○ 花島山(はなじまやま)
( 出典 : 「口訳 利根川図志 ー巻 四ー」 赤松宗旦著 阿部正路・浅野通有訳 1978年6月10日 崙書房 発行 成田市立図書館 蔵 )
花島山 印旛沼の中にあって、平賀村に属している(俗に誤って離島(はなれじま)と称する。 思うに花(はな)と離(はなれ)の和訓が相近いためであろう)。 むかしは、この島に舟で渡ったと伝え聞いているが、今は、田畑になっている。 島のまわりは一里(約四キロメートル)だという。 この島の頂上に、むかし寺があって、名を大日本寺(だいにっぽんじ)といった。 今は、不動堂と籠り堂だけが残っている。 弘法大師の護摩修行の古跡だといって護摩壇塚や独鈷水(とっこすい)(東の方、山の中腹にある)などが今に現存している。 山には、十六の峰と、八つの谷かあるという。
さて、この山に登ると、西には富士山、南には佐倉の城山や将門(まさかど)山、東の方には成田山、北をのぞめば、筑波や日光の山々がつづく。 また、北須賀村の水神の洲崎は沼のなかばにまるで、蛾の眉のように細長く、しなやかに曲がって見え、高瀬舟は白帆をかかげて八方に行き来している。 数万の漁船は、まるで柳の葉を散らしたようであり、その美しい数々の景色は,個々に接して鑑賞するひまもないほどだ。 まことに北総第一のすばらしく風景の良い土地である。
湖は波かたゝゝは蕎麦の花 梅麿
印旛沼の波はとりわけ美しく、それにみあうかのように、一方では真白く美しい蕎麦の花々が咲きつらなっている。
(杉浦補註)
平成16年10月中旬に花島山を訪ねたが、残念ながら山(10余名の分割所有とか)は長い間手入れがされておらず、まさに取り付く島もない状態であった。 村の農婦の話では、「お不動様、大師様、浅間様が祀られている。 若い人が減って山の手入れは出来ていない。 10月21日が祭礼なので、その日までには参道(非常に急で階段も無い)の倒木や落ち葉は掃除されるだろう。」とのことであった。 それに、花島山の周りには案内板の類は見当ら無かった。
また、平成17年5月に花島を訪れた時、集会所の近くでお会いした男性から「毎年春先に、 印西大師巡ぐりの一行が法螺貝を吹きながら旗をかざしてやってくる」という話を聞いた。 花島山は、印西大師八十八か所の「札所」ではなく「番外の堂」として勤行を請けているのだろうか。 地域の歴史や文化、行事の伝承のために、是非続けて欲しいものである。
印旛村としても、「この”花島山”に光をあてる」ことはできないものだろうか。
なお、花島山には9基の古墳が存在するとの調査結果が発表されている。( 「印旛村の古代文化 ー遺跡の分布と採取資料の紹介ー」 1980年3月31日 印旛村教育委員会 発行 印旛村図書館 蔵 )
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