○ 利根川図志 自 序
( 出典 : 「口訳 利根川図志」赤松宗旦 原著 阿部正路・浅野通有 口訳 1978年4月20日 崙書房 発行 成田市立図書館 蔵 )
自 序
私は以前に次のようなことを聞いたことがある。 お上に意見書を献ずる者があり、言うことに「水上の運送はすべて海船によっているが、今もし河舟をこれに参(まじ)え、利根川を下し、江戸の海に通すことができれば、海船による運送の不足を助けることができよう。 一都会を信濃の軽井沢に建設し、その人力を充足することができれば、この人力によって千曲川を通して運送しておる米を運び、これを碓氷川に送ることができよう。 かつ、岩石を開鑿し険阻を平らかにするには、そもそもまた方法がある。 山の中にはもともと薪が多い。 これを石上にや(草冠+熱)き、石が熱したところでこれに水を沃(そそ)げば、石は驚きさわぐ蝶のようになり、石は砕け水は通じ、舟や筏を浮べることができる。 かつまたその役丁夫については、一里に一亭を置き、三里に一舎を設け、肩から肩へと送り、踵(くびす)を接して迎えれば、労を忘れさせ、餓をいやすことができる。」と。
また言うことに、「海船を銚子口に導き入れ、これを印旛沼に運び、地を鑿(うが)って渠を為り、これを検見川に通じ、これを江戸の海に達するようにすれば、危険な東海の風濤を免れることができ、かつまた沼の近傍を開墾し播種することもできる。 しかしながら、このことについてはまた四つの難点がある。 その一は、人力の乏しいことで、かりにも役使することが多ければ、いたずらに煩冗となり、金ぶくろを支給しきれなくなる。 その二は、淤泥(どろ)の多いことである。掘ってもすぐ堙(うず)まってしまう。 その三は、沙土(すな)のしまりのないことである。積んでもすぐ崩れてしまう。 その四は、西風の烈しいことである。毎年沙を吹き上げ、下流が壅(ふさ)がれれば、検見川も亦後累の及ぶところとなるであろう。 しかしながらこれらいくつかの事は、皆善処の方法がある。 仮にも才能有る者があれば、困難なことではないであろう」と。 また言うことに、「鹿島の沙丘をその最も狭い処で断ち切れば、利根川の水が鹿島浦に落ちる。そうすることによって、溝渠を十二橋に通じ、田園を十六島に開墾することができる」と。
すべてこれらのことは、皆利根川の事に係わりをもつ。 私はその傍に生まれ、感なきを得ない。 とりあえずその聞見するところを記してこの書を作った。 かの数件の意見書のごときは、感を興す因(もと)となったもので、篇首に冠したが、その是非については、私のあずかり知らないところであるので、故は文中では言及しなかったのである。 私はもとより学問に乏しい。 たとえ毀誉する者があったとしても、またどうして関心をもとうか。 門を出でて一笑すれば大江横たわる。
安政二年乙卯季春 赤松義知識