○ 大いなる印旛沼 ー過去・現在・未来ー
( 出典 : 「大いなる印旛沼 ー過去・現在・未来ー」 平成14年3月 (財)印旛沼環境基金 発行 )


 印旛沼は人なつっこい沼である。印旛沼に流れ込む川の流域の人々にとって、印旛沼は、”わがふるさとの沼”という響きをもっている。 谷津の上流に稲作を持って初めて住み着いた人々は、そこに古村を作って独特の湿地の文化を醸し出し、次第に下流の広い耕地を求めて発展を続けてきた。 最後に到達するところが印旛沼であり、印旛沼はその目標であった。 印旛沼は、印旛の地域の人々にとって発展のシンボルであったのである。
 一方、印旛沼は、標高(TP)2メートル以下という低地にあり、利根川の遊水地的存在であったため、洪水は頻繁に発生し、人を寄せ付けない存在でもあった。
 印旛沼は、洪水のたびに、大量の土砂が運び込まれて沼底が浅くなり、三角州を形成していった。 人々は、頃合いをみて沼を干拓し、水田耕作を始めた。 しかし、気候の年次変化は大きく、たびたび洪水が発生し、洪水と格闘しながら水田を広げていったのである。 その逞しい生命力に敬意を表する次第である。
 印旛郡誌には、印旛沼の名称の起源について、はっきりしないとしながらも、文明18年(室町中期)に書かれた回国雑記に「稲穂の湖」とあり……当時はインバといわなかった。 多分、印旛は稲庭の意味であろう。 ……昔の文書には、印葉、印波、印幡、印播などがあり、印旛の字は見当たらない、と書いてある。 「旛」は“ハタ”と読み、長い布を垂らした旗の意味である。 昔の印旛沼の形は、W形をしていて、風になびく旗の形を連想して、「旛」を当てたのかもしれない。 いずれにしても、印旛沼の名前は、それなりの長い歴史の重みを感じさせる。
 現代の印旛沼は、東京から40〜50kmの首都圏内にあり、その集水域は、都市化に伴う急激な人口増加地域である。 そこにある“印旛沼”という水がめは、千葉県の都市化、工業化に必要な水需要を支える重要な使命を帯びるようになり、印旛沼の社会的な存在意義は、昔とは比べ物にならないほど大きくなっている。 今や印旛沼は、昔の洪水を人の使う水に替え、治水、利水施設の完備した、かけがえのない存在となっている。
 その反面、印旛沼は堤防で囲まれ、人と直接触れる機会を失い、沼の水は台所の蛇口を通じてだけ接するようになってしまった。 人は、沼の恩恵を受けながら、その存在が見えにくくなり、沼への関心は薄れつつある。 さらに、現代の印旛沼は水質汚染が進行し、水道水源としては全国一の汚れた湖沼になってしまった。 人の健康を守るためにも、その水質改善が急務となっている。
 印旛沼の水質は、集水域を含めた、湖沼陸域生態系として成立している。 印旛沼の保全は、「海を守るために、山に木を植える」という理念が必要である。 都市化の進む集水域を如何に保全し、人と自然が如何に共存していくかを模索することが、印旛沼の水質浄化の課題であり、ひいては、安心して、おいしく飲める水をう得るための課題である。 住民の一人一人が、昔にも増して、水への関心を高め、身近な自然と上手に付き合うことが求められている。
 このような時に、印旛沼のこれまでの“あゆみ”を振り返り、現代の姿を正視することは決して無駄ではない。 歴史的、自然的、社会的に、この“大いなる印旛沼”を熟慮し、未来へむけて、今何をすべきかを考えてみたい。本紙が、その一助となれば幸いである。

平成14年2月             財団法人 印旛沼環境基金






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