○ 口訳 利根川図志  ー 抜 粋 ー

( 赤松宗旦 著 阿部正路・浅野通有 訳 1978年6月10日 崙書房 発行 成田市立図書館 蔵 )

巻 四

印旛沼(いんばぬま)  印旛郡にある。 その水は、上は船尾村の神崎橋から落ち、また一方の水は、佐倉の城山をめぐって鹿島橋から落ちる。 その水の下は、安食(あじき)から利根川に合している。 長さはおよそ七里(約二十八キロメートル)。 巾は、二里(約八キロメートル)ばかりである。 沼の中に、佐久知穴(さくぢあな)や花島山などがある。 そのほかに古跡が多い。 『佐倉風土記』にいう。
 倭俗では沮沢を沼といっている。 これも亦旧(ふる)く印旛沼、又印旛の湖といっている。 この江は、首尾四十余里、水運の便があり、魚鰕の利が多く、下手では海の潮流を引き入れており、江というべきである。 沼といい、湖というのは、郷のことばに過ぎない。 それ故今、江の名をもって称したのである。 大江の千里の歌に「しもふさの、いばのうらなみたつらしも、ふなびとさわぎ、からろおすなり」とある。 その浦と称することも、亦久しいことなのであろう。 その源は、神船尾(かのふなお)の西北より出で、二小流を受け入れている その一つは、戸神と佐山の間より、その一つは神(かの)と平戸(ひらど)の間から出で、船尾の下で合流する。 広さは一里ばかり、東流すること六、七里、師戸(もろど)に至って、鹿島橋の下流において合流する。 広さは二里ばかり、又東に少し北よりに流れること七、八里で平賀に至る。 これより北に折れ、水面はますます広がり、広さ十余里、印旛・埴生の二郡を浸し、北方の安食を過ぎて、燕尾のように分かれて、利根川に入る。 その氾濫の患いは常に巽の風にあり、必ずしも潦水(雨水)のためではない。 思うに利根川の東南は海に面しており、もし雨を帯びた巽風に遭えば、海口から吹き上げられて水が逆行し、溢れてここに入るのである。 江の景色は、平地からの見晴らしに適さない。 蘆萩が眺望を遮ぎるからである。 高処からの眺めがよい。 高処からの眺望は、平賀が佳く、飯野がこれに次ぐ。 もやが消えて水が澄み、水面は一枚の巨大な鑑(かがみ)となり、浦を環(めぐ)る山々は、揖(ゆう)の礼をしているように、坐っているように、走っているように、とどまっているように、様々な形をとり、翠(みどり)の屏風画が開かれたようなのは、平賀の眺望である。 ひろびろとした大江が、一すじの銀を鎔かして作った長い帯のように横たわり、水辺緑の洲には、鳥が飛び、馬が風のように走るのが見られ、夕日とともに千里のかなたの富士の峰と向い合うのは、飯野の眺望である。


                  ― 中 略 ―


 吉高の東二里ばかりのところに、江中に二つの穴がある。 一つは北、一つは南、四、五十歩へだっている。 穴の直径はそれぞれ五十丈ばかりで、水の色は深々と玄(くろ)く、底は測ることができず、うずを巻くことはなはだ急で、舟の通過がむずかしい。 村民はこれを佐久知穴といっている。 佐久知とは鯔魚(ぼら)の小さなもので、時としてこの穴に集まり、網を打つと数えきれないほど獲れる。 それ故このように名づけたのである。 北須賀以北の江上に、夏の間、陰湿な夜に、火が水中から出る。 水を離れること数尺、漁火でもなく鬼火でもなく、わずかの間に分散して時には五六十、時には百数十となり、行ったり来たり、もとめたり集まったり、遠く近く、高く低く浮動し、数時間してようやく消える。 これもまた江上の一奇である。 (杉浦追補:不思議な話=雨祈


 『廻国雑記標註』の巻上に、次のように記してある。
 九月二十八日、稲穂(いなほ)の別当の坊で湖水をながめて   
文明十八年丙午也  道興准后

 山色湖光秋又窮まる      郷書會て飛鴻に託せられず。
 砧声近く報ず弧村の晩(くれ) 旅懐何ぞ堪へん憂患の躬(み)。

   山の色も湖の光もすべて秋の窮ったことをしらせている。 故郷からの便りは、一度として大空を飛ぶ鴻(おおとり)に託されてこない。 ぽつんとした小さな村の夕暮れ時、すぐ近くから響いてくる、秋の深まりを告げる砧(きぬた)の音を聞いていると、憂い患うわが身に旅の懐いが堪え切れないものとなってくる。

 またいう。 今日は小春[暖い秋]のしるしだろうか、少しばかりのどかなので、みなが稲穂の湖水に浮んで舟の中で酒などを楽しんだことであった。 富士山が湖に映っている風情を、皆が歌に詠むべきだというので

 水うみの波間にかげをやどし来て又たぐひあるふじを見るかな

  湖の波の間(ま)にまに、舟遊びの姿をうつしながら優雅な遊びを楽しんでいるのだが、その風情に一層の趣きをそえてくれる湖水の波間にうつる富士山を眺めることができるのは、なんてすばらしいことだろう。

   道興准后は、後知足院関白左大臣房嗣公の第三子で、道興法務大僧正、准三官三山並びに新熊野検校で、聖護
    院である。

土 産   鯉、鮒(ふな)、鰻(うなぎ)、鯰(なまず)、鯔(ぼら)、鮠(はや)、腹赤魚(はらか)、サイ、マルタ、蟹(かに)、鰌(どじょう)、海老(ツノガラエビ、中エビ、ヌカエビ)、蜆(しじみ)、田貝(たんかい)(真珠あり)、ゲバチ(ゲンギョ、ギギウ)。 『魚譜』に、ギギ、「魚へん+岡」魚。 一名黄「桑ヘン+頁」魚とある。 ナマズに似て小さい。背や腮(あご)の下の「髟+耆」(ひれ)に刺(はり)があり、人が手を触れると刺してひどく痛む。この魚をとると、ごきごきとなく。 この魚は、最近いたって少なくなった。 『物類称呼』に、「考えてみると、享保十三戊申年(一七二八)の秋に、東国の所どころが洪水になり、この魚が少なくなった。 しかも、それからのちに、鯰が多くなったのは、おそらく、ギギが鯰に変じたのだろう」といっている。 実際、そのとおりだと思われ面白い。

水鳥  雁、鴨、ヒス、ナガ、ハジロ、タカブ(小鴨)、アヂ、鷺(種類が多い)、鵜(う)、鴫(しき)。このほか雑鳥が多い。

水草  菱、真菰(まこも)、芦、蒲、萩、川骨、澤瀉(おもだか)、スゲなどの類がもっとも多い。

― 以下略 ―



      図版 印旛沼全図  ー 略 ー



(杉浦補註) 利根川図志の自序には、安政二年乙卯三月に赤松義和(よしとも)(宗旦)識 雪城(せつじょう)居士俊卿書と記されている。




< トップページに戻る >   < 資料のインデックスに戻る >