○ 上総掘り ー伝統的井戸掘り工法ー

( 平成12年11月1日 千葉県立上総博物館 友の会 発行, 「 上総掘り ー伝統的井戸掘り工法ー から抜粋 )


3.上総掘りのあゆみ

 「上総掘り」は、江戸時代後期に上総地方に伝わった鉄棒を利用した突き掘り技術を工夫・改良しつつ考案された井戸掘り技術である。 明治時代中頃に上総地方で考案され、この地域の職人たちが日本各地に出向いて掘削し広めていったことからその名がある。 なかでも西上総地域の小糸川流域では中村(君津市)の池田徳蔵、石井峯次郎ら、小櫃川流域では俵田(君津市)の大村安之助らの活躍が注目される。 それは、従来の突き掘りのさく井技術を飛躍的に改良・発展させた独特の構成をもつもので、わずか2・3人の人力でそれまで30〜50m前後であった掘削深度を一気に数百メートルまで高めるような省力化、効率化を実現したのである。 しかも竹ヒゴ、ホリテッカン(掘り鉄管)、スイコ(吸子)の組合わせによる掘削、さらにハネギやヒゴグルマの発明等、人力と身近にある素材の利用によって実現したことは、当時の日本人ははもちろん我が国に文明開化の音を告げた欧米の人々をも驚かせたにちがいない。
 すでに、上総掘りという井戸掘り技術がこの地域で急速に発達した背景については、干害を減らし畑地を水田にしたいという人々の強い願いや、井戸が掘りやすく自噴しやすい地質構造に恵まれていたことなど、この地域のいくつかの社会的・自然的条件が指摘されてきている。 そして考案後は、この技術の習得の容易さやかかる経費の少なさが利点となって水不足に悩む周辺の河川流域に広まり、農民の中から多くの井戸掘り職人が生まれたこともその普及を促進した。 日本各地において水井戸のみならず、温泉井、石油井等の掘削に利用され、急速に普及していったのもそのためである。 そして明治時代のうちには、イギリス人によって海を越えたインドにおいても紹介されていたのである。 その後は、輸入された井戸掘り機械との競争や揚水機の導入等による競合期を迎えたが、場所を選ばない簡便さと低コストによって、地域をせばめながらも大正〜昭和期を生き抜いたのである。
 しかし、戦後の大規模な農地の基盤整備が進む昭和30年代及び米の生産調整が進められた40年代になるとこの発祥の地においても、こうした上総掘りの技術は急速に活動の場を失っていく運命をたどり、半ばにはその姿を消していった。
 その一方、近年において上総掘りの簡便な工法と入手しやすい用具の素材とが見直され、アジアやアフリカなどの開発途上国の生活用水、農業用水の確保のための手段として注目されはじめてきた。 そして、この上総掘りの技術を伝えようとする人々とともに、その仕組みだけでなく実際に掘削を試みようと博物館などに問い合わせてくる人々や体験学習へ参加する人々が生まれてきた。 彼らの中には実際に国際貢献のための技術取得という明確な課題意識のもとに参加している人たちがいることも確かであり、今後、国際的にもこうした成果が大いに期待されていくものと思われる。 日常生活に不可欠な飲料水の安定的な獲得と実り豊かな農業の向上を願って生まれた上総掘りは、これを伝えようとする人々と必要とする人々の努力によって、息を吹き返すこととなったのである。


― 以下略 ―






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