○ 東三井寺

( 出典 : 「口訳 利根川図志」 赤松宗旦 原著 阿部正路・浅野通有 訳 1978年8月10日 崙書房 発行 成田市立図書館 蔵)」

 東三井寺

 滑川村にある。 これは日本の三つの三井寺の一つだと言い伝えられている。 瑠璃光山千手院といい、天台宗である。 本尊は千手観音で、側に薬師堂があり、堂の脇に井戸が三つある。 そこで「三井寺」と名づけたのだろうか。 [三井寺といえば、滋賀県大津市の園城寺が代表的で、「三井」とは寺内に、天智・天武・持統の三天皇の誕生水である御井=三井があることに由来する。]
 その創建の詳細ははっきりいないが、うしろの山間を仏具殿谷(でんやつ)といって、中央に屋敷の跡がある。 また、その頃の寺田として「仏具殿田(でんだ)」とよばれる田が多くある。
 寺宝に、平新皇将門の妾である桔梗の前の鏡一面と懐剣がある。 里の老人が言うには、この二つの品はむかしから紛失することがたびたびであったが、その品を持っている家には必ずたたりがあったので、持主からまた寺に納めるということが数回に及んだという。

(杉浦補註) 以下、「 下総町史 通史 近世編 」(下総町史編さん委員会 編集 平成六年三月下総町 発行 成田市立図書館 蔵)による。

 「 但し、東三井寺は、廃寺になっている。 桔梗の前の「宝剣と鏡」は下総町の昌福寺に残されている (図版8−2)。」


 東三井寺

 西大須賀字堀之内にあった。 瑠璃光千手院と号する天台宗の寺で、名古屋村等覚院の末。 本尊は千手観音。 東三井寺は安永三年に村惣鎮守八幡宮と争論して訴訟沙汰になり、八幡宮の別当である旨を主張したが、別当職は認められず、祭礼と神社内陣の管理権を認められた。

 昌福寺

 雲通山智光院と号し、下野国芳賀郡大沢村(栃木県益子町)円通寺に末。 本尊は阿弥陀如来。 寺伝によれば永正十一年(一五一四)に円通寺開祖良栄上人の法孫良翁上人昌順和尚が開いたという。 しかし、郡誌では山号を雲遍山とし、永正十四年(一五一七)に昌順が良正上人をもって中興とすとしており一致しない。 幕末安政二年(一八五五)の昌福寺什物帳によれば、本尊は阿弥陀三尊、他に善導大師・開祖大師(法然)・開山上人像を安置している。 また寺所有の土地を十数人に小作地として貸している。 かなり裕福な寺院であったと想像される。(宗派:浄土宗、所在地:西大須賀一八七二




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