○ 印旛沼の成因と性格
  ( 出典 : 楠田 隆・楡井 久 「 印旛沼ー自然と文化ー 創刊号 」 平成6年11月(財)印旛沼環境基金 発行 )
1.はじめに
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2.印旛沼の地下地質と地質環境変遷
関東平野は、北部に筑波山や足尾山地、北西部から西部には関東山地、また南部には丹沢山地や三浦丘陵、千葉県側では東に銚子、南に上総丘陵などの山地〜丘陵地に取り囲まれている。 これらの山地〜丘陵地は新第三紀以前の地層から成り立っている。 それに対し関東平野の中央部付近にはそれよりも若い第四紀の地層が分布している。 相対的に周辺部が隆起し、中心部が沈降する関東造盆地運動により、こういった分布形態となっている。 第四紀層の地層は平野の中心部に向かって傾斜している。 印旛沼も関東平野の中央部付近から利根川下流域に位置する海跡湖の一つである。
戦後の利根川下流域には、下流から北浦、霞ヶ浦、長沼、印旛沼、手賀沼といった海跡湖が分布していた。 これらの各水域は、弥生時代からの15世紀の間に出現し、戦後貯水池に変貌する。 この中には、長沼のように埋め立てられて水田になったものもある。 水域として残った沼には、人と人の関係(経済関係)で偶然的に存在してきた面もある。 そして、沼の水が人間によって汚されてきている。
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(1) 印旛沼下の地下地質
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(2) 印旛沼の地質環境変遷史
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3. ま と め
印旛沼の地下地質から、第四紀の氷期における海退期によって侵食された谷跡に、淡水性の堆積物が堆積し、また、その後の海進によって海域となり海成堆積物によって埋め立てられる、といったサイクルを繰り返している。 江戸時代の経済活動の拡大が、小さな河川であった赤堀川が東北地方と江戸との舟運のための運河として改修され、利根川の東遷の端緒がつけられていった。 このことが印旛沼の逆三角州の発達を加速させた面もあると考えられる。 戦後の食糧増産政策による干拓、また、高度経済成長政策以降には水の需要が高まった。 このため印旛沼は貯水池化され、水需要の多い時期には、ほとんど自然には排水されない状態になっている。 また後背地域の人口増加が、印旛沼への富栄養物質の流入を多くし、沼内生産を高め、黒色汚泥の堆積を多くしている。 このことが沼内堆積物からの富栄養物質の供給をも多くしている。< トップページに戻る >
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