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自由帳


 8   特別展用展示砂金解説
更新日時:
2006/08/31 
平成18年7月21日より8月31日まで福井市立自然史博物館にコレクションの中から歴史的な産地を選び展示させていただきました。企画展は終了しましたがデータを資料として残しておきます。
 
埼玉県 大滝村・秩父市・長瀞町 荒川
※上流から下流へ〜変化する砂金
秩父鉱山は江戸時代の才人、平賀源内の荒川での砂金採取から始まったと言われています。
荒川上流の神流川大黒、山鳥は、結晶、紐型などの自然金形態の砂金を産出しますが秩父、長瀞と下流域になると砂金は扁平して小判型に変化していきます。また変化に伴い砂金表面の金の純度も上がっていきます。今回は荒川の中から4ヵ所のサンプルを展示、原産地から下流域へ砂金がどのように変化していくかを観察します。
 
宮城県 涌谷町
※日本最古の砂金産地
砂金採取は古代から渡来人達によっておこなわれたといわれています。しかし歴史上の砂金の登場は天平21年(749年)陸奥国から初めて砂金を献ずという記録から始まります。そのころ聖武天皇は毘廬遮那仏〈東大寺の大仏〉の仕上げに使う金の不足に困っていました。そのようなとき陸奥国小田郡(涌谷周辺〉からの産金の報告がなされ喜んだ天皇は年号を天平感宝と改めました。
 
宮城県 本吉町 大谷
※戦乱と黄金文化、みちのくの金
涌谷の砂金掘り技術みよし堀りは宮城本吉、鹿折、岩手県陸前高田、大船渡へと広がりを見せます。陸奥の豪族、安倍貞任は、有り余る砂金による財力から中央政権の言うことを聞かなくなります。朝廷は源頼義に討伐を命令。前九年の役、後三年の役へという大がかりな戦へと発展していきます。やがて源義家、義光の力を借りた藤原清衡が陸奥を平定。戦で亡くなった多くの魂を慰め、地上に永久楽土を築くことを願い中尊寺、金色堂を建立します。金色堂は成金趣味ではなく、戦乱の原因となった砂金を平和利用することにより人心の救済そして戦のない太平の世を願ったものです。
 
山形県 西川町 寒河江川流域
※職業砂金掘り発祥の地の砂金
山形県の寒河江側流域は、北海道で活躍した雨宮砂金探検隊の故郷です。寒河江側流域は、砂金の量は多いが大きなものは採れません。寒河江の人々は細かい砂金の回収技術に長けていたため、入植した北海道今金町でその特殊技術がフルに発揮され、揺り板の技術が北海道全土に広がっていくことになります。
 
茨城県 大子町 久慈川流域
※日出る処の砂金
八溝の砂金は、遣隋使、遣唐使が大陸で仏教の経典を入手するために使われていたといわれます。安土桃山時代は戦国大名佐竹氏の資金源として暗躍しますが、関ヶ原で負け組となった佐竹氏は秋田に懲罰的移封になります。しかし、その優れた採金技術は、江戸時代を代表する院内銀山や阿仁銅山で発揮されることになります。彼等の埋蔵資源に対する執着と自信は並々ならぬものだったようです。
 
山梨県 早川町 早川流域
※戦国大名の資金源の砂金
甲斐の武田、常陸の佐竹は源義光の末裔、つまり同族ということになります。ともに地下資源開発に執着しましたが技術的には武田の方が優れていました。豊饒の土地である常陸と異なり山国である甲斐は米、税金などの徴収に限界があり、豊富だった地下資源に活路を求めざるをえなかったからです。また恩賞であたえる領地にも限界があったことから採掘した金で甲州金と呼ばれる貨幣をつくり手柄の恩賞とした。一両、一分などの貨幣単位も生み出され甲斐は日本国内でも屈指の法整備、経済基盤の優れた国になりました。そして金の採掘、貨幣制度の導入など武田信玄の優れた政策は徳川幕府の手本になり受け継がれていきます。
 
北海道 夕張市 白金川
※北の大地、一攫千金の砂金
北海道今金に入植した雨宮砂金団によりもたらされた技術、砂金採取の熱気は更に北海道全土へと広がり、北の大地に日本最大のゴールドラッシュを引き起こします。おもな砂金にとしては、道北のウソタンナイ、道中央の夕張川流域、道南の歴舟川などですが、今回は白金川を展示します。砂金の他に見える銀白色の粒は白金(イリドスミン)です。比重が金より重い白金はゴールドラッシュ初期にはパンニングの邪魔者でしかありませんでした。しかしその後、万年筆の先端、精密機械の軸受けなどの需要から高値で取り引きされるようになり一時期は金と同等の価値を持つようになりました。


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2007年の砂金堀り


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