○ 野馬の放牧地 「牧」 ( 出典 ; 「ちば県民だより」 平成17年12月5日版 )
軍馬の育成と明治の開墾
房総三国《安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)》では、平安時代から馬の放牧を行う「牧」が営まれていました。
江戸時代には、軍馬の育成を目的に、小金(こがね)(東葛飾地域ほか)・佐倉(印旛地域ほか)・嶺岡(みねおか)(安房地域)の3つの牧が幕府直轄により経営されました。 牧には「牧士(もくし)」と呼ばれる管理者が置かれ、名字帯刀(みょうじたいとう)が許されていました。
牧では、年に1回農閑期のころ、土手を迷路状に築いた「捕込(とっこめ)」に、放牧された馬を追い込む「野馬捕り」が行われました。 これには大勢の見物客が訪れ、出店が並ぶほどのにぎわいだったようです。
明治時代に入り、東京で発生した大量の失業者を救済するため、政府は、近接地の小金牧と佐倉牧の原野開墾に着手しました。 これに応募して選ばれた約6400人が、明治2年(1869)から13回にわたって入植しました。
開墾地には、入植した順に初富(はつとみ)(現在の鎌ヶ谷市)、二和(ふたわ)・三咲(みさき)(船橋市)、豊四季(とよしき)(柏市)、五香(ごこう)・六実(むつみ)(松戸市)、七榮(ななえ)(とみさとし)、八街(やちまた)(八街市)、九美上(くみあげ)(佐原市)、十倉(とくら)(富里市)、十余一(とよひと、とよいち)(白井市)、十余二(とよふた)(柏市)、十余三(とよみつ、とよみ)(成田市、大栄町、多古町)という地名が付けられ、現在でもその名は各地に残されています。
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