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自由帳


 6   奥州のみよし堀り、信州のつるし堀り
更新日時:
2009/05/16 
砂金は分類上、大きく3つに分類されます。
川金、浜金 
鉱脈から分離し長い年月の自然淘汰により川底や河岸に堆積したもの。海岸に残留したものは浜金と呼ばれるが分類としては同じと考えてよいだろう。現在、砂金と呼ばれるものは川金の場合が大部分です。
柴金 
「しばきん」と読み「芝金」と書かれることもある。かつて川あるいは海だった場所が隆起あるいは川の移動により陸地になり、礫岩と共に川金が残留したもの。宮城県涌谷の砂金は北上山地の砂金が遠方より移動し堆積層をなしたと推測され、この部類に属します。また、現在ではダムの底になってしまった北海道の今金町美利加の採金遺跡もこの部類に属します。
土金
「どきん」あるいは「つちがね」と読みます。金鉱脈の露頭が風化や劣化により単独の自然金粒として原産地に残留したもの、川金になる前の段階であるため、自然金の形態が残っており、粉末のような角張った粒が、ごっそり多量に出るといったパターンが多い。
長野県茅野市金鶏鉱山遺跡、山梨県丹波山村丹波山金山遺跡、宮城県本吉町と気仙沼市、岩手県の陸前高田市と大船渡市の鉱山遺跡などが代表的な例です。
 
信州のつるし堀り
長野県茅野市の金鶏山山頂近くには、すり鉢上の穴、あるいは細長い切り通しのような穴があちらこちらにあいています。これらの掘り跡は、現地で信玄のつるし掘り跡と呼ばれています。「つるし」とは何か?実は、はっきりとしたことが分かっていません。有力なのは、穴の上に丸太をかけて井戸のつるべ落としの様なことをして土砂をくみ上げていたから、吊すということから「吊るし堀り」という意味で名付けられたと言われています。また一部には佐渡島の鶴子鉱山の採鉱技術と関係があるのではないかという説もあることを付け加えておきます。つまり「鶴子掘り」ですね。
また、これらすり鉢というかクレーターのような掘り跡ですが、往時は、もっと立方体に掘られていたと推測されるが、現在では枯れ枝や土砂が流れ込み、すり鉢状になったようです。地元の方の話ではこれらの遺構は、10年前はもっと鮮明だったとのこと。このままでは何十年後かには、痕跡が完全に消滅してしまう恐れもあり急速な保護が望まれます。
 
宮城県涌谷のみよし掘り
鎌倉時代、源頼朝の奥州侵攻まで奥州平泉は藤原三代の都として、京に劣らぬ栄華を誇りました。また、奥州は莫大な砂金の産出があり、「金売り吉次」に代表される貿易商が大いに活躍した時代でもあります。
これらの砂金は、何処から調達したか。一説には北海道ともいわれていますが、岩手県陸前高田と大船渡市、宮城県気仙沼市と本吉町、金成(現・栗原市)と考えたほうが自然に思えます。
みよし堀りといえば宮城県涌谷町がよく知られていますが、実はケセン地方のほうが、大規模なみよし堀り砂金採取が行われていました。今出山や大谷鉱山周りには土金採取の遺構が残っており、陸前高田や大船渡では今でも宅地造成が道路工事の時に、土金を掘った坑道跡や露天掘りの際に積み上げた礫のあとが見つかることがあります。
では、「みよし」とは何か。じつは、はっきりと示された説はありません。「みよし」には三吉、三善、實吉など縁起の良い字があてられていますが、「みよし」とは質の良い砂金の事を示し、また採掘に従事した人達が「みよし」を名字としたのではないかといわれています。新たな古文書でも発見されない限りはっきりした理由は解明されないかも知れませんが、これは謎のままでも夢があって良いような気もします。
 
宮城県金取のみよし掘り
2008年05月、金取のみよし掘りを見学した。山の中腹から山頂にかけて、ぼこぼこな地形で、穴はクレーター状のもの空堀水路状と色々、その数は数え切れるものではない。これか自然の地形ではないと判断できるのは、穴の横に積み上げられている捨て石の山だ。似たような光景は山梨県丹波山金山遺跡でも見たが、るその規模はとても比べ物にならないだろう。金取の地名はだてではないようです。
 
常陸での土金採掘はあったか?
福島県石川町学校法人石川高校初代校長の森嘉種氏がまとめた福嶋縣鑛物誌には、「山ノ砂金ヲ大規模ニ採取シタル痕跡今尚所々ニ歴々タリ」とある。これは八溝山界隈を調査した森氏自身が調査記載したものですが、私には、今のところ、八溝地域で、金鶏のような光景に出会ったことはありません。しかし、土金採取の可能性は充分考えられることなので、これからも山間部を調査するときは、気をつけてみようと思います。
 

信玄のつるし掘り



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2007年の砂金堀り


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