し坑口崩埋竪坑水没し坑内状況実見し得ざるも話によると西坑は走向東西に近く斜坑、竪坑によりヒ押し延長二八米上下五米の・・採鉱内に三か所の富鉱部あり上磐付に厚さ3/4糎の含銀多き縞状石英部あり之の下部は粘土化し小鉱塊を・・5%程度が混在し厚さ3.0/3.5米ありしと云う・・・・・
本鉱山は局部的には極々小部分に含銀高きも概して脉勢不安定にて平均品位も低い・・・・
 
現在見つかった坑口は3つだが、調査によりまだ増える可能性がある。一部にはカラミもあるという記載もあることから、戦国あるいは江戸時代の鉱山遺物発見の期待も寄せています。
 
 


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2007年の砂金堀り


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