○ 麻賀多(まかた)大明神

( 出典 : 「口訳 利根川図志 巻五」 赤松宗旦 著 阿部正路・浅野通有 訳 1978年8月10日 崙書房 発行 成田市立図書館 蔵 )

 公津(こうず)村稷山(あいやま)の上にある(里人は、「てくろの明神」という)。 『延喜式』に載っているところの、「印旛郡一座、麻賀多神社」とあるのは、この大明神のことである。 [『延喜式』巻第九の「神祇九・神名上」に「下総国・十一座」の「大一座・小一座」のうち、「印旛郡・一座(小)麻賀多神社」とある。] 公津の村名は、台本を本(もと)としている。 下方(したかた)、江弁須(あべす)、大袋(おおぶくろ)、飯仲(いいなか)は、みな公津に属している。 また、公津新田がある。 むかしは、「神津(こうず)」と書いたということだ。 現在、台方の下に鳥居河岸とよばれるところがあって、沼の中に鳥居が建っている。 これがすなわち「神津」であるに違いない。
 『佐倉風土記』に云う、応神天皇の御代、印波国造(いばのくにつこ)、伊津許利命(いつこりのみこと)が、稚産霊(わかむすびの)神を斎祭(いつきまつ)った。 摂社は本(もと)三十八座。 今存する者は、五座で、印波国造社(いばのくにつのやしろ)と曰(い)い、幸霊神社(さきだまのじんじゃ)と曰い、馬来田朗女(まくたいらつめの)神社と曰い、猿田彦(さるたひこの)神社と曰い、天日津久(あめのひつく)神社と曰う。 社司太田の家に、貞治(じょうじ)(一三六二〜一三六八)と永正(えいしょう)(一五〇四〜一五二一)の官幣の祝文を蔵する。 その祖家清の記に詳しくしるされる。 七井・七台があり、ともに社外の四方三百歩に在る。 所謂初井、花井、北井、南井、御手洗井、大井、椿井、乾(いぬい)にある説教台(せっきょうだい)、北にある北野台、東にある元松(げんしょう)台、南にある平松(ひらまつ)台・天神台、西にある社司殿(しゃしでん)台、花輪(はなわ)台である。 古、祭田七区があり、七氏が分掌し、祭祀に供した。 油免(あぶらめん)・薦布(こもし)免・穂掛(ほがけ)免・団子(だんご)免・御斎(おさい)免・巫(みこ)免がこれである。 今では僅かにその名が残っているだけである。 倭俗では、租賦のことを免という。




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