○ 足尾銅山
 ( 出典 : 平成19年11月15日 朝日新聞"オピニオン" 立松和平 『 足尾銅山 保存する明確な意識持とう 』 )


 足尾銅山(栃木県)による渡良瀬川の水質汚染が顕在化したのは、明治10年代後半(1885年ごろ)とされる。 アユやハヤの姿が見えなくなったのである。 明治20年には魚がまったくいなくなり、沿岸の漁業者は生活が立ちゆかなくなった。 明治23年に大洪水が起こって汚染が拡大し、栃木、群馬両県の7郡28カ村、1650余町に麦や陸稲や豆の立ち枯れが起こり、広く農民たちを困窮させた。 源流にある足尾銅山が、銅、硫酸などの生物にとって有害な物質を大量に排出したからである。
 これが世にいう足尾鉱毒事件で、日本の大規模公害の第1号である。 その後も大洪水が何度も起こり、被害を拡大させていった。 鉱山開発のため源流域の森林が乱伐され、雨が降るたび表土さえも流れ出し、保水力が失われていったからからである。
 生活にも困るようになった農民は、「押し出し」(大挙請願行動)をし、警官隊に阻まれ投獄されたりした。 当時、衆議院議員であった田中正造は、農民救済のため奔走し、帝国議会でくり返し演説をする。 その一つの論点が、渡良瀬川の「治山治水」である。 山の樹木を守ることが治水になるということを論点にしようとしたのである。 しかし、明治政府はそれを理解せず、富国強兵のための銅山の事業を強く推しすすめていく。
 鉱毒問題から治水問題への展開は、歴史的にも大きな出来事であったと私は思っている。 田中正造が議員を辞職して明治天皇に直訴をしたのが明治34年で、その約100年後に私たちは生きているのだ。
 「足尾に緑を育てる会」をつくって、表土さえも失い自然の治癒力では緑が回復しない足尾の山々に植林をはじめたのは、田中正造のやり残したことを私たちの手で少しでもやろうとしたからだ。 14年間ほど植林をし、植えたところは緑がかなり回復した。 現在、私たちは久蔵沢(くぞうさわ)の緑化に取り組んでいる。 久蔵沢は足尾鉱毒事件の中核に位置する足尾銅山製錬所の上流で、煙毒により地上から消滅した久蔵村があったところだ。
 緑化活動をしながら、私には思うところがあった。 足尾の山々を緑にするということは、足尾鉱毒事件の痕跡を消すことではないのかということだ。 ガレ場になって岩が露出し、どうしても植林のできないところがあるから、本当は心配はない。 ただ、歴史過程を保存することは生きた教材を得ることであり、未来のためにも必要である。
 足尾には消えつつある歴史の痕跡がたくさんある。 日本の近代化の象徴ともいえる足尾銅山製錬所は、巨大なモンスターの風貌(ふうぼう)で岸辺に残っているが、未来に生きる子供たちのためにぜひ残したい。 他にも坑道や坑口や社宅や、このままではあと数年で完全に消滅してしまう建造物は多い。 今のところあたり全体が歴史博物館のようなのだが、保存するという明確な意識がなければ、近い将来にきれいに消えるだろう。 歴史を消すとは、未来を消すと同じことだ。
 今年9月、栃木県が世界文化遺産の候補地公募に足尾銅山を提案したが、これらを残すために世界遺産になるというのも一つの方法である。 世界遺産というと、観光資源のイメージがわいてくるのだが、観光客がやってきてもこなくても、私たちはこの道を歩いてきたのだということをたえず知る必要がある。
 私の念願をいえば、足尾に公害情報センターのような施設ができたらいいと思う。 誰かを糾弾するような施設ではなく、水俣病など今も進行する世界中の公害情報がここに来れば学習できるという、先進的な情報センターだ。 これができた時、足尾の歴史からの本当の回復があるのだと、私は確信している。



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